優しさの理由
怒涛の様な事件が立て続けに起きている。
執務も山積みなので本当はゆっくり休みたいくらいだが、今晩の夜会は外国からの貴族や大きな商会も招かれ、貴重な商談の為に誂えられた場なので欠席は出来ない。
例え交渉に至らなくても、情報収集や人脈作りに役立つのだ。
――夜会当日、気を引き締めて侍女達に髪を結ってもらい、ドレスを纏ったセシリアは、迎えに来てくれたシモンが待つ応接室へ向かって廊下を歩いていた。
急いで購入したドレスに不安があったが、問題なく着られてホッとした。
……それで気が緩んでいたのかもしれない。
ノックをして応接室の扉を開いたとたん、楽し気な笑い声が響き渡り、くったくない笑顔を見せあうシモンとアリアの仲睦まじい光景が飛び込んで来て、仕事で頭が一杯だったセシリアは、硬直してその場に立ち竦んだ。
「やあセシリア、今晩は」
「あっ、すみません、お姉様。シモン様がお待ちの間、お姉様の代わりにおもてなしをさせて頂いてました……!」
ソファに座り込んだままお互いに視線を交わし合って微笑む二人に、セシリアは喉の奥に何かが詰まった様に息苦しくなりながら、かろうじて「……そう」と声を絞り出した。
楽し気な空気に割り込む様で、部屋へ入るための一歩が踏み出しにくい。
直視するのがいたたまれずにそっと目を逸らすと、壁際で給仕をするために侍っていたメイドが、苦虫を噛み潰した顔でシモンとアリアを見ているのが分かった。
周囲からそんな目で見られているのに、アリアはともかくシモンは気付かないのだろうか。
それともアリアとの時間に夢中で、他人の視線はどうでもよくなっている?
どちらでも良いか、とセシリアはひっそり諦めの笑みを零した。
アリアの登場以前にも、シモンはパーティーでアンジェリカやルイーゼと多くの時間を過ごしていた。
胸を痛めて感傷に浸るのは、今更ではないか。
「じゃあ名残惜しいけど、アリア嬢、また後で連絡するよ。――さあ、セシリア。僕のお姫様。それでは夜会に出掛けようか」
ソファから立ち上がって、アリアに手を振った後、輝くような笑顔でシモンが立ち尽くしたままのセシリアの手を取る。
「……連絡?」シモンのセリフに引っ掛かりを覚えたセシリアは躊躇いを隠せずに、怪訝な表情でシモンを見上げた。シモンがセシリアに会いに来てアリアと話すのは仕方ないとして、個人的に連絡を取り合っていると言うのは初耳だ。
セシリアの複雑な胸中を察する事無く、シモンは悪びれずに「ああ」と無邪気に頷いた。
「聞いたよ。アリア嬢がセシリアのドレスに憧れてコッソリ着てしまって、ドレスを壊してしまったんだって? その気持ち理解できるよ、だってセシリアは綺麗だからね。だから、もうそういう事をしない様に、自分のお小遣いで買える可愛いワンピースが欲しいからお店を教えて欲しいって言われたんだ」
「……はい。私、心から反省しているんです。……けど、やっぱりお姉様みたいな綺麗な服に憧れてしまって。だから、お小遣いで買おうと思うんです」
両手を組んでソファから勢いよく立ち上がったアリアは、しおらしく項垂れて消え入りそうな声で説明した。
「ね。可哀想だから、僕が仕立て屋を紹介する事にしたんだ。幸いアカデミーで女の子達からお忍びで街に出る時に服を買う店を聞いた事があって、そこなら可愛くてお手頃な服が見つかるんじゃないかと思うんだ」
セシリアが絶句していると、セシリアについて来ていた侍女のニナが珍しく口を挟んだ。
「――失礼ですが、それはお店にご一緒に行かれると言う事ですか?」
普段は不敬に当たるため、主人たちの話に立ち入ることのないニナの険を含んだ発言に、シモンが目をぱちぱちさせる。
「え、ああ、そうだね。アリア嬢はドレスの事がよく分からないから選ぶのに助言が欲しいそうなんだ」
……何だそれは。
おかしな話に、室内で話を聞いていた使用人達は不快感も露わにアリアを凝視した。
そう言う事は同居する姉であるセシリアに相談するなり執事に相談するなりすればいいものを、何故セシリアの婚約者であるシモンに相談しているのだ?
しかも、当然のように一緒に出掛けようとするシモンの非常識さにも呆れる。
婚約者のいる身で、義妹とはいえ異性と二人きりで過ごす意味が分かっているのかと、このおかしな二人の言動に白い眼が向けられる。
「お姉様、ごめんなさい!いつも忙しそうなので、雑談ついでにシモン様にお話ししたの……そうしたら、親切にもお店を教えてくれるって事になって……」
「うん。セシリアは忙しいでしょう?だから僕の家の馬車で行って来るよ。セシリアにはお土産を買って来るからね」
セシリアとシモンはこの一年近く、夜会以外で私用で出掛けた事が無い。
だが、それを口に出しても仕方ないとセシリアは了承しかけた。――しかし、それを遮って、ニナが鋭い声でぴしゃりと二人に言い返した。
「ベルトラン伯爵令息。お言葉ですが、あなたの行動はとても婚約者のいる方のものとは思えません。婚約者以外の女性と二人きりで出掛けるですって?いくらセシリアお嬢様が優しいからと言って、非常識な行動は慎むべきです」
言われたシモンは面食らった様子で驚いていたが、もう一方のアリアは白けた様子でニナを見つめた。
「そう……かな?……じゃあ、セシリアも行こうよ!仲良く三人で出掛ければいい。僕も皆で一緒だと嬉しいからさ!」
手を打って、いい考えだ!と楽しそうに言う様に満面の笑みを浮かべたシモンに、その場にいた全員が言葉を失う。
誰が聞いてもアリアがシモンに好意を持っている事が明白なのに、アリアが取り付けたデートの約束を簡単に台無しにして、セシリアを引き込んだことが信じられない。
シモンに全く悪気が無い事は痛い程感じられるが、シモンの様に誰にでも優しいと言う事は、結局、誰の事も深く愛せていないと言う事なのかもしれない――――
夜会の前から疲労を感じつつ、セシリアは複雑な眼差しでアリアを見た。
傷ついたように眉を寄せるアリアはきっと、二人きりでデートに行く事を約束したシモンは自分に好意を持っているんだと確信していたのだろう。当てが外れてショックを隠しきれていない。
だが、3人でなんて嫌だ!と訴えられずに不満を燻らせている。
「―――お嬢様、そろそろお時間です」
やはり複雑そうな顔をしながらニナが出発を促す。
ハッとしたセシリアは、この件に関してこれ以上悩むのは止め、困惑したままシモンのエスコートを受け夜会へと向かったのだった。




