第四話 ほんの一時の青春
その後は特にこれといったことはなかった。
護衛と言っても、学校には舞を敵視したり最強の座を狙ったりしていて警戒すべき魔法少女が何人かいるとのことで、あまり大々的には行えないらしいのだ。
将を射んとする者はまず馬を射よというやつだ。最強相手に正面から戦ったところで、勝ち目はない。
それならば、ひ弱な妹を人質に取ってしまえば話は早い。
そんなことを考える魔法少女は少なくないらしく、何なら徒党を組んで舞と敵対している連中までいるとのこと。
魔法少女が犯罪を起こしたケースは今の所確認されていないが、ネットでは度々消されているだけではないかという説が持ち上がる。
そりゃあ、年頃の女の子が突然力に目覚めて、それを正義のためだけに使うかと聞かれれば微妙なところだ。性善説だけで回るほど、世界は優しくない。
どこかで何らかのきっかけで誘拐されたり怪我をさせられたりするリスクが、結芽には常に付きまとっているということだ。
魔法少女の変身アイテムであるモチーフというのは人を選ぶ。
それも、モチーフ自体が自分に相応しい少女が現れるとテレポートしてその子の下に現れるのだ。返品や交換は不可能。
開発者には文句を言ってやりたいところだが、開発チームや研究チームにもよく分かっていないらしい。手段を選べる余裕もないとはいえ、そんなものを使わせるべきではないのではないか。
つまりいつ最強の名を求める敵が増えるかも分からないということ。
結芽はため息をついた。
「何よ、そんなに授業難しかった?」
「あ、いや、そういうのじゃなくって……」
「刃波さんに連行されてた件じゃないのかな? 彼女、あんな感じなわけだし」
鈴乃と桔梗とは帰り道が逆だったのですぐに別れてしまったが、千風たちとは同じ方向。そういうわけで一緒に帰っていたのだが、どうにも魔法少女の面倒そうな裏事情と言うのが頭から離れない。
魔法少女が一人で戦闘を行う機会というのは、よほど強い魔法少女……それこそリリィほどでもないと滅多にないことだ。
まず協会が近くの魔法少女とは協力して黒奴に立ち向かうことを推奨しているし、そのためにチームを組んだ魔法少女には特別な支援もされるのだ。
しかしこのチームというのが曲者で、現在協会内では特に強い2チームが派閥のように機能してしまっているのだとか。
一つはリリィがリーダーを務める少数精鋭のチーム「百合園」。
国内トップスリーが勢ぞろいした、名実共に最強のドリームチームである。
もう一つは、国内でも上位の魔法少女を中心とした大勢の魔法少女が所属するチーム「ワルプルギス」。
リリィの活躍が大々的に取り上げられ、それに付随して百合園の名も広く知られているのに対し、こちらはあまり有名とは言えない。
魔法少女の目的は黒奴と戦い、倒すこと。有名になることでも金を稼ぐことでもない。
だがそれでも、比較されると劣等感というのを抱いてしまうものだ。
ワルプルギスの連中は来るもの拒まずな方針で、所属している全員が悪い奴と決めつけることはできない。
しかし、幹部の中には自分の魔法を悪用して気に入らない魔法少女を蹴落としたり、黒奴と戦っているところを邪魔したりするなんて話がある。
その他数百を超えるチームが協会内には存在するのだが、そのほとんどが百合園派だとかワルプルギス派だとかに分かれているそうなのだ。
「……アイツに何か言われたの? あるいは何かされたとか……」
「……お姉ちゃんの知り合いだったし、悪い人ではなかったよ。ただ、それとは関係なしにちょっと悩み事が……」
あれこれ考えているうちに結芽は、仮に何かあってもお姉ちゃんがいると、自分は心の底ではそんなことを考えていたのだということを理解してしまった。
舞は日本全国に出現する黒奴の対応で、この町にいないことの方が多いというのにだ。
黒奴というのは、最初は旧都心の上空に今も残されている裂け目から現れていたが、今では日本のどこにでも一時的に似たような裂け目を出現させて人を襲うようになっている。
銀冠以上の黒奴となると対応できる魔法少女は限られ、必然的にいつでも高速で現場に移動できる戦力というのが必要になってしまうのだ。
つまり舞は黒奴の対応で忙しいのに、ワルプルギスに狙われるかもしれないということでさらに負担になりそうな要素が発生してしまったということ。
下手にバイトなんてして、バイト先を襲撃なんてされたらたまったものではない。
やはりバイトなどせずに、家でご飯を作って帰りを待っているべきか。
「……そう暗い顔をしてもいい風は吹かない! この後暇なら、一緒に遊びにでも行かないかい? ミィはどうせ暇だろう?」
「ちょっと、決めつけないでよ! 暇だし泡沫を放っておくのはアレだから付き合うけど!」
あれこれ考えるとどうしても表情に影が差す。
そんな結芽を見かねた千風は、少しでも雰囲気を変えようと明るい声で結芽を遊びに誘った。
まだ高校に上がってから2日。確かに仲を深めるという意味でもそういった交流は必要だろう。
「あ、ごめん。この後買い物行かないとだから……」
しかし、結芽は微妙な理由で断った。
「次は醤油と……みりんは酒だからみりん風調味料と……あ、アレ安いんだったっけ」
「待って、ちょっと待って、思ってたのと違う」
買い物という理由で断った結芽に対し、二人は一緒に行くと答えた。
だが答えたは良かったものの、一度家に帰って荷物を置いたり着替えたりしてから集合して結芽が向かったのは、服屋や化粧品店ではなく業務用スーパーであった。
買い物と聞いてこんな場所を想定しているはずもなく、二人は結芽の体力に振り回されていた。
「美音! 美音! 見ろ! おっきなぬいぐるみだ!」
「チカ、私疲れたの……」
「美音! 美音! 見ろ! 屋外倉庫だ! 買う奴いるのか!?」
「チカァ!!」
「肉はこれで当分はもつ……魚も要るか。あとは米と……」
特に美音はあちこちにふらふらと移動する千風を追いかけては捕まえていたので、倍の体力を消費していた。
一方振り回している側の結芽は、どこから出ているのか分からないパワーで大量の商品を入れたカートを引き、平然と店内を歩き回って目当てのものを探したり目についたものをカゴに入れたりしていた。
ちなみに車ではなく徒歩で片道1時間かけて来ているので、帰りはこの荷物を抱えて1時間かけて帰ることになる。
途中でそれに気づいた美音はどんな体力だとつぶやいた。
「……ありがとうね、ちょっと落ち込んでたの、元気つけようとしてくれたんでしょ?」
「……勿論さ!」
「嘘おっしゃい! アンタ途中から普通にここ楽しんでたじゃない!!」
「悪いことじゃないと思うけど」
「コイツの楽しみ方は私が疲れるの!!」
会計の列に並んでいる間に、三人はそんな会話を交わしていた。
何となく、来た時よりも三人の距離は縮まったような気がした。
それに、当初の目的である結芽の励ましというのにも成功している。場所は業務用スーパーだが、これも一つの青春の形だというのは三人の共通認識だった。
「はぁ……ま、元気そうで何よりよ。結芽」
「……それは暗に、自分のことも美音って呼べって言ってる?」
「な、何よ! そこは気にしないで呼んでくれてもいいじゃない!」
ついでに三人の仲も若干深まっていた。
ゲームで言うなら、イベントを通じて好感度が一定以上に達したような感じだ。
高校初日こそあんな調子だった結芽だが、特段コミュ障というわけでも人付き合いが苦手というわけでもないのだ。
結芽がお姉ちゃんの妹として恥じない生き方というものを信条としているのもあるが、そもそもがこういう感じなのだ。
「あはは、これからよろしくね。美音」
「いい性格してるわね、アンタ……」
「私は? 私は名前で呼んでくれないのかな、結芽さん」
「あ、うん。よろしく、ブチカ」
「……ブチカ?」
「あら良かったじゃない、あだ名なんて付けてもらえて」
会計は舞に持たされているカードで済ませ、さっさと大量の食材やら調味料やらをマイバッグに詰めていく。
今日はこうしていっぺんに買いに来ている結芽だが、一応普段から定期的に来て必要なものは補充している。
ではなぜまるで無計画に消費した分を補充しに来たような状態になっているかと言えば、それには舞の魔力の都合というのが関係している。
舞は足りない魔力を自分の中から捻出する際、エネルギーを消費する。
つまり立て続けにリリィとして戦わなければならない状況が発生すると、その分冷蔵庫の貯蔵が大丈夫じゃなくなってしまうのだ。
いつもよりは多少重いが、取り立てて騒ぐほどのものでもない。
強いて言うならバッグの耐久面が不安だったが、結芽はギチギチと音を立てる持ち手の付け根から目を逸らすことで今は解決したことにした。
「……ところで、アンタの家って何人暮らしなの?」
「え? あぁ、お姉ちゃんと二人暮らしなんだけど、そのお姉ちゃんがいっぱい食べるから」
「いっぱいって量じゃないわよねこれ……アタシら三人の体重足してもまだこっちの方が重いんじゃ……」
「……ブチカ……」
一通り詰め終えて完成した結芽の身長の半分ほどの大きさの三つのバッグ。
美音はこんな大きさの鞄がどこに売っているのかも気になったが、この大量の食材がどこに消えるのかが一番気になった。
九割九分は舞の胃に消えることになるのだが、美音は夢の返事を適当に誤魔化しただけだと受け取った様子。
まあ、成人男性数人分の質量のバッグだ。
客観的に見れば個人で消費する量ではないのは確かだろう。
「じゃ、帰ろっか。……動かないなら置いてくよ、ブチカ」
「それ持てるのね……どうやってバランス取ってるのよ。というか会計の時のカードって……」
最早この大量の荷物にも慣れたもので、結芽は軽々と持ち上げると器用にバランスを取って歩き出す。
パワーもさることながら、結芽はこういったパワーを制御する技術なども身に着けているのだ。
簡単な護身術も齧っているので、舞にも黒奴が出なければ安心と言われるほどだ。
ちなみに美音が引っかかっているカードのことだが、黒かったとだけ記しておく。
「ブチカ……えっ、本当にこれからそのあだ名で呼ばれることになるの??」
千風の呟きなどまるで無視して、結芽はさっさと歩く。片道一時間なのだ。まだ涼しい時期とはいえ、あまり時間をかけて中のものが痛んでも困る。
いつのまにやら、バイトについてやワルプルギスについての悩みはどこかに消え去っていた。
高校初日から色々あったが、今のところは平穏な日常、普通の青春だ。
しかし結芽は知っている。
そんなものが長く続くはずもないことを。
一週間が経った。
高校生とはいえそう頻繁に大きなイベントが起こるわけではないし、黒奴も毎日日本のどこかに現れているとはいえ連続して同じ町に出現するわけではない。
これといったこともなく、一週間は平穏な日常が続いた。
その間に伊呂波は鈴乃や桔梗と仲良くなれていたし、結芽も色々あってクラスメイトの顔と名前くらいは覚えるようになってきた。バイトについては今も考えているところだ。
そんな頃の、ある夜のことだった。
ふと結芽は牛乳を買い忘れていたことを思い出し、近所のコンビニに買いに行っていた。
その帰り道に、黒奴の出現を知らせる警報が鳴ったのだ。
「……避難所よりは、家の方が近いよね……ちょっと走った方がいいかな」
警報の音は割と近い。心なしか地面も揺れているような気がするし、何なら普通に黒奴の叫び声が聞こえる。
幸いコンビニと家は徒歩数分もない距離。結芽が全力で走れば十秒もかけずに家まで着ける。
さっさと家に帰って戸締りしようと思い、足に力を籠め――ると同時に、咄嗟に結芽は体をかがめていた。
「――逃げてんじゃないわよ黒奴の分際で!!」
「待ってドールちゃん! 指示聞いて! 民間人! 民間人いるからそこにぃ!!」
公園の木をなぎ倒して吹き飛んでくる真っ黒な塊。夜の闇とはまた別種の黒さを持ったそれは、自分をここまで吹っ飛ばした存在に向けて吠える。
しかし吠えると同時に、その口の中に光の球……おそらくは魔力の弾丸が放り込まれる。
黒奴。そして魔法少女。
ついこの前もシェルターで似たような状況に陥ったが、ここまでひどくはなかった。
まだ新人なのか、それとも単純にバーサーカーなだけなのか、ドールと呼ばれた魔法少女は黒奴を少しだけ遠ざけつつ結芽を適当に射線から外すと、すぐに追撃を始めた。
扱いには若干不満だが、戦っているのはあちらで守られているのはこちら。結芽は潰れた牛乳についても何も文句は言わずに、邪魔にならないようさっさと逃げ始める。
「ご、ごめんなさい! 私たちまだ守りながら戦えるほど強くなくて……とにかく逃げて――ってもう逃げてる!?」
「先輩! 援護頼みます!!」
「あーもうっ!! 終わったらまた反省会だからね!? 町への被害は最小限って言ってるのに!!」
先輩と呼ばれた方の魔法少女の格好には覚えがあった。おそらく、以前銀冠のクラゲ・黒奴に食べられかけていたあの魔法少女だ。
今回は見たところ灰冠程度なので、新人の教育も兼ねてとはいえ苦戦することはないだろうと結芽は振り返ることも礼を言うこともせずに全力で走る。
魔力には魔力でしか干渉できない。
これは言いかえるなら、魔力による攻撃は魔力による防御でしか防げないということ。
要は流れ弾の一つでも致命傷になりかねないのだ。いくら素のフィジカルが化け物じみている結芽でもこればかりはどうしようもない。というか、魔法少女以外にはどうしようもない。
家はもうすぐそこ。舞が毎日結界を張り直しているので、下手なシェルターよりもずっと安全だ。
しかし結芽は、家に入る直前で奇妙なものを発見した。
逃げ遅れたのか、死にたがりなのか、あるいはただのバカなのか、魔法少女たちの戦いを電信柱に隠れてじっと見つめている女性がいたのだ。
手元にはメモがあり、見たところ戦いの様子を観察しているようなので、バカという線が濃厚だろう。
黒奴にとっても魔法少女にとっても、電信柱なんて11月11日が記念日にされている某お菓子同然だというのに。
だがそんな不審者を家に上げるわけにもいかないので、結芽は見捨ててそのままドアを閉じた。
明日は花を買いに行かないといけないかもしれない。