第二十五話 拳で語る少女たち
黒奴との戦闘が終わっても、魔法少女はあまり気が抜けない。
下手に変身を解除すれば見てる人がいるかもしれないというのもあるが、それよりも建物が崩れてきたり火事が起きたりしたときに、生身だと死にかねないからだ。
特に深夜では、魔法である程度視界を確保できるとしても危険性が高まる。
実は魔法少女の負傷理由は、そういうものが多かったりする。死亡理由は、やはり戦闘によるものが大半だが。
ゆえに戦闘後も、協会の処理班の到着を待つまで魔法少女は魔法少女のまま待機していることが多いのだが、今回は深夜だったが少し事情が違った。
「……また派手にやってるわね……」
「これ、オレらの戦闘の余波って思われるんだろ? 嫌になるぜ、全く……」
「仕方ないよ。ああいうのは、他人が何か言って止められるようなものでもないから」
戦闘後にもかかわらず、黒奴殲滅委員会のメンバーはジェードの生成した翡翠の影に隠れて何かから身を守っていた。
そして、輝石からは絶えず何かがガンガンとぶつかる音が聞こえてくる。
様子を確かめようと少し顔を出してみたドールの真横に、魔力で形成された矢が突き刺さった。
「逃げないでよ姉さん!! 逃げずに大人しくハチの巣になれ!!」
「嫌に決まってるよね!? どうしちゃったのボウ!? 先輩達に迷惑かかってるのが分からないの!?」
「うるさい当たれ!!」
「きゃあっ! 掠った! 今掠ったんだけど!?」
外で繰り広げられているのは、姉妹喧嘩であった。ただし魔法少女同士の。
どちらも魔力を生成する際の対価が軽いのか、ボウは建物の屋上から無尽蔵に矢を放ち続けているし、逃げ回っている姉のガンは銃こそ抜いていなかったが、汎用魔法をじゃんじゃん使っていた。
ボウの矢の貫通力は凄まじく、ジェードも翡翠輝石を使い続けなければすぐに防御を突破されてしまいそうだった。
ちなみに、ジェードが必要とする対価は窒素なので、呼吸ができて魔力の消費量が供給量を上回らない限りは防御を突破される心配はない。
「前まではもっと大人しくしてたと思うんだけど……誰かに何か言われたのかしら?」
「案外結芽さんが、殴り飛ばせば万事オッケーとでも言ったのかもね。ははは」
「いや、それは流石に……な、無いわよね……? アイアンの時とか、妙な所で妙な繋がりを見せてくるけど、無いわよね……?」
「アイツならやりかねねェな」
「そんなに野蛮な子だったっけ?」
「初対面の時にシャーペンで刺されそうになってなかったかな?」
「何してんだアイツ……」
とはいえ余裕にし過ぎではないかと思われるかもしれないが、翡翠の硬さは宝石界でトップクラスなので本当に防御が突破される心配はない。
硬い宝石といえばのダイヤモンドはモース硬度10ということで知られているが、モース硬度は傷のつきにくさの数字でしかなく、実はダイヤモンドはハンマーで割れるのだ。
それに対し、割れにくさを示す靭性では、翡翠はサファイアやルビーに並ぶ強度を誇るのだ。
なのでこれだけゆったりとしているわけなのだが、流石に銃声が聞こえてくればボサっとしているわけにもいかない。
同時に降り注いでいた矢も止まったので、何事かと思い見てみれば、ついにガンが銃を抜いていた。
銃口からは硝煙が立ち上っており、ボウの足元にはえぐり取られたような跡が。
「いい加減にしないと……お姉ちゃん、そろそろ怒るよ?」
「ッ……へ、へぇ? 逃げ回ることしかできないのかと思ってた。戦えたんだ」
直後、ガンの持っていた拳銃が変形し、質量保存も何もあったものじゃなかったがバズーカへと姿を変え、ボウのいた場所を丸ごと魔力の弾丸で抉り取った。
ボウもガンもまだチームには加入していないようだったが、活動地域が似ていたため、今回も避難誘導を任せて戦闘していたのだが、またしても言い争いを始め、結果としてこうなっている。
二人の不仲を知っていながら同じ場所で働かせたのだ。原因の一部は自分たちにもある。
絶えず聞こえる音が矢の突き刺さる音から銃声へと変わり、流石にまずくないかとドールはアイアンに再び割って入ってもらえないかとそれとなく尋ねる。
「ちょっ、そろそろ止めなきゃまずくないの? この調子だと、どっちかが動けなくなるまで続くわよ?」
「ならどっちかが動けなくなるまで待つしかないよ。……見て分かるでしょ?」
「……それは、そうだけど」
二人を見ている限り、ガンの方はボウに歩み寄ろうとしているように見える。
しかし、それでもボウが拒絶し続ける理由というのは、こうしてガンが攻勢に出るとすぐに分かった。
ついさっきまで追い詰めていたボウが、逆にガンに追い詰められているのだ。
もちろん反撃しようとしているのは分かるが、その悉くをガンに封じられている。
何が違うかと言えば、それは才能であった。ジェードにはそれが痛いほど理解できる。
「あああああッ!!」
「反省しなさい!!」
ついには矢を握りしめて突撃したボウだったが、銃弾を頭に受ければ、流石に立っていられない。
それでも足掻こうと魔法を構えるが、追加で二、三発撃たれてしまえば完全に意識も途絶えた。
ガンはドールたちに一言謝ると、そそくさとその場を立ち去った。
「……ねえ、ファン。私たちの戦闘終了から、もう三十分くらい経ったわよね」
「そうだね」
「……処理班の到着が遅すぎるってのか?」
「だっておかしいじゃない。ここだって、校外とはいえ新都心に近いのよ?」
二人が引き上げてからわずか数分後、協会から黒奴の死骸や被害を受けた町をどうするかを話し合ったりする処理班がやって来た。
喧嘩の後で良かったと思わないでもないが、こうも狙い澄ましたようなタイミングには違和感を感じてしまう。
処理班の人に話を聞いてみるが、別に喧嘩のせいで近づけなかったという様子でもない。
怪しい部分しか見当たらなかったが、ドールたちには何もできず、既に深夜であることも忘れてその日の反省会をするくらいしかできなかった。
「じゃあ、ついカっとなっちゃったわけだ」
「はい……あの子のこと、嫌いになんてなるわけないのに……あの時、私、どうかしてたんです……」
「喧嘩一つで、そう思い詰めることはないと思うけどなぁ」
昼休みに紬義と話した三日後の放課後、ちょうど中間考査で学校が早く終わった結芽は暇だったので公園に来ていた。
勉強しなくて大丈夫なのかと聞かれれば、実はそんなに問題はない。これでもそれなりにはできる方なのだ。
たまに来ると言っておきながら一週間ほど顔を出せていなかったので、もう夢唯にも忘れられているかなと思いながら本を読んでいたのだが、意外なことに公園に現れたのは姉の結唯だった。
今にも泣きそうな顔でフラフラと歩いているので声をかけてみれば、どうやら夢唯と喧嘩して、ついカっとなって手を上げてしまったのだとか。
そして、それが昨日の深夜のことで、夢唯は今日学校を休んで部屋に閉じこもっているのだという。
結芽はいつも夢唯としているように結唯とベンチに並んで座り、適当に自己紹介などを済ませて話を聞いていた。
ちなみに、その妹と面識があることは明かしていない。
「……どうかしてた、って言うほどどうかしてたわけじゃないと思うよ」
「愛する妹に、暴力を振るってもですか……?」
「どれだけ愛しても愛してもらえないなら、憎んだっておかしくないよ」
「私があの子を憎んでいるって言うんですか!?」
「うん」
まだその時の気持ちの整理もできていないのか、結芽の言葉に対して立ち上がりながら怒鳴るように返してしまう結唯。
しかし、結芽の表情は至って冷めたもの。そのくらいよくあるでしょ、とでも言うような顔だ。
話を聞いてもらっている側という立場もあってか、結唯はすぐに冷静になってベンチに座り直す。
「どれだけ愛しても、それで相手からも愛してもらえるわけじゃないから」
「……愛されるために愛したわけではありません。私はただ愛したんです」
「作用反作用ってやつだよ。ぶつけた分を相手が受け止めてくれなきゃ、全部自分に跳ね返ってくる」
「…………」
「心当たりがあるって顔だね」
姉がこの様子なら、おそらく夢唯も自分が愛されていることは理解しているはずだ。
だがその上で、それを拒絶している。
どうしても受け入れられないのだろう。結芽には分かる。
「憎むことは悪いことじゃないよ。その分、愛してるんだから」
「……でも全く逆の感情ですよね、それって」
「矛盾してちゃダメなの? いらないけどいる、嫌いだけど好き、よく聞く言葉だよ」
「……よく、分かりません」
この世から消し去ってしまいたいほど憎んでいるものでも、人は愛することができる。
同様に、どれだけ愛しているものであっても、人は憎むことができてしまうのだ。
結芽はそれを知っていたが、自分でもはっきりと理解しているわけでもないし、説明することは難しかった。
ゆえに、結芽にできるのは夢唯の時と同じように、そっと頭を撫でてやることくらいだった。
「……私にもよく分からないよ。難しいことは多分、お互いに分からないことばっかりだと思う」
「……お姉さんみたいな、年上の人を頼れってことですか?」
「うーん、まずは自分たちで何とかするべきだと私は思うかな」
「でも、話し合いじゃどうにもならないって……」
結唯は頼る人の候補に、真っ先に大人を挙げなかった。このくらいの歳なら、まだ親に頼り切りでもおかしくないのに。
この前夢唯を探して結唯がここまで来た時も、妹が親と喧嘩したと言っていた。
やはり色々厄介な事情を抱えているらしい。子供は笑ってその辺を走り回っているくらいが丁度いいのに。
「そうだね、話し合って分かり合えないなら――殴り合うしかないよね」
「殴り合い……なぐ……えっ?」
突然シャドーボクシングを始めた結芽にドン引きの結唯。しかし、結芽の動きには本当に目の前に誰かがいて戦っているかのような臨場感があった。
だから何だと言われればそれまでだが。少なくとも結唯にはそこから何かを感じ取ったようだった。
「ボディ……ランゲージ……?」
握りしめた自分の拳をじっと見つめて呟いた結唯は、完全に危ない人である。
だがここには、暴力を肯定する狂った人間と世界しかない。
「私たちの拳は、時には言葉以上に雄弁なものだよ」
「でも……私、あの子より身体能力高いし……」
「一発ずつ交代で殴ればいいんだよ。タイマンってそういうものでしょ?」
「そうですか……? そうかもしれません……」
「どうしたの、その顔」
「姉さんに殴られた」
「何かしたの?」
「部屋に閉じこもってたら、突然叫びながら殴りかかってきて、咄嗟に殴ったら殴り返された」
翌日の放課後、公園に行った結芽を待っていたのは頬に湿布を貼った夢唯であった。
話を聞くに、結唯はその日のうちに会話を諦めて殴りに行ったようだ。
「大方、お姉さんがけしかけたんでしょ」
「そうだと言ったらどうする? 私とも殴り合ってみる?」
「嫌ですよ。お姉さんの場合、殴り合う前に殺されそうですし」
「ひどいなぁ、殺しはしないよ」
「じゃあ半殺しですね」
「……あはは」
否定はしない辺りに結芽の人格が滲んでいる。夢唯はこの人とだけは敵対したくないものだと思った。
まだ少し痛むのか、頬をさすっている夢唯だったが、その姿からは不満や怒りのようなものは感じられなかった。
むしろ、殴り合えたことを喜んでいるようですらあった。
「……私が一方的に叩いて逃げることとか、姉さんに叩かれて私が逃げることは、これまで何度かあったんです」
「殴り合うのは初めて? 敵のは全部避けて自分のは全部当てれば勝てるよ」
「勝ち負けは問題じゃないんですよ。……互いに一発ずつ殴ってみて、姉さんのことが少し分かった気がしたんです。あまりに野蛮でしたけど、久々のコミュニケーションだったと思います」
結芽としては体を動かしてストレス発散、という程度の軽いアドバイスだったのだが、どうやらこの双子は本当にボディランゲージでコミュニケーションを成立させてしまったらしい。
双子だからこそ、言葉以上に自分たちの体の繋がりで分かり合えることもあったということだろうか。
考えてもよく分からなかったので、とりあえず少しは進展したならヨシと結芽は思考を放棄した。
「姉さんの何がそんなに憎かったのかも、その時は忘れていました。ただ、殴られそうになったから先に殴っただけで」
「踏み込みが大事だよ」
「そういうのいいんで。……殴って、殴られて、すっとした気分になれたんです。姉さんも同じ土俵に立つ人間なんだって、そう思えて」
「無理に急所を狙わなくても、素人は殴られそうになればビビるものだから、相手の動きをよく見るの」
「そういうのマジいいんで」
暴力は野蛮、もしかしたらそう思う気持ちがあるからこそ、同じ立場になって対話ができたと思えているのではないだろうか。
結唯の方がどう思っているのかは分からないが、おそらく夢唯と同じ気持ちのはずだ。
家庭環境に何か変化があったわけではないが、これがきっかけで双子の溝が少しでも埋まってくれたのなら、結芽としてはこれ以上ないことだった。
「夢唯はすごいね」
「……どうしたんですか、そんな顔して……何か辛いことでもありました?」
「え、何もないよ?」
「これまではお世話になってばかりでしたけど、お話くらいは聞けますよ」
「何もないってば」
誤魔化されて、不服げな顔の夢唯。結芽は、今は鏡を見たくない気分だった。
それからすぐに、特に用事がないからここに来たくせに、この後用事があるからと言って逃げるように公園を立ち去った。
後ろから追いかけてくる足音が聞こえてこないのを確認すると、結芽は立ち止まり、自分がどうしてこんな気分なのかを自分自身に問いかけた。
「……あぁ、嫉妬か」
答えはすぐに出た。
「バカだなぁ」
そして自嘲した。
「どうして私の時はああできなかったのか、なんて……たらればの話に意味なんて無いのに」




