母親の思惑
「おかあさま、手がいたいです」
小さなセシリアはバイオリンを支えていた腕をだらりと下げ、泣きべそをかいた。
「セシリア、まだ一時間しか経っていませんよ。ボーイングが甘くて音がかすれてるわ。姿勢も悪いし。まだ練習が必要よ」
今にも泣き出しそうなセシリアに溜息をついて、母である伯爵夫人は頭を振った。
だが、そんな二人のやり取りを見て、バイオリン講師のメルフィール夫人は、冷や汗をかきながら伯爵夫人へ進言した。
「伯爵夫人、まだセシリア様は小さくていらっしゃいます。指からも血がでていますし、今日はこれくらいにされた方が……」
「あらそう?仕方ないわね……まあ、今夜は夜会があるから、そろそろ準備もしなくてはいけないし、じゃあいいわ。それじゃあ、失礼するわ。メルフィール夫人ご苦労様」
さっさとソファから立ち上がった伯爵夫人は、そのまま部屋から退出した。
緊張していたメルフィール夫人が、はあ、と安堵の息を吐く。
「めるふぃーる夫人、ありがとうございました」
舌っ足らずなセシリアが、ぐいとまぶたを擦ってからぺこりと頭を下げる。
まだよろけるので淑女の礼ができないのだ。
泣くのを我慢して、気丈に顔を上げるセシリアにメルフィール夫人は微笑んで、バイオリンをケースに入れてあげた後、一緒にソファに座って、バイオリンの絃を押さえ過ぎて傷めた指へ、用意していた薬箱から出した塗り薬をぬってあげた。
「セシリア様は偉いですね。四歳なのに、たったひと月でカノンを通しで弾けるなんて、才能が有りますよ」
「そうですか?おかあさまは、まだまだダメっていいます。あんぷもできないし、音がとぶって。バイオリンだけでなくて、おべんきょうもダメなんだそうです。でもがんばります」
母親に言われたことを繰り返すセシリアに、メルフィール夫人は表情を曇らせた。
「セシリアさまは、とても頑張っていらっしゃいますよ。ご令息ならまだしも、ご令嬢にこんなに早くから家庭教師をたくさんつけるなんて、あまりない事なのに……それでも怠けず、一生懸命に勉強されてますもの。きっと、とても素敵なご令嬢に成長されますわ」
当時、まだ物心ついていなかったセシリアは、不憫がられている事に気付かず、うん!と頷いた。
「かんぺきなご令嬢になりなさいって、おかあさまがいってました。かんぺきなご令嬢になります」
たった四歳にして、朝から晩まで家庭教師をつけられたセシリアは、よく分からないながらも、頑張ったら母親と父親に褒めてもらえると思って頑張ったのだ。
だが、あれは後日、父親の不貞で相手に子供が出来たのに焦った母親が、セシリアの将来を危ぶんで施した教育だったと知った。
セシリアは褒められるのを待ち続けていたが、父親は愛人宅へ入り浸り、母親は遊び歩くのに夢中で、結局セシリアは顧みられることなく、ただ厳しい教育に耐えた。
だが、教育は無駄ではなく、セシリアは令嬢の模範と呼ばれるほど、美しく賢く成長した。




