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好きとは何か?

 「ほら、あれは東の国の、古代の王墓の埋葬品だよ。当時、宗教行事で使われていたもので、これ以外に翡翠の指輪と青銅の香炉、青銅の燭台も出土したんだ」


 鈍く光る黄金の杯と剣、そして首飾りがガラス越しに見え、セシリアは目を見張った。

 本で見たことはあるが、実物は想像以上に大きくて迫力があって感動する。

 しかし、驚くのは展示物を説明するジョアンの博識さだ。

 古代の遺物から異国の宗教、美術品、絵画まで網羅する知識に驚かされる。

 

 ーージョアン・マクレインに連れられて、セシリアは本日、歴史博物館に来ていた。


 今日は一日中ジョアンの授業になると聞いて、珍しいと思っていたら、彼がセシリアの母に課外授業を行う許可を取り付けたらしい。

「社交界で芸術や文化に疎いとバカにされてしまいますから」と言って、母を納得させたそうで、ジョアンにかかると気難しい母もジョアンのペースに巻き込まれてしまう。

 二人の後ろを黙って、お目付け役のハート家の中年のメイドがついてきているが、彼女もジョアンの解説を夢中になって聞いていて、まるで生徒が二人いる様だった。

 

 ジョアンにシモンとの婚約を報告したら、自分の事の様に喜んでくれて「お祝いしなきゃね!」と言っていたので、これがお祝いなのかもしれない。


 博物館に来たのが初めてのセシリアは、目に入る物全部が珍しく、ドキドキしながらジョアンに手を引かれて博物館のフロアを回っていた。


「セシリアは、好きな画家はいる?」


 ギャラリーコーナーに差し掛かったところでジョアンに質問され、セシリアは答えに詰まった。


「ええと……好き嫌いと言うか……有名な絵の解釈は説明できるんですけど……」


 好き嫌いを意識したことは無かった。

 単に、勉強の一環として見ていて、感情を差し挟むことは無かったのだ。

 

「本当に⁈好き嫌いをすっ飛ばして、解釈が説明できるの⁉そりゃ凄いなあ」


 ジョアンに驚かれて、セシリアは揶揄されたわけでもないのにドキリとした。

 一生懸命考えるが、絵画どころか食べ物や他の物についても"好き"が分からないかもしれない。

 だから人形の様だと言われるのだろうか?

 他の子達に言われる悪口を思い出すが、反論できない。


 ジョアンも他の人みたいにそう思っているのだろうかと沈み込んでいると、ジョアンが意外な事を言い出した。


「だよね、お屋敷の図書室を見ると、大人向けの本ばっかりなんだよね。絵本や童話がほとんど見当たらないし、娯楽系の小説はまるっきり無しだもん、子供には楽しくないよね」


 あはは、と明るく笑ったジョアンは、メイドに睨まれて、慌てて口を手で押さえた。


「い、いや、でも貴重な古書や有名どころの著作は揃ってるし、充実した良い図書室だよ!うん!」


 急いで取り繕って愛想笑いしたジョアンに、メイドが満足げに頷く。

 そこでようやくホッとした様子で、ジョアンは冷や汗を拭った後、気を取り直して歩き出しながら、セシリアに話しかけた。


「じゃあこの後、アカデミーや私立学園の学生たちがよく行くショップへ行こうか。博物館より、君には楽しいかもしれないよ?」


 ウインクしたジョアンに連れられ、セシリアは今度は博物館からほど近い、カフェが併設された雑貨店へ向かったのだった。


 *


 「うわあ……!」


 愛らしい花柄の便箋、ペンや日記帳、色とりどりのインク、キラキラしたガラス製のアクセサリーといったこまごまとした小物が並ぶ雑貨店に、セシリアは柄にもなく興奮して声を上げていた。

 買い物は屋敷に呼ぶ仕立て屋か行商からばかり。後は母が行く高級店へついて行くだけで、お小遣いで買えるくらいの手ごろなお店に来たのは初めてだった。


 年相応に瞳をキラキラさせて、様々な品物に目移りしているセシリアを、ジョアンは「やっぱり女の子だねえ」と微笑ましそうに眺めている。


 今ならセシリアに何が好きか尋ねれば、答えが返ってきそうだ。

 セシリアには圧倒的に子供らしい物が足りていない。

 ハート伯爵家のタウンハウスは、まるで子供がおらず、大人しか住んでいない様だ。

 全てが整然とし、重厚で高級品が揃っているが、逆に言えば重苦しく型にはめられていて、軽やかさや温かみ、愛らしいものに欠けている。

 それはそっくりそのまま、セシリアの精神状態にも反映されている様だった。


 メイドは苦虫を噛み潰した顔で「これは勉強ではないのでは……」と呟いていたが、ジョアンがしれっと「貨幣価値や、若年層の流行の推移を知ったりするのも同年代の社交では必要ですよ。それと学習で使う文具を買い足すのも自主性を養うのによろしいかと思います」と高説を垂れて、メイドが反論に詰まってグッと口を噤んだ。


 そんなやり取りがあった事に気付かず、セシリアはそわそわと店内を移動して、壁に貼られたグリーティングカードと刺繍の入ったハンカチを熱心に見ていた。


「セシリア嬢、気になる物がありましたか?」


 ジョアンが傍にやってきて、セシリアはええと……と少しためらってから、遠慮がちに口を開いた。


「このグリーティングカード、初めから詩が書かれているなと思ったんです。普通は無地のカードを買って、自分でメッセージや詩を書くでしょう?これだと、このカードを買ってすぐ出せるんですね」


 貴族社会では、様々なイベントでグリーティングカードを贈る。

 誕生日、お祝い、セントパトリックスデー、イースター、クリスマス等、必ず送る必需品だ。

 だからカードに字を書くのは結構な労力がかかる一大作業で、友人知人が多いと、カード書きで数日潰れる事もざらにある。

 最近は印刷技術も発達してきたが、カードは手書きが最上だと言われていて、高位貴族ほど手書きにこだわっている様だった。


「ああ、これは学生が書いたものを売っているんだよ」


 ジョアンがカードを指差して言う。


「ほら、これはテニスンの詩。こっちはシェイクスピア、こっちはブラックの詩だ。こういう気の利いた詩を探すのも時間がかかるからね。それで学生が素敵な詩を書いたりして売るんだ。詩が気に入って買うひともいれば、誰かに渡したくて買う人もいる。結構人気があってね、恋の詩なんかだと女子が感動して買う事が多いし、ラブレター代わりに男子が女子に渡すのに買ってくんだ。僕もよく書いて売ったよ。割といいお小遣い稼ぎになるんだよね」


「!……これ、アルバイトになるんですか?」


 セシリアが目を丸くすると、ジョアンが「そうなんだよ」と肯定する。


「こっちのハンカチも、刺繍をして売るんだ。貧乏学生には助かるバイトでね。クリスマスは書き入れ時だった。一か月で4ポンド儲かったこともあったな。懐かしいなあ」


 そんなに⁈とセシリアは驚いた。

 このお店のものなら、4ポンドあればたくさん買える。

 今は母親がセシリアにかかる費用の全てを管理していて、セシリアには自由に使えるお金はほとんどない。


 今日は母親から、外出するからと1ポンドをお小遣いとして持たされているが、買ったものは家に帰ったら母親にチェックされるのだろう。


 ーーーーもしかして、自分もここでカードや刺繍したハンカチを売れるかしら……?


 セシリアはそう考えながら、白紙のカードの束と綺麗な色のインクを数種類買った。


 ーーーー必死に練習して、流麗なカリグラフィが書けるようになったセシリアが母親に秘密でカードとハンカチを売り始めたのは、その三か月後の事。

 ほとんど家から出られないセシリアの、かけがえのない数少ない息抜きにそれらはなったのだったーー





 


*カリグラフィ : アート文字の事。文字を美しく見せる手法。


*セントパトリックスデー : 緑の日とも呼ばれる、キリスト教の宗教行事。主にアイルランドの行事。

              クローバーのモチーフや緑色を身に着けたりする。

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