第三十一話 この間僅か10分の出来事である
「ああいう手合いは、キツく言ってやらなきゃダメだよ。それとも友達か何かだったの?」
「い、いえ、偶然遭遇して、絡まれてしまっただけで……そうですね。弱気なのは……ダメですよね」
本屋の中を歩き回りながら、結芽はナンパされていた少女、本山 美緒と話していた。
あのまま別れても良かったのだが、連中は前も散々追い回してきた面倒な奴ら。加えて美緒は小柄で、先ほどの様子や今話しているだけでも分かるように、押しに弱そうなタイプだ。
放っておくとどんなことをするか分からなかったので、せめて買い物にくらいは付き合おうと思ったわけだ。
「それにしても、今時紙の本をわざわざ持ち歩くなんて、珍しいね」
「まぁ、最近高いですからね……で、でもやっぱり、紙には紙にしかない良さがあると思うんです。新聞とか特に、あのインクの匂いがしてこそって気が……しません?」
「うちは新聞取ってないから分からないなぁ」
なんでいつまでもついて来るんだろうという顔を隠そうともしない美緒だが、結芽が善意でしているということは理解しているのか、嫌そうな雰囲気ではなかった。
それに、過去に痛めつけたことがあるということを知らなければ、結芽は凄んだだけで大柄の男たちを退散させたように見えて、いるだけでも心強いことだろう。
実際、ナンパ師たちが以前の彼らでなくとも、やりようはいくらでもあったが。
「大学の教科書とかも高くて高くて……実入りのいいバイトがなかったら、電子書籍などという邪道に走る他に無かったところですよ」
「邪道って…………え、というか大学生?」
「……もしかして、中学生くらいだと思いました?」
「あ、えっと……」
「そういう貴女こそ、私より背が低いじゃないですか……」
結芽の身長は、実は一般的な女子高生の平均を一回りくらい下回っている。だからこそ「そんな体格でそのパワー!?」と驚かれることが多いのだ。
そして美緒の身長も結芽と大差ない程度のものだった。
態度の大きさと威圧感で結芽のことを小学生や中学生に間違える人はいないが、美緒の場合はその雰囲気やあどけなさを残した顔立ちなどゆえに、間違われてもおかしくなかった。
普通なら多少観察すればその人がどのくらいの年齢で、どういう環境で働いていてどんな癖があるかくらいは見抜くことのできる結芽でも間違えてしまうほどだった。
「た、タメ口は失礼でしたね……すみません」
「えっ、同い年くらいじゃなかったんですか?」
「いえ、高校生ですよ?」
「えっ」
「えっ?」
なんと、美緒の方も結芽の年齢を勘違いしていた。
遊んでやってもいいんだぞと言い放った時の結芽の風格は一朝一夕で出せるようなものではなく、明らかにそこには長い経験の積み重ねが感じられたので、てっきり自分と同じような大学生だとばかり考えていたのだ。
実際のところは結芽が昔から暴力沙汰には慣れてしまっていて、それがその場の勢いと雰囲気でそれっぽく見えていただけだったのだが。
今でこそ落ち着いた雰囲気(落ち着きがあるとは言っていない)を持った結芽だが、中身は判断基準にフィジカルでどうにかなるかならないかを置くような人間なのだ。
そんなことは知らない美緒は、さてはナンパよりもヤバい人に捕まってしまったかと思ったその時――
――けたたましい警報音が街に響き渡り、数瞬置いて人々の悲鳴や怒号と、雪崩のような足音が聞こえ始めた。
「黒奴の警報……!?」
「結構近い……本棚が倒れることを想定すると、ここは危ないですね。少しばかり失礼しますよ!」
「えっ、きゃあ!?」
目の前の人よりも自分の方が強い。そして速い。その確信をもとに、結芽は美緒をおぶって走り出す。この方が比較的安全だからと言い訳をしながら。
結芽は頭の中でこの近辺の地図とシェルターまでの最短経路を思い描き、同時に人の多そうな建物や足音の遠ざかっていく方向から黒奴の出現方向を考え、店を飛び出した。
まぁ流石にピンポイントで自分たちが襲われることはないだろうと、たかをくくって。
「……流石に真横にいるとは思わないよ……」
「はひゅっ」
避難時に大切なおさない、かけない、しゃべらないの内の、かけないを守らなかったバチが当たったのか、店を飛び出した結芽のすぐ横に、既に黒奴は迫っていたのだが。
よく見れば相手は灰冠。もっとも、魔法を持たない結芽にどうにかできるはずもなかったが。
結芽の身体能力に目を回していた美緒も、この状況が絶望的であることは理解できる。せめて通り過ぎるのを待っていれば。そう考えてみるが、どうしようもない。
普通の動物であればまずしないような、嗜虐的な笑みを浮かべて突っ込んでくるウナギ・黒奴。
その背中は本物のウナギのようにぬめぬめとしたもので覆われており、光を反射しててらてらと輝いている。
結芽は思った。
これならいけるな、と。
「ジャンプで躱す! 滑って背後へ! 尻尾も上手いこと避けてもっかいダッシュ!」
「ひぃいいいいい!? 生きてます!? 私生きてます!?」
「怖いと思うならまだ生きてますよ!」
ウナギ・黒奴が尻尾でも振り回しているのか、背後からぶおん、ぶおんと風を切る音。そしてそれに合わせて乱高下する視界。
真っ直ぐ前だけを見て走り続ける結芽にしがみつきながら、やっぱりナンパよりもヤバい人だったと認識を改める美緒。
現在進行形で命の恩人だが、生きた心地がしないので実質ノーカンである。
それはともかく、なんとか横から迫っていた黒奴から逃げ出すことに成功した結芽たちだったが、それは追ってくる方向が横から後ろに変わっただけのこと。
ウナギ・黒奴は体を捻り、龍のように空へ飛び出しながらUターンして結芽を追う――その目の前に、空から降ってきた何かが落ちてくる。
「我が世の春! 到来!!」
落ちてきたそれは、人だった。
しかしその出で立ちは奇妙と言う他にない。
革を無理矢理繋ぎ合わせたような鎧に、兜に、ブーツ。そして巨大なボストンバッグ。
あの変な格好は紛れもなく魔法少女。そう理解した結芽は回避を捨てて最短経路で逃走を図る。
なぜ革の装備の下は薄っぺらいインナー一枚なのかと小一時間ほど問い詰めたいところだったが、それどころではないのですぐにシェルターへ向かえるような道を辿る。
だが進もうとした道はその直後に、我が世の春を叫んでいた魔法少女が吹き飛ばされてきた衝撃で倒壊した建物で塞がれてしまった。
「いやああああ! 魔法少女さんもっと頑張ってぇええええ!!」
「退場が早いっ!」
灰冠は一般的にさほど強くはない黒奴だとされているが、魔法少女の力量次第では強敵にもなりうる。
結芽も美緒も命がけで戦っている魔法少女を罵るつもりはなかったが、せめて逃げ切るまではもってほしかった。
まさか魔法少女を無視して黒奴がこちらを追ってくることはないだろうかと軽く振り向いてみる結芽。
――その目に映ったのは、黒奴と戦う別の魔法少女の姿であった。
「……は?」
「こいつは私の獲物! 雑魚はすっこんでて!!」
空を飛んで黒奴に魔力の弾丸らしきものをぶつけるその魔法少女は、崩れた建物の方に向けてそう言った。
結芽には意味が分からなかった。
その魔法少女の背後から、さらに別の魔法少女が専用武器らしき冷蔵庫をぶつけようとしているその光景も、俄かには信じがたいものだった。
「このっ……邪魔すんな!」
「そっちが邪魔だ! アタシらのチームが先に着いたんだから、避難誘導でもしてろっての!!」
「うるさい雑魚だな! 騒ぐなら瓦礫の下でやってろ!」
「んだとゴラァ!!」
そして突如として勃発する魔法少女同士の喧嘩。
最初に瓦礫に埋もれさせられた魔法少女も参戦すると、いよいよ収集がつかなくなってくる。
黒奴を無視しているわけではなかったが、魔法少女としての責務を全うしているのかと聞かれればノーとしか答えられないだろう。
疑問で頭がいっぱいになりかける結芽だが、それでもこの場から少しでも遠くに逃げるために足を動かす。
「な、なんであの人たちあんなことして……私たちまだ逃げきれてもないのに!」
「流れ弾に掠りでもしたらアウトですから、じっとしててくださいね!」
自分の背中で怯えている美緒見て、結芽は少し冷静になれた。
今すべきことは、持てる全ての力を駆使して逃げること。
あの魔法少女たちへの説教は必要ないし、黒奴とは戦えないし、何よりも車よりも小回りが利いて安全だと過信していたせいで無闇に美緒を危険に晒してしまっているのだから。
「……じっとしているべき場面でじっとしてなかったのは私ですけども」
繁華街からやや離れているとはいえ、不自然に人の気配も動く車の気配も感じられない街を結芽は走る。
そういう魔法でも使われているのか、カラスやハトの一羽も見えない。
自分たちだけ逃げ遅れたというのは、警報が鳴ってからまだほんの僅かしか時間が経っていないので考えにくかった。
「ちょ、ちょっとそこの人! まさか逃げ遅れ!?」
「魔法少女……! 向こうの人たちに喧嘩なら後にしろって言ってきてくれません!?」
「美緒さん、その人に言っても仕方ないと思いますよ」
最寄りのシェルターがあるのは街の中央部。だが結芽は今、黒奴から遠ざかって安全を確保することを優先したため、反対方向に向かっていた。
そんな中で近くの建物の上から姿を現したのがこの魔法少女なわけだが、結芽はしっかりと少女が「逃げる口実見っけ!」と嬉しそうに呟いたのを聞いていた。
避難に手を貸してくれるのならこれ以上なく心強い分タチが悪い。
「さ、こっちこっち! 黒奴は他の魔法少女が注意を惹いてくれるはずだから、まずは離れないと!」
「その魔法少女に今しがた殺されかけたのですけどぉ……」
「……一生懸命戦ってるもの!」
「盛大に仲間割れなさってたんですけどぉ……」
「…………方向性の違いも時にはあるもの!」
良識的な魔法少女が味方してくれるなら安心かと、美緒は結芽の背中から下りようとする。
結芽もこのままというのはアレなので特に抵抗することなく下ろそうとする――が、何かが空気を割いて飛んでくる音を聞き、すぐさま背負い直して魔法少女の腕も掴んで全力で横へ跳ねる。
「うぇへ!?」
「きゃあっ!? いきなり何!?」
着弾、爆発。
弾け飛んだアスファルトは魔法少女を盾にして対処しつつ、砂埃に紛れてすぐさま逃走を再開する。
「……嘘だと言ってよ魔法少女!」
増え続ける砂埃。それを生産し続けているのは、ここらで一番高そうなビルに巻き付いたウナギ・黒奴だった。
黒奴の周辺から立ち上る煙を見るに、魔法少女たちは今も喧嘩を続けているのだろう。
おかげで逃がしてしまった獲物に無駄に執着する黒奴が誕生してしまったわけだが。
「あっ、あっ、あっ、な、何とかしてくださいよ魔法少女さああああん!!」
「うるさいひっつくなぁ! 私は非戦闘員なの!! だから絶対足止めないでよ君!? まだ死にたくないいいいい!!」
「二人とも黙ってください!!」
いよいよ絶望的な状況になってきた。
どうするべきか。そう思考を巡らせる結芽の視界に、同じように黒奴から逃げ惑うトラックの姿が映った。
「……何でこうなったんでしたっけ……」
「私が不用意に本屋を飛び出したせいですね」
薄暗い地下で、結芽は偶然生きていたコンセントに充電機を差し、携帯のライトで周囲を照らしていた。
結芽たちが今いる場所は、新都心の地下街。
どうせ黒奴に壊されて面倒だからという理由で、魔法少女は地下鉄の建設には否定的な意見を持つ者が多かった。
それでも何とか作りたいと思った行政は、魔法に頼らずに何とか地下鉄を完成させた。
その三日後、線路上に黒奴が出現し、崩落を防ぐような立ち回りを要求されたことで魔法少女は思うように動けず、大きな被害を受けたことで即廃線となったが。
辛うじて残っていた地下を有効活用しようとした結果生まれたのが、この地下街である。
不定期に黒奴に滅茶苦茶にされているが。
「……私たちここで死ぬのね」
「貴女が頑張ってくれれば死なずに済むのですけど」
今回もいつものように地下街はひどいことになっていた。
高所から魔力の弾丸を撃たれていたのだ。多少威力を減衰させることができるとはいえ、何の変哲もないアスファルトやコンクリートに耐えられるはずもなかった。
明かりを少し遠くに向けてみれば、三つ四つほど下の階まで貫かれた大穴が。
上に向けてみれば、ギリギリのバランスで瓦礫が重なり合って崩落を防いでいるだけの、天井とは決して呼べない天井が。
横に向けてみれば、死にそうな顔で俯いて体育座りをしている美緒と魔法少女の姿が。
――そして正面には、逃げる途中で強引に飛び乗ったトラックを運転していた、四人の男たち。
黒奴が出現する直前に美緒をナンパしていた、あの男たちだ。




