第二十九話 人質は生きているから価値がある
結芽はどこからともなく取り出した鞭を突きつけてくる紬義を見て、自分の置かれた状況を大体察した。
そして鞭で捕まってしまう前に、屋上の柵を飛び越えて端の端に立った。
「……私の価値ってものを考えるなら、それは多分お姉ちゃんの妹っていうことに集約されるんだよね」
「結芽さんっ!」
「大事な人質がただの死体になっちゃ困るもんね。会長さんに伝えなよ、正木。世界を滅ぼすのと私を見逃すのとで、どっちを選ぶのか」
結芽は何も死にたいわけえではない。今の状況を何となく察したがために、色々なものを天秤に乗せて考えた結果、これが最適だと思ってしまっただけのことだった。
紬義からしてみれば、突然投身自殺でもするのかというような場所に結芽が立つのだから、慌てるのも当然のことだったが。
「まあでも、会長さんが何を言っても、選ぶのは正木なんだろうけどね」
「っ……!」
「だってここにいないってことは、この学校の他の魔法少女を抑えに行ってたりするんじゃないの? あるいは他に来れない理由があるか……いずれにしろ、私を生かすも殺すも正木の思い通りってわけだ」
電話の向こうから副会長が何やら喋っているが、正木の耳にそんなものは届かない。
今の正木の頭を支配しているのは、どちらが正しいのかという疑問であった。
魔法を使えば結芽を確保することは不可能ではない。所詮結芽は魔法を使えない一般人。飛び降りられた後からでも追いつける。
しかし結芽を捕まえた後のことを、正木は会長たちから聞いていなかった。
正木にとっての結芽は、単に少し身体能力が高いだけの隣のクラスの友人。そんな相手が、自分が死んでしまっても別に構わないとばかりに屋上の端に逃げているのだ。
自分の行いは果たして正しいことなのか。ここに来て正木は、再びその疑問に向き合わされることとなっていた。
「……私から言えることは何もないよ。紬義が私を捕まえようとするなら、私は舌を噛みちぎってこのまま飛び降りるし、捕まえないならこのまま校庭に戻る」
「し、死ぬのは怖くないということですか……?」
校舎は四階建て。高さは十メートルと少し。見下ろしただけでも死が見えるというのに、結芽の声は震えてもいないし、足はそのまま当然のように空中へ歩き出してしまいそうだった。
「まさか。怖いに決まってる」
だが先ほども述べたが、結芽は怖くないからそうしているわけではない。
「でも私は、お姉ちゃんの妹だから」
自分が人質となることで舞に迷惑をかけてしまうくらいなら、自分の死に怒った舞に世界を滅ぼしてもらった方がマシだと思っただけなのだ。
そこまで大きな声で話していたわけではなかったが、電話の向こうにもそんな結芽の答えが聞こえていたのか、美音や千風の笑い声が聞こえてくる。
会長たちは絶句している様子だったが、その答えは紬義には不思議と納得できるものだった。
全ての行動は信じられるもののためなのだ。
紬義がこれまで正義のために行動してきたように、結芽はお姉ちゃんに相応しい妹であろうとしているのだ。
「……会長」
『な、何だ』
「……今、この場で結芽さんをどうこうする権利を持っているのは私です。なので、私は私の行動を決めます」
『正木、命令違反は許されません。それが正しいことなのです。私たちに従いなさい!』
「私は私の意思に従います!!」
迷いは消えた。後は進むだけ。
紬義は――握りしめていた鞭を投げ捨てた。
「もうこれ以上、何が正しいかなんて下らないことに惑わされてなるものですか!!」
もう片方の手に握っていた携帯に、紬義は目いっぱいの声量で叫ぶ。
もし会長たちがスピーカーモードではなく耳元に携帯を当てて会話をしていたら耳が酷いことになっていたくらいの声量だ。
「何が正しいかなんて、分かるわけがない!!」
紬義と結芽の視線が、屋上の柵越しに交差する。
距離にすればほんの数メートルほどかもしれない。しかしその柵のせいで、決して超えられない隔たりがあるように紬義には思えた。
「でもっ……それでも! これが間違っていることだけは分かります!!」
結芽は何も言わずに、柵をよじ登って比較的安全な場所に戻る。
隔たりは消えた。
『正木 紬義ッ……!』
「……さよならです。私は生徒会を抜けます。これまでお世話になりました」
電話を切ると、紬義はすぐに会長たちからの連絡を全てブロックするように設定を変えた。
そうした後、すぐに泣き崩れてしまった紬義を、結芽はそっと抱きしめた。
「……ッ!」
「アイツを人質に取ろうってこと自体、まず無謀だったのよ」
「何をどうしたら屋上の柵の向こう側に立って自分の命を天秤にかけようって思うんだよ……」
「結芽さんだからね」
「あの子本当に大丈夫な子??」
アイアンの鉄で拘束されていたが、かろうじて上半身は動かせた副会長は、計画が失敗に終わった怒りからか、天を仰いで深いため息をついた。
会長の方はと言えば、紬義が間違っていると告げた時からずっと目を閉じたまま微動だにしていなかった。
そんな中事の成り行きを見守っていた黒奴殲滅委員会のメンバーは、半笑いで結芽について話していた。
「多分、飛び降りても無事だろうしね」
「多分というか確実にでしょ。この前四階から飛び降りて帰ってたし」
「オレも二階から校庭に引きずり落とされたなァ……」
「あの子本当に大丈夫な子??」
「今度話してみればいいじゃない。話せば案外普通な奴よ? ちょっとシスコン気味だけど」
「絶対ちょっとじゃ済まないやつ……!」
完全に会長たちの存在は忘れ去られていたが、動きを見逃すほど油断していたわけでもない。
何かしようとしていた副会長に対し、アイアンは拘束している鉄のリングを締め付けることで抑え込む。
「おっと、まだそんな元気が残ってやがるとはな……寝かしておいた方がいいか?」
「魔法少女の喧嘩ってことで協会に連絡したから、後は待つだけだし、いいんじゃないかな」
「……メジャー、私たちの負けだ。こうなれば最早、大人しくしておく他にするべきことはないだろう」
動こうとしていたのは副会長のみ。会長の方はむしろ、抵抗をやめて大人しくじっとしていた。
単なる部下の暴走のようだったが、会長が諦めろと言っても副会長は止まりそうにない。
「……泡沫 結芽と正木 紬義は依然屋上に待機したままでしょう。こいつらを対処すれば――ぐっ!」
「対処すれば……何だって?」
「メジャーの非礼を詫びよう……だからもう少し拘束を緩めてやってくれないか? それ以上締め付けるのは……」
「それを決めんのはそいつの態度だな」
副会長は諦めない。見かねたジェードが生やした翡翠の柱に押しつぶされてもまだもがいている。
しかしその行動の根底にあるのは結芽のような信念でも、会長の命令を遂行しようという忠誠心でもないように思えた。
むしろ、もっと他の何かへの恐怖のような、そんなものを感じる。
「……メジャー、君は何を恐れているんだい?」
「……それを理解する必要はありません」
魔力の高まりを感じ、咄嗟にアイアンとジェードは拘束を強めるが、メジャーはそれ以上の力でそれらの魔法を跳ねのけ――会長を渡り廊下の端の方まで投げ飛ばした。
その直後、副会長は突然床から発生した裂け目から現れた黒奴に飲み込まれてしまった。
「この状況で黒奴か……」
「わ、私が食い止めますっ!」
「よしなよ。アレ銀冠だよ?」
泣き止んで落ち着くまで待とうとしていた結芽は、突如として校舎の真ん中辺りから天井を突き破って出てきたヘビのような見た目の黒奴を見ても、冷静だった。
黒奴の頭には銀色の冠が堂々と被せられていたが、それでも尚だ。
「銀冠っ……!? この学校の戦力を全て回しても、勝てるかどうか……!」
「だから落ち着きなって」
今、この学校には舞が訪れている。最強の魔法少女、リリィが。
だが仮にこれがリハーサルで、観客が一人もいなかったとしても、結芽は安心してその黒奴を観察していたことだろう。
今のように黒奴が巨大な口を開き、屋上を這い回って結芽たちの方へ向かってきていたとしてもだ。
「あっ」
もう少し早く動き出していればせめて屋上から退避するくらいはできただろう。
だがつい先ほどまで泣いていた紬義が立ち上がるのには少し時間がかかってしまったし、結芽には最初から逃げる気がなかったのでそれすらも叶わない。
死を覚悟したような表情の紬義。
特にそんな様子のない結芽。
――そして黒奴と結芽たちの間に割って入る、一人の魔法少女。
「……無茶なことされると、流石に焦るんだけど」
「でも間に合いましたよね?」
「……はぁ。せめて反省して」
透き通った結晶、というかダイヤモンドでできた刃を振りぬいた後には、真っ二つになった黒奴の死骸と気絶した副会長しか残らなかった。
生徒会は、この学校に……というか日本に魔法少女ダイヤモンドが戻ってきていたことを把握していなかったのだろう。
そうでなければ、国内外問わず活躍している魔法少女の一人を敵に回すようなことはしなかったはずだ。
「『金剛石』の……ダイヤモンド……!?」
「……こんにちは。結芽が迷惑かけたね、えっと……『鞭』のウィップ?」
その後は特にこれといったことはなかった。
テレビや新聞ではダイヤモンドについては偶然居合わせただけということになり、リリィが現れることもなく、犠牲者の一人も出なくて良かったということで終えられていた。
生徒会と黒奴殲滅委員会のあれこれについては、完全に闇に葬られた形になる。
結芽は、魔法少女の社会というものが華やかなのは見かけだけで、内情は暗い部分ばかりだということを、何となく再び理解させられたような気がした。
「もー! 何で逃げなかったの! 危ないことしちゃダメでしょ!」
「飛華里さん走ってたし、大丈夫かなって」
「そういう問題じゃないってことくらい、分かるでしょ! もうっ!」
「そりゃあ、あのくらいの高さならたかが一人抱えたまま飛び降りたって平気だけどさ」
体育祭は中止となり、安全の確保ができないため校舎には戻らずにそのまま生徒や保護者は帰宅させられた。
ちなみに荷物は後日どうにかするということにされた。
「本当にちゃんと反省してる? それともまさか、自分の代わりはいくらでもいるとか思ってる?」
「そんなわけないよ、お姉ちゃん」
そう答えながらも、結芽は自分の存在意義というものを考えていた。
もしいつかまた今回のようなことが起きた場合に、自分はどうすべきかということを考えるためにもだ。
まず真っ先に挙げられたのは舞の生活力の無さだったが、それについては夢唯と話しているうちに嫌なことを思い出してしまっていた。
それは中学生のころ、生まれて初めて風邪にかかって寝込んでいたときに、舞がおかゆを作ってくれた時の記憶だ。
そのおかゆが、おいしかったのだ。自分では無理だからと、魔法少女としての活動が忙しいからと、色々理由をつけられてしていた料理だが、その片手間に作られたおかゆがおいしかったのだ。
自分がこれまでに作ったものの何よりも。
「結芽ちゃん?」
「……あー、えっと、ごめん。そういえば帰りに買おうと思ってたものがあったの思い出したから、今から買ってくるね?」
「一緒に行く?」
「お姉ちゃんは休んでていいよ。今日は暑かったし、観戦してるだけでも疲れたでしょ」
逃げるようにバッグや財布を持った結芽は、これまではぼんやりとしていた風邪の時の記憶が蘇ってくるのを振り払うように足を動かし、買う必要のあるものを思い出すことに意識を割いた。
修学旅行で三日間いなかった時は散らかっていた家が、風邪で三日寝込んでいた時は綺麗に掃除されていたことを忘れるように。
「……勝ってる部分がまた減っちゃったなぁ」
米、野菜、魚、サラダ油、洗剤、靴下。結芽は必死にそれらのワードを頭の中で繰り返すが、一度思い出してしまった記憶は消えそうもなかった。
帰り道もあまり家に早く帰りたくなかった結芽は、最近頻繁に足を運んでいる公園を訪れた。
特に意味はない。夢唯たちがいてほしいとも思っていないし、座って時間を潰すと帰宅時間が不自然に遅くなりすぎてしまう。
なので、まさか知らない人がベンチに腰かけているとは思ってもみなかった。
「……こんにちは」
「えっ、あ、こんにちは……」
そろそろ本格的に夏の足音が聞こえてくる時期だというのに、その人は頭のてっぺんから足の先まで真っ黒な布で覆い隠していた。
声からして、おそらくは女性。だが布で覆われているせいで体格は小柄ということ以外分からない。
顔も目元も覆われ、視界を確保できているのかも分からない。手袋までしていて、完全装備だ。
「買い物帰りかな? この公園にはよく来るの?」
「え、えっと……買い物帰りです。この公園には、昔はたまに来てました」
あからさまに怪しいその女性は、親し気に結芽に話しかけてくる。
まさか知り合いかと考えてみるが、こんな格好の知り合いがいれば記憶に残っていないはずがない。しかし覚えがないので、これが初対面のはずだ。
飛華里の時のように忘れているという可能性もあり得るが、そう何度も同じことがあるとは思えない。
「……」
「……」
女性は黙って結芽を見つめる。
今更そのまま立ち去るのもアレかと、結芽もその場で何か動きがあるまで待つことにした。
布のせいで表情は読めず、知り合いとも思えないのでなぜこんな状況になっているのかも分からない。
「……そっか。じゃあね」
「え、あ、はい。さようなら」
しばらくすると、女性は立ち去った。結芽は終始その行動が理解できず、初対面の時の夢唯の気持ちをこんな形で理解したのだった。




