公現祭舞踏会
王宮のダンスホールに、華やかに着飾った紳士淑女がさざめく。
あちこちで親しい者たちが集まり話に花を咲かせていたが、年明け初めのパーティーで人々の関心を攫っていたのは、数日前、新聞記事になった大々的な事件についての話題だった。
国民に人気のアベル王子の活躍と共に、事件の主役となった少女ーーーー
ちらちらと様子を窺う人々の視線の先に居るのは、ホールの端で目立たない様に壁際に立つ小さな少女ーーーーこれまでにも持ち上げられたり、見下されたり、複雑な立場に置かれ続けているたった7歳の少女に注がれていた。
「うっとおしいわね、些細な事で毎回掌をくるくる返す大衆の図太さには恐れ入るわ」
セシリアの前に立ちはだかり、皆の視線を遮っているミラが肩を竦める。
「ーーごめんなさい、ミラ。本当は欠席したかったんでしょう?」
セシリアが申し訳なく思って謝ると、ミラは「謝る事じゃないわ」と胸を張った。
「王子のエスコートが嫌だっただけで、セシリアと舞踏会に来るのは問題ないの。シモンが欠席したし、あの子の代わりよ。不甲斐ない弟が悪かったわね。けど、せっかく来たんだし、美味しいお料理でも食べて楽しみましょう!」
セシリアはミラの明るい言葉に元気づけられて微笑んだ。
ーーーーシモンとは先日からすれ違ったままになってしまっていて、それ以来顔を合わせていない。
実はセシリアは他の誰にも言わないうちに、真っ先にシモンへハート伯爵領の管理人達の不正を追及する件を相談していた。
どうしてもギリギリの生活で苦しんでいる領民達を見ぬ振りできず、彼が何か知恵を貸してくれるのではないかと衝動的に思っての事だった。
…………だが、シモンから帰って来たのは意外な言葉だった。
『セシリア、君が優しいのは分かってるよ。でも、危ない事に手を出しちゃダメだ。僕達はまだ小さいんだ。大人に任せるしかないんだよ』
慰める様に抱きしめられたが、セシリアは戸惑った。
ーーシモンが心配してくれているのは分かる。ーー分かるが、大人が何もしないから、領民達が飢えて限界の生活を強いられているのではないのか?
ちくちくと違和感が胸を刺し、焦燥に駆られるセシリアのこの感情と、シモンの言い分には遠い隔たりがあった。
『そのうち、君の父上も目が覚めるさ。だって、領主だもの。領民を守るのが役目だもの』
ーーそのうちとはいつの事なのだろう?
父親と言う役割も放棄した父に、領主としての自覚があるのかすら疑問なのに。
悠長に構えている間、切羽詰まった何人の領民が失われるのか分からないのに。
ーーああ、とセシリアは侘しさを感じた。
守られる事が当然の人間は、誰も救ってくれない絶望を知らず、生きるために足掻かなくてもいいのだ。
絶え間なく戦わなければ、明日の保証のない自分みたいな存在とは違うーーーー温かい家庭で、安寧に包まれた別世界の人ーーーーセシリアには眩しくて、羨ましい人。シモンの家族はセシリアの憧れだ。
アベル王子に協力してもらい、ハート男爵家に乗り込むのも、危険だとシモンは最後まで反対した。
そして今、世間の話題の中心にいるセシリアとパーティで目立つことに恐れをなして、シモンは欠席した。
ーーセシリアは、アベル王子やマリウスへ礼をするために舞踏会に参加していた。
協力者への礼儀として、王宮からの招待を欠席するわけにはいかない。
今日のパーティーの目玉は、アベル王子の活躍だろう。
その添え物として話を盛り上げるのがセシリアの今日の役目だ。
母親は既に知り合いに取り巻かれていて、ご機嫌でお喋りしている。
アベル王子を嫌がっているミラが参加してくれたのは予想外だったが、セシリアには心強く、有難い。
今日、お揃いのラベンダー色のドレスに身を包んでいる二人は、会場で非常に目立っていた。
儚げな美少女のセシリアと艶やかな美人のミラが並んだ姿は絵になり、本人たちが思うより人々の視線を惹いていたのだ。
ーー開会から暫くして、王族の入場となる。
ファンファーレの音と共に姿を現した国王を先頭にした王族に、会場は興奮に包まれた。
次々に参加者たちが王と王妃へ挨拶をするのだが、こぞってアベル王子を褒め称える声に国王は終始上機嫌で、珍しく饒舌に貴族達と会話を交わしている。
セシリアも母やミラ親子と共に御前へ進み出て挨拶をしたのだが、これまで見たことのない満面の笑みの王に迎えられ、大歓迎を受けたのだった。
「おお、そなたがアベルと共に領民を苦しめる管理人を成敗したセシリア嬢か。幼いながらも領民を思う心、その正義感、まことに次の領主に相応しい。将来が楽しみだな。そしてミラ嬢も活躍されたと聞いた。主人が捕まり、困惑する使用人達を慰めたとか。ハート伯爵夫人もベルトラン伯爵も、自慢の令嬢を持って幸せだな。アベル王子は優秀な友人を持ったものだ。これからも仲良くしてやってくれ」
恐縮して頷くのが精いっぱいのセシリア達の前で、今日一番のスポットライトを浴びているアベル王子が、王から一段後ろに控えていたのを一歩踏み出し、輝くような笑顔を浮かべる。
「父上の言う通り、セシリア嬢、ミラ嬢共にこれからも仲良くしてくれると嬉しい」
国王はアベル王子がミラに惚れてしまった事を知っているのか、冷や冷やしながらセシリアとミラは深々と頭を下げた。
「……もったいないお言葉、有難く存じます」
「それと父上、この二人にはもう一つ世話になっているのです。本当はまだ秘密にしようと思っていたのですが、今日の晴れ舞台にちょうどいいお披露目かと思い、持ってまいりました。実はこの度、ハート伯爵領を訪れた目的は、来月の母上の誕生日にベルトラン領でしか採れない、貴重なファイアオパールのジュエリーをあつらえる為だったのです。ハート領は繊細な宝石加工で有名ですから、ミラ嬢に頼んで良い石を選んでもらい、セシリア嬢に細工師を紹介してもらったんです。お陰で見事なジュエリーが出来上がりました。母上、少々早いですが、誕生日おめでとうございます。いつまでも美しい母上にピッタリのファイアオパールです」
ほう、と会場が揺れ、視線が一気にアベル王子に集中する。
ーーーー今回、裏でセシリアとアベル王子の愛人説が再燃しかけていたので、王子やマリウスの知恵を借りて一芝居打つことにしたのだ。
王子がハート領を訪れて不自然でない理由をこじつけたのだがーーーーアベル王子が、近衛騎士に持たせていた宝石箱を受け取り、開けたところで嫌な噂は霧散した。
ミラとセシリアが、急ぎ渾身の努力で探した超一級品のファイアオパールは、側妃様の黄金色の髪によく映える髪飾りだった。
太陽光を凝縮したような濃い蜜色の中に、赤や青、紫の遊色が踊る大ぶりなトリリアントカットのファイアオパールを、ガーランドを模した繊細な金細工、散りばめられた雫の様なクリスタルオパールと光り輝くメレダイヤが取り囲み、息を飲むほど素晴らしい。
見事なジュエリーに皆が魅入られる中、側妃は感激で胸がいっぱいになった様子で髪飾りを受け取った。
「まあ、何て綺麗なの……ありがとう、アベル。それにセシリア嬢とミラ嬢。言葉にならないほど感激したわ」
上気して薔薇色に頬を染める側妃の可憐さに、その場にいた人々が見惚れて溜息を吐く。
その美しさの前に、皆の脳内にあったセシリアが愛人だの何だのと言う下種な噂は塗り替えられ、麗しい美談にすり替わり、その場は賛辞で溢れ返った。
「側妃様に良くお似合いですわ……!」
「何と見事なオパールだ。細工も素晴らしい!」
「ーー父上、よろしければ、母上の髪につけて頂けませんか?」
目を細めて喜んでいる父親にアベル王子が提案すると、側妃を溺愛している国王が「そうだな」と表情を緩めて、慈愛に満ちた笑顔を愛する妻に向ける。
常に威厳のある国王の珍しく微笑ましい光景に、居並ぶ貴族たちもつられて微笑み、その日のパーティーは和やかな雰囲気に包まれたのだった。
*
「ーーーーあーあ、こんな事ならアベル王子と婚約するんだったわ」
「シッ……!姫様、お声が大きすぎます……!」
「だって、これじゃあ、いつもより酷いわ。今日の主役はアベル王子と側妃様で、王様もずっと側妃様達に付きっ切り。まるで正妃様とジリアン王子は見えていないみたいーーううん、みたいじゃなくて、幽霊みたいに見えてないのよ。会場の皆にも無視されてるのよーー本当に惨めだわ」
ミラともどもに男子達のダンス攻勢に捕まっていたセシリアは、隙を見てやっと会場から逃げ出し、中庭に逃げ込んだところで、同じく会場から逃げて来ていた正妃の王子、ジリアンの婚約者であるルシアーナ・ロイテスとかち合った。
明かりを灯していない中庭は暗く、入れば迷いそうだ。
だが、人が来ないなら好都合ーーと考えたのだが、同じ考えに至った先客が居たのだ。
月明りしか頼りにならない暗がりで、きれいに刈り込まれたコニファーに囲まれたガゼボがあり、そこにルシアーナとお付きの侍女がひっそりと人目を避けて佇んでおり、気付いたセシリアは急いで戻ろうとして、二人の切ない会話に胸を突かれて立ち止まった。
「……でも、ジリアン様は誠実な方ですよ。姫様の事も大切にして下さっています。アベル王子は華やかではありますが、飽きっぽい所があって、無神経に他人を傷つける所もあります。姫様には似合いません」
「分かっているわ」
涙で滲んだ声が、低く空気を震わせる。
「ーー父に命じられた政略結婚ですもの。国のために我慢するつもりよ。ーーでも、王に見捨てられた王子に嫁ぐなんて知らなかったの。この後はジリアン王子を慕う誠実な婚約者を演じるわーーだから、今だけ弱音を吐かせて頂戴……!」
声を殺して両手で顔を覆い、すすり泣くルシアーナの背に侍女がそっと手を回す。
「ーー姫様、いつかきっとご苦労が結ばれる日が来ますわ。神様は弱い者にこそ手を差し伸べて下さるはずですものーー」
根拠のない、儚い祈りである事は侍女も分かっているのだろう。
ただ泣きじゃくる姫をあやすため、呪文のように繰り返す。
ーーーールシアーナは小さな隣国の第二王女で、常にジリアン王子と仲睦まじい姿を見せていたので、相思相愛なのだと思っていた。
見てはいけないものを見た衝撃で口元を押さえながら、セシリアは見つからない様に踵を返した。
足早に遠ざかろうとして、数歩後方に佇んでいた人影に気付き、悲鳴を上げかけて慌てて飲み込む。
…………ルシアーナのあの話を他にも聞いていた者がいた、と青褪めたセシリアは、ぽつんと生垣の間で立ち尽くす人物の顔を認めて、心臓が止まりそうになった。
ーーーーーージリアン王子。
感情を伺わせない無表情でこちらを見るジリアン王子がそこに居て、雷に打たれたような衝撃を受けたセシリアは、その場から一歩も動けなくなっていた。




