1-3『拡散する奇行伝説』
――その日。尾張藍国の城下町には、どこかざわめきがあった。
「あのな、聞いたか?茶田殿がな、あの世と交信できるらしいぞ」
「そうそう。昨日の葬儀で、魂に向かって“直送の儀”をなされたってよ!」
「何それ物騒!」
「違う!ありがたいやつ!!」
茶屋の奥、囲炉裏を囲む年寄りたちが、真剣そのものの顔で語り合っている。
「そもそも、あの方が目を閉じた瞬間、雨が止んだ日があったらしいぞ」
「ええ、あたしゃ見たよ。殿がまぶたを伏せたら、風も止まって、鴉が飛んで……それで、晴れた!」
「それ、昼寝じゃないか?」
「――神の昼寝!」
一斉にうなずく茶屋の常連たち。
(……この国、もう手遅れでは?)
その輪の外で、こっそり茶をすする一人の男がいた。
くすんだ旅装に、やたらと目線の動く鋭い眼。
愚愚流国から潜り込んできた間者――庵戸九朗人である。
彼は懐の巻物にこっそり筆を走らせていた。
> 「茶田智長、精神統一により天候制御の術を体得せり……」
(やはり只者ではない……)
――数日後、尾張藍国・城内。
「では本日の軍議を……」
羽芝が言いかけた瞬間。
「待たれい!」
芝田がズズンと入室。手には、白くてフワフワな――
「……それ、布団ですね?」
「はい。軍議専用、睡眠用布団でございます」
「いや何で今!?戦の話をするんですよ!?」
「殿が考えに沈まれた際、すぐに対応できるよう準備を……!」
「沈まないで欲しい場面ですからね!?ここ!!」
羽芝の叫びがむなしく響く中、智長がゆっくりと登場する。
「……本日の議題は?」
「布団の敷き場所の確認でございます」
「それは議題じゃない。芝田、下がれ」
「はっ。では、ここにて静かに待機を……」
そのまま正座して布団の横に控える芝田。
(なぜ、彼が“布団の添え物”のようになっているのか……)
羽芝の心労は日々増すばかりだった。
――そんなとき、別の家臣が手を挙げた。
「殿の“戦は知略で制す”というお言葉、大変深く響きました!」
「おう、あれな。至言だったな!」
「拙者、思わず羽飾りを兵士に配ってしまいました!」
「……どういう連想?」
「“羽”は“知恵”の象徴にございます!」
羽芝が頭を抱える。
「いや、それはただの諺……」
「しかと受け取りました!“羽芝殿”の“羽”にも、神の理が宿っておられると!」
「なぜ!?」
「つまり、羽芝殿は“智の象徴”――!」
「違うってば!僕は普通の名前です!!」
だがその声は誰にも届かない。
――やがて噂は、さらなる方向へ暴走する。
「先人の知恵の箱……ついに開かれる日が近いのでは?」
「だめだ!殿が“決して開けてはならぬ”と仰っている!」
「それも試練かもしれん……!」
「開けた瞬間、神の理が光となって溢れるのでは?」
(いや絶対空っぽだって……)
羽芝の脳裏に“空の漆箱”の姿がよぎるが、誰にも言えない。
その頃――愚愚流国に帰還した庵戸は、真剣な顔で報告書を提出していた。
> 「尾張藍国、既に神意により統治されし国となる。 その指導者、茶田智長は“夢と現”を行き来し、存在せぬはずの力を操る……」
(……やはり、只者ではない……)
武田深限の顔が蒼ざめるのは、もう少し先の話である。