父親と花束
何気なく進行方向を見た時だ。
ドア部分に見覚えのある家門が飾られている馬車が目に飛び込んで来て、セシリアは、思わず「あっ」と声を出していた。
急いで口を閉じるが、母親に気付かれる。
「どうしたの?なにか珍しい物でもあった?」
楽し気に窓を覗き込んだ母を止めようとするが遅かった。
一瞬で笑顔を消した母が「止まりなさい!」と御者へ怒鳴る。
慌てた御者が馬の手綱を弾いてスピードを緩め、ガタギシと車輪を軋ませ、馬車は止まった。
「お母様……!」
乱暴にドアを開けた母親が、セシリアの制止を振り払って外へ飛び出す。
通りの人々が母の勢いに驚いて立ち止まる中、母は先程見つけた、我が家の家紋付きの馬車が停車していたすぐそばにある、路上の花屋へズカズカと一直線に向かって行った。
「あら、偶然ですこと。ごきげんよう、旦那様」
嫌味なほど丁寧な口調で母親が声を掛けると、花屋にいた彼女の夫ーーセシリアの父親が、嫌そうに眉間に皺を寄せた。
ーー父親が、すぐそこにいる。
セシリアは馬車から降りずに、窓に張り付いて、久しぶりに見る父親の姿を食い入るように見つめた。
父の姿を見るのは三週間ぶりだ。
愛人の家へ入り浸っている父は、王宮に出仕してはいるが、領地経営を放置してしまっている。
タウンハウスに総差配人から送られてくる手紙が溜まり続けており、母が代理で返答している有様だ。
各地の管理人の一部に悪い噂があり、相談があると言うのに無視している。
恐らく父の中で領民はどうでもいい存在なのだろう。セシリアと同じくらいに。
彼はセシリアをいないものとして扱うから、恋しくても近付けない。
我慢して見ていると、セシリアとよく似たゼニスブルーの目をすがめて父が母に言った。
「何の用だ。要件だけ言って、さっさと帰ってくれ。私は忙しい」
あからさまに邪険な態度をとる父に、母は神経を逆なでられた様だった。
「忙しいですって。家の仕事は放置してますのに、おかしいわね?暇で暇でたまらないの間違いでしょう?暇つぶしに下賤な女の所へ寄っているくせに、少しは領主の仕事を真面目にして欲しいものだわ。子供でもあるまいし責任を負った大人の自覚を持ったらどうなの?」
「……領地経営は総差配人に任せてある。屋敷内の事は執事がいるだろう」
顔をそむけた父の顔には、無関心と書いてある。
「邪魔しないでくれ。ああ、そこの黄色いマーガレットを花束にしてくれ」
かまわず花屋から花束を受け取る父に、母が顔を引きつらせた。
「リチャード、何て噂されているかご存じ?下町に住み着く下町伯爵よ。笑い者にされてる自覚はおあり?洗濯女の高貴なる旦那ですってよ。歴史ある伯爵家の恥さらしだわ。いい加減にして」
「……いつも見栄と金の事ばかりだな。ああ、領地収入は好きにしていい。領地経営も任せる。だから今後、私のことは構わないでくれ。君たちは伯爵家の一員だろうが、私の家族じゃない。帰りたい家があるんだ。早く家に帰らせてくれ。妻と子供が待ってる」
父の目は母を見ていない。
花束を抱いた父の腕には、ぬいぐるみも大切そうに抱かれているのに気付いた。
「あなたの本当の家族は私達なのよ……!」
怒りに震える母の声は父に届かない。
母の存在を忘れたように、父が馬車に乗り込む。
そして我が家とは反対方向へ走り去る。
お母様、お母様も悲しいよね。
私もとても悲しい。
…………………お父様、私、先月誕生日だったの…………
…………誰にも覚えてもらってなかったけれど……………………
ぬいぐるみが欲しいわけではない
けれど、自分がいらない子みたいで苦しいーーーーーー




