祖国の兵士
<プロローグ>
中東のはずれに位置するX国は、二十世紀半ば過ぎ、軍事クーデターにより、それまで四十年以上、いや、歴代王朝を合わせると千年にも亘っていた王制が打倒され、共和国軍事政権が樹立された。
王制派は国を追われ亡命し、国外で亡命国政府を樹立し、革命新政府と対立、内戦状態となる。
その後、革命新政府が旧亡命国政府を抑え、約八年間に亘る内戦に終止符がうたれる。
二年後、軍事政治は解消され、X国は民主政府として新たな道を歩み始める。
それから十八年の年月を経た後、隣接するY国との統合によってX国の国名はその国旗とともに消滅した。
<一>
X国での大規模な内戦終結後、十七年以上政情不安の続くその国で、『ミナコ』は、政府軍の特殊部隊、チーム名『G1』に抜擢され入隊した。
彼女は日本に国籍を有し、日本の高等学校を卒業後、X国の軍人が多く軍事教育を受けるZ国に渡り、その国のエリート軍事大学校に入学、六年間の教練を経て、本年九月にとりわけ優秀な成績で卒業した。
彼女が何故Z国に渡り、その軍事大学校に学んだか、そして何故、X国の軍への入隊を希望していたかについては、彼女の生い立ちに遡らなければならない。
★===========(美奈子の回想)
私の名は岡田美奈子といいます。
生まれは日本国ではありません。
遠く離れた、住んだことも見たこともないX国の生まれです。
私の母はX国内で未婚の男女の間にできた子で、親に捨てられ、生後現地の孤児収容所に預けられたと聞いています。
母は何らの教育も受けることができずに育ったわけですが、社会保障のほとんどないX国内で、当時、居食住が確保されていたことだけでも良しとしなければなりません。
収容所で暮らす母は、十四歳のとき現地の若きエリート軍人と短い恋に落ち、翌年私を出産、その軍人が私を父として認知しなかったため、私は母とともに私生児、そして収容所二世の身となりました。
その後、突然私の人生は転回し、別な方向へ向かいました。
収容所へ日本から訪ねてきた男性が、母を自分の子として認知し、当時五歳となった私と共に母を日本へ引き取ることになったのです。
父の認知によって母も私もX国から国籍を除かれ、ともに日本国籍となりました。
母の親は父親とともに、母親も日本人らしく、母には全部日本人の血が流れていますが、私の血の半分はX国人です。
母の話と現地に赴任している祖父の会社の社員から得た情報によると、私の父はX国政府軍の特殊部隊、チーム名『F1』の隊長であり、軍の戦闘の先鋒を担う要職に就いている、とのことです。
私は父の勇敢な軍人の血を受け継いでいるのかも知れません。私は日本にいても、X国にいるであろう父のことを想い、高校に入学したときから、卒業後はZ国に留学し、父と同じX国の軍人になることに決めていました。
<二>
X国は、ミナコが軍に入隊する以前、すでに軍が政治を完全に主導する、いわゆる『軍事政権』は解消されていた。
しかし、旧亡命国政府の残党員は、その勢力を極端に弱めながらも、周辺国の支援も得ながら、執拗なゲリラ戦線を展開しており、現政府の政権存続の可能性に影響を与え続けていた。
それらの反政府組織に属する兵士は、国内外の数箇所に組織をかまえており、その数は全部あわせると約千名程度にのぼるとみられている。
命をかえりみない彼らの行動は、現政府にとって脅威であり、彼らの強固な組織を破壊することが政府の保有する軍に課せられた緊急かつ最大の課題であった。
X国では、十八歳より徴兵制が敷かれており、士官を目指してZ国の軍事大学校へ進まない限り、軍に入隊させられ一兵卒としてその身柄は軍に預けられる。
そうした兵員の数は約二万人程度にのぼる。
しかし、彼らは二六歳までの兵役期限に達すると大抵は軍隊を退き、市中へ戻る。
兵役を終えた者はいわゆる『文民』に戻るのかと思えば、この国の場合そうではなく、その後も政府の強い支配下に置かれることになる。
数種類の小銃程度の武器が与えられ、政府の突然の出陣命令にも従わなくてはならないのだ。
しかし、政府の意向とは別に、一度家庭に戻った彼らには、敵が攻めてきて逃げることはあっても、銃器を持って戦いに出ようなどという気はさらさらない。
与えられた銃器は自分の身を守るもの、くらいにしか思っていない者がほとんどである。
そもそも、約二万人を擁する軍に与えられた主たる任務は、国内の治安維持と有事(他国の侵略)の際の国境の防衛である。
当面の脅威である、反政府組織による、内戦に対抗するものでは全くない。
つまりゲリラ組織にとって、彼らは何の脅威でもないのだ。
さらに、脅迫すればゲリラ組織に取り込むことも可能なくらい、彼らの戦闘意識は薄弱である。
ひたすら二六歳の日を待つ兵員は、それこそゲリラ組織に対しては、何の役にも立たないに等しい。
軍には、自らの志願によって、二六歳以降も軍隊に籍を置く、いわゆる『武官(職業軍人)』もいるが、そのいわゆる『武官』は、兵卒二万人に対し、たった
の五百名程度である。
X国軍のいわゆる『武官』のうち、とりわけその戦闘能力の高さを認められた優秀な部隊がある。
彼らには、軍本体の組織の役割とは全く別に、政府にとって当面の脅威である反政府勢力、すなわちゲリラ組織の破壊がその任務として与えられていた。
その特殊部隊は、全部でG1・G2・F1・F2・F3の5部隊。各隊六名づつ。
合計三十名。
それぞれの役割はおおむねこうだ。
G1は、敵とするゲリラ組織の情報を監視し収集する。
気付かれないように動き回り情報をとり、他の特殊部隊や部隊の上層部へその情報を伝える。
ゲリラ組織にとっては、神出鬼没な部隊であるため、『砂漠と山岳のねずみ』と言われる。
彼らは、戦術や現地での戦闘作戦も考える重要なブレイン部隊だ。
G2は、ゲリラ組織員を装い潜入し、敵を欺き、混乱させ、得た情報を、他の特殊部隊や上層部へ伝える。
いわゆる『諜報員』である。
F1・F2・F3は、G1・G2の情報をもとに、軍の先鋒部隊となって、頭脳的に相手組織の破壊活動を行う『精鋭の戦闘部隊』だ。
これらのG・F、五つの部隊には、交戦時にはおのおの部隊が、本隊の一小隊を率い、小隊長を通じ指示命令を与える特権が与えられている。
このとき、特殊部隊に率いる小隊は、一隊40名程度で、全員がZ国の軍事大学校を修了した『武官』で構成され、本隊の小隊のなかでも優秀な部隊である。
さらに特殊部隊の上には、特殊部隊軍本営の、六名の司令官が置かれている。
司令官は、ヘッドの長官を入れて6名。
相手組織の動きや情報をそれぞれG1・G2及びF1・F2・F3へ的確にすば
やく伝える。そして、大規模な突入や、交戦時の戦闘のゴーサイン、及び撤退はこれら特殊部隊軍本営の司令官6名の権限である。
何故独立した任務を担う特殊部隊に、いわば組織の本隊の小隊への指揮権が与えられていたかというと、極めてストレスチックな緊張感のあるミッションに対し、特殊部隊は銃器と通信以外の設備をほとんど持っていないことによる。
軍隊に最も必要とされる医療衛生設備とその人的対応力。
敵陣の監視に必要な『人』の数。
それらが全くない。
ところがそれらは充実しようとすればするほど、特殊部隊の機密性が失われることになり、『特殊』の意味がなくなる。
しかして、特殊部隊は完全に任務遂行の機能に特化し、それ以外の軍事機能は本隊の機能を必要に応じ自由に利用せよ、という意図のもと、発足されていた。
『ミナコ』は特に成績優秀につき、特殊部隊である『G1』にいきなり抜擢され入隊した。
ところが、その年は、さらに凄い大抜擢が行われた。
日本国内でミナコの幼馴染で親友でもあった『サユリ』が、華々しい特殊部隊軍本営司令官の一人に大抜擢されたのであった。
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「小百合はそんなに優秀だったかしら。」
私には、意外に受け取られました。
確かに、中学でも高校でも、お互いに、常にずば抜けた成績でトップを競い合っていたけれど、Z国の軍事大学校では、能力で、彼女が私より勝っていたとは思えませんでした。
射撃・格闘・銃器や通信機器の組立改造などの実技訓練では私の方が圧倒的に勝っていましたし、戦術学や自然科学では、お互いトップクラスでしたが、むしろ、私の方がやや上をいっていたと思っています。
すこしの嫉妬心も手伝って、私は一時気力を失いかけましたが、他人のことは他人のこと、と心を割り切りました。
<三>ミナコの入隊したG1の隊長は、名を『ジャマール』といい今年で四十歳を迎える。
ミナコより十五歳年上のベテラン士官である。
精鋭部隊の隊長としては若い方で、その頭の回転の速さには定評がある。
以前は本隊の小隊の隊長の任にあたっていたが、その当時G1の隊員も彼にはあまり指示をする必要がなかったほど優秀であった。
ミナコはG1入隊後すぐに、自分の属するG1も含め、五部隊全員の名前・年齢・軍歴などが詳しく記された書類と一部隊員を除く顔写真を渡され、覚えるように言われた。
G2(スパイ)隊員の顔写真は除かれている。
G2隊員は顔ではなく、彼の持つ無線端末の暗号がいうなれば本人を証明する『顔』なのだ。
記憶力には自信があったので、すぐに頭の中にたたきこんだが、最も気になったのが、F1の隊長だった。
日本で聞いていた自分の父である筈の人がまだそこにいるのか。
F1の隊長の名は『ハミド』といい、年齢は五十歳。身長百九十八センチ。二十五歳でミナコと同じエリート軍事大学校を卒業し、本隊の第一小隊に入隊した。
僅か三年で、そのずば抜けた才覚が認められ、小隊長になる。
三十歳で特殊部隊F1に転籍し、三十九歳でF1の隊長に任命され、現在に至る。
父がF1の隊長、とミナコが日本で聞かされたのは今からちょうど十年前だ。
そのときF1の隊長だったのは、隊長になって二年目のハミドであり、ハミドと
父は同一人物として完全に重なった。
年齢を過去に遡ってみると、ミナコをもうけたのが、父二十五歳のころで、武官として小隊に入隊したころにあたり、これも母の記憶と一致する。
父、ハミドの軍歴もすばらしいが、ミナコはいきなりG1に入隊することになって、今のところ父のさらに上をいくことになった。
ハミドの写真はミナコに力と勇気を与えてくれた。
正義感の強そうな精悍な顔立ち。
にじみ出る知性。
そしてなによりも少し微笑んだ口元が、ミナコのそれとそっくりに思えて彼女にはそれがとても心地良かった。
<四>
特殊部隊軍本営司令官よりジャマール隊長へ突然の情報連絡があった。
ゲリラ組織のナンバー2にあたる、『ムハマド』の居場所をG2隊員の一人がつきとめた、というのだ。
G2の情報は確認の必要のないくらい信頼性がおけるもので、G1隊員はさっそく細かい情報をもとに計画を練り始めていた。
小隊の正確な現在位置をそれぞれ連絡によって確認し、約一時間半をかけて、ムハマド獲捕の綿密な計画が練られた。
その間、新米の士官隊員であったミナコの提案はことごとく却下されたが、隊長ジャマールはその勇猛果敢な意見と発想の柔軟性に驚き、時折、目を丸くした。
G1の各人は計画に従って行動を開始した。
計画の実行は順調に進められた。
計画の終盤になって、いよいよミナコの行動開始である。
ミナコは、情報連絡を受け、計画通り、近くにいたF2の隊員二名を伴って、元の場所をあぶりだされ逃げ隠れたムハマドの居場所へ向かった。
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ムハマドは既に立ち去ったあとでした。
いえ、まわりの状況からして、もともとそこには標的のムハマドなど来なかった可能性がかなり高いと私には判断されました。
私たちの後方には、当初の計画では私たちG1の最も得意とする、騙しのテクニックによって、その場を離れて一人もいなかったはずの大勢のゲリラ兵によって
完全に塞がれ、私とF2の隊員二名は一時逃げ場を完全に失い、絶体絶命に近い危険な状態にさらされることになりました。
F2の若き隊員の一人、『アブデル』は身体能力にきわめて優れていて、一人で巧みに数十人にものぼる大勢のゲリラ兵を操り、その間に、私はもう一人のF2隊員に手をとられながら、命からがらその危険な場を離れ、とうとう逃げ切りました。
もう安全だ、と確信したのち、ジャマール隊長から情報連絡がありました。
内容は、F2のアブデルを射殺したというゲリラ組織からの声明でした。
私は、息もつけないくらいのショックを受け、ただ呆然とその場に立ち尽くしていました。
<五>
いったい誰がどの段階でどんなミスを犯したのか。
それは特殊部隊G1にとっても、他の特殊部隊にとっても、また、特殊部隊軍本営にとっても大きな問題だった。
計画そのものが悪かったのか、
それとも計画通りの実行が行われなかったのか。
過去、一度も特殊部隊であるG・Fに戦死者が出たことはない。
十年間を遡っても、兵卒の宿舎が自爆テロによって爆破され、百数十人が殺害されたことや、徴兵の兵士部隊が多数殺されたことはあったが、特殊部隊軍本営の直接管理する部隊のG・Fの部隊や、これの率いる本隊小隊に戦死者が出たことはただの一人もなかったのだ。
もっと悲しい情報が、続けてG1のもとに届けられた。
G1に最初の情報を与えてくれたG2の隊員がゲリラ組織の手によって殺されたのだ。
特殊部隊二人目の戦死。
G1の隊長ジャマールは、隊長らしからぬパニック状態に陥っていた。
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私、美奈子は自分の身の置き場を完全に失っていました。
いったいミスがどこにあったのか、二人の特殊部隊の命が奪われてしまったのは何故か。
特殊部隊全員の中でヒステリックな議論が次々と展開されました。
ろの字形の正面には、特殊部隊軍本営司令官のうちの三人が座っていました。
小百合の姿はありません。
その向かって右脇から五人の特殊部隊の隊長が並んで座っていました。
最初の席には、私の父、ハミドの姿がありました。
私が父に直接会うのは初めてでしたが、一度父の姿を見たあと、私はずっと下を向いていました。
(想い待ち焦がれた初めての出会いが、こんな形になるなんて。)
心には、くやしさと悲しさが一気に押し寄せてきて、今の私は、涙すら忘れてしまったようでした。
会議での結論は出ませんでした。
ただ、殺害されたG2隊員が最初に発信してきた、ムハマドの所在に関する詳細情報に何らか重要な欠陥があったこと、それと、F2のアブデルが殺害されるに至った直接の原因は、戦闘地域の最も重要なクロージングに、G1の新米隊員の起用、つまり私を決定したことに問題があるかも知れない、ということになりました。
確かに、F2のアブデルは、私がいなかったらその場を逃げ切り、命を失うことにならなかったかもしれません。
いえ、絶対にそうだった、と自分自身思います。
現地で絶対絶命の状況になったとき、慣れない私が足手まといになったことは事実です。
私の計画起用について、ジャマール隊長はするどい非難を次々と受けることになりました。
父、ハミドはその間、一言も声を発せずに、ただ目を閉じて腕を組んだままでした。
ところが、あのとき、ゲリラに挟まれ追い詰められていた中、私の手を取って右に左に走り、私を導いてくれたF2のもう一人の隊員が突然発言しました。
彼の名は 確か『カナリー』といいました。
「あの状況ではどんな手段を使っても、ただ一人なりとも逃げることは不可能だと考える方が常識的だ。
私は現場にあって、そう判断する。
失礼だが、このことは、現地にいなかったあなたたちには決してわからないことだ。
私はともに闘ってきた同士を失って、言いようのない悲壮感に落胆させられている。
しかしむしろ、我々二名が生き残ったことが奇跡であるというふうに考えて、同士の死に対する余計な感情を払拭することを私は強く望む。
ミナコにも、それを起用したジャマール隊長にも責任はないし、責任を問うべきではない。
現に奇跡を超えて生きて戻った人間がいる。
そのことを我々の聖なる神に伏して感謝しないあなたたちの心情を、私はどうしても理解することはできない。」
それから、
「私の言いたいことは、それだけだ。」と言って彼は議場をあとにしました。
議場は一瞬静まりかえりました。
<六>
久し振りの雨が、洞窟の入り口の木の枝を激しく叩いていた。
一年を日にちで数えると、この地方に雨が降ることは珍しくないことにはなるが、モンスーン気候の影響から、大体において雨の全く降らない期間が長く、一度降り出すと一ヶ月から2ヶ月、もしくはそれ以上降り続くこともある。
雨の季節は人の気配が失われ、何かと精密な行動がとりにくいため、人数の限られた特殊部隊員はあまり行動範囲を大きくとらない。
その日も雨のため、G1部隊、各隊員は、次の計画での個人の任務の確認のため、ばらばらに分散していた。
それぞれの特殊部隊の隊員は、各部隊の本拠地から、通常おおむね半径十五キロ以内のところに分散して居をかまえる。
そこには、洞窟の横穴を掘り進んで入り組んだ部屋がいくつも作られていて、各人そこで寝泊りをする。
部隊の本拠地から、半径十五キロ以内というのは、作戦会議や急な召集に遅くとも一時間以内に対応するためと、特殊部隊本営司令官からの通信の受発信基地局でもある各部隊の本拠地から、正確に情報を受信するための通信の問題で定められたものだ。
また、それぞれの受発信基地間や、基地とそれぞれの持つ無線端末間の通信距離はかなり長くあまり問題にならないが、無線端末間の交信距離はせいぜい二十キロ程度であり、地形によってはまれに五キロにも満たない場合がある。
このため、同じ部隊の隊員があまり離れていると、戦力の分散・低下を大きく招きかねない。
また、当然洞窟内での無線受信は不可能であるから、それぞれの洞窟へは、木にくくりつけられたアンテナより有線で洞窟内に取り込まれる。
この作業が問題で、アンテナと引き込み線は、『私がここにいますよ。』と教えているようなことになりかねないので、隊員はこれが容易に見つからないように特に神経をはらう。
ミナコも一人洞窟に設けられた部屋で、数十ページにもわたる書類に目を通したのち、奥の部屋で横になった。
そのとき、部屋の入り口のノック音が響いた。
ミナコは飛び起きて小銃を構え、ドア横の壁に背中をつけた。
★====================
「のんびりとノックするゲリラはいないよ。」
その声は、先日、特殊部隊の会議の席で、突然発言し、場を中座したF2のカナリーでした。
「そんなのわからないわよ。」
「既成概念はだめか。よくできたお嬢さんだ。」
「・・・・」
私は一瞬、不快感を感じて、返す言葉のタイミングを失いました。
彼は、ゆっくりと奥の部屋へ入ってきました。
「何か用事?ああ、あなたは私の命の恩人だから。。。」
私はさらに続けてそのあとの言葉も失ってしまいました。
「君がすっかり塞ぎ込んでしまっているのではないかと思ってね。」
「心配してくれてありがとう。でも、それは幸い的がはずれていたわ。」
「そうか。それは。」
何故かカナリーの言葉や表情には、とても素直な安心感がありました。
そのとき、私は、入隊以来ずっと張りつめていた自分の心に、少しばかりの休息を与えていました。
そして、それが今の自分にとって最も必要なことのような気がしました。
カナリーはゆっくりと大木の切り株でできた椅子に腰を落とすと、にっこりと微笑み、私に彼自身の入隊後の経験話をしてくれました。
下手なジョークを連発しながら。
私の乾ききっていた心は、いつしか水を得た魚のような柔軟さを取り戻していました。
忘れかけていた笑顔が顔全体に広がっているようにも感じました。
カナリーは二時間くらい、なかば一方的に話をして、立ち上がりました。
「それじゃあね。ミナコ。」
「うん。」と小さく頷く私。
洞窟の入り口まで送っていくと、彼は急に鋭いまなざしに変わって、私の洞窟をあとにしました。
私は心の中で何度も同じ言葉を繰り返していました。
(カナリー。また来て。
きっとよ。)
(きっとよ。)
<七>
その日、昼過ぎには雨が小降りになり、夕方には林の枝から落ちる水滴の音がパラパラとするだけになった。
夜、ジャマール隊長よりミナコへ情報連絡があった。
次の任務実行の連絡だ。
明日の正午に、ミナコが監視の標的としているゲリラ部隊に現在潜入中のG2隊員から、彼らの戦闘計画の一部を受け取るというものだ。
今回のパートナーは、前回と同じ部隊F2の、今度は『ニザル』という男。
ニザルは受け渡し時にその場所に潜んでいて、万一のときに備えることになっている。
受け渡しの場所は暗号化されていて、複雑極まりない。
ミナコは以前に渡された計画書類の中から、受け渡し場所を解読して特定した。
再び来た情報連絡の時報に時計を合わせ、ミナコは奥の部屋で浅い眠りについた。
<八>
翌日、ミナコは早朝四時少し前に起きて、受け渡し場所の方へ向かった。
受け渡し地点から十五キロを切ったあたりで、すでにその場所へ到着しているニザルに情報連絡し、現地での首尾を確認した。
そして、現時点で予定通り任務遂行の旨は、ミナコの言葉をもって伝えられた。
さらにミナコはパイロット地点(直前に計画の決行・断念を判断するための地点)
を目指して再び歩き出した。
パイロット地点までの道のりは、ゆっくり進んでも約四十分足らずだ。
★====================
三十分を少し経過したところで、私の無線端末に突然情報連絡が飛び込んできました。
連絡はジャマール隊長ではなく、特殊部隊本営の司令官から直接のものでした。
その司令官は小百合。
小百合はいつになく気が動転していて、声が高まっていました。
私は思わず、情報連絡の無線機のボリュームを下げ、音漏れを防ぎ、ドキドキしてあたりを見回しました。
結論から言うと、計画に何らかのトラブルが発生し、計画を中断し撤退せよ、というものでした。
小百合が慌てている理由がわかりました。
私はすでに大勢のゲリラ兵に追われていて、一刻も早く今いる場所を離れないと危険だ、
ということです。
指令は、あとを残さないよう直ちに今の場所を離れ、元の洞窟へ戻れ、というものです。
ただし、元の洞窟へ戻るのが困難と判断した時点で、この命令は破棄し、自身の生命の安全を優先せよ、との内容でした。
いかにも小百合らしい指令に感謝。
いや、今は、それどころではありません。
私は俄かに緊張しました。
私は、神経を極限状態まで研ぎ澄まし洞窟へと向かい始めました。
すると、また、司令官の小百合から、なかば断末魔の指令の声。
「だめ!だめーーー!逆。逆。直接洞窟へ向かったら駄目!すぐそこに洞窟の方
から来る!来てる!!大勢!!」
まるで私が見えているような言いようです。
私は引き返して逆の方向へ走りました。
息が切れても走り続けました。
(聖なる神よ。我を救い賜え。)
洞窟の中。
私は疲れ果てて奥の部屋で大の字になっていました。
ようやく息も整い、緊張感も幾分緩んでいました。
時刻は午後二時四〇分を少しまわったところです。
ものすごい遠回りをしたものです。
突然、ジャマール隊長から情報連絡が入りました。
「ミナコ。どうした。何があった!」
「ミナコ!ミナコ!直ちに応えよ!」
私は冷静に答えました。
「こちらはミナコ。私は無事です。今は自分の洞窟の中です。」
そのあとのジャマール隊長の言葉は俄かには信じがたいものでした。
ジャマール隊長の声はとぎれとぎれになっていました。
「ど、どうして受け渡し場所に行かなかったか!おまえは。いったい何があったんだ!」
そして続けました。
「受け渡し時刻を経過してもおまえはいっこうに現れない。どうしてだ。
ニザルは殺された。G2のカマールもだ。
受け渡し場所にはゲリラ兵が時間を追って続々と集結し、我々が小隊に連絡してももはや間に合わない。
遂には二人、大勢の兵士に取り囲まれ、逃げ場を失ったんだ!!」
最後はひん曲がったような声を出しました。
「どうしてなんだあああーーー!!!っ」
<九>
★====================
私は、脱力してその場に倒れました。
いえ、倒れたと思います。
気がつくと、奥の部屋のベッドの上で横になっていました。
ベッドの脇には、F2のカナリーが座っていました。
「気がついたかい?」
「あの。私。。。」
カナリーの顔を見て、私の目から突然涙が溢れ出ました。
顔もくしゃくしゃになりました。
「私。とんでもないことをしてしまった。とんでもないことを。」
カナリーは、「そうだ!君はとんでもないことをしたんだ!」
そういって、目を吊り上げたあと、急に表情を崩してにこっと微笑みました。
「ジャマール隊長が君を呼んでる。
何があったか訊きたがってる。」
そして、「おそらくね。」と付け加えました。
「ジャマール隊長に情報連絡して、僕が君を連れて行くと言ったから。」
私は、「何があったかわからないの。何が何だかわからないの。」
と言いました。
そんな言葉が、今の私には精一杯でした。
彼は、それでも優しい表情を崩さずに言いました。
「今、僕にできることは何かないかい?」
(ああ、あなたはなんでそんなに優しいの?特殊部隊がそんなことでいいの?)
彼は、私の心を見透かしたように、「はははっ」と笑って、「わかった!君は今、僕に猛烈に恋しているんだなあ。きっとそうだ。でも、特殊部隊での『恋愛ごっこ』
は残念ながらご法度なんだよなあ。残念だなあ。」
(この人、こんなときにやっぱり頭おかしいよ。的外れなジョークだ。)
そう思うと逆に急に可笑しくなって私は何故か笑いが止まらなくなりました。
涙を流しながらの大笑い。
彼も大笑いです。
そのあと、私はまた顔の表情が崩れていき、泣きました。
今度は本格的な大声で泣いたと思います。
彼は、おやおや、というような顔をして横になっている私の顔を覗き込みました。
私は夢中で、覗き込んだ彼の背中に手を回して自分の体に引き寄せました。
偶然でしょう。
そうでないかも知れません。
彼と私の唇はしっかりと重なり合いました。
それからのこと。私は夢中になって彼を求めました。
何かに頼らなければ折れてしまうような気持ちから?
いえ、違う。
どうしようもなく追い詰められたときに出てくる私の『魔性』?
私は、自分で自分がわからなくなりました。
彼は、私の『魔性』を十分に許容してくれました。
しかし、彼は決して最後の一線を越えようとはしませんでした。
<十>
ミナコも含め、G1隊員が隊長以下全員、特殊部隊本営に緊急招集された。
本営では長官と他五人の司令官が席にずらりと並び、まるで裁判官のように処遇
を決定した。
ジャマール隊長とミナコの二人は、特殊部隊を除隊させられ、本隊の『文官』と
して、官舎で政府の監視を受けながら働くことになった。
『文官』となる二人は、いわゆる 軍人ではなくなる、ということである。
当然のことながら、『士官』としての資格ははく奪され、二人の人生は、それからの歩むべき途を絶たれた、振り出し前に戻ることとなった。
あまりの処遇に、司令官の一人である小百合は、終始、言葉を発せずに震えていた。
★====================
(小百合。私はとうとうこんなことになってしまった。)
(あなたは私の命を救ってくれたから、感謝してるわ。でも。)
(でも、私。とっても恥ずかしい。
小百合。私が小学生の時に、あなたの親が私の親と同じく、この国にいることを聞かされて、私はびっくりしたのよ。
そのときあなたと一緒にこの国に渡る勇気を私に与えてくれたのはあなただった。
私は父に会えたけれど、この国で軍人としての自分の夢を成し遂げられなくて、残念なんてもんじゃない。
小百合。あなたはまだね。これからね。お父さんに会えてないもの。
がんばって。これからの私は何にもあなたの力にはなれないけど。}
私はその後、牢獄のような官舎に詰め込まれ、監視を続けられました。
生ぬるい兵卒の軍事教練は私にとってはほとんど遊びのようなものでした。宿舎の生活でも、色々な事件は、私にとっては『ゲーム』と同じでした。
かつて超エリートだった私に対し、娯楽のない男性兵士はとりわけ興味を示し、最初の頃は再三にわたって私を求めてきましたが、いざそれが叶わないとなると、志願兵で自分の思い通りになる女性兵士達を集め、徹底的に私をいじめさせました。
私は思いました。
(ねえ。訓練された私に、あなたたち。それで本気でいじめているつもり?)
意図された精神的な『いじめ』は、私にはまったく通じません。
自分が偶然に犯してしまった大切な人の本当の死、これを上回る悲しみはないの
です。
これに耐えられる精神力が特殊部隊には求められているのだ、と改めて思いました。
私はいじめられて、ひたすら悲しむふりをして過ごしました。
やっぱり私にはもっともっと厳しい訓練が合っている、特殊部隊に戻りたい、という意識が日に日に増してきました。
そんなことを考えているとき、ジャマール元隊長が私の官舎棟を訪れて来ました。
私は、彼と話をしていて、彼の本当の強さを感じました。
私が当時言いようのない悲しみや苦しみを感じていたとき、彼はパニックに陥っていたとばかり思っていましたが、実は彼は精神的にそれほど追い詰められていなかった、ということです。
それは彼自身が話したのではなく、彼の話を聞いて私が感じたことです。
仕掛け人は誰かわからない、しかし見えない敵は、自分たちの仲間の中にいて、私たちがパニック状態になることを目的としていることだけは大体推定できたから、と言うのです。
士官・武官としての身分を失った私は、今後の行動をジャマール隊長にかけることにしました。
<十一>
★====================
ジャマール元隊長は、私に何も隠そうとしません。
どんな些細なことでも私にきっちり『報告』してくれます。
「昨日、とうとう君と寝た夢をみてしまったよ。女はいくらでもいるというのに。
もうこの世も終わりだな。ははっ。」
(失礼な!!)
「隊長。そんなことまで言ってくれなくていいです。」と私は言います。
ところが、彼は、「同士を知ることがすべてだ。」と言ってそれをやめません。
ある日、彼は機が熟した、と言って私に話をしました。
それは、私にとって衝撃的な事実でした。
「私と君が軍から離れたあと、軍の特殊部隊はどうなったか知ってるかい?」
「何も起こってませんですけど。」
「やっぱり不合格だ。君は。」
「。。。。。」
(まずいことを言ったかしら}
「だから情報収集能力が弱いんだ。君は。」
私は、官舎のなかで確かに自分の能力を確認するだけで、生ぬるい生活をしてきました。
そう思っていると、彼は、「我々の同士、G1の人間が、一人ずつ全員殺された。」
と信じられない言葉を発しました。
私は彼の言葉に抗議しました。
「ごめんなさいね。軍で誰か死んだら、必ず官舎に掲示されるのよ。
昨日も鉄道事故に軍の人間がいたから出ていたわ。
馬鹿なこと言わないでください。」
そう言いながら、私は唇が震え、呂律すら回らなくなっている自分に気づいていました。
彼は話をやめませんでした。
「最初にG2隊員が殺された事件で、私はG2隊員やG2の隊長から直接情報連絡を受けていない。
特殊部隊本営司令官からの連絡だった。いったい誰がそれを連絡したか、G2隊員は殺されたから本当に誰が連絡したか、事実の証言は得られていない。」
「君が次の計画で、中止の連絡を受けたのは、いったい誰からだったのだい?」
続けて、「私は特殊部隊本営司令官から、君自身が司令官に計画中止の情報を伝えたと聞いたんだよ!!」
(ええっ!?冗談やめてよ。そんな連絡、私していないよ!聖なる神に誓っても。
)
(もしかして私を疑ってるわけ?それはないよ。やめてよ。勘弁して!)
彼は関係のない周りの誰にも聞こえる大きな声で、こう言いました。
「本当の我々の敵は、我々の中にいる!」
そして、彼は叫びました。
「特殊部隊本営司令官の『サユリ』だ!!」
<十二>
ミナコの顔は完全に硬直し、頭の中はぐるぐると堂々めぐりを続けていた。
ジャマール隊長は、状況証拠はいくつもある、と言った。
しかし、サユリがゲリラ組織の回し者であることを決定付ける物的証拠がない、とも言う。
さらに、サユリがあのとびきり警戒心の強い司令官連中のなかで、唯一人で他の司令官を欺き続けることが本当にできるのだろうか、という疑問にも突き当たる。
このことは、サユリに動機がない、ということよりも、サユリがスパイであるという『仮説』を、ミナコには仮説にしか感じられない最大の理由だった。
★====================
訓練のない交代休に、ジャマール隊長は私を訪れ、特殊部隊の現況を話してくれました。
(この人のホットライン(情報源)は一体どこにあるのだろう。)
現役の特殊部隊員がそんなに軽はずみに、今は市中にいる彼に情報を漏らすことは、当時の自分のことを考えても、考えられません。
でも、もし本当であったらすごい、という情報を彼は次々と私に提供します。
特殊部隊本営司令官室の中の情報まで彼は私に話してくれました。
正直なところ、私は、ジャマール隊長が、逆にゲリラ組織の回し者でないかと疑ったことがあります。
でも、私は一度人生を失った人間です。
失敗をもう恐れることはないので、彼に再会した直後に味わった直感を優先しました。
『今後の行動をジャマール隊長にかけることにした。
』
この感覚をもって深く考えず、改めて彼についていくことにしたのです。
<十三>
「みんな、よく集まってくれた。」
ジャマール隊長は、嬉しそうに言った。
彼の横には、少し遠慮がちながら、微妙に胸を張ったミナコ。彼女はかつての皆のあこがれの『士官』。
ジャマール隊長はかつての少将。
ミナコもかつては佐官の資格を得ていた。
そしてその隣には、二人の男。
彼らと向き合って、三列に並ぶ男たち。いえ、女も二人混ざっている。
その数九名。全員で十三名の小隊が編成された。
ミナコの横に並ぶ二人の男は、名をおのおの、『サンドス』『ルーディー』という。ジャマール隊長が、かつて本隊の小隊長をしていた時代に、彼の下にいた兵士だ。
彼ら二人は、軍に入隊していた当時、下士官に満たない、『その他大勢』の兵卒である。
武官でない彼らは、二六歳の兵役を終えて市中に戻り、勤勉な労働者に戻っていた。
軍人とは程遠い存在である。
しかし、ジャマール隊長は、元士官のミナコとこの二人を、「我々の中の士官」である、と説明した。
サンドスは、民間企業の通信機器のエキスパートである。
ミナコが軍事大学校時代に習得した技術は、彼ら民間企業の先端技術を学ぶものであったが、彼はミナコが学んだ当時の教官よりもはるかに進んだ技術を有していた。
二人目のルーディーに至っては、ミナコはまさに敬服せざるを得ない技術を身につけた人物だった。
銃器の分解・組立のスピードは、ミナコが軍事大学校時代に大学創設以来の新記録を樹立したときの記録を軽く上回るものであり、なおかつ、爆薬の知識レベルの高さについても、この分野では不得意なものは皆無。
彼は、民間企業の兵器開発研究室に勤める一技術職員だった。
ミナコは自信を失いかけていた。
(私が持っていて、人にないものは一体何であろう。)
確かに『広く。浅く』の知識と技能はある。
ミナコの知識に抜けはない。
しかし問題は『浅く』である。
『浅く』は、命ぎりぎりの戦場ではほとんど役に立たないことを、ミナコ自身もよく知っている。
(こうなったら、もう、私は持久力と根性?ええー?やっぱり私はそれだけかあ。)
ミナコは自分が情けない限りだった。
しかし、ジャマール隊長は皆を結束したのち、とても都合のよい答えを用意していてくれた。
「ミナコは相手をだまし欺く作戦能力について、極めて長けている。」
そういえば、最初の作戦会議のとき、ミナコの提言はほとんど仲間の皆に否定されたが、ジャマール隊長の驚いたような表情だけは、彼女の印象に強く残っていた。
しかし、ミナコの気持ちには、少しばかりの引っ掛かりがあった。
(だまし欺くのが得意?)
(年頃の男性たちを前にして、初対面の紹介にしては、またしても、あなたずいぶん失礼な言いようよ。)
彼は続けた。
「明らかに、敵の中にも同じようなずば抜けた作戦能力に長けた者がいる。
そいつは『心』の中にウイルスをばらまくのだ。
精鋭の特殊部隊は、もうその者にあやつられ、壊滅は目に見えている。」
最後にジャマール隊長は、締めくくった。
「君たちはその敵、『サユリ』という名前を決して忘れてはいけない。」
★====================
(小百合。あなたは本当にそうなの?私たちを騙しているの?
そうであるならどうしてそんなことをするの?何のために?
)
私は、小百合と会って直接話をしたい、という猛烈な衝動にかられていました。
命をかえりみず、今すぐにでも。
地球が逆に回っている、川の水が山へ向かって流れている。
それでいい筈がない。そんなことが決してあってはならない。
私の今の心境は、他に喩えようがないものでした。
<十四>
小隊隊員は、男性は兵役を終えて市中から集結した者、女性は志願を取り消して除隊した者で、そのいずれも立場としてはフリーである。
しかし、ジャマール隊長とミナコの二人は、文官といえども軍に籍を置いているので、普段、容易には行動がままならない。
集結の日の翌々日、ミナコは軍の上席者へ、五十数ページにおよぶレポートを提出した。
ミナコのレポートの内容は、おおむねこうである。
政府の財政も困窮するなか、軍に所属する職員(文官)が千名にも達しており、その経費は莫大でばかにならない。
自分も含めて、仕事しない、軍人でもない文官に高い給料を払っているのは無駄であり、その労働力の三分の一を山岳地帯の林業開発に向ければ、約十五年で文官全員の経費をまかなってさらに大きなおつりがくる。
この作業は先が永いことなので、市中の人間にまかせても決して実現することはない。
とりあえず軍隊経験のある、ジャマール元隊長とミナコが市中の者を数人選定し、調査にあたると同時に先陣を切って政府の産業復興計画を手がけるので是非認めてほしい。
だいたいそんな内容だ。
百二十%の『うそっぱち』とはまさにこのことを指していうのだろう。
何の根拠もない、いんちきレポート。
ミナコは自分で書いたレポートを読み返しながら可笑しくて何度も吹きだしていた。
レポートはいかにも重々しく、政府の財政状況の分析から始まって、周辺国の産業・消費の分析、国内の地形や地質、自然の生態、さらには全く話に関係のない、
夜空の天体観測データや珍しい海の生き物などでたっぷりデコレーションされ、最後は男らしい?結論で締めくくられていた。
少しホラー感覚も欲しくなって、宇宙生命体との遭遇体験も入れてみた。
そこまでいくと、ほとんど悪乗りに近い。
普通にわかる人間がみたら、笑い飛ばすか怒り出すかのどちらかであろう。
しかし、軍の文官の上席者や政府の要人たちは、幸いにして、その『普通にわかる人間』ではなかったらしい。
それか、もしくは、ミナコの文章力に惑わされ、内容はどうでもよかったのか。
ミナコのレポートは、ほとんど皆の者に賞賛された。
こうして、とうとうジャマール隊長とミナコは自由の身となった。
★====================
集結の日から約一ヶ月後、私を含めて、ジャマール隊長率いる小隊は、山岳地帯を北へ向かっていました。
隊員の姿は、隊長以下全員、異様な格好でした。
日本でよく見られる麦わら帽子、首には現地語で『間伐組・間伐組・・』と書かれた布を巻き、衣服に軍服のかけらも見当たりません。
足には、これまた日本でよく見られる地下足袋のようなものを履いて、腕の部分は肘まである大きな手袋をしています。
上半身は現地でなじみの『らくだ』色の厚手の丸首、しかし、下半身の衣服の色は、けばけばしい模様のついた紺色のだぼだぼパンツです。
「ミナコ。おまえはレポートに服装装備まで書き込んだのか。
歩きやすいことは認めるが、だいいち目立ちすぎる。」
とジャマール隊長。
私は、「書いたかも知れない。『ニホン』を思い出したら、少しワインが進みすぎていたかもね。」
「もし宇宙人が降りてきたら、我々を見て、侵略をやめて帰還するかもな。」
「宇宙生命体との遭遇ね。ああ。それは書いたわよ。間違いなく。それは覚えてる。」
ジャマール隊長は珍しく、いらっとした表情をしてみせ、また先頭を歩き出しました。
「もうこの辺までくれば、着替えてもよかろう。
N251E37地点の洞窟で着替えて武器の確認だ。」
<十五>
計画の第一段階の目的は、特殊部隊本営司令官の本拠地で、ゲリラによるスパイ活動の証拠となる通信記録や文書を入手することにある。
その証拠は間違いなく司令官室にある。
しかし、常に二名以上の司令官が詰めている司令官室に直接侵入することは不可能に近い。
これには作戦が必要だ。
今回の進攻の第一目標とするところは、特殊部隊本営司令官の本拠地の無人の通信室に侵入し、機器を改造し、設定を変更して、司令官の情報連絡をまず手中におさめることにある。
これによって、現時点での『黒』を特定することが、まず最初の段階のアクションだ。
敵か味方かわからなくて戦いはできない。
また、第一段階の次の計画は、今回の進攻後にすみやかに実行に移さなければならない。
日にちと時間を追って『白』が『黒』になることもあるので、遅れれば遅れるほ
どリスクが大きくなっていく。
ジャマール隊長とミナコの無線端末は、当時のものは特殊部隊を除隊するときに取り上げられたので、今は他の隊員とともに、新しい無線端末を携行している。
当時のものより一回りほど大きいが、小隊員十三名全員の位置が端末画面の地図の中でお互いに確認できる優れものだった。
しかも、交信は一話づつ指紋認証で、以前のものより確実にすばやく会話が可能だ。
持ち主が赤外線を発しなくなったとき、つまり死んでしまったときは、指紋認証はできなくなるようになっている。
さらに、無線の周波数は常に広いバンドをサーチしていて、ミナコの小隊以外の他の無線端末の百メートル以内に入ると、その位置を地図上に示し、パスワードを遠隔で送り続けて、電波侵入に成功した場合には、これを自動で傍受録音する。
これらは皆、通信のプロ、サンドスの賜物であった。
通信機はさておいて、本拠地侵入に当たっての各人の配置は特にジャマール隊長の頭を悩ませた。
敵陣を攻めるのであれば、少々荒っぽくても、突入の選択肢はいくつかある。
この場合、敵のスパイが中にいる、というだけで、基本的には味方陣営というのが少々厄介である。
本拠地への侵入はミナコとサンドス。
それに、兵役を終えて除隊したばかりのアリー。
アリーは射撃が趣味で、体力もあり、なおかつ機敏なので、ジャマール隊長が気に入って起用された。
外での指示は本拠地の裏手にいる、ジャマール隊長。
武器職人のルーディは、ミナコとジャマール隊長の両方が見える位置に待機、侵入時に、侵入グループの後ろの目になって援護する。
見張り・監視役は他の八名の隊員のうちの六名。
足の特に速い若い二名は少し離れたところに待機していて、隊長の指示を受ける。
今回も、今後の展開においても、当面、これ以外の配置人選は考えられなかった。
ジャマール隊長の無線端末には、次の情報が表示されていた。
特殊部隊本営司令官の本拠地内にいる者は四名。
そのうち、司令官室には二名。
あともうひとつの情報。
本拠地の外に二名。
(ん?本拠地の外に二名?誰だ。)
彼は無線端末上の地図でその位置を確認して、思わず体を硬直させた。
今、自分がいる場所の真後ろ百メートルくらいの位置だ。
後ろを向いて伏せる。
木の枝が交錯していて相手が見えない。
したがって動きがとれない。
そのとき、監視役の情報連絡がジャマール隊長の無線端末へ文字で送られてきた。
《司令官室にいる二名。一人、女性。一人、あご鬚で頭の薄い大きい男。》
続けて、数秒後。
《緊急。隊長の後方。約三十メートル。男二人。隊長に接近中。
》
(三十メートルだと!?)
彼は伏せながら本拠地に背を向けて、これに平行に体を右へゆっくりと移動させはじめた。
そして停止し、自分の気配を完全に殺した。
彼の目の前、十メートルほどのところに二人の兵士がいる。
相手は気付いていない。
その二人は、F2部隊の隊長『ウダイ』と隊員『ラーフィー』だった。
知っていても声を掛けることはできない。
二人は、そのあたりで伏せて、本拠地の様子をうかがっているようである。
そのままの状態で、十五分が経過した。
ウダイが小声でしきりに情報連絡を送っている。
まだ動きがありそうにない。
ジャマール隊長は、二人に注意をはらいながら、文字で小隊隊員全員に情報連絡を行った。
《計画中断。全員今の場所に待機。身を隠せ。指示をするまで静止。》
★====================
《計画中断。全員今の場所に待機。身を隠せ。指示をするまで静止。》
私は首をかしげました。
(計画中断?何があったのかしら。)
サンドスもアリーも、最も大事な無線端末など全く見る気がありません。
アリーが突然小声で、「ミミコ。見ろ!司令官室から女が消えた!」
(ミミコ?私は美奈子ですけど。)
私は、無線端末で彼女、つまり小百合の位置を確認しました。
私はすでに司令官室内の動きで、彼女の無線端末がどれであるかを特定していました。
(小百合が裏のジャマール隊長の方に出て行った!これが静止命令の理由?!)
「彼女は裏手のほうから出たわ。」
次のアリーの言葉を聞いて、もともと軍人でない彼に、そのことを伝えたことに私は後悔しました。
「ミミコ。行こうよ。女を捕獲するまたとないチャンスだ。」とアリー。
興奮して真っ赤な顔をしています。
「だめよ。今動いちゃだめ。指示よ!指示を優先しなさい!」
「ミミコ。ミミコ。そうじゃない。隊長を援護するんだよ。」
「隊長を援護?意味がわからない。だめ。絶対だめなのよ!」
私は後ろにいるサンドスに協力を求めました。
「彼を止めて!サンドス。」
私は、アリーの右腕に自分の腕をからませ、肩に頭を押しつけて、中腰になった彼を無理やり座らせようとしました。
「サンドス。彼を止めないと!」
振り返ると、サンドスは逆に青ざめて固まっていました。
簡単に座ると思っていた私は、思いもかけないアリーの力に驚きました。
「ミミコ!放せ!」
次の瞬間、アリーは私の制止を簡単に振り切って飛び出していきました。
「ちょっ、ちょっと!アリー!戻りなさい!ああ!」
彼は、本拠地の壁つたいに、あっという間に裏手の方へ回っていきました。
銃声がバンバンと続けて二発鳴り響きました。
その瞬間、私は陸上選手のクラウチングスタイルになっていました。
「緊急事態発生!命令を無視する!容認せよ!」
私は、無線端末に向かって声を発し、飛び出しました。
スタートを切りながら、続けてサンドスに聞こえるように手のひらを後ろに向け
て、「おまえは動くな!」
そして、裏手の見える壁際で腰を低く落とし、銃声のあったあたりをうかがいました。
アリーは顔が血まみれになって仰向けに倒れていました。
額のほぼ、ど真ん中と、そのすぐ脇から血が噴き出ていました。
もう助かりません。
(何てことを。)
それにしても、走っていた彼の額のほぼ真ん中に二発とも命中。
しかも続けて二発だから手ごわい相手は二人。
(これはまずい。相当に訓練された者が相手だ。)
周りには彼以外、誰も見当たりません。
敵が見えない。
今度は、草の間から私の方へバラバラと機関銃が発射され、壁の少し太ったところに当たって砕きました。
(ええ?そっち?動きが速い。速過ぎる。しまった。逃げるところがない。舞台の上も同然だ。)
本拠地の中に逃げ込むしかありませんが、それはもっときつい。
でもそんなことは言ってられない。
任務も滅茶苦茶だ。
(もう逃げられない。終わりだ。神よ。私は今あなたのもとへ。。)
そう思ったとき、銃の発射されたあたりの草むらから二人の男が両手を頭の後ろにあてて出てきました。
そのうちの一人は片方の腕をひねりあげられ、こめかみには、ジャマール隊長の短銃の銃口が押し当てられていました。
ああ。その二人は忘れもしない、F2部隊の隊長ウダイと隊員ラーフィー。
かつての仲間。
びしゃん、と大きな音がしました。
裏手のドアが閉まった音でした。
(小百合だ。本拠地内に逃げ込んだわね。)
こめかみに銃口を突きつけられたまま、ウダイ隊長が口を開きました。
「ジャマールもミナコもいったいこんなところで何を遊んでいる。
これは軍隊ごっこじゃあない。今すぐここを離れないと危険だぞ。」
ジャマール隊長が言葉を返しました。
「おまえらこそここで何をしていたんだ。」
「だから、早く銃を下ろせ。ただちに危険がせまっているのはおまえも俺たちもたぶん同じだ。」
「何の危険だ。」とジャマール隊長。
「ジャマール。わかったからともかく、この銃を下ろせ!話はそれからだ。」
銃をこめかみに突き付けながらも、なお開き直ったような態度を続けるウダイに、嘘のない雰囲気を感じました。
<十六>
取り急ぎ、ジャマール隊長は、小隊隊員に今現在最も近い、N252E376地点の洞窟に集結するよう指示を送った。
皆が集結したのち、アリーの亡骸は洞窟の脇にすばやく埋葬された。
F2部隊ウダイ隊長の話は、疑いの余地がないほど理路整然としたものだった。
ジャマール隊長にとっても、ミナコにとっても、とりわけショッキングな話は、精鋭部隊本営司令官の長官を除く五人全員がゲリラ組織の替え玉によってスパイ占拠されているということだった。
彼らは日々特殊部隊から連絡を受け、ゲリラ組織に情報を送る。
これでは、勝ち目がある筈がない。
特殊部隊は、ミナコがジャマール隊長に聞かされた通り、G1で残った皆が全滅、G2は三名生き残っているが、隊長が戦死し、諜報部隊に最も必要な統制を欠いており、その機能は無力化している。
諜報員の情報を味方が信じられなくなったら、その時点でスパイの価値が消滅する。
F2は隊長のウダイ以下、ミナコがかかわった二名の戦死者を除いての隊員三名は無事であるが、全員がゲリラ組織のスパイとされ、同士のF1・F3から今も追われることとなっている。
これは特殊部隊にとって終末を待つだけの悲惨なシナリオだった。
おそらく、ウダイ率いるF2がF1とF3に全員殺されたあと、F1とF3のどちらかがゲリラ組織のスパイとされ、最後の仲間同士の決戦によって特殊部隊は自滅の道を歩むのだろう。
過去どれだけの戦力をもってもゲリラ組織が崩すことのできなかった特殊部隊は、その終焉を告げようとしている。
それもたった一人の日本から来た『サユリ』、その裏切り者の手によって。
ミナコはそんなことはない、有り得ないと信じる。
ウダイは、ミナコに向って表情を和らげながら、仲間が増えることを望んでいると言った。
今後の行動については、F2隊員を交えて、新たに作戦が練り直されることになった。
翌日夜遅くなって、残りのF2隊員の二名である『ハッサン』と『カナリー』が洞窟へ入り、皆に顔をあわせた。
ミナコはカナリーに目を合わせると、懐かしさと愛しさが重なって、かつて感じたことのない胸の高鳴りを覚えた。
彼はミナコを食い入るようにじっと見つめてたまま、目を離さない。
(カナリー。会いたかった。あなた。そんなに私を見つめないで。恥ずかしいから。)
彼は唐突に言った。
「おまえの髪型、それ趣味悪いね。横、ちょっと禿げてるし。」
「!!。。。。。」
(何?髪型?仕方ないじゃない。
これはね。官舎の幼稚な『いじめ』ってやつなのよ。
私は、うそ泣きしながらみんなに髪切らせてやっただけよ!)
★====================
作戦会議は、小隊のジャマール隊長・私美奈子・サンドス・ルーディー、特殊部隊F2のウダイ隊長・ラーフィー・ハッサン・カナリーの八名で車座になって行われました。
ジャマール隊長はすでに聞いていたと思いますが、あの日F2のウダイ隊長とラーフィーが何をしようとしていたか、ということについて、最初にウダイ隊長自
身からの説明がありました。
文書にして一枚。八行だけの、非常にシンプルな作戦でした。
作戦コード:N6625779(計画;F2)
【計画の実行日及び開始時刻】:特に定めない。
【計画を実行する者】:F2ウダイ、F2ラーフィー。(二名)
【計画内容のアウトライン】:特殊部隊本営司令官が本拠地を出入りするときを待ち、これに侵入し司令官[※注1]を射殺する。[※注2]
[※注1]最低、サユリを射殺すれば作戦成功とする。
[※注2]成功・失敗にかかわらず、実行者は両名その場で自害する。射殺された場合はこの項を破棄。
【計画内容の詳細】:特に定めない。
【計画の保管】:実行者の死亡確認時に廃棄。以下、余白。
私は愕然としました。(何これ!これは作戦じゃない。)
さらに意外だったのは、ハッサンとカナリーの表情でした。
二人は、目を丸くして口を開けたまま唖然として動きを止めていました。
(カナリーたちにも知らされてなかったんだ。)
ウダイ隊長は、ゆっくりと立ち上がりました。
「他に何をする?F1・F3を攻撃するかい?
彼らはゲリラ組織じゃない。味方なんだぞ。
特殊部隊本営を攻撃して司令官を射殺する。
司令官を殺害するということはどういうことかわかるか?
司令官が言った通り、『やっぱり、F2はゲリラ組織のスパイだった』ってことを、特殊部隊のみならず、本隊に対しても『立証』して見せることになるんだ。
残念だがこれが現実だ。」
そのあと、付け加えました。
「だから、この計画なんだ。他に選択肢はあるかい?」
ジャマール隊長が言いました。
「だからだ。ウダイ。だからこそ、彼ら司令官に関する動かぬ証拠をおさえようとするんだ。」
ウダイは目を閉じて、ゆっくり首を横に二回振りました。
「残念だが、もうそんな段階じゃないんだ。特殊部隊本営の長官だって、もういないかもしれない。」
皆、黙りこんでしまい、作戦会議は進みませんでした。
<十七>
翌朝、ウダイ隊長の無線端末に、情報連絡が入ってきた。
発信元は生き残っているとみられるG2隊員の『バルザーン』からだった。
ウダイ隊長がバルザーンから直接情報連絡を受けるのは初めてである。
彼は、国外のゲリラ組織のアジトから情報を取り、抜け出して来ていて、すでに近郊地帯にいるようだ。
彼はこう伝えてきた。
《F1とF3の位置情報がリアルタイムにゲリラ組織に漏れてしまっている。
しかも全部。かなり詳細にだ。リーク元、原因を調べられたら頼む。
F3は現在N268E311地点を小隊を率いて南南西へ移動中だが、止めさせた方がいいのか、こちらでは判断がつかない。》
ウダイ隊長は思った。
(彼には、我々F2がゲリラ組織の回し者だという、偽りの情報が流れていないのだろうか。
G2の隊長は殺害されたし、情報が切れているのか。
こういう連絡をしてくるということは。)
暗号を入力しているということは、バルザーン本人からの情報連絡には間違いない、と判断される。
しかし、今の状況では本人自身がすでに『黒』に染まっていることも考えられる。
つまり味方を装っているゲリラ組織員に動かされている場合だ。
したがって、その情報をあてにはできない。
ただ、本当に彼の言うとおり、F3と小隊が、N268E311地点を南南西に移動しているとなると、これはかなり深刻な事態だ。
その、わずか約十五キロ先にあるのは、今いるこの小隊の洞窟だ。
すでに察知されている可能性もある。
相手は、健在なF3部隊、精鋭六名と約四十人の現役武官による小隊。
片や、こちらはF2・G1部隊、元部隊員含め六名と素人兵が十名。
計画の優位性なくしては、戦いにもならない。
ここは取りあえず逃げるしかない。
ウダイ隊長は、そのあとのバルザーンの情報を聞いて、彼の背後に、味方を装った司令官はいない、ということを確信した。
《あと、隊長。これは結構重要なことかもしれない。》
《ここ、ゲリラ組織の拠点にいて、中心になって動いている人物の一人に、『フサイン』という男がいる。
そいつが、どうやら我々の特殊部隊本営司令官の一人の肉親にあたるみたいだ。》
ウダイ隊長は思わず叫んだ。
《おい!それは、サユリではないのか?》
《ん?どうして知っている。その通りだが。
》
知っているどころではない。
完全に、ゲリラ組織と司令官のサユリが、切ることのできない肉親の一本の線でつながった。
サユリは、X国、最後の王制時代の残党の血をひいていたのだ。
ウダイ隊長は、皆を集め、今すぐ洞窟を移動する旨に指示を与えるとともに、あわせて、皆に隠す必要もない、サユリの情報も伝えた。
驚いた者、うんうんと頷く者。反応はさまざまだったが、そんな中で極端に目を大きく見開いていたのはミナコだった。
逆立った髪の先が、少し離れたところでもわかるくらいに震えている。
ミナコはため息をつきながらその場にうずくまった。
周りの者は、ミナコが一瞬気を失ったと思い、あわてて腕をとった。
<十八>
現役の特殊部隊F2の隊長ウダイが、十六名の部隊指揮を正式にとることになった。
ジャマール隊長はやや不服そうであったが、行動を共にする以上、隊長は一人でなければならない。
この国の山岳地帯には、南北に、標高二千メートル前後の高原や三千メートル以上の峰々が多く連なっており、赤道に近い割には一年を通じ、最低気温が0℃、最高気温でも三十℃以下の比較的しのぎやすい気候となっている。しかし、山岳地帯の東部は広大な砂漠が広がっており、東の砂漠、西の沿岸部までの平地ともに暑さの厳しい砂漠気候で、一年を通じ二五℃を下回ることはあまりなく、夏季には四十℃を軽く超える。
一定の場所で活動を行う場合にはさして問題にならないが、長い距離の移動を繰り返す部隊にとっては、体力を消耗しやすく、寒暖の差を克服することがきわめて重要なことになってくる。
部隊は、山岳地帯のふもとに沿って東の平地を南下することにした。
銃器や装備品、食料・水などはほとんどすべて、ふもとで購入したヒトコブラクダ三頭に背負わせた。
砂漠を歩くらくだは、自らの体内から水分が失われるのを防ぐため。その体温を四十℃以上に上昇させる。
長時間らくだに跨ることは、『らくだ酔い』をもたらすだけでなく、かえって体力の消耗をひき起こすことにもなる。
特殊部隊が交代でらくだを先導し、あとのものは強い日差しをらくだの影でさえぎりながら歩き始めた。
恐れていた事態が現実になった。
体力のない部隊の隊員が、次々とダウンしていったのだ。
死んでしまったわけではない。
これは、隊長のウダイ以下、現特殊部隊の四人と元特殊部隊のジャマール・ミナコの六人にとって完璧に重荷になった。
なかでも、二名の女性隊員は、風邪と熱中症と高山病が一度に襲ってきたような、わけのわからない処置しようのない状態に陥って、重体になった。
部隊は山岳地帯のふもとの砂漠で、危険にさらされながらキャンプを張らざるを得なかった。
★====================
精鋭のF1とF3、それと彼らの率いる本隊の小隊、おそらく合わせて九十名内外の連帯が、私たち小隊、というより手負いのトビネズミ一匹を殺害しようと狙って近づいてきていることは、容易に想像できました。
北の国境は、ゲリラ組織の本拠地に身を投じることになります。
しかも今の位置からは、かなり遠すぎてたどり着くのは困難です。
東の国境の先は広大な砂漠。
南の国境は、隣国との紛争地域。
西には以前降りてきた三千メートル級の山々。
(どうにもならない。終わりだ。もう終わりだよ。お父さん。)
(私はあなたに殺されるのね。そんなこと思ってもみなかった。
)
私たちの部隊は、皆、精神的に疲弊しきっていました。
ジャマールは、通信のエキスパートであるサンドスに対して、きつい言葉を浴び
せかけていました。
「おい。サンドス。奴らはどこにいる。早く『電波で』探し出せ。」
サンドスは、「電波で捜し出すって。無理です。彼らの発する待機電力ではせいぜい一キロが限界です。」
さらに、「一キロなら、ご士官の目のほうが役に立つというものです。」
ジャマールはいらっとして、
「ごちゃごちゃ言うな!俺は奴らがどこにいるか言っているんじゃない。
北か、南か、それとも東か、西か。そんなおおざっぱなことぐらいわからんのか!
」
すると、サンドスは、
「わかる時は正確にわかります。『おおざっぱに』なんてあり得ません。」
ジャマールはおさえ切れなくなって、「貴様。俺にたてつくつもりか!!」
そして、「微弱電波か。おう。よく言うな。相手は一人や二人じゃないんだぞ。
百人近くの部隊だ!
そんなこともわからんのか。おまえは!!」
サンドスも負けじと言います。
「ご士官。電波は足し算ではありません。一番強いものをつかまえるだけです。
百人であろうと千人であろうとそれは同じです。」
私は、ちょっとまずい展開になってきたと思いました。
ジャマールは切れたように、
「そんなことはわかっている!!おまえはそれでも兵士か!隊員全員が生きるか
死ぬかの瀬戸際にいるんだ。
おまえには『精神』がない!何が何でもっていう『根性』がない!それを悔い改めよ!!これは命令だ!」
(精神や根性が出てきちゃった。
私はそのことに自信があるけど、民間人のサンドスにそれを求めるのは、無理というものよ。)
サンドスは、反論の意欲すら失い、この場は何とかおさまったと、私がほっとしたときです。
次の瞬間、サンドスは目尻を吊り上げ、信じられない言葉を発しました。
「あんた!かつての士官かなんだか知らんが、あんたがどんなに根性出そうと、
電波は直進するんだ!電波が曲がることはないんだ!!」ジャマールは完全に噴火しました。
もう何が起こるか想像できませんでした。
次の瞬間いつのまにか私の脇にいるカナリーに気づきました。
カナリーは、「あーあ。とうとうやっちまったなあ。」
「あんた!ちょっと、早く止めてよ!」
カナリーは、ジャマールの前に飛び出して、両の手を大きく広げました。
ジャマールは、「どけ!カナリー。これは命令だ!」
ジャマールは今やG1の隊長でも何でもありません。
ましてや、カナリーに直接命令を下す立場にもありません。
しかしカナリーは、落ち着いた声で言いました。
「もう一度、もう一度命令を下さい。隊長。私はあなたに従います。もう一度命令を!」
ジャマールは、カナリーの真剣な、純粋な目を見て、少し落ち着いたように見えました。
「腕を下げよ。それが俺の命令だ。」
「イエッサー!」
彼はジャマールの母の故郷であるイギリスの言葉を発して、元気よく微笑みました。
(あのばか。何だか、かっこいい。違う、違う。そんなこと感じてない。私、全然感じてない。)
ウダイ隊長は、すでに一回命を捨てた人間です。
彼は優れた人間ですが、命を捨てた人間をあてにしていても、私たちの助かる見込みはない、と感じました。
ジャマールは、私にこう言いました。
「南の国境まで進めば国境警備の本隊員が大勢いる、彼らは全員デクノボウでだますのはいたって簡単だ、
彼らと迎合すればいいんだ。簡単なことだ。
いざとなったらお前もその体をすべて彼らに預ける覚悟をしておけ。
彼らといる限りF1もF3も手を出すことはできないはずだ。
負傷者の手当てもできる。我々部隊が全員助かる道は唯一それだけだ。」
(この人は、プライドも何もかも捨てて、なりふり構わず部隊が助かることだけ
に集中している。)
(この人についていく。私は。)
「南の国境へ行こう。南は今落ち着いている。」
<十九>
★====================
私はウダイ隊長が、ジャマールに夕べ激しく叱責されていたことを知っています。
ジャマールは今、四一歳。
ウダイ隊長は彼より七歳も年上の四八歳です。
それでも特殊部隊に年齢は関係ありません。
「お前は以前のおまえじゃあない!」
「抜けがらだ!」
そして、真夜中に、
「武器を捨てろ!」
激しい格闘の音。
私はどうしていいかわからず、夜中に頭をかかえていました。
永い夜が明けて、私は寝不足のまま、サンドスとカナリーと三人でテントの外で朝食をとっていました。
さらに少し離れた斜め横には、顔の歪んだウダイ隊長がいます。
ウダイ隊長の無線端末に、情報連絡が入ってきました。
一瞬のことですが、彼の顔色が変わったことを、私は見逃しませんでした。
彼の様子に私の直感が働きました。
(小百合か!?)
私はサンドスの顔に向かって指をさし、次の瞬間ウダイ隊長のもとにいて、自分の口を指差してみせました。
ウダイ隊長は話を聞いている様子の中で、横目で私を確認し大きく頷きました。
サンドスは岩肌の探知機器のスイッチを入れ、ヘッドホンをかぶりました。
ウダイ隊長は、「ああ、了解した。」
そのあと、「ああ。よくわかった。ところで司令官のトモダチがここにいる。ちょっと話をしてみるか?」と言いました。
(トモダチ?)
私は一瞬、この地で聞いたことのない発音を聞いて、何だろうと思いましたが、そのすぐあと、彼はあえて『トモダチ』という日本語を使っていることがわかりました。
ウダイ隊長は、サンドスに目で合図を送って私に無線端末を渡しました。
私は、極度に緊張しながら、ウダイの無線端末を受け取りました。
(あの小百合ととうとう話せる!)
無線端末の向こうで、彼女は、いきなりこう言いました。
「ミナコか?南の国境付近に大勢のアラブのゲリラ兵士がいる。
その数、百五十名以上。そこを全面的に避け、北のN425E656地点へ向かえ。」
「。。。。」
(間違いなく小百合の声だ。)
私は感慨とともに緊張しすぎてか、言葉を発せません。
「。。。。」
「ミナコ。聞こえているか。N425E656地点だ。ウダイにも伝えた。
南の国境にゲリラ兵がいる。
そこを避け、今いる地点から北上せよ。時間的余裕はない。」
「ミナコ!応答しろ。」
「。。。。」
「応答しろ!」
私は小百合にあえてゆっくりと話しかけました。
「サユリ。あなたはサユリなの?」
続けて、「話をしたかった。サユリ。」
次に、日本語で同じことを繰り返しました。
「話をしたかったの。小百合。」
数秒間の沈黙が続きました。
私はそれからすべて日本語に切り替えました。
「ひとこと話をしたかったの。どうしても。小百合。」
「お願い。黙らないで話をして。私はこの時を待っていたのよ。
昔のようにいっぱい話をしたいの。」
「。。。」
サユリはアラビア語で、
「ミナコ。N425E656地点へ向かえ。
余計な事を考えている余裕はない。北上せよ。」
私はそれでも日本語で、
「小百合、話をして。もっとちゃんと話をして。」
サユリはさらにアラビア語で、
「ミナコ。猶予はない。ゲリラ兵の一部がすでに南の国境から北上して部隊にせまっている。」
私は負けません。
(絶対。日本語を変えるものか。)
「誰も責めない。そういうことよ。何を迷っているの?お願いあなたの声を聞かせて。」
懐かしい流暢な日本語が聞こえました。
「美奈子。命乞い?」と小百合の声。
とうとう本物の小百合の声を聞きました。
私は、「そうよ。そのとおりよ、小百合。
でもあなたの声が聞こえてよかった。」
「。。。」
それから私は夢中になって、いつのまにか訳のわからない話をしていました。
「ほら、あなた中学の時に、G君にコクられて、困った困ったって、得意げに言っていたの覚えてる?」
「そうね。」と彼女。
「そうねじゃないよ。ばっかみたい。好きだったくせに。」
「それはない。あんなデブ。デブはあんたの趣味よ。」と彼女。
話をとぎらせちゃいけないと思い、夢中で、あることないことまくしたてる私。
「あなた、映画館に、作ったお弁当持ち込んで、彼氏困っていたって。」
「ちょっとそれって、いったい誰の話よ!」
「G君に聞いたんだから。隠すなよ。」
「記憶すりかわってない?私、その話、誰かに聞いたよ。」
「ええ?ああ。それ私だ。。。Gの奴。ばらしたな。」
それからも、いろんな話をして、それから、それから。。。
「小学校のとき、一瞬、私の成績を抜いたときのあなたの言葉。
『ざまあかんかん、河童の屁ーー。』ねえ覚えてるわよね。」
「。。。」
「おしりぺんぺんもしたわ。スカートめくって。あなた、熊模様のパンツだった
よ。」
「。。。」
彼女は、「それは知らない。河童の屁は言ったかも知れないけど。」と言い切りました。
絶対知っていると思います。
彼女の『カマトト』ぶりは、昔のままです。
話しながら、だんだん涙声になっている自分に気付きました。
私は自分の頭の回路が少しおかしくなっていることにうすうす気付いていましたが、彼女がそれに気が付いていたかどうかわかりません。
私は話しながら、ウダイ隊長が、日本語のわかるサンドスに緊張しながら聞いている声を耳にしました。
「長いな。話の内容はなんだ。」
サンドスは、「難しい。きわめて特殊なやりとりであることはたしかだ。」
彼女は、そのあと全部日本語で話しました。
「美奈子。ウダイには、今あなたに伝えたのと同じに北へ進めと伝えた。これは実は逆のことなのよ。
彼は私の裏をかいて必ず南に進むとの判断で、南の国境にF1とF3を配備しているの。
ゲリラ兵は関係ないわ。特殊部隊F1とF3よ。
そうなると南の国境に行ってあなたたちはハチの巣になるの。北のN425E656地点は今のところ安全よ。
ウダイは私の予想通り私の指示と反対に南へ進むと思うけど、あなただけは北の安全な地域にもぐりこんで。
いいわね。もう一度結論をくりかえすわよ。北は安全。南の国境は絶対に向かってはダメ。」
サンドスがのけぞって青ざめたのがわかりました。
ウダイ隊長には聞こえません。
私は、「本当なの?信じていいのね。」
しばらく沈黙が続きました。
小百合のすすり泣く声と、わずかな嗚咽が聞こえました。
そのあと、小百合は毅然として、アラビア語で、「幸運を祈る。以上!」
と言いました。
<二十>
ウダイ隊長は、小百合のもくろんでいた通り、彼女の指示の裏をかいて南の国境に向かうよう皆に指示を出した。
ジャマールは、もとから南の国境に向かう以外に方法はない、と主張していたか
ら、ウダイ隊長を支持した。
南の国境は危険だ、向かってはダメ。すすり泣きの日本語で最後にそう言ったサユリの言葉が、ミナコにははっきりと耳に残っていた。
ミナコとサユリの日本語での会話を聞いていたサンドスは当然のごとく動揺していた。
「ウダイ隊長。私はサユリとミナコの会話を聞いていました。
南の国境に向かってはいけない、とサユリは言っていました。そうなんです。
南の国境に向かってはいけません!」
ウダイ隊長は、「それは俺も彼女から聞いた。だからこそ彼女の意図とは反対に南へ行くんだ。」
サンドスは、「いえ、そうではなくって。そうすることを彼女はすでによんでいる、と言っているのです。
ミナコに聞いてください。何が本当のことなのか、わかる筈です。」
ウダイ隊長は、おまえに指示されることはない、と言いたげに、
「我々がなぜ洞窟を出なければならなかったのか。あのとき、F3がどこにいた?
南の国境か?
そうじゃない。
彼らは我々の付近までせまっていて、北の方へ向かっていたことは明らかだ。」
とも言った。
そして、ミナコヘ意見を求めた。
ミナコは、落ち着いて、
「はい。隊長の言うとおり、南の国境へ向かいましょう。」と言い切った。
仰天してミナコの顔を見るサンドス。
その唇は小刻みに震えていた。
ミナコは、ゆっくりとサンドスの方に向き直って言った。
「サンドス。残念ながらあなたは、人と人とが命をかけて殺しあう『戦争』というものをわかっていないようね。」
<二十一>
南の国境まであと八キロを切ったとき、小隊で死者が出た。
四五℃を超える暑さ。
体力の限界を超えた女性隊員が二人。
二人は寄り添うようしてに死んだ。
すでに山岳地帯を離れていた小隊は、彼女らにささげる花もなく体に砂をかけて埋葬した。
他の隊員も、今残っている全員が南の国境までその命の火を途絶えることなく進むのは無理と思われた。
特殊部隊の六人はそれぞれ一人づつの隊員を脇にして支え、サンドスとルーディーは少し遅れて後ろを歩いた。
ウダイ隊長は、意を決し皆に伝えた。
「これから、山岳地帯に入り、南の国境をめざす。起伏が激しいので、らくだは無理だ。
特殊部隊隊員は、皆で機材を分担して持て。ここへ来て、遅れるものにあわせるわけにはいかない。
ついて来れなくなった者は、その時点で自主的に申告せよ。
優先的に二日分の食料と水を与えるから、あとは自己の責任において対処せよ。」
隊員は皆、完全に無口になった。
南の国境まであと三キロを切ったところで、突然サンドスが全身を震わせながら、ウダイ隊長に報告した。
彼はなかば狂ったように頭を掻きむしっている。
目の前は、葉のない木々の枝がずっと重なり合っていてその先は見通せない。
彼は、他の小隊隊員の皆が、俄かには信じがたい言葉を発した。
「隊長。この先で無線端末の発信がある。言葉は聞き取れない。
しかし、特殊部隊の端末であることは間違いない。」
★====================
ようやく先の視界が開けてきたので、先頭を歩いていたウダイ隊長と私は、山の中腹から斜め下の方を見下ろしました。
国境付近には、おびただしい数の兵士の姿が見えました。
国境を守る、本隊の兵士達です。
仮設小屋のような小さな建物がいくつも点在しています。
高いアンテナのある、通信の受発信基地局も中央付近に設置されていました。
そのこと自体には、全然問題はありませんでした。
問題は、その前にいる、小隊。約40名。
そして、特殊部隊のF1隊員。脇には、私の父、F1のハミド隊長が仁王さまのように立っていました。
武官で構成される小隊の隊長らしき男が、我々の方を指差しました。
もう、とっくに私たちの動きが捉えられているのがわかりました。
私は、なかば放心状態でした。
(小百合。あなたは。。。。ああ、何てことなの。)
(小百合。ごめんなさい。私は最低ね。
最後まであなたを信じることができなかった。)
(ごめんなさい。あなたを信じる事ができなくて。。。だから、私は死ぬのね。。
)
ジャマールが言いました。
「みんな。よく聞け。蜂の巣になりたくなかったら、決して抵抗するな。」
「本営司令官からは、即時射殺命令がでているわ。」と私。
「どちらにしても同じことだ。こうなったら逃げ切れる相手じゃない。
手を頭の後ろに組んで、ゆっくりと出て行くのだ。」
ウダイ隊長は、目をさらのようにして、ジャマールを見ました。
彼にはもう何の考えもありません。
私たちは、ジャマールを先頭に、武器を捨て、手を頭の後ろで組んでゆっくりとふもとの方へ歩き出しました。
小隊最前列の十名ほどが、立てひざをついて銃を構えました。
私たちの小隊の兵士はあきらかに動揺して、手を後ろに組んだまま、地面へ崩れていきました。
現役特殊部隊F2の四名、そして私たち旧G1の二名は彼らをそのまま置いて、横一直線になって銃を構える小隊の方へ歩いて行きました。
あと百メートルくらいになったとき、突然ハミド隊長は、
「おーい。誰が銃器を捨てろと言った。ウダイ、おまえか。
それともジャマール、お前か。」と叫びました。
初めて聞く父の肉声。
低い声ですが、とてもよく通る声でした。
ハミド隊長は、銃を構える小隊の前をさえぎるように前へ出て、そのまま私たちの方へ歩いてきました。
「もう銃器のことはいいから、早くこっちへこい。邪魔だ!」
ハミド隊長はそう言いながら、小隊の方を向き直って、銃口をおろさせました。
私には、何が何だかわかりません。
皆も同じだったと思います。
<二十二>
小隊の十四名は、F1部隊員と全員握手をさせられた。
握手が終わると、ハミド隊長は自ら皆の前で説明をし始めた。
特殊部隊F1のハミド隊長は、本営司令官からG2がゲリラ組織の回し者になっている、との連絡を受け、F3の部隊と共同で内偵を始め、G2の生き残りの協力も得て、とうとう本営司令官が長官も含め五人全員殺害されてサユリとゲリラ兵に占拠されているという事実をつかんだ。
そのときから、ハミド隊長は特殊部隊の総指揮をとり、本営司令官の指示に従っているがごとく情報を操作し、ニセの本営司令官たちの獲捕、もしくは殺害計画を実行に移していた、というのだ。
情報の裏を逆手に取る、特殊部隊F1隊長、ハミド。
その男、冷静沈着にして、きわめて指導力、行動力に長ける。
説明を終えたあと、ハミド隊長は、未だ『ぽかん』として口の閉じないミナコの方へ歩を進めてきて、小声でこう言った。
「『ハナ』。いやミナコ。」
「はっはい。~。ハミド隊長!」と背筋を伸ばして頭のてっぺんから出たような声で、ミナコが応える。
ミナコの顔は、信号機のように、真っ青から真っ赤に変っていった。
「私は、二六年間、我が娘である、君のことを忘れたことはなかった。
私の心のなかでは、君は『ハナ』と名付けられ、君の横にいる我が息子、カナリーとともにいつも一緒にいたのだ。」
「はっはい。~。ハミド隊長!」
(ん?『我が息子』カナリー??)
(何のこと?すると?私たち兄弟姉妹??腹違いの。
)
カナリーは、いつもの彼らしくなく、下を向いていかにも居心地が悪そうに、もじもじしている。
彼は、ミナコも自分と同じ、ハミド隊長の子供であることは知らされていたようだ。
(この馬鹿。自分だけ知っていて。許せないやつ。)
ミナコは、直立不動のまま、すぐ右隣にいるカナリーに顔を向けて言った。
「何それ。何よ。あなた知ってたの?今回の計画もすべて!」
「しっ、知らないよ。計画は。計画は知らない。本当だ。
俺はミナコと一緒に父親に射殺される、と覚悟していたんだ。
ハミド隊長は、任務のためなら自分の子供の命の一つや二つ、何とも思わない男だ。」
ハミド隊長が、怒鳴り声をあげた。
「貴様、言葉を慎め!!」カナリーは、目をつぶって肩をすくめた。
ミナコも、『右に同じ』だ。
ウダイ隊長、ジャマール以下、隊員のラーフィーとハッサンは、カナリーがハミド隊長の子供であることは承知していたが、ミナコもそうであったとは、まったく想像もしていなかったようである。
ミナコは無性に腹が立ってきた。
しかし、カナリーが兄弟であったことを知って複雑な気持ちを味わい、無駄に落胆している自分に気付いていた。
ウダイ隊長率いる小隊隊員は、とりあえずF3隊員が任務を遂行中ということで、その間、通信の受発信基地局のある建屋の奥の部屋で、二組に分かれて休息をとることにした。
特殊部隊F3より、情報連絡があった。
小隊の隊員が、ハミド隊長を呼びに飛び出していき、F1の隊員が受信した。
スピーカから流れるF3の隊長と思われる声。
「こちらF3隊長のキサイ。任務を計画通りすべて首尾よく完了した。
司令官の本拠地で、極度に抵抗をされたため、捕獲をあきらめ、五人全員を射殺、これを確認した。
長官の成り代わりのゲリラ戦士は、そこにはおらず、すでに逃亡したものと見られる。
なお、当方、小隊の二人が足と肩にそれぞれ被弾したが、命に別状はない。」
「了解。帰還せよ。」
★====================
(小百合。嘘でしょ。あなたが亡くなったなんて。)
(承知していたこと。戦争は勝ち負けしかないって。
)
(でも、わからない。私は、どうしたらいいの。なんで、あなたを信じなかった私が生き残って、どうしてあなたが死ぬわけ?)
(私は、戦争ごっこをしていただけ。ただ、一人いい気になって。)
私は、ぼうっとして、建屋を出て行き、吸い込まれるように他の小さな建屋に入っていった。
<二十三>
薄暗いその部屋に入ると、そこには窓際に一人の少女が座っていた。
彼女は、振り返り、はっきりとミナコの目を見つめながら、ゆっくりとハミングを始めた。
見覚えのある顔だった。
/E~DCC~F・/FDC♭BA~GC/E~F・C♭BAC/EGFDC♭BAC/FEDGEAFD/CFACG~DE/F~・・・・・・/
聖書にも登場する、この国の誇り高き女王、『南の果てから来た女王』。
歌劇にも取り上げられるその中の『大行進曲』。
フランスの作曲家グノーの曲を、レイクが編曲した吹奏楽曲だ。
ミナコとサユリは、中学校時代、ともに吹奏楽部に所属していた。
ミナコはクラリネットの首席奏者。
サユリは第一フルート。
『大行進曲』はコルネットの勇壮なファンファーレで始まり、途中でクラリネットとフルートのユニゾンによる美しいメロディーの一節がある。
ほんの一節だが、当時、中学三年生の秋、コンクールで、ミナコとサユリは心を合わせてこれを奏でたことがある。
「早く。早くう。ねえ。」
部屋の窓際の彼女は、ミナコに無邪気に微笑み、そして促した。
純粋な目。
吸い込まれそうな目。
ミナコは、再びハミングで歌いだした彼女に合わせて歌っていた。
/E~DCC~F・/FDC♭BA~GC/E~F・C♭BAC/EGFDC♭BAC/FEDGEAFD/CFACG~DE/F~・・・・・・/
歌い終わってから、「小百合。あなた小百合でしょ。生きていたのね。」
生きている筈がない。
そして、今ここにいる筈もない。
ミナコは間違った質問をしてしまった、
と後悔した。
彼女に、そうだ、と答えられるわけがない。
答えることは、現実に矛盾することになるような気がしたのだ。
暫くの間があって、悲しそうに彼女は頷いた。
その瞬間、空気が、そして時間が、ゆがんだような気がした。
ミナコは、一人暗い部屋の入り口に立っていた。
(時間が戻ってしまった。)
部屋の入り口から少し離れたテーブルの上には、一丁の小銃が無造作に置いてあった。
(こんなところに。)
銃弾が装填されているかどうかはわからない。
「小百合。ごめんなさい。私は最低ね。
最後の最後にあなたを信じてあげることができなかった。」
ミナコはそっとつぶやいて、迷わずテーブルへ進んでいき、その小銃に腕をのばした。
うしろ脇から不意に手が出てきて、小銃を握るミナコの手は、上から強く押さえつけられた。
振り返ると、そこにはミナコの父、ハミド隊長がいた。
その後ろには、カナリーが立っている。
父は、ゆっくりとした口調で言った。
「君の歌が聞こえたから、来てみた。」
「えっ?」
ミナコは今のことが決して夢ではなかった、と感じた。
「おとうさん。少女の姿を見た?」
「いいや。この部屋は君一人だ。」
そして、付け加えた。
「しかし、二人の声が重なっているような響きだった。」
うしろにいたカナリーが神妙に頷いた。
「。。。。」
父は、黙ってうつむいているミナコに対して、長身の体を少し前に傾けて言った。
「戦争で生きるか死ぬかはほんの紙一重のことだ。
不幸にも死んでしまった者でも、命がけで生きようとした者だけが、聖なる神のもとへ行けるのだ。
サユリは命をかけて戦ったんだ。そして散った。
そんな彼女にとって、君が自害するのは決して本望ではない。そんなことを望んではいない。
わかるよな。」
「彼女は聖なる神のもとへいったのだ。」
ミナコは、さらにうつむきながら小さく頷いた。
涙がにじんできて、それを隠すために父の胸に顔を押し付けた。
カナリーが二人の背中を強く抱いていた。
そのあと、父と子の三人は、そろって建屋の外に出た。西の空には大きな太陽が、沈むものか、と頑張っているように見えた。
そして、ミナコは、空の向こうから小百合が精一杯の『心』を送ってきてくれているように感じた。
『祖国の兵士 平成22年3月』
Y国ご関係者殿
この小説は決してあなたの祖国をモデルにしたものではありません。
Y国は誇り高き歴史と伝統ある素晴らしい国です。
伝統的な建物を多く残すこの国を旅した人は、歴史を遡ったような気分になった、とも言います。
そしてこれは、他の国では決して味わうことのできない不思議な気分だった、とも聞きました。
何かミステリアスですね。
当時の王国の人たちの魂が、今も受け継げられている素敵な国。
みなさま。私の小説と全く関係のないY国へ旅して、この国の素晴らしさを体験してみませんか?
私も、機会あらばと。