クリストファー 3
「ああ、アンジェリカ、こちらにいらっしゃい」
ハッと我に返ったアンジェリカが顔に笑顔を張り付ける。
侯爵夫人はセシリアの手を取ったまま、娘に話しかけた。
「ハート伯爵令嬢が、誰かに意地悪をされたらしいの。ほら見てちょうだい、ドレスが酷い事になっているのよ。残酷な事をするわ」
ひゅっ、とアンジェリカが息を飲み、青ざめる。
「本当に可哀想だ。犯人を捕まえて謝らせなきゃいけない。君もそう思わないか?アンジェリカ」
クリストファーが言うのに、アンジェリカは「え、ええ」と青い顔をしたまま頷き、ちらりとセシリアの方をうかがった。
セシリアが言いつけたと思ったのだろう。
緊迫した空気が張り詰め、セシリアは息苦しくなった。
「それでね、あなたのドレスを彼女に貸してあげてちょうだい」
「ーーーーえっ?」
侯爵夫人が言い出したことに、アンジェリカだけでなくセシリアも驚いた。
それでアンジェリカを呼び出したのか、と今更気付く。
「このままの恰好では、人前に出れないでしょう?セシリア嬢は少し背が高いけれどほっそりしているから、あなたのドレスでも入ると思うの」
貸す前提で侯爵夫人が話を進めようとする。
「……私のドレスですって?」
笑顔を張り付けたまま、アンジェリカの手がぎりっと握り込まれる。
セシリアはゾッとして夫人とクリストファーを見た。
二人とも、アンジェリカの異様な様子に気付いていない。
夫人は知らないから仕方ないが、当のドレスをボロボロにした本人から借りるなど恐怖でしかない。
セシリアは慌てて侯爵夫人の手を握り返した。
「ブルック侯爵夫人。せっかく皆様が楽しんでいらっしゃいますし、お時間を奪ってお手を煩わせるのも申し訳ありません。いたずらした方達は知らない方達でしたし、犯人捜しで水を差すのも、楽しんでいる方々に悪いです。夫人やクリストファー様の優しいお気持ちで救われました。それで十分ですわ。今、伯爵家の馬車へ乗ってしまえば皆様の目に触れずに帰れると思いますので、失礼ですが、ここまででお暇させていただきたいと思います。申し訳ございません」
ソファから立ち上がってお辞儀をし、夫人とクリストファーに礼を言うと、二人はセシリアの優雅さに惚れ惚れした様子で溜息をついた。
「まあ、なんて綺麗なお辞儀なの。こんな時なのに見とれてしまったわ」
「僕もです……セシリア嬢、君はどんな服を着ていても高貴な美しいレディだね。それに何と優しいんだ。実はさっき、君と話したくて捜していたんだよ。噂は聞いていたけど、こうして話してみて、やはり君が素敵な人だと分かった」
クリストファーの熱っぽい眼差しに、セシリアは目を見開いて戸惑う。
「あら、クリストファーったら」
微笑ましそうに侯爵夫人が笑うと、クリストファーが赤面する。
「おば様、彼女の心遣いを尊重しましょう。犯人を捜さなくとも、次は僕が守ってあげようと思うんです。今も馬車まで僕がエスコートしようと思います。それが紳士の役割でしょう?」
「そうね、紳士ね」
楽し気な二人は、アンジェリカがうつ向いたのに気付いていない。
会って間もないセシリアさえ分かったのに、アンジェリカが明らかにクリストファーに好意を持っている事を、本人が分かっていない。
どうしたらいいのか分からないまま、セシリアは注がれ続ける陰惨なアンジェリカの視線から逃れられなかった。