第100章 武脈
深川が拠点を失った三日後、周天明は龍心館のトレーニングルームにいた。
本格的な修練を始める時間だった。
早川が彼を連れて武脈レンタルルームに入ると、白衣を着た中年の男が机の後ろに座っていた。
「また来たのか」男が顔を上げた。「今日は何を借りる?」
「霊脈レベルの血脈型武脈を一つ」早川が言った。「周くんの会費で」
男は頷いて、ガラスケースから赤いカプセルを取り出した。
「3時間で5000円だ」
周天明は支払いを済ませ、カプセルを受け取った。前回と同じ、半透明の赤色で、中に液体が流れているように見える。
彼はカプセルを口に入れ、飲み込んだ。
温かい感覚が喉から腹部に流れていく。
そして――変化が始まった。
体の奥深くで、何かが目覚めたような感覚。血管の中を流れる血液が、急に熱を帯び始めた。いや、血液だけじゃない。筋肉、骨、内臓――体全体が温かくなっていく。
これが気血の活性化か。
周天明は目を閉じて、体内の変化を感じた。
心臓の鼓動が力強くなっている。ドクン、ドクンと、普段より大きく、速く打っている。その度に、温かい血液が全身に送り出されていく。
「どう?」早川が尋ねた。
「すごい」周天明は目を開けた。「体が熱い」
「でしょう!」早川が笑った。「それが武脈の効果なんだ。気血の運行速度が上がってる証拠だよ。さあ、静室に行こう」
二人は3号静室に入った。
「ここで基礎鍛錬をするといい」早川が言った。「武脈の効果がある間に、できるだけ体を動かす。そうすれば気血の成長速度が上がるから」
「わかった」
早川が去った後、周天明は立ち上がった。
まずは馬歩から始める。
腰を落とし、両足を肩幅に開き、膝を曲げる。基本中の基本の姿勢だ。
でも――今日は違った。
普段なら数分で足が震え始めるこの姿勢が、今は全く辛くない。むしろ気持ちいい。
体の中で気血が巡っている。
心臓から送り出された血液が、大腿の筋肉に流れ込む。筋肉が熱を帯び、力が湧いてくる。
周天明は姿勢を維持したまま、拳を突き出した。
パン! パン! パン!
空気を切る音が静室に響く。
一拳、二拳、三拳……
普段なら百回も突けば腕が疲れるのに、今は全く疲れない。気血が腕の筋肉を巡り、どんどん力が湧いてくる。
汗が額から流れ落ちた。
でも周天明は止まらなかった。
馬歩のまま、拳を突き続ける。
二百回、三百回、四百回……
体が熱い。
服が汗で濡れ、肌に張り付く。
でも――気持ちいい。
体の中で何かが変わっていくのを感じる。筋肉の繊維が強くなり、骨が硬くなり、血管が太くなっていく。
これが気血の成長か。
周天明は拳を突くのを止め、姿勢を変えた。
今度は蹴りだ。
片足で立ち、もう片方の足を蹴り上げる。
バシュッ! バシュッ!
足が空気を切る。
気血が脚の筋肉に集まり、爆発的な力を生み出す。
一蹴、二蹴、三蹴……
時間が一分一秒と過ぎていった。
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レンタルオフィスでは、白衣の男がモニターを見ていた。
画面には静室の温度が表示されている。
修練者の気血が活発になると、体温が上がる。激しい修練では、静室全体の温度が上昇することもある。
「ん?」
男は眉をひそめた。
3号静室の温度が上がっている。
それも急激に。
開始時は22度だった室温が、今は25度を超えている。
「この温度上昇……」男は呟いた。「高校生でこれができるのか?」
彼は急いで空調を強化した。温度が上がりすぎると、修練に集中できなくなる。
「周天明……」男は名前を思い出した。「あの高一の学生か」
彼は心の中で驚いていた。
霊脈レベルの血脈型武脈を使っているとはいえ、この気血の活性度は異常だ。気血値が200カロリー以上の武術家でも、ここまで温度を上げるのは難しい。
「132カロリーのはずなのに……」
男は首を傾げた。
でもモニターの数値は嘘をつかない。3号静室の温度は上がり続け、今は26度に達している。
しかも――体表温度センサーが反応している。
周天明の体温が38度を超えている。
「これは……」
男は驚いた。
通常、武脈を使った修練でも、体温は37度程度までしか上がらない。38度を超えるのは、爆発型武脈を使った全力戦闘の時だけだ。
「血脈型武脈でこの反応……才能があるのか、それとも何か特殊な体質なのか……」
男は画面を凝視した。
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静室の中、周天明は完全に修練に没頭していた。
蹴りから掌打、掌打から肘打ち、肘打ちから膝蹴り――
前世の少林寺で学んだ基本功を、次々と繰り出していく。
でも今日は違う。
武脈の効果で、気血が普段の何倍も活発に動いている。
一つ一つの動作で、気血が筋肉に流れ込み、筋肉が強化されていく。まるで一回の修練で、普段の三日分の効果があるようだった。
周天明は感じた。
自分の体が変わっていくのを。
筋肉が引き締まり、骨が硬くなり、皮膚が厚くなっていく。
これが鍛体か。
前世では修仙の道を歩んでいた。気を練り、丹を結び、元嬰を育てる――それが修行だった。
でもこの世界は違う。
まず体を鍛える。気血を増やし、筋肉を強化し、骨を硬くする。体そのものが武器になる。
周天明は動きを止め、深呼吸をした。
体が熱い。
汗が滝のように流れ落ちる。
でも――まだ動ける。
武脈の効果はまだ続いている。
周天明は再び馬歩の姿勢を取った。
今度はもっと深く腰を落とす。
太腿が床と平行になるまで。
ギリギリと、筋肉が悲鳴を上げる。
でも気血が流れ込み、痛みを和らげる。
ドクン! ドクン! ドクン!
心臓が激しく打つ。
気血が全身を駆け巡る。
周天明は感じた。
自分の気血値が上がっているのを。
132カロリーから――133、134、135……
たった一時間半で、3カロリーも上がった。
普段なら三日かかる量だ。
これが武脈の力か。
周天明は目を閉じた。
そして――
ドクン!
心臓が一際大きく鳴った。
気血が爆発的に全身を駆け巡る。
筋肉の繊維一本一本に浸透していく。
136カロリー。
周天明は目を開けた。
体が軽い。
力が漲っている。
これが成長の実感か。
彼は拳を握りしめた。
まだいける。
武脈の効果はあと一時間半ある。
周天明は再び動き始めた。
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三時間後。
周天明が静室から出てきた時、早川が待っていた。
「どうだった?」
「すごかった」周天明は汗を拭いた。「気血値が5カロリー上がった」
「5カロリー!?」早川が目を見開いた。「三時間で!?」
「うん」
「それは……」早川は言葉を失った。「普通、霊脈レベルの武脈を使っても、三時間で2カロリー上がればいい方なのに……」
周天明は微笑んだ。
やはり、前世の修行経験が役に立っている。
気血の運行方法は違っても、体を鍛える原理は同じだ。
効率よく体を動かし、効率よく気血を巡らせる――それができれば、成長速度は何倍にもなる。
「周くん」早川が真剣な顔で言った。「君、本当に才能あるよ。このペースなら、試合までに気血値150カロリーも夢じゃない」
「そうなるといいな」周天明が言った。
彼は心の中で計算していた。
今137カロリー。
試合まで二週間。
週に二回、武脈を使って修練すれば――
合計四回。
一回で5カロリー上がるとして、20カロリー増える。
157カロリー。
十分戦える数字だ。
周天明は拳を握りしめた。




