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もう一人の王子

 ーーーー王子と対峙したセシリアの動悸が激しくなる。


 ジリアン王子と近くで対面したのは、これが初めてだった。


 闇の中でさらに漆黒に塗りつぶされた髪。

 ガラスの様に感情の無い月の様な金色の瞳。


 思ったより痩せて、何を考えているか分からない無の表情。

 まるで幽霊の様に夜の空気に融けて、消えてなくなりそうだ。


 ……どうしよう、と怯えたセシリアにピクリと王子が反応する。


 直後に、セシリアはジリアン王子に腕を掴まれ、無言でその場から連れ去られていた。



 *



「ーーーー会場へ戻れ、セシリア・ハート伯爵令嬢」


 パーティ会場近くの廊下まで連れて来たジリアン王子は、脅すでもなく静かにセシリアを開放して告げた。ルシアーナの発言を聞いた事で、何かされるのではと怯えていたセシリアは拍子抜けして立ち尽くす。


「不思議そうだな。何かして欲しかったのか?」


 やはり感情がうかがえない顔で呟かれて、セシリアは急いで首を振って否定した。


「……いえ、とんでもありません。ただ、口止めされるだろうと思いーー」


 正直に言いかけ、セシリアはハッとして口元に手を当てた。

 これでは、権力か暴力かで脅されると思っていた、と言っているのと同じだ。

 ジリアン王子が寡黙なためか、つい余計なことを口走ってしまったーーセシリアは強張ったが、王子は軽く肩を竦めて淡々と言った。


「口止めが何になる。僕に対する噂がひとつ増えたところで、何も変わりはしない」


 乾いた口調の王子からは、悲しみも絶望も、心を動かす何もかもが抜け落ちた様だった。


 王子の態度を見ていて、セシリアの胸がちくりと痛む。

 彼の表情には見覚えがあるーーーーまるで、自分を鏡で見ている様だ。

 他人に疎まれることに慣れて、感情が死んでしまった感覚。

 ーーーージリアン王子と自分は似ているかもしれない、と不意に思う。

 


 無言になったセシリアに何を思ったのか、ジリアン王子はガラス玉の様な金色の瞳を向けた。


「ルシアーナの気持ちはルシアーナのものだ。僕には縛れない。形だけでも寄り添おうとしてくれる彼女の努力は分かっていた。だから僕は変わらない。ーー君がルシアーナの話を兄上にしようと構わないよ。ルシアーナと兄上とで婚約を結び直せば、彼女は幸せになれるかもしれないから」


 何故、アベル王子に話すと言うのだろうーーーー怪訝に思ったセシリアは、さっきの小芝居で、自分がアベル王子の友人と思われている事に気付いた。

 誤解だ。

 アベル王子はミラに興味があって、自分はついでくらいにしか思われていないはずだ。おまけの分際で、王族の友人になったと思い上がることなど出来ない。


「話したりしません。ジリアン殿下もお幸せになられるのであれば話しますが、そうでないなら忘れる事にします」


 ただでさえ孤独な彼から、婚約者を取り上げようとは思わない。

 本心で言ったのだが、それを聞いたジリアン王子が不思議そうに首を傾げた。


「ーーーー僕の幸せ?君は面白い事を言う。僕の婚約など、この国の派閥争いのパワーバランスを変動させるカードの一つとしか思わない者ばかりだ。君が今日知った情報は、アベル王子に形勢逆転させるジョーカーみたいな切り札になるはずだが」


 まるで後継者争いをゲームの様に語るジリアンは、心底理解できない、と言う風だった。


「僕の幸せが君に何をもたらすと言うんだ?兄上に報告したほうが利益になるのに。君はだいぶ変わっているな」


 言うだけ言うと、ジリアン王子はふい、と顔を背け、何事も無かったように歩き出す。


 その場に残されたセシリアは、淡々と暗い廊下の奥へと姿を消した彼の後ろ姿を、複雑な思いを抱えて見送った。


 *


 

  「ーーーーああ、こちらにいらしたんですか……!」


 背後から声を掛けられ、セシリアはビクッと飛び上がって振り向いた。


 会場へ続くランプの灯った廊下から正装に身を包んだマリウスが足早に駆けて来て、息を切らしながらセシリアの前で立ち止まる。

 まるで自分を捜してでもいたかのような様子に、何かあったのかとドキドキしながら「どうしました?」とセシリアは急いで答えた。


「……いえ、長時間会場にいらっしゃらなかったので、単に気になって……」

「トラブルがあったとか、そういった訳ではないのですね?」


 乱れた前髪をかき上げたマリウスが「ええ」と口ごもって、バツが悪そうにふいと横を向く。

 良かった、とホッと胸を撫で下ろしたセシリアは、そろそろ会場に戻らねばならないか、と苦笑した。


「お手を煩わせて申し訳ありません。あまりに人に取り囲まれて、息が詰まってしまって……今頃ミラがへとへとになっているかしら。一人で逃げて悪い事をしてしまいました」

「ミラ嬢に沢山の男性が群がって、アベル殿下のご機嫌が急降下しているんです。殿下が何かやらかさないうちに、ミラ嬢を保護して下さると助かります」


 真顔のマリウスに言われ、セシリアは吹き出しかけた。

 アベル王子は無邪気なだけに、突拍子の無い事をやらかす恐れがある。

 それが明るくて愛嬌にもなるのだが、側近のマリウスはハラハラし通しなのだろう。


「畏まりました。善処しますわ」


 笑いながら、マリウスと肩を並べて会場へ向かう。


 先日の大騒動から、マリウスはセシリアに気安く話しかけてくれるようになった。

 社交上の知人はいたが、アベル王子の様にぐいぐい距離を縮めてくる人はおらず、そのため数回しか会っていないのに、アベル王子やマリウスは他の知人たちより喋りやすい人達になっていた。



 会場に到着し、中へ入ると、華やかなオーケストラの音楽に包まれる。


「ーーセシリア嬢、僕にあなたとダンスをする栄誉を頂けますか?」


 すぐにミラを探さなくては、と辺りを見回したセシリアの手を取り、マリウスは手の甲に口付ける挨拶をして、呆気にとられるセシリアをダンスをする人々のフロアへ誘った。


「え?あの、マリウス様……⁈」


 戸惑うが、フロアは人目が集まる。

 ワルツの調べが始まり、何事も無い振りをして、お互い一礼した後、セシリアはなし崩し的にマリウスとのダンスタイムになだれ込んだ。


「ーーーー申し訳ありません。婚約者殿に睨まれずにダンスできる機会は、今回しかないかもしれないと思いまして」


 生真面目に断りを入れるマリウスの言葉に、セシリアはくすりと笑った。

 今日は婚約者のシモンがいないからーー瞳を伏せたセシリアの胸が少し痛む。

 それに気付いたマリウスは、ハッとした様子で謝罪した。


「またも失礼な事を申し上げました。ーーただ、あなたを放っておくシモンの気が知れませんよ。いつの間にか、婚約者が誰かに取られるかもしれないでしょう?」

「ーーご冗談がお好きですね。私に婚約を申し込む物好きはそうそうおりませんよ」


 セシリアは苦笑しつつ、事実を述べる。

 今は物珍しさで人は集まって来るだろうが、時間と共に潮が引く様にいなくなるだろう。

 大衆とはそういうものだ。

 だからセシリアは、おべっかや賛辞を真に受けずに粛々と受け流せばいい。


「いえ、表面でなく、きちんと向き合ったらあなたの価値が分かりますよ。……本当にこれまで、失礼な事を僕はあなたにしてしまった事を悔やんでいます。先日の件で自分の未熟さを思い知りました。僕には、あなたの様に何かを失ってまで人を助ける度胸などない…………身分や権威にあぐらをかいて誇っていたけれど、それらに見合うような何かを成したことも無い。全部が親や家門の七光で。恥ずかしいことに、初めてその事に気付かされたんです。あなたは、自分の力だけで何かを成し遂げられる人だ。周りが何を言おうと、その事を誇って下さい」


 マリウスが率直に語りかけてくれた言葉がストレートにセシリアの胸を射る。裏も表も無い。ただ思ったことを告げる正直な声だ。

 これまで受けた表面だけの賛辞ではなく、真摯な声音にセシリアの空色の瞳にじわりと涙が滲む。


「ーーありがとう、ございます……」



 泣くまいと気然と顔を上げ続けるセシリアの長い睫毛に光る涙の雫を見下ろし、か細く頼りない小さな手を握っているマリウスは、見惚れない様に、そっと視線を逸らした。


 ーーマリウスにとって、他人の美醜は価値がないものだった。

 と言うより、興味がない。時間と共に劣化し、顧みられなくなる程度の価値しかない。

 それよりも、誰もが跪く程の力を得る事しか必要だと思っていなかった。


 アベル王子の美貌は、周囲の支持を得るのに都合が良い。

 だがマリウスがアベル王子の側近になったのは、あらゆることに優れるその才能に心酔しての事だった。



 ーーーーこの前、父親からの迫害よりも領民の命が大事だと言い切ったセシリアに、初めて女性を綺麗だと思った。

 力も無く父親に棄てられた、憐れむべき少女という偏見が砕け散り、その小さな手でさらに弱い物を守ろうとする、踏みつけられても輝く、唯一無二の泥の中のダイヤモンドの様に眩い存在。


 ーーーーこんなのは自分らしくない。

  女性に心動かされるなんてらしくない。


 「…………今になって、クリストファーの気持ちが分かるとは…………」


 マリウスはセシリアに聞こえない程、小さな声で呟く。

 

 ーーーーこの気持ちが育たないうちに、握り潰して、無かった事にしなくては。

 幸い感情を悟られないようにするのは得意だ。



   ーーーーマリウスは振り切る様に、これが最初で最後のセシリアとのダンスだ、と自分に言い聞かせ、目を瞑った



 



 

 


 

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