猫の世界へ
今回紡がれる物語は、これから広がる様々な猫の物語の始まりのお話
―なぁ、こんな噂は知っているか?
人は絶対に立ち入れないと言われている、いろんな猫であふれる谷の噂を…
・・・・・・・・・
酔っ払いから聞いた噂一つでこんなところまで来てしまった。
飲みの席で自分は旅が好きだとつい言ってしまったばかりに会社の仲間に写真を見せろと言われ、無いなら今度撮って来てとお願いされて、断り切れなかったのだ。
今いるのは、噂の谷があると言われる森の中だ。自棄になりがむしゃらに突き進んで来てしまった為、左右どころか前も後ろも分からなくなってしまった。途方に暮れていると、足元をするりと何かが通った気がした…。
慌てて辺りを見回すとそこには、白黒模様をした一匹の猫がいた。
どうしてこんなところに猫が?
そんな疑問を思い浮かべていたら、その猫は一度こちらを見るとスタスタと森の奥に進んで行った。もしかしたらあの猫は噂の谷に行こうとしているのではないか…、帰り道が分からない今、あの猫について行かないという選択肢は自分の中には無かった。
ガサガサと音を立てながら歩く、どんどん辺りが暗くなっていく気がしたが、自分には立ち止まることなんて出来なかった。目の前を進む猫はこちらを一切気にせずに森の奥へと進んで行く。
どれくらい歩いたかは忘れたが、奥に行くにつれだんだんと道が歩きやすくなる。突然、目の前に一筋の光が差し込んだ。猫はその光に向かって走り出し、自分もその後を慌てて追いかける。すると、辺り一面光に包まれた…、森を抜けたのだ。
森を抜けるとそこには大きな谷があり、その縁にあの猫がちょこんと座り、谷の底を覗いていた。猫に近づくと、猫はちらりとこちらを見た。自分はドキリとし体が固まる。
そんな自分を気にすることなく猫は、谷の中へと飛び込んだ。慌てて谷の縁に近づき、底を覗き込んだ。猫は崖のくぼみを利用し、ぴょんぴょんと飛んで底へと向かっていく。猫が無事だったことに安堵し、ほっと息をついた。
改めて崖の方を見ると白黒の猫が使っていたくぼみでは少し頼りないが、他にいくつかくぼみがあり、うまく利用すれば自分も降りられるかもしれないと思った。ここまで来てしまった意地とあの噂は本当なのではないかという好奇心が勝ち、自分は谷の底へと向かったのだった。
やっとの思いで谷の底に着き、振り返ると見渡す限りにいろんな猫がいた。あの噂は本当だったのだ。確かにこの光景を見ると猫の谷というには丁度いいだろう。ふと、足元を見ると一本の扇子が落ちているのに気が付いた。猫しかいないと言われているこの場所になぜ扇子が落ちているのだろうか…。なんとなく、藍色をした扇子を拾い、広げてみる…。
そこには、一匹の白猫と対になるように月が描かれていた。その扇子を目の前に持ち上げ、じっくりと見る。シンプルなのにどこか見入ってしまう…。これは持っていたいとそう思えた。扇子をぱたりと閉じ、扇子が遮っていた景色を再び見ると…
「…え?」
そこは、さっきまで見ていた景色と同じ場所だとは思えなかった。けれど、自分は一歩も動いてないし、それを証明するように周りにはたくさんの猫がいる。だが、崖だったはずの場所には、建物のようなものが並び、谷の底で少し暗かったはずのところには、所々にあるランタンの灯で当たり一面明るく照らされていた。
猫たちもさっきまでいたような普通の猫もいるが、自分よりも大きい猫や二足歩行で歩く猫、はてにはどこかで見たような尻尾が燃えている猫までいた。
そんないろんな猫が当たり前のように街を歩いている。さっきまでは、絶対になかった光景が目の前に広がっている。戸惑いながらも突然現れた猫だらけの道を歩き始めた。どこもかしこも猫だらけで現実とは疑いたくなる光景が広がる…。
「こんなところまで付いてくるなんて」
突然下から声が聞こえ、足を止めた。下を見るとそこには、森の中で出会い、この谷まで自分が追いかけて来た白黒の猫がそこにいた。少し呆れているような、けれどどこか期待があるような表情をしている。白黒の猫も当たり前のように二足歩行で立ち喋っていた。
「まぁ、せっかく来たんだからここのボスに挨拶していきな。
案内はしてあげるから」
白黒の猫は素っ気ない態度で言う。だが、どうやらここの主的な方の場所へ案内してくれるらしい。本当はボスの元への案内なんて断る方がいいかもしれないが勝手に入ってきてしまったのに主にも挨拶をしないのも如何なものかと考えている間に、白黒の猫は少し先まで進んで行った。その後を慌てて追いかける。
どんどん街の中心に行くと宮殿のような建物が見えてきた。宮殿に入ると内装に驚きつつも、白黒の猫の後を追う。大きな扉の前まで行くと扉はゆっくりと開いていった。中に入ると一番奥にいた大きな影がこちらに気づき動く。そこにいたのは大きなヨボヨボの爺さん猫だった。大きな爺さん猫がゆっくりとした動きで自分たちの前に立った。
「お客人、どうしてこのような場所に?」
自分よりはるかに大きい爺さん猫を目の前にし、驚きを隠せない。けれど、何故かぽつり、ぽつりと自分の事情を話していた。本当は人付き合いが得意ではないことや、今やっている仕事は好きでやっているわけじゃないこと、ただそれは周りにとって当たり前で自分のやりたいことではないことも合わせなければ浮いてしまうことなどを伝えた。頭の中では猫に話して何になる、結局ここから出たら、また同じ生活を繰り返していくだけだろうとぐるぐると考えてしまう。だが、口は止まらない。ついでとばかりに目には涙がたまり、頬をつたって落ちていく…。
「お主には、人間は向いていないな」
一通り話し終えたら、目の前で爺さん猫がそう言った。その言葉に思わず、下がっていた頭を上げた。
「えっ」
驚きを隠さない漏れた声が出た。だが、その声に気にも留めずに目の前の爺さん猫はその大きな肉球を合わせる。ポンっと音が鳴ったと同時に辺りは煙に包まれた。ようやく煙が消えたころ、先ほどの目線より高さが低いことに気が付いた。下を向くと、自分の手が毛むくじゃらで手のひらには肉球がついていた。その時には、手に持っていたはずの扇子もいつの間にか消えていた。戸惑っていると白黒の猫が鏡を差し出た。
その鏡に写っていたのは、見覚えのある顔ではなく一匹の白猫の姿だった。それはまるで扇子に描かれていたあの白猫のようだ。右を向くと、鏡の中の猫も右を向いた。夢の中だと思い、自分の頬をつねる。痛い…。これはもしかして自分なのかと驚きを隠せないまま呆然と立ち尽くしていると、目の前の爺さん猫が微笑みかける。
「新しく生まれ変わったのだ、この街で自由に過ごしたらいいさ
好きなだけ寝てもいい、夢を見つけるでもいい、それを求めて行動してもいい
自分の物語を改めて紡ぐといいさ」
「えっ…、突然そんな事を言われても…」
突然の自由に戸惑う自分がいた。
いきなり自由にしていいなんて言われてもどうすればいいかわからない。
「じゃあ、まずは自由に生きたここにいる先住猫たちのお話を聞かせてあげよう」
そして、爺さん猫はゆったりとした声で様々な物語を話し始めた。
これから話されるお話を時間があるときぜひ、覗いてみてください
貴方が望むお話があるかもしれません