第八話 魔法少女になる覚悟
「『お客様の中に魔法少女の方はいらっしゃいますか』を実際に聞くことになるとは思わなかった……」
空間そのものに発生した亀裂。それが何なのか理解した結芽は即座に逃げに出た。
生身の人間には黒奴を殺すことはもちろん、傷つけることさえもかなわない。逃げるか蹲って祈るしかないのであれば、せめて生存率の高い方を試すべきだと判断したのだ。
だが黒奴は思っていたよりもずっと早く現れた。
状況を理解しきれないブチカを小脇に抱え、持てる限りの力でその場を飛び出したにしても、それは遅すぎたのだ。
まあ、結芽が行動を起こすには既に遅かったものの、魔法少女が駆け付けるのは早かったのだが。
驚いたことに、客の中に魔法少女が紛れていたらしい。
そういう専用魔術なのか、分身を大量に生成して突っ込んでくるアジ・黒奴の攻撃を躱すのには苦労したが、魔法少女はそこそこ戦える方だったのか、結芽も千風も無傷で生還できた。
「あの人は店内で変身したことになるけど……防犯カメラ越しでも認識阻害はちゃんと働くんだっけ? カメラの映像は押収されるって聞いたけど」
魔法少女は店内の防犯カメラが思いっきり配置されている場所で変身していたが、認識阻害は肉眼でちゃんと変身するところを見届けないと一般人には破れないようにできている。
結芽の中でドールと美音が未だに結びつかないのはそのためだ。
一応、映像で確認することで美音がいた場所にドールが現れたということは認識できるのだが、魔法と言うのはわけがわからないものなのだ。
「……」
「……えっと……お、お店の方の被害、そんなに無くて良かったね。居合わせた人、結構実力者だったみたいだし」
「……ごめんね、気を遣わせてしまって」
無事に生還したのに、千風はずっと暗い顔のままだった。
今日一日で精神的な空気の入れ替えを終えられたと思った矢先にこれだ。
確かに、戦うこともできずに一般人でしかない結芽の小脇に抱えられて黒奴から逃げていたことについては言い逃れのできない事実だ。
その姿を魔法少女としてどう思うか聞けば、十人中十人が恥ずべきことと答えることだろう。
結芽からしてみれば、自分に厳しすぎないかと言いたくなるような思考だったが。
「……あの時の私の中に、変身するという選択肢は無かった。……実を言うと、裂け目が発生したのは魔力を感じたから気づいていたんだ。でも、それを知らせることもできなかった……」
施設を出た近くで見つけた公園のベンチでうなだれる千風。
トラウマをそう簡単に克服できるのならそう苦労はないと思うのだが、今回の件は屋内だったこともあり、黒奴の攻撃で崩れた建物の天井の瓦礫で怪我をした人が数人いた。
責任感というか、正義感というか、やはり考えすぎな気もするが、結芽は生きてて良かったというだけで思考を止めているのに対し、どうにも自分を責めずにいられないらしい。
一対一が二対一になったところで、仲間や敵との相性次第ではむしろ足手まといにしかなれない気もするし、これまで戦う覚悟ができずにいたのにいきなり変身しても何もできないと思うのだが。
「あまつさえ、君に抱えられいる間、私は安心していた……! 君がどんな思いで黒奴の攻撃を躱し、私を助けようとしていたかも考えずに……!!」
「パルクールごっこしてる時みたいな気分だったとは言えないなぁ……」
隣に座り、抱き寄せて頭を撫でて宥めようとしてみるが、かえって逆効果のようだった。
すすり泣く千風にハンカチを渡し、どういったことを伝えるべきかと結芽は考えた。
「……でもブチカ、私としては、ブチカには変身してほしくないかな」
「……頼りないから?」
「違う、友達だから。……誰だって、友達を戦場に送り出したくなんてないよ」
結芽はポケットから、今日撮ったプリクラの写真を取り出し、何枚かを千風に渡す。
分け合おうとしていたところに黒奴が現れただけだったので、単に予定通りに分け合っただけになるのだが、受け取ろうとする千風の手を掴んで言った。
「変身するなら、これを捨てる覚悟をして欲しいな。過去を、思い出を、大事なものを投げ捨てる覚悟を」
「……っ」
万力のような力強さで握られた手。
痛みは感じないように調整されていたが、その手を境に線引きがなされているようであった。
魔法少女になるか、ならないか。過去を捨てるか、捨てないか。
泣き腫らした千風の目の辺りをそっと撫でて、結芽は微笑んだ。生憎と、悪魔のような笑みだったが。
「変身することが過去を捨てて戦うことだとは言わないよ。でも、魔法少女になるって、そう簡単に決めてほしくない。もう同じ日々は戻ってこないってことだから。……それに、時代が違うんだよ。ブチカは選べるの」
姉の舞が魔法少女になったのは、舞の意思ではない。
最初の黒奴が現れ、魔力が発育途中の女子によく馴染む性質があると判明し、自衛隊が壊滅状態になった後、検査の後に半ば徴兵のような形で戦線に立たされたのだ。
一応報酬のようなものは出たが、ほとんどボランティアのような形でもあった。
しかし時代は変わり、魔法少女は仕事として辛うじて成立するようになり、死亡率や諸々の事情は改善されている。
戦わないことを選ぶことだって、できるのだ。
「私は……私は……どうしたら……」
「答えを出すのは私じゃないよ。……私からは何も言えない。強いて言うなら、魔法少女の死亡率は言うほど高くもないってくらい」
「……」
「…………選ぶのはいつでもいいけど、選ばないことはできないことだからね」
その後は一言も交わさずに二人は電車に乗り、そのまま何も言わずに別れた。
日曜日の夜中に、Iineで明日は一緒に登校できないと千風から連絡が入っていた。
美音の方は特に何事もないようで、千風抜きの二人で登校することとなった。
いつも通りの時間に教室に到着すると、まだ伊呂波くらいしかいなかった。
「君ら二人だけとはまた珍しい……麻布は風邪か何かか?」
「何か忙しい……のかな? 休むわけじゃないみたいだけど、一緒には登校できないって言われてさ」
「アタシも同じね。何か隠し事……ちょっ、その目やめてよ。分かってるわよ、アタシに言えたことじゃないってことくらい……」
美音の様子は、休日を挟んだことで多少は休めたのか少しはマシになっていたものの、まだまだ本調子とは言い難い感じだった。
先週は色々試したが、結局こちらからは何もできないので、その話は適当に流してひとまず眠そうな美音を机で寝かしつける。
伊呂波と二人で適当に世間話をしているうちに鈴乃や桔梗も登校してくるが、千風は来ない。
そんなに忙しかったのか何なのか、千風が登校してきたのはチャイムが鳴るギリギリのことだった。走って来たのか、息を切らしている。
先生も少し遅れて来たうえに息を切らしていたので、おそらく二人で何かしていたのだろう。問い詰めても答えないと思われるので何も聞かないが。
授業中も、昼休みも、どこかへ行ったり変わった行動をしたりはせず、ただ少し一緒に登校できなかっただけかのように千風は振る舞っていた。
変わったことと言えば、昼休みに他クラスから結芽を生徒会の勧誘に来ていた正木 紬義が美音と千風にまで勧誘していたくらいだ。
伊呂波がすぐに追い払ったものの、二人が隠していることを知っている側からすれば、あからさますぎる行動だ。
生徒会が何を企んでいるかは分からないが、ロクでもないのは確かだろう。……紬義は何も知らなそうだったが。
「で、今朝は何で遅れたのよ。教室じゃないんだし、アタシら二人にくらい教えてくれてもいいんじゃないの?」
「少し寝坊してね……」
「嘘おっしゃい! なら何で昨日の夜中に連絡入れてんのよ!」
「途中で転んでね……」
「嘘おっしゃい!!」
帰りは特に何もないとのことで、千風は美音に問い詰められていた。
教室ではあまり大っぴらにできる話ではないということで貫き通すことでクラスメイトを黙らせていたのだが、大っぴらにしないからいいだろうと言う美音に対しても千風は適当なことを言って言い逃れようとしていた。
前日の夜中に入っていた連絡というのが気掛かりなのか、せめてなぜその時間から遅刻することを予期していたのか聞こうとする美音だったが、それも千風は答えない。
「美音、単に話したくないってだけで、そう問い詰めるほどのことでもないのかもだよ? それに、いくら仲がいいからってお互いのことを何でも知ってるわけじゃないんだからさ」
「……何よ。……昨日も一昨日も二人だけでお出かけなんてしたくせに」
「待って何で知ってるの??」
慌てて家を出る千風を見かけて、暇だったので追いかけてみたからだと答える美音。ストーカーか何かかと質問してしまった結芽は何も間違っていないはず。返答は拳だったが。
結局、美音が千風の事情を聞き出せないうちに結芽は家まで着いてしまい、そこで解散……となるはずだったのだが、美音は突然携帯を取り出したかと思うと、何やら急いだ様子で来た道の方へ体を向けた。
「あー、えっと、その、忘れ物思い出したわ! チカは先に帰ってて! 結芽はまた明日!!」
そう言うや否や、美音は走って行ってしまった。
その速さは結芽視点で見れば不自然なほどに速い。明らかにあの肉体から出せる出力ではない。
美音の様子はあからさますぎて、千風がこちらに向けた携帯の画面に表示された文字を読んでも、そこまで驚くことはなかった。
黒奴の出現情報。それもちょうど、美音が走って行った方角に現れたという情報だ。
「協会に所属する魔法少女の受けられる恩恵の一つさ」
千風が見せてきたのは、どうやら協会所属の魔法少女に配布されるアプリらしく、最新の黒奴出現情報をどこよりも正確に教えてくれるというものらしい。
魔法少女についての情報や現在のチームについて、他にも色々調べられるとのことだが、協会には確か「電算機」の魔法少女がいたはず。
公式サイトの運営だけでなくアプリの管理まで同時にできるものなのかは疑問なところだが、連絡ツールとしての機能に関しては会話内容を記録されていそうだなと結芽は思った。
「……ねえ」
「何かな?」
「これ、私生きて帰れる?」
結芽と千風は走って行った美音の後を追い、警報が響く中シェルターとは全く別の方向へ走って行った。
当然、行先は美音と黒奴が戦っている現場だ。
千風についてこいと言われてしまい、振りほどくこともできたがそうする気にはなれず、結芽も瓦礫が散乱する町まで来てしまっていた。
割と近くから何かが殴り合うような音や吹き飛ぶ音が聞こえ、結芽は気が気でなかった。
魔力には魔力でしか干渉できない。
詳しいことは分からないらしいが、とにかく魔力はこの世界のどんなものよりも優先度のようなものが高いらしいのだ。
例え近くに数千度の炎があっても魔法で生成された氷が溶けることはなく、魔力を纏った黒奴を燃やすことはできないというのだ。理不尽が過ぎる。
最近はやたらとこういうことに巻き込まれるなと、結芽は内心でため息をついた。
もちろん、美音も千風も放っておけないのはそうなのだが。
「……」
「……聞くだけ? 見るだけ?」
「……ここまで来たのに戦わないのか、とかは言わないんだね」
「言ってやってもいいんだよ??」
こそこそと移動していくと、少し距離があるが魔法少女の姿が見えた。
以前も見たような、明らかに戦闘には向かないフランス人形などが着ているようなフリフリのドレス姿だ。
しかし一人で黒奴を相手取るのは厳しいのか、所々破かれたり千切れたりしている。きわどい。
専用魔法は糸を操るものなのか、指先から伸ばした糸で近くの電信柱や木を持ち上げて振り回している。
黒奴の冠は灰色。一人では危険だとしても、二人いれば安心して立ち回れる。
千風の足は、ずっと震えていたが。
「……千風、無理に自分を追い詰めて結論を急ごうとしてるなら、強引にでも連れ帰るけど」
「……」
「……あぁ、そう……もう決めてたんだ。思ってたより早かったね」
そう言って千風の方を見た結芽だったが、かけるべき言葉が違ったなとすぐに理解した。
黒奴を見据えるその目に、恐怖など欠片も無かったためだ。
恐怖を乗り越えたのかと言えばそれも少し違うのかもしれなかったが、その目には恐怖を超えた覚悟を見て取れた。
「じゃあ、まぁ、聞くまでもないと思うけど、最後に聞いておくよ」
結芽は鞄につけているキーホルダーを外す。
百合の花を模した見た目のそれは、実はキーホルダーではない。よく見れば、引っ張れそうなパーツと音が鳴る仕組みと電池を入れる場所がある。
これはキーホルダーではなく、防犯ブザーだ。
舞がいざという時のために結芽に持たせている、鳴らしてから1秒以内に助けに行く防犯ブザーだ。
「これを鳴らすとお姉ちゃんが来る。……あ、お姉ちゃんが魔法少女なんだ、私。何の魔法少女かは言えないけど、実力は保証する」
「……大丈夫だよ。楽な道に逃げるほど、甘い覚悟はしていないつもりさ」
風が吹いた。
瓦礫や、砂埃や、煤の臭いがそれに乗せられて飛んできた。
「もう二度と、あの人の泣く姿なんて見たくない。美音の苦しむ姿を見たくない。君に、そんな顔をさせたくない。……あの日のように見ていることしかできないなんて、もう嫌なんだ」
千風の足の震えは、気づけばなくなっていた。
その手には、いつも首から下げているハンディファンが握られている。
何となく予想はしていたが、まさか本当にそれがモチーフだとは。
覚悟は確認できた。これ以上は何もせずとも、勝手に千風の方で全て解決してくれそうだ。
「……本当に大丈夫そうだね」
「え、どこに行くんだい?」
「どこって……変身するとこは見ちゃダメじゃないの?」
千風はもう大丈夫そうだったので、早い所ここを離れようとしていた結芽だったが、どういうわけか千風に呼び止められてしまった。
認識阻害は一度突破できてしまうと、その人の認識阻害は効かないようになってしまう。
舞の変身する姿は見たことがあったのでリリィと舞が結びつくようになっているが、千風でそれが起きると不都合かと思っての行動だった。
しかし、千風は完全に予想外の言葉を言った。
「あー……その、見ていてくれないかな。できれば」
「えっ」
「結芽さんには、見届けて欲しいんだ。私の戦いを。私の覚悟を。危険なのは……その、頑張って守るようにするから」
危ないから嫌だというよりも、変身するところを見てはいけないと思ったので、結芽はここから離れようとしていた。
だがどうやら、千風は見届けて欲しいのだとか。
「……人は、人の間にいるから人間なんだ。魔法少女になるということは、人の間を離れることになる。……だから、お願いしたい。私が人間でいられているか、見ていて欲しい」
「……分かった。分かったけど……それって誰かの言葉?」
「アプリの利用規約に書いてあった」
「利用規約に……?」
よく分からなかったが、千風は既に立ち上がり、ハンディファンを構えていた。
そして、ファンのスイッチを入れると同時に叫んだ。
「……前に進む時が来たんだ……! 変身!」