2-1『夢告、尾張に降る』
――ある朝。尾張藍国、藍霞城。
智長は、静かに目を覚ました。
いつものように、静かに起き上がり――
すこし遠くを見て、ぽつりと呟いた。
「……南の峡谷が……呼んでいる……。敵が動く前に……守れ」
障子の向こうにいた芝田数家は、息を飲んだ。
「……殿、それは……まさか――」
智長は頷いた。
「――夢のお告げだ」
「来ましたぁああああああああああああ!!!!」
芝田の絶叫が、朝の城内にこだました。
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その数刻後。廊下にて。
「“峡谷を守れ”って……殿、あの辺り地形的には丘陵しか――」
羽芝秀知は、地図をめくりながら言った。
「つまり、地理的に存在しない」
「“存在しない”というのは、眼に見える者の了見に過ぎぬ!!」
芝田が地図を床に叩きつける勢いで反論。
「これは殿の夢告であらせられるぞ!?夢に出てくる地形は、現実より信頼性が高いのです!!」
「初耳だよ!!どこの誰が言ってんだその理論!!」
「――先人の知恵です」
「出たな万能カード!!」
羽芝が叫んだ瞬間、後ろから誰かが現れた。
「ご報告を!」
家臣が興奮気味に報告書を差し出す。
「城下の民の間で、“南にあるはずの峡谷”の目撃談が続出しております!」
「それ嘘ついてんだよ!!ないの!そこには何もないの!!」
「羽芝殿。見えないからこそ、“見える者”の価値があるのです」
「それっぽいこと言って誤魔化すなあああああ!!!」
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――そして、朝食の席。
智長は静かに食事をとっていた。
「殿、夢のお告げについて、詳しくお話しいただけますか?」
羽芝が恐る恐る聞くと、智長は頷いた。
「……峡谷は深く……風が渦巻いていた……空が二つに裂け……そこに影が……」
「わ、わかりました!ありがとうございます!!」
羽芝は必死にメモを取った。
が――
「殿、それは“南の渦裂谷”では!?」
「“裂空峡”の伝承と一致しております!」
「“風裂れの谷”という民話もございます!」
「違う!全部、ないから!!そんな谷、どこにもないから!!!」
羽芝の声が、もう一度むなしく木霊した。
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その日の午後。城下町・大通り。
「南の谷が呼んでいる……殿の夢告がついに……!」
「我らが見るべきものは、“夢の地形”よ!!」
「今こそ、夢の地図を作るときでは!?」
夢の地図屋が爆誕していた。
さらに――
「“殿が夢に見た谷”の枕、入りましたーっ!!」
「“夢峡枕”!今なら殿の寝言を織り込んだ刺繍つき!」
「“深く、空を裂くような形”の布団もあるよ!!」
羽芝は、店頭の見本布団に記された刺繍文句を読んで、頭を抱えた。
> 「――この地を、眠りで守れ。」
(そんな寝言、殿は一言も言ってない……!!)
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――そして夜。
智長は月を眺めながら、ぽつりと呟いた。
「夢か現かは、己の解釈による。だが、民が信じるならば……それもまた、道理だ」
芝田は感極まり、涙ぐんで頷いた。
羽芝は、もう何も言わなかった。
言ったところで、たぶんまた“先人の知恵”で片付けられるだけだから。
彼は空を見上げた。
雲が、谷のように裂けていた。
(……あ。なんかそれっぽいのが見えた気がしてきた)
――尾張藍国、夢と布団の国への第一歩である。