第七話 精神的な空気の入れ替え
「生徒会かぁ……」
「そもそも、何でお姉ちゃんはワルプルギスとかいうのに恨まれてるの?」
翌日の朝。千風とは昼からまた駅前集合で遊びに行く予定だったが、それまでは特にすることもなく夜中のうちに帰ってきていた舞と話していた。
会話の内容は、ついこの間声をかけてきた生徒会の連中についてというものから発展して、ワルプルギスと百合園についてになっていた。
「うーん、えっとね、恨まれてるって表現はちょっと違う……かも? あくまで百合園の方針とワルプルギスの方針の違いが大きくて……」
チーム百合園の基本方針は、魔法少女としての使命と責務の全うだ。
つまり、協会にちゃんと従って黒奴を倒そうというものである。
一方のチームワルプルギスは、魔法少女の自由と権利を掲げる集団だ。
黒奴と戦うことだけではなく、ちゃんと休んだり青春したりする権利を求めるというものである。
魔法少女という存在自体が希少である以上は戦闘が半ば義務になってしまうのは致し方ないことと言える。
そりゃあ権利を主張する人たちも現れるだろうし、あまりそういう意見は弾圧できないものだろう。
だが、それだからといって敵対しているのはおかしくないだろうか。
ワルプルギスが自由を主張するなら、百合園が戦っているのを横目にお茶会でもしていればいいものを。
「……その、ね? チーム制ができてから結構経っちゃったものだから、実を言うとそういう基本方針とかって皆ほとんど忘れてきちゃってるんだ……」
「……もしかして、単純に毛嫌いされてる感じだったりするの?」
「……うん」
最初は方針の違いで仲違いしていたものが、いつの間にか互いに嫌い合っていたということだろうか。
黒奴と戦うだけでも十二分に疲れることのはずなのに、一般人を守り切らなければあれこれ言われるうえに、仲間内にも敵がいる。
それは一体どんな地獄だと、結芽は魔法少女の置かれている環境について思った。
舞のように強ければどうとでもなるものかもしれないが、人によってはそういう人間関係のいざこざで魔法少女を辞めるケースも少なくないのではないだろうか。
「それにしたって、結芽ちゃんから魔法少女について聞いてくるなんて珍しいね。……先生の妹さんのことは、そこまで気負わなくてもいいと思うよ? 魔法少女は基本的に集団で戦うものだから、一人になることはそうそうないよ」
灰冠は魔法少女一人でも何とかなる程度。
銅冠は一人だと少し危ない程度。
銀冠は複数人で挑むことが前提になる程度。
金冠はお祈り。
黒奴の強さを魔法少女で言うと、このような図式になる。
一般的な魔法少女を基準とすると、黒奴はあまりに強すぎるのだ。
灰冠だからといって一人で舐めてかかっていい相手ではないし、相性によっては普通に殺される。
黒奴も魔法少女と同じように、専用魔術と呼ばれる特殊な魔法を使ってくるのだ。授業で習った。
人が使うのが魔法で、黒奴が使うのが魔術だとも習った。
「……でも美音、あれからちょっとずつ調子下げてるみたいで……」
「……まぁ、結芽ちゃんの好きにしたらいいと思うよ。後悔してからじゃ遅いからね」
相性不利でも戦えるようにするために、魔法少女は一人ではなくそれぞれの弱点を補い合うような構成で、複数人で黒奴に挑む。確かに一人になることはそうそうなさそうな気がする。
しかし美音の調子はここのところ下がりっぱなしだ。
チームを組めずにいるのか、それとも組まずにいるのか。色々理由は考えられるが、放っておくという選択を取れそうにはなかった。
「ところで結芽ちゃん、そろそろお友達と約束してる時間じゃないの?」
「あっ……は、走れば間に合うかなこれ」
「危ないからゆっくり行きなよ? 謝れば許してくれるって」
「と、とりあえずお昼は冷蔵庫に入れておいたから好きなだけ食べて! 行ってきます!」
そうこう話しているうちに時間は過ぎ、気づけば千風と約束している時間のほんの数分前になっていた。
結芽は慌てて荷物を纏め、家を出た。
「ごめん、待った?」
「いや、問題ないよ。ほんの数分だ」
駅前は特に広いわけではないが、謎のオブジェなどが置いてあるわけでもなくやや開けた場所のため、待ち合わせには適していた。
結芽が着いたころには既に千風は到着していたが、聞けば向こうも昨日はよく眠れず、うっかり寝坊して今さっき来たところらしい。
ちなみに今日は空力パーカーではなく、ごく一般的な服装だった。
特におかしなことは書かれていないジーンズに、何の変哲もないシャツ。その上から薄手の上着を羽織っている。その上着だって、正面にも背中にも空力は背負っていなかった。
「……ところで、今日は何の話がしたいの?」
ひとまず集合はしたものの、結芽はそういえば今日は何の用があって呼ばれたのかを聞き忘れていたことに気づく。
千風が隠していたと思われることの大体の内容は昨日の時点で話し終えていたはず。
明日も会えないかという言葉にノーと返すのはアレなシチュエーションだったが、美音に関しての作戦会議でもしたいのだろうか。
「うん? 今日は単純に君と遊びに行きたかっただけだよ?」
「…………うだうだ悩んでも、いい風は吹かないってこと?」
「その通りさ! 心の空気が淀みっぱなしじゃ、いつもならできることもできなくなる。だろう?」
意外というほど意外なことでもなかったが、どうやら今日一日は気分転換に使うつもりらしい。
以前結芽が落ち込んでいた時もこんな具合に元気づけようとしてくれていたし、千風は精神的な空気の入れ替えを重んじるタイプのようだ。
精神的な空気の入れ替えの意味についてはよく分からないが。
「まあ何というか、ブチカらしいと言えばらしいけど……ちょっと身構えてたのがバカみたい」
「ははは、それは誉めているのかな?」
「半分ね」
「……半分か」
「……冗談だよ?」
そんなやり取りをしながら、結芽は千風の後をついて行く。ここらには公園くらいしか遊べる場所はないので、ひとまずはどこかへ移動するのだろう。
電車に乗り込むと、千風は何かの紙切れをこちらへ手渡してくる。
どうやらそれは、某ボウリングやらアーケードゲームやらが規定時間内であれば遊び放題の娯楽施設のチケットのようだった。
「美音以外の友達と遊びに行くとお世話になっている人に言ったら、無料で貰ってしまってね。……ボッチだと思われているのかな?」
「おー……ありがとう、ブチカ。確かにストレス発散とかにはいいかもね」
「君の場合は、ほとんどの種目が楽勝だったりするのかな?」
少し前に体力テストがあったのだが、そこで結芽は当然のように満点を叩き出した。
筋力、持久力、柔軟性、瞬発力、その他諸々。
何を求められても、結芽の謎に高い身体能力は周囲のクラスメイトが引くレベルの成果を挙げてくれた。
実を言うと結芽は特に何か意識して鍛えたりはしていない。健康に気を遣って多少栄養バランスや生活習慣は考えているものの、その程度だ。
かつて何かおかしいと思った舞に病院に連れていかれたが、体質と言われてしまえばそれまでだった。
「……私、別に運動が好きってわけじゃないよ? ただ体質で色々できるだけで、鍛えてるわけでもないし」
「あれ、そうなのかい? ……えっ、それでその身体能力……?」
結芽自身も何かおかしいとは思っているが、漫画におけるギャグ補正のようなものだと思うことで自分を納得させている。
他の人と比べてかなり魔力との親和性が悪く、魔法少女の素質はゼロだと言われているが、案外親和性が悪いことで魔力と筋力が何か作用し合ったりしているのかもしれない。
あるいは最早妄想の域だが、ひょっとしたら魔法少女のように魔力で身体機能を底上げしているものなのかもしれない。
明らかに不調にしか見えない美音が体力テストの結果だけ見ればそこそこだったのも、もしかしたら何かしていたのかもしれないし。
「あ、この駅だね。……もしかしてだけど、体を動かすよりもアーケードゲームとかの方が好きだったりするかな?」
「いや、アウトドアでもインドアでもどっちでもいけるクチだよ。お姉ちゃんが帰るのを待つことが多いから、比較的インドア寄りかもだけど」
「インドア寄りなのにこれかぁ」
駅の近くの適当な所で昼食を済ませると、二人は早速色々と回ってみることにした。
するとボウリングをやれば悉くストライク、ダーツを投げれば全てど真ん中、レースゲームをさせてみれば3位と、結芽は大体のもので面白いように点数を重ねていった。
別に誰かと競っているわけではないが。
ちなみにカラオケは85点。何とも言えない。
「いやー、なかなか楽しいものだね! 運や身体能力以外が絡まなければ、結芽さんってもしかして無敵かい?」
「そうでもないよ。卓球とかだとボールを目で追えて体もついてくるけど、技術が無かったりするから。千風こそ、バドミントンとかエアホッケーはやたらと上手だったよね」
「空気の流れは心得ているからね!」
「そういうものなのかなぁ」
一通りのスポーツやらゲームやらを遊びきり、千風は若干疲れながらも満足した様子で、結芽の方には疲れは見えなかったが中々楽しめた様子だった。
結芽は口調だけ見ればあまりテンションが上がっていないように見えたが、目はキラキラとしており次はどれをしたものかと周囲を見回していた。
「こういう所は初めてだったけど、今度お姉ちゃんと来てもいいかもだね」
「……結芽さんって、どちらかと言うと姉っぽいイメージなんだよね。妹として振る舞う姿が想像できないというか……」
「あぁ、それ、よく分かんないけど割と頻繁に言われる」
目を輝かせてアーケードゲームを選んでいる姿は妹感というか、どことなく幼さがにじみ出ているものの、普段の結芽の振る舞いはむしろ一回りくらい年下の妹がいてもおかしくないもののように千風は思っていた。
世間話の度に結芽は頻繁に舞の話題を取り出すので、お姉ちゃんっ子のような雰囲気は日ごろから感じていたが、それでもだ。
まあ、実際家でも結芽は舞に甘えるというよりも少しでも舞の負担を減らそうと努力しているので、そういう部分の影響かもしれないが。
「……そういえば、まだアレをやっていなかったな」
「アレ?」
「ボウリングでストライクを出したときに貰ったコインがあっただろう? 帰り際にだけど、あれを使うのさ」
結芽はこれまであまりこういった場所に来る機会がなく、加えて特に調べたこともなかったので、どんなものがあるのかというのはさっぱり知らなかった。
結芽はポケットから、ボウリングでストライクを出したときにもらえた、店のロゴが印刷されたカジノのコインのような見た目のコインを取り出す。
それが何なのか興味深げに眺めてみる結芽だったが、よく見るまでもなくロゴの下にでかでかと「PHOTO」と書かれていた。
そして千風の言う帰り際という言葉。言われてみれば、入口の近くにプリクラ的なものが置かれていた覚えがある。
「ほら、ここさ」
「おー……無料でできる割に本格的?」
結芽としては一通りのアーケードゲームをもう一周くらいできる元気があったが、千風はそこまでの元気はなさそうだった。
それに、時間を見れば結構経っていたのもあり、二人はプリクラを撮って終わろうということにした。
こういうものにもあまり触れずにきたので、結芽は新鮮な気分で筐体の中を見回していた。
結芽の比較対象が携帯のカメラや駅に置かれた証明写真を撮るアレだったので本格的という言葉には何とも言えないが、楽しめているのなら何でもいいかと千風はこっそりと撮影開始のボタンを押す。
『ポーズを取ってネ☆』
「うわ喋った……え、もう始まってるの?」
「今始めたよ」
「言って??」
「ははは、ごめんごめん」
三秒のカウントダウンの後、準備もしきれないうちにパシャリと音がして、撮られたものが画面に表示される。
慌てた末にヤケクソ気味に横ピースを決める結芽と、今も静かに笑い続ける千風の姿だ。
残りの二回は普通に撮れたものの、その一枚だけは見ていて言語化できない感情に襲われる。
いい思い出になったのは事実なのだが、どうにも。
「シールじゃないんだ」
「うん、画像をQRコードからダウンロードする感じだね。もちろん紙のも何枚か出てくるけど」
「ブチカは美音と来たことあるの?」
「……そうだね。お小遣いで何とかなる値段で、子供だけでも行ける場所というと、ここくらいだろう?」
千風は美音との思い出を振り返っているようだった。
施設の内装はその頃からそこまで変わっていないのか、並べられたアーケードゲームの筐体や他の階に繋がるエレベーターを懐かしそうに見ている。
複雑なものだろう、そんな大切な友人も自分自身も魔法少女となり、友人の方は頑張って黒奴と戦っている中で自分はこう呑気に平和を享受している状況というのは。
戦闘義務は、義務と名がついているもののそこまでの強制力はない。
罰則も、いくつかの協会の支援などが受けられないという程度であり、さほど重いものではない。
それでも力を持ってしまった者としては、考えずにいられないのだろう。
自分が戦わないことで、一体何人が死ぬのか。一体何人が不幸になるのか。
「……ねえ」
「…………ん、ああ、済まない。少し考え事をしていた」
「ブチカは――」
魔法少女をどう思っているのか。
そう聞こうとして千風の方を向いた結芽は気づいた。
壁に入った亀裂、それも施設の壁の汚れや壁紙の経年劣化によるものではなく、明らかにその空間そのものが裂けて何かが出てこようとしているのを。