第五話 魔法少女になっていた友人
ドアを閉じて玄関でしばらくじっとしていると、戦闘音がピタリと止む。おそらくトドメを刺したのだろう。
舞の張った結界に何かがぶつかるような音がなかった以上、おそらくこちらに流れ弾は飛んでいない。
ふと気になって外を確認してみると、女性はまだ電信柱の影に蹲っていた。怪我をした様子などはない。
「……泣いてる?」
だがどうにもその様子がおかしい。
魔法少女の戦闘を観察していた辺り、死ぬことは無いだろうと思い上がって魔法少女の戦いをエンタメか何かだと思っているバカの類だと思っていたのだが、何かわけがありそうだ。
もっとも相手は見ず知らずの女性。
事情は気になるが、結芽がわざわざ問い質す理由もない――はずだったのだが、電灯に照らされたその顔には見覚えがあった。
先ほどまでは影で見づらかったのだが、少し動いたことですぐにそれが誰か分かる。
第一魔法少女養成国立高校一年二組担任、京古 紫音。
結芽のクラスの担任がそこですすり泣いていた。
自己紹介を聞いていなかったので最近までは知らなかったことだが、どうやら美音のお姉さんなのだとか。
流石に、友人の姉がこんな時間にあんな場所で泣いているのを放っておくわけにはいかない。
「うぅ……グスッ……ど゛う゛し゛て゛ぇ゛……」
「うわっ」
すすり泣いているものだと思って近づいてみると、思ったよりも汚い泣き方をしていた。
薄紫色の服はおそらく部屋着。寝る前に少し外に出るノリでここまで来たのか、化粧もされていない。
涙やら鼻水やらでひどいことになっているので、化粧をしていなかったのは幸いと言うべきなのかもしれないが。
それはそれとしてよほど何かがショックだったのか、結芽が近づいても気づく気配はない。
……つまり、これに話しかけなければならないということだ。
「み゛お゛ん゛ち゛ゃ゛あ゛ん゛……!」
「……あの、何で妹さんの名前呼びながら泣いてるんですか、先生」
「う゛ぇ゛っ!?」
肩を叩かれてようやく結芽の存在を認識したのか、素っ頓狂な声を上げる先生。これでももう25のはずなのだが。
「な、何でこんなところに……」
「……すぐそこが家ってだけですよ、先生」
ひとまず持ち合わせていたハンカチで涙を拭い、ポケットティッシュで鼻をかませる。
そこまでしてもらわなくてもと抵抗されるが、未だに立ち上がれないほどのショックを受けている様子なので、結芽は無視して一度負ぶる。
「ほ、泡沫さん……? あの、私の家はそっちじゃないですよ……?」
「その格好の女性を一人でこんな時間に帰らせろと?」
「うっ……」
運ぶ先は自宅。先生の格好と時間的に、このまま帰らせるのは危険すぎる。
舞は今日は帰れそうにないとのことなので、文句を言う人間は一人もいない。一応連絡はしておいたし、オッケーももらっているが。
とはいえ負ぶってみて分かったことだが、家に先生に合うようなサイズの服は存在しない。明日も学校なので家に帰さないわけにはいかないが、しかし放っておくこともできない。
こんなご時世だ。
見たところ結芽のように妙に力が強いわけでも、実は魔法少女だというわけでもないのであれば、昔ならともかく今の時代では自殺行為だ。
「家に先生に合うサイズの服って多分無いと思うんですけど、美音に……妹さんに連絡して迎えに来てもらいます?」
ひとまずは先生の意思を確認。こんな格好で家を出たのにも色々理由があるのだろうし、場合によっては帰りたくないのかもしれないと考えての言葉だったのだが――
「そ、それはダメっ!」
――どうやら本当に何か面倒な事情がありそうだ。
「ミィ、今朝から眠そうだけどどうしたんだい? もしかして昨日の黒奴の騒ぎで何かあったとか……」
「えっ、い、いや、別に何もないわよ……気のせいじゃないの?」
「私がミィの不調を見逃すとでも?」
翌日、先生は体調不良を理由に学校を休んだ。
美音には黒奴の魔術で変な場所に飛ばされて知り合いの世話になっていると、今朝言い訳をしていた。
服はネットで注文したので昼には届く。どうやら実家で美音と親御さんと一緒に暮らしているらしいが、今日中には帰れるだろう。
「……授業も八割方寝てたみたいだけど、ノート要る?」
「ちょっと待ってアンタの席からじゃ私のこと見えないはずでしょ」
「寝息は聞こえるよ?」
「地獄耳だった!」
帰り道、最早日常となった三人で下校している間、話題は今日の美音の調子で持ち切りだった。
姉である先生が黒奴のせいで知らない間にどこかへ飛ばされていたのだ。
美音視点では、使われた魔術がどんなものだったのかは分からないが最悪姉が死んでいたかもしれないということになる。全て嘘だが。
まあ、嘘かどうかはともかく姉がいなくなったことには相当心配したはず。
何せ朝起きたらいなくなっていたのだ。当然夜は――寝ていたのなら気づけないはずだと、結芽はそこで気づく。
「……ここ一週間、授業中に寝るようなことはなかったよね。寝不足にしても何か理由がありそうなものだけど」
「ちょっ……チカみたいに詰め寄られたって、無いものは無いわよ。理由なんて……」
千風のようという言葉に思う所が無いわけではないが、このまま友人を放っておくことの方がよほど問題だ。
結芽は妙に身体能力が高いだけでなく、物事の差異を見逃さないような目も優れている。
それなりに仲良くなったのだ。様子がおかしいことくらいすぐにわかる。
あくまで美音は白を切るつもりのようなので、尋問はハンディファンの風で髪型を崩そうとする千風に任せて結芽は少しばかり考え込む。
先生が家を出たのは昨日の夜。理由はまだ聞いていないが、美音と顔を合わせるのは気まずいという様子だった。しかし魔法少女の戦いをじっと見ていたので、喧嘩して出て来たわけではなさそう。
美音の様子は、パッと見て分かるのは寝不足。次に疲労。今日は疲れるようなことは何も無かったので、どちらも昨日何かあってのものだろう。そしてそれは、おそらく先生が美音の名前を呼びながら泣いていたことに何か関係がある。
そこまでは考えられたが、結芽の頭はそれ以上回らない。
互いに影響し合っているような気がしないでもないが、互いに無関係なような気もしてくる。
千風は美音の髪をわしゃわしゃしながら何か分かったかという視線を向けてくるが、結芽は何も分からないという顔をするほかにない。
「ああもうっ! 何なのよアンタはぁ!!」
「強情なのはミィの方じゃないか。……親友なら、心配するのも自然なことだろう?」
「……それは……その……で、でもやっぱり、これはアタシの問題よ!」
隠しているのは自分だという自覚はあるからか、美音は走って逃げるようなことはしなかったが、これ以上問い詰めても好感度が下がるだけだろうと理解した二人は一旦追及を諦める。
「……じゃあとりあえず、学校のエアコンについての話でもしよっか」
「話題の転換の方法が酷くないかしら」
「ナンセンスだよね。あんなのは風の何たるかを分かっていないよ」
「……そりゃ、チカは付き合うでしょうけど……何か釈然としないわね」
「風云々はともかく、気温じゃなくて日付でいつからつけるつけないって決めるのはどうかと思う」
学校の気温の調節は下手ということで結論が出たところで、結芽は千風たちと別れた。
家に入ると、玄関には舞の靴と先生の靴が置かれていた。
ポストに不在通知が入っていなかったということは服は届いたということなのだろうが、先生はまだ帰っていないのだろうか。
「ただいま。お姉ちゃん、ご飯いる?」
「お、おかえり結芽ちゃん。でもちょっとその言い方は今は語弊を招くというかなんというか……」
「舞さん? まさかとは思いますが、妹さんに家事を任せきりだったりしませんよね? 目を合わせてもらえますか?? 舞さん??」
リビングを覗いてみれば、そこには正座姿勢で向かい合う先生と舞の姿が。
何があったかは分からないが、どうやら浅からぬ関係があるようだ。
手洗いうがいを済ませ、適当な私服に着替えてからリビングに戻ると、先生は舞に対してまだ説教を続けていた。
邪魔してもいけないが、このまま放っておかれても困る。どうしたものかと二人の様子を見ていると、先生が一度説教に区切りをつけた。さながら二時間続きの授業の一時間目が終わった時のように。
舞は結芽と先生の話が終わったらまた続きが始まるのかと憂鬱になりながらも、まずは結芽に先生との関係を説明した。
「えっとね、こっちの紫音さんは私の頃からダイマで先生やってたんだ。その関係で……ね?」
「あぁ、お姉ちゃんトラブルには事欠かなさそうだもんね」
「貴女、妹さんからもそういう認識なんですね……仮にも最強の魔法少女なのに……」
結芽の聴力はそこそこ良い。
日常生活に不便するほど音波が聞こえるというわけではないが、小声の呟きはどんなものであっても聞き逃さない。難聴系ならぬ地獄耳系なのだ。
先生がぼそっと呟いたその言葉は、舞の魔法少女としての姿を知っているということ。
それは舞が伝えたから知っているのか、それとも何らかの方法で舞がリリィであるという情報を仕入れたのか。それは分からない。
とりあえず分からないならば警戒しておくに越したことはないかと拳を握りしめた結芽だったが、様子の変化を感じ取った舞が補足的に説明した。
「ちなみに先生は協会の職員でもあるから、伊呂波とかみたいな学校にいる魔法少女は皆把握してるよ。もちろん私もね」
「あ、何だ。そういうことなの」
「?」
舞は一瞬だけ結芽が先生に向ける目つきが、自分が黒奴に向けるものと同じになっていたことを見抜いていた。
結芽はスチール缶を素手で捩じ切るパワーの持ち主だ。知らない間に命の危険に晒されていたとは露知らず、先生は二人の仲の良さを喜ばしく思っているようだった。
「……で、先生は何で帰ってないんですか? まさかまだ気まずいとか言うつもりじゃないですよね?」
「あー……実はその、お願いがあって……」
とりあえず先生と舞の関係については理解できた。
だが、それはそれとしてなぜまだ帰る素振りも見せないのか。尋ねてみると、どうやらまだ話さなければならないことが残っているらしい。
教師から生徒へのお願い。大抵の場合は次回までに課題をやっておけだとか、次の授業で使う教科書を持ってくるのを忘れないようにだとか、そういうものだ。
しかしこの場で話し合っていたのは舞と先生。どうせそういう話ではないのは明白だ。
「……」
先生は何も言わずに携帯を取り出すと、写真のライブラリの中の動画を再生して、何も言わずに机の上に置いた。
これを見ろということなのだろうか。
映像に残されていたのは、美音が人形のモチーフを用いて変身する様子であった。
「……この魔法少女って、昨日の……」
美音が人形を構えて変身と唱えると、魔力が前身に纏わりついて形を成し、ドールちゃんと呼ばれていたあの魔法少女と全く同じ格好になる。
フランス人形などが着せられているような、明らかに戦闘には適さないフリフリの格好だ。
魔法少女のモチーフから発せられる認識阻害の力というのは強力で、例えそれが見知った相手であっても、変身する瞬間を凝視してでもいない限りは脳が魔法少女とその人物を結び付けられなくなる。
しかし、変身したり変身を解除する瞬間を見ていた場合には認識阻害が働かなくなる。今、結芽は美音の認識阻害が効かなくなった。
昨日、目の前で戦っていたのは友人だったのだ。
結芽はまるで気づくことができなかったが。
「……あー携帯が開きっぱなしでしたー」
「これは酷い」
何度か映像がループされ、それがCGや合成の類ではないことをまざまざと見せつけられる。
四度目のループに入ろうかという場面で、先生はわざとらしく棒読みで携帯の電源を切ってスマホを仕舞った。
魔法少女の認識阻害の魔法は身バレ防止に重要な役割を持つが、予めあの魔法少女はあの人が変身していると知らされているとその効果は薄れる。
なので事実を知っている人は他人に魔法少女についての情報を漏らしてしまった場合、厳罰に処されることがある。
「み、美音って、魔法少女だったんですか……?」
「な、なんでそれを知ってるのー」
「酷い棒読み……」
しかし、あくまで偶然魔法少女の中の人を知ってしまった場合には、知った側は誰にも言ってはならないということになるが特に罰せられることはない。
今、たまたま開いていた携帯の、たまたま開いていた動画が、美音が変身するまさにその瞬間だったというだけで、先生は一言も結芽に対して美音は魔法少女だともこの動画を見ろとも言っていなかった。
つまり、偶然である。
「これが罷り通るんだから嫌になるよね。これって、偶然設置されてたスクリーンに偶然投影されちゃった場合もそういうことになるんでしょ?」
「どういうことですか先生!」
「私が知りたいくらいですよ!! というか私が知りたいです!! どうしてっ……どうして美音ちゃんが魔法少女になんてッ……!!」
この場にいた三人全員が偶然だと言えば、今のことは偶然だったことになる。先生は今後気を付けるように言われるだろうが特にお咎めはないだろうし、結芽はまず罰せられる側ではない。
もっとも、今重要なのはそれが偶然だったかどうかではない。
昨日戦っていた新人っぽい感じの魔法少女が、美音だったことだ。
これで既にクラスに三人は魔法少女がいることが確定してしまったが、それも重要ではない。
「……お願いっていうのは……」
「……あの子を……美音ちゃんを、一人にしないであげて欲しいんです……きっと無茶をします……たくさん怪我もします…… 黒奴が、憎いから……」
結芽は頭を抱えたくなった。
高校に入って特に親しくなれた友人の片方は戦う決意のできていない魔法少女で、もう片方は黒奴への恨みが強すぎる魔法少女ときた。
黒奴は人類の敵だ。恨まない人間などそうそういない。
魔法少女として戦う理由としても、黒奴を一匹でも多く殺したいからと答える人は多い。
美音にも色々あるのだろう。色々。嫌なことに、今の時代珍しくもないことだ。
「……友達ですから。一人になんてさせません。……でも、私は魔法少女でも何でもないただの人間です。そういうことは、同じ魔法少女に頼るべきでしょう」
「……チカちゃん……」
一通り結芽と話し終え、舞への説教の続きもし終えると、ようやく先生は帰った。