第二十七話 先手必勝
「あ、お姉ちゃんだ」
運動会当日、リハーサルとは違って生憎の曇り空となってしまったが、結芽のコンディションは昨日ある程度体を動かしてぐっすりと寝たおかげで万全の状態であった。
生徒の席から保護者の席まで徒競走のトラックを挟んでいる距離があっても、肉眼で姉を見つけられるくらいには万全であった。
「あら、来れたのね」
「上に掛け合ったんだってさ」
「……協会の人も大変そうね……」
結芽の姉が来ているということの意味を知っている美音は今日のニュースが暗いものにならなければいいがと思ったが、それ以上にニュースが暗くなりかねない要因がすぐ隣にいた。
「……どうかした? また寝不足?」
「今日は寝てきたから大丈夫よ。……大丈夫って言ってるのよ。膝枕はいらないってば」
命か身柄を狙われているはずの当の本人は、朝からいつも通りの調子であった。
狙っているのが魔法少女だからなのか、それとも体育祭の裏でそんなことが起きているとは知らないのか、あるいはとぼけているだけなのか。
美音にそれを判別することはできなかったが、友人が危ない目に遭いそうになっているのを見過ごすような育ち方はしていなかった。
例え結芽が魔法少女が相手でも普通に抵抗しそうな力を持っていたとしても。
例えこの場に最強の魔法少女である結芽の姉が居合わせていたとしても。
命を張っても万が一の事態に発展しない保証があったとしても、それはここで全力を尽くさない理由にならなかった。
「ミィ、先輩たちと連絡がついた。そろそろ移動しよう」
「……そう。結局最初の競技にすら出られなさそうね」
「最後には間に合うかもしれないよ?」
「無理じゃないかしら」
美音はブルーシートから立つと、軽く周囲を見渡した。
視界に映る生徒、生徒、生徒、たまに教師、そして保護者。だがその中に、生徒会の生徒の姿は見当たらない。
昨日はいたるところに生徒会の腕章をつけた生徒が立っていたというのに。
紬義の姿さえも見えないというのに、誰もそのことについて言及しないどころか、違和感を抱いてすらいない。
「……どこか行くの? やっぱり体調不良?」
「……ちょっとね」
「昨日私がその言い訳使った時は微妙そうな顔したくせに……」
そんな結芽の言葉には答えず、そのまま美音は認識阻害をゆっくりと発動させた。
世界から切り離されるように、周囲の人間の注意が二人に向かなくなっていく。
怪訝そうな顔で二人を見ていたはずの桔梗や鈴乃たちも、なぜその方向を向いていたのかも忘れて別の話を始めていた。
つい先ほどまで話していた結芽でさえも、二人のことを忘れて舞の方をじっと見つめていた。
「行ってらっしゃい。気をつけてね」
「……ありがと。行ってくるわ」
だが、気づいたら消えていたという事実は確かなので、返事を認識することはできずとも、そんな独り言を呟くくらいのことはできた。
やはり一般人とは呼べないなと再認識して、二人は生徒席を立ち去った。
「何でったって校舎に魔法少女がいやがるんだと思えば……そういう事情があったか」
「た、確かに教えたけど……教えたけども……! こんなに早く認識阻害のコツを掴んじゃうなんて、魔法少女の先輩としての威厳がぁ……!」
本番中は施錠されるので校舎には立ち入れません、と開会式の時点で言われていたものの、魔法少女にそんなものは関係なかった。
アイアンの専用魔法を使うまでもなく、適当にちょちょいとやれば、校舎に忍び込むくらいは容易かった。
そうして校舎の一階の女子トイレに集合した黒奴殲滅委員会。
コスプレのような恰好の四人組が学校のトイレに集まって作戦会議をしているという異様な光景だったが、この場にそれを気にする人間はいなかった。
「た、頼んでおいて何だけど……大分危ない橋を渡ることになるのよ? 生徒会を敵に回すってことは、この学校での立場が無くなるってことだし……」
「……結芽さんのため、というのが鍵なのかな?」
それよりもドールとファンには、一応事情を説明したとはいえ、作戦家としても魔法少女としても素人である自分たちの考えた危険な作戦に乗ってきた二人のことが気になっていた。
先制攻撃の奇襲で何かされる前に何もできなくするという、最早作戦とも呼べない作戦。
二時間話し合った結果がこれだったドールたちは、結芽的な思考に染まり過ぎたかと一時は頭を抱えたほどだった。
「アイツには世話になったからな……ま、多少危険なことだろうが付き合うぜ。テメェらのことも放っておけねェしな」
「アイアンの言う通りだよ。あの子の事情は知らないけど、魔法少女同士のいざこざに巻き込むべきじゃない。私たちで守らなきゃ!」
それでも二つ返事でやろうと言ってくれたのは、このままでは被害者になってしまうかもしれない結芽の存在が大きかった。
アイアンは借りを返すために、ジェードは単純に魔法少女のいざこざから遠ざけるために。
結芽の姉はあのリリィなので、仮に作戦が失敗しても大事には至らないが、それを知らなくても二人は戦うことを決めてくれた。
「んで、それぞれの担当だがよ。数は脅威だからなァ……ドールとファンはそれぞれで書記、会計とかの幹部クラスの撃破。その間にオレらでヒラを潰す。その後合流して、会長と副会長相手に総力戦ってのがいいか?」
「多対一は難しいからね。……というかそもそも、対人戦の経験って無いと思うけど……大丈夫? 戦うことがどういうことか、分かってる?」
何なら誰がどう立ち回るかなど、考えていなかった部分を埋めて、かつ対人戦の経験がないのを気遣ってくれるくらいだった。
「大丈夫よ、殴り合いの喧嘩なら経験があるわ」
「人を殴るのも、人に殴られるのも、少し怖いけど……彼女のためならこの命一つくらい、安いものさ」
「こいつら本当に素人か??」
もっともそんな心配は、この二人に限って言えば無用だったが。
対人戦は初めてのことだったが、人を攻撃することに対する躊躇いなどは欠片も存在しなかった。
そして熟練の魔法少女あるあるの、黒奴を相手にする感覚しか知らないというのも、まだ新人の二人には関係ないことだった。
強いて言うなら対人戦での魔法の加減を知らないが、糸も風もそこまで相手に深刻なダメージを与えるものではないし、おそらく敵はそういうものに慣れているので大丈夫だろう。
「あっ、でもアタシ敵の配置まで知らない……」
「安心しろ。その辺はオレらが今さっき確認しておいた」
「一階の会議室にヒラの子たち、二階と三階の廊下に書記と会計、四階の渡り廊下に会長さんたちって感じだよ」
「となると、バラバラに移動する形になるね」
「戦闘終了後は図書室に集合ね。ダメそうなら終わり次第応援に行くから安心して」
出発前に円陣を組み、四人で手を重ねて改めて気合いを入れる。
このチーム結成から初めての対人戦だが、この中の誰も負けることを考えていなかった。
これが正しい行いだと確信しているからではない。
ただ、負ければ友人が酷い目に遭いかねないのだ。負けられるはずがなかった。
「んじゃ、アタシ二階ね。……ヘマするんじゃないわよ」
「誰に言ってるんだい。君こそ、やり過ぎないようにね」
別れ際にそんな軽口を叩いて、ドールとファンはそれぞれ違う場所の階段を上っていった。
「……本当に素人なんだよな?」
「ふ、二人ともまだ魔法少女になって二ヶ月も経ってない……はず、だよ?」
そのやり取りはまるで熟練の戦士のようで、アイアンは二人のことがよく分からなくなった。
「ごきげんよう、先輩さん。悪いんだけど、くたばってくれないかしら」
「……いきなりぶっ放すなんて、躾がなってないんじゃないの? 本が汚れたらどうしてくれるの、えぇ?」
校舎に被害が出ることも気にせずに放った魔力の弾丸は、流石に距離が離れすぎていたからか、威力も全く出ず簡単に防がれてしまった。
廊下の窓から退屈そうに校庭を眺めていたその少女は、不機嫌そうな様子を隠そうともせずにドールの方へ視線を向けた。
第二射の準備ではなく、問答無用で殴りかかってきているドールを。
「やっぱりなってないね。殴り方は教わらなかった? まだ新人? それで私たちに盾突こうっての?」
「アタシはイエスかノーかで答えられる質問したつもりよ。アンタはくたばってくれるの、くれないの?」
「そんなの……嫌に決まってるでしょ!」
殴りかかったドールの拳は、肉眼では見えない壁に阻まれる。
汎用魔法、魔力防壁。その名の通り魔力で壁を作り出す魔法だ。込めた魔力の量によって強度が変化する性質がある。
魔力ゆえに目に魔力を纏わせなければ不可視かつ物理的な干渉は一切受け付けず、魔法での干渉もある程度緩和してくれる。汎用というだけあって便利な魔法だ。
そこそこ実力差があるとはいえ、ドールでも魔力を纏わせて全力で蹴り飛ばせば砕けないこともないが、砕いたそばからすぐに次の壁が展開されてしまう。
さらに生徒会書記はその防壁を器用に操作し、カッターのように飛ばしてきた。
ドールは普段の黒奴との戦闘でも近接戦闘を担当していたので、回避すること自体は簡単だった。
距離を離してしまったのはまずかったが。
「……体の使い方もなってない……やっぱり素人ね。無駄な正義感に溢れた先輩にでも巻き込まれた? 不幸だったね」
「チッ……流石にキツイわね!」
単純な魔力の弾丸と異なり、空中に留めておくことで動きを制限される魔力防壁。
ドールはもうしばらくは相手の出方を伺っておくつもりだったが、流石に捌ききれなかったので早々に専用魔法を解放した。
指先からぬるりと出てきた糸に警戒を露わにする書記。
重ねて数枚の魔力防壁を展開する――
「……へぇ、面倒な魔法……切れば切れるけど、面で触れたらコントロール持ってかれるのか」
「残念だったわね、アンタの魔法はアタシの武器になるのよ!」
――が、その全てがぶつかり合って砕け散った。
同じ程度の魔力を込めて生成された防壁ならば強度も同じ程度。糸で操作してぶつけてしまえば、わざわざ蹴り砕くまでもない。
専用魔法というのは初見殺し性能が高いものが大半で、ドールのこれもその例に洩れない。
体に触れたらまずそうだという認識を書記に持たせてしまったのは失敗だったが、その警戒で動きを制限できたのは大きい。
内なる中学二年生を解き放って人形操糸と名付けたその糸は、実は伸ばすだけなら数キロ単位で伸ばしても魔力の消耗が少ない。糸ゆえに強度はお察しだが。
書記の背後を逃げ道を塞ぐように張り巡らせても、特段ドールに影響はないのだ。
もっとも、糸に触れたものを操る時に抵抗されると急に消費魔力量が酷いことになるのだが。
「でりゃあッ!」
「粗削り……でも厄介!」
「そりゃ、どう、も!!」
ドールは結芽を見ていて思ったことがあった。
それは、人体は案外無茶な動かし方をしても問題はないというものだった。
専用魔法の使用中、両手の指先から糸を出す都合上、拳を握るのは難しいドール。
また、常に敵に指先を向け続けなければならないというのも、微妙に戦いにくいポイントだったりする。
これがチーム戦ならば他の誰かに火力役を任せられるが、今この場にいるのは彼女一人。
ならばどうするか。
「っこの……! チッ、獣かお前は!?」
「そのコスチュームですることじゃないってよく言われるわ!!」
ドールが出した答えは、両手を地面について戦うというものだった。
四足歩行ならば機動力を確保しつつ、敵に指先を向け続けることもできる。人としてのプライド? 知らない子ですね。
人間を相手にしているという先入観から相手は確実に意表を突かれるし、前後左右だけでなく壁や天井にまで這い回って来られると、どの方向から糸が来るかも分からなくなる。
こうなってしまうと、書記も防壁を自分の周囲に張り巡らせて糸が肌に触れないようにするしかできなくなる。
書記からの攻撃を警戒して常に動き回りつつ、防壁の一か所を重点的に糸で剥がし続けるドール。
あと少しで届く。
そう思い、ほんの少しだけ油断した。
「……色々言いたいことはあるけど、将来性は感じられた。そこには敬意を表そう」
忘れてはいけないが、専用魔法とは初見殺し性能が高いものなのだ。
「くっ……」
防壁の中で、書記は床に栞を突き刺していた。
そして、ドールは全身を地面から生えてきた槍に串刺しにされた。
何の加減もなく攻撃していたのだから、やり返されることくらいは想定していた。
とはいえここまでの負傷は想定外だったが。
「動かなければそれ以上槍が刺さることはない。殺す気はないから、じっとしてな」
急所は逸れている。腱や骨にも損傷はない。
動けば痛むが、それだけのこと。
書記は最初のように外を見ながら本を開こうとして、やめた。
「どうしたのかしら? アタシはまだ立っているわよ? まだ戦えるわよ? どうかしたのかしら?」
「……どこの誰だよ、こんな魔法少女育てた奴……」
「さあ! さあ! まだまだ戦えるでしょう!? アタシはまだまだよ!!」
強引に体から槍を引き抜き、ドールは再び魔法を構えていた。
全身真っ赤っかだが傷口は器用に魔力で覆っているのか、見た目ほど酷い損傷を受けてはいないようだった。
とはいえ血を流し過ぎたのか、若干貧血でフラついている。
半端に痛めつけるよりも一撃でノしてしまった方が良かったかと、書記は後悔した。
「はぁ、これでやっと終わりか。……新人の相手とか、精神的に疲れるから嫌なんだよなぁ」
そして栞を壁に差し込み、巨大な拳を生成してドールを吹っ飛ばした。
貧血で思うように動けないドールはその攻撃をモロに食らってしまい、廊下を十数メートルほど吹き飛んで動かなくなった。
ドール対書記は、書記の勝利で終了した――
――書記自身もそう思って油断した背中に、糸が突き刺さった。
「そうね、これでやっと終わりよ」
「……マジかよ」
書記の背後に立っているのは、無傷のドール。
その指先からは九本の糸が書記の脊髄に伸びている。
手足どころか口と目線以外は完全にコントロールできなくなった書記は、一体どんなトリックだと先ほど吹き飛ばしたはずのドールの方へ視線を向けた。
「……最初から相手にしてたのが偽物だったってのね……見抜けるかよクソが」
「悪く思わないでよね。こうでもなきゃ勝てないんだから」
「そこはわきまえてるよ。完敗だ。……もう手出ししないって約束するから、これやめてくれない?」
「じゃあ、ちょっと寝ててもらうわね」
「えっ」
ドールの専用武器は、自分そっくりの人形だった。デコイにするくらいしか使い道がなくこれまでは封印していたが、今回は役に立った。
人形操糸を使えば人形でも生きた人間のように振る舞わせることができるし、認識阻害があれば本体が隠れていることに意識も向かない。
書記は盛大にため息をつきたい気分だったが、それすらもできないようにされていた。
そして脊髄から無理矢理脳に命令されて、書記の意識は闇に落ちていくのだった。




