1-1『神の理の目覚め』
ある朝、目覚めた男は――戦国の常識からはみ出した。
茶田智長。尾張藍国の若き君主。 彼は突如として「神の理を語る者」となった。 …が、実際のところ、ただの“フリーズ”だった。
彼の一言に、家臣は涙し、布団を捧げ、国が眠る。
唯一まともな参謀・羽芝秀知の絶叫は、誰にも届かない。
敵国の間者すら誤解し、崇拝し、報告をねじまげる。
――かくして始まる、誤解と睡眠と、時々戦国の物語。 「これは、布団が支配する時代の夜明けである――」
ーーーーーーーーーーーーーーーー
――朝。尾張藍国、藍霞城の主寝室に、やわらかな日差しが差し込む。
「殿、朝餉の時間でございますよ……」
すーっ……と障子を開けたのは、過保護さが筋金入りの老家臣、芝田数家。両手には枕と布団と温茶入りの盆があり、動作が妙に優しい。まるで新生児でも扱うかのように。
「……」
寝台の上、智長はまるで石像のように横たわっていた。
しかし、次の瞬間――
「……人間の睡眠は、記憶整理と神経伝達物質の最適化を目的とした、自然の再構築工程である」
「…………へ?」
芝田の目が点になる。
「……つまり、よく眠った者ほど、理を見通しやすい。ゆえに私はよく眠ったのだ」
「殿ぉぉぉぉぉ!!!」
芝田が枕を空中に放り投げ、涙を溢れさせながら床に崩れ落ちる。
「つ、ついに……ついに神の理を御体得あそばされましたな……!」
「……?」
智長は布団からゆっくりと起き上がる。寝癖は完璧。声は落ち着き払っているが、視線はどこか空を彷徨っていた。
「芝田。朝の茶を」
「はっ、ただいま!特製“眠り明け茶”をご用意しております!」
ぱたぱたと走り去る芝田。その足音が遠ざかると、智長はぽつりと呟く。
「……この身体、どうも仕様が違う。認識処理のレイテンシが……いや、違うか。いや……?」
彼はこめかみを押さえながら、部屋の片隅へ視線をやる。
そこには――漆塗りの、重厚な箱。触れる者を拒むかのように、静かに、そこにあった。
「……先人の、知恵の箱か。これが鍵なのか……?」
その瞬間、障子がバァンと開く。
「殿が目覚められましたぞ!!神の理が開かれたのですぞ!!」
芝田が走りながら叫び、その背後からぞろぞろと家臣団が押し寄せてきた。
「殿っ!お目覚めを拝見できるとは光栄の極み……!」 「神の理!神の理とはいかなるものか……!」
「……落ち着け」
智長は手を上げると、一斉に家臣たちが正座した。
ただ一人、異様な雰囲気に違和感を持つ男がいた。
「……あの、殿。なんというか、今日はずいぶん難しいことを……」
羽芝秀知。智長に仕える参謀役であり、数少ない“常識人”である。
「今朝の発言、どう考えても“普通の理屈”では……?」
「羽芝殿、それは神の理を理解できぬ者の言!」
芝田がぴしゃりと遮る。羽芝が口を開けば開くほど、彼の理性はますます“異端”として浮いていく。
「殿、失礼を承知でお聞きします……その“知恵”の出どころは?」
老家臣のひとりが震える声で問いかける。
智長は黙って、視線を滑らせる。そして、部屋の隅にある箱を指さした。
「――これだ。“先人の知恵の箱”だ」
「おぉぉぉぉぉ……!!」
家臣たちが一斉にひれ伏す。
羽芝は一歩前に出て、眉をひそめた。
「……それ、中を拝見しても?」
「開けてはならぬ」
即答だった。
「道理に反する」
「……」
羽芝はため息をついた。そして心の中でこう思った。
(開けたら、きっと空っぽだ)
「さあ、議論を始めよう」
智長の声が響く。家臣たちは「ははっ!」と威勢よく返事をし、一斉に彼の背後に控える。
一人残された羽芝は、天を仰ぎ、ぽつりと呟いた。
「……この国、大丈夫かな」