第二話 妹はただの人
クラゲ・黒奴が瞬殺された後、さながら英雄のようにリリィは崇められ、先に時間を稼いでくれた魔法少女のおかげだと彼女が言うと、その魔法少女も同時に崇め奉られた。
そんな混乱に乗じて、結芽はさりげなく千風と美音のそばを離れると、そそくさと逃げるように家に帰った。
理由は単純。食事の準備だ。
「ただいま! ごはん!!」
「できてるよー、今日もお疲れ様」
「かっこよかった?」
「かっこよかったかっこよかった」
魔法少女が魔法を使う際、空気中の魔力を使うこともあるが、大抵は体内で生成した自分の魔力を使用する。
その時、普段から体内にため込んでいた分以上の魔力を使うために生成スピードを早めようとすると、何かしらの対価が発生することがあるのだ。
舞はエネルギーを対価に魔力を生成できる。
ちなみにエネルギーであれば大体何でもよく、ある時は発電所で固定砲台のような感じになったこともあったらしい。
しかし何でもいいと言っても好みはあり、食事によるエネルギー補給が一番良いらしい。
効率で言えば熱を魔力にするのが一番らしいが、ひりひりして嫌なのだとか。
「やっぱり戦った後はこれでしょ!」
「……毎度思うけど、どこぞのピンクの丸い奴みたいに食べるなぁ……」
そういった対価が理由で、舞は戦闘後は腹が減って仕方がないのだ。
結芽は今日は授業などはなく、自己紹介などが終わるとすぐに下校だったため、まだ昼食をとっていない。
なので今一緒に食べているのだが、食べるスピードも量も段違いだ。魔法少女を引退してもフードファイターとしてやっていけそうなほどに。
ちなみに現在高校一年生で15歳の結芽に対し、舞は大学一年生で18歳。
魔法「少女」とは言うが、実は年齢制限はないのだ。中には20歳を超えている人もいる。
魔法少女のシステムができてからまだそんなに経っていないこともありまだ三十路の魔法少女というのは存在しないが、いずれはそういうことも起こりうるだろう。
「結芽ちゃんもお友達も、怪我は無かった? 他所のついでに来たからちょっと遅くなっちゃったんだけど」
「銀冠ってついでで叩き潰せるものなんだ……怪我はないよ。黒奴が入ってくるときに落ちた瓦礫の下敷きになった人はどうだか分かんないけど」
ちなみに魔法少女のモチーフが展開するバリアには人の認識をうまいこと弄る能力もあり、舞がリリィだとバレることはあまりない。
魔法少女同士ではあまり意味を為さない機能なのだが、これのおかげで住所が特定されたりストーカー被害に遭ったりする危険性が無くなっているのだ。
しかし変身するところや変身を解除するところを見られるとその機能がうまく働かないことがあるので、過信は禁物だ。
舞の場合は魔法少女になる前から黒奴と戦ってきており、その当時を知る人からは少しだけ正体がバレている。
もっともその当時は一般人を守れるほどの余裕がなく、基本的に同伴していた自衛隊の人たちなどに顔を知られているというだけなのだが。
「ところで、高校はどう?」
「どうだと思う??」
「……いや、ごめんて。私としても気は乗らなかったんだよ? でも協会の方がうるさくって……」
「それは散々聞いた。お姉ちゃんが最終的に『妹さんも同じ高校を卒業しますよ』なんて言葉にホイホイ乗せられたことも」
「ごめんなさい」
結芽が高校に馴染めそうにない理由の一つに、半ば姉のコネで入学したというのがある。
入試直前で当初予定していた学校に進めないと告げられたかと思えば、魔法少女協会の意向で多くの魔法少女を輩出してきた高校に通わされることになったのだ。
高校の名は第一魔法少女養成国立高校。通称ダイマ。
魔法少女養成との名がついているが、一応中身は普通の高校と言えば普通の高校で、魔法少女に専用のコースが用意されている以外には変わったことは特にない。
偏差値と入試の倍率が異様に高いことを除けば、だが。
魔法少女コース以外は普通と言っても、ダイマは国内ではまだ数少ない魔法について一般人が学ぶことのできる高校なのだ。
空が裂け、黒奴が現れ、ファンタジーがフィクションでなくなってから9年がたっても、まだ魔法についての詳細は伏せられている部分が多い。
また、魔法が使える人間が魔法について本にまとめてくれていることも少なく、年頃の子供たちはこぞって出願だけでもするものなのだ。
倍率については記念で受験する連中も多いというのがあるので何とも言えないが、普通に難関校であるのは事実。
入学できているだけ、千風なんかでもエリートと言えばエリートなのだ。
「……入試の結果に関わらず入学は決定してたようなものなんでしょ?」
「で、でも採点してみた感じ、普通に合格ライン行ってたと思うけど……」
「気になるものは気になるよ……何でなのさ魔法少女協会……私は別に魔法とか使えないのに……!」
魔法少女協会とは、その名の通り魔法少女の保護や育成を目的とした組織だ。
かつてはほぼボランティアで働いていた魔法少女が、働かせるなら金を出せと言ってボイコットを起こした集団が前身だと言われている。
そういった経緯もあり、協会に所属する魔法少女は協会から給料が出る他、魔法の訓練施設の使用許可や他の魔法少女についての情報やこれまでの黒奴についての情報なども得ることができる。
所属しなければいけないわけではないが、所属しないメリットなど無いようなものなので、現在はほぼ九割の魔法少女が協会所属なのだとか。
ただし所属すると近くに黒奴が出現した際に出動させられるらしいので、魔法を得ても戦いたくない魔法少女は所属しないとか。
結芽には魔法少女としての素質はない。
姉は日本どころか世界的に見てもトップに君臨する最強の魔法少女だが、血縁は魔法少女の素質に関係ないのだ。
それなのに協会がちょっかいをかけてくる理由については、大体予想できるものだ。
「そうまでしてお姉ちゃんに恩を売っておきたいかなぁ……」
「そんなことしなくたって、結芽ちゃんのいるこの国を滅ぼさせたりなんてしないのにね」
「……むしろお姉ちゃん、私に何かあったら協会ごとこの国滅ぼすでしょ」
「え? うん」
魔法少女リリィという存在は、それなりに魔法少女が数を増やした今でも大きい。
かつてはモチーフが無かったり、魔力が体に馴染んだ子供が少なかったり、魔法が使えても戦う覚悟のできた人が少なかったりして、舞ばかりが前線に出る時期もあった。
海外とは半ば連絡が取れなくなったような現状でもこんな島国が滅びていないのは、結芽の目の前で大量の料理を一瞬で平らげた人間があってこそなのだ。
しかし今は、一つの町に数人は魔法少女が常にいるような状態が完成している。
何も舞が前線に出なければ全てが終わるような状況は……滅多に来ないのだ。
とはいえ、最強の肩書は大きかった。どこからともなく現れた数百体の黒奴を負傷者数人程度の被害で片付けたり、金冠クラス数体を相手に怪我人すら出さずに数十秒でケリをつけたり、その武勇伝は日本を超えて海外にまで届いていた。
人はひときわ目立つものがあると、それ以外が目に入らなくなる。
いくら他の魔法少女が活躍しても、舞の活躍がそれを塗りつぶしてしまうのだ。
そのため、下手に機嫌を損ねて海外に逃げられでもすれば暴動が起きかねない。
妹を大事にしていることは知られているので、その方面でも何かあって見限られてしまえば国が危うい。
「……私が縛り付けてるみたいで、何か嫌だなぁ……」
「……実際、協会からすれば結芽ちゃんくらいだもんね。私がこの国に留まる理由」
「認めないでよ……」
「でも私外国語は無理だよ? 日本語が通じる海外とか想像できないし、多分どっちにしてもこの国に留まるよ」
ダイマは魔法少女コースがあるので、仮に黒奴が現れてもそこらのシェルターよりもずっと安全なのだ。
結芽がぶち込まれたのは、そういう理由もある。
学校に黒奴が現れるのは、むしろ結芽を助けたという点で舞へのポイント稼ぎになるだけだ。
英語はペラペラなくせに外国語は無理だなんて下手な言い訳をする舞に、結芽は食事が済んだのなら風呂に入ることを勧める。
激しく戦えば当然ながら汗をかくものだが、モチーフに消臭機能や体を洗ってくれる機能などないのだ。
「……? 京古さんから連絡……あ、グループIineには入ってるし、そこからか」
舞が風呂場に行き、結芽は皿を洗う前に少し休もうと思って携帯を開くと、知らないアカウントからIineに連絡が来ていた。
アカウント名がそのまま美音だったのですぐに誰からのものかは分かったのだが。
『今どこにいるの? 無事なの?』
内容は簡潔で、純粋に結芽を心配してのものだった。
銀冠クラスの黒奴に襲われたかと思えば知り合いがいつの間にか消えていたとなれば、そりゃあ心配もする。
結芽は家にいるから心配はいらないとだけ返すと、電源を切って皿洗いを始めた。
泡沫家に両親はいない。
娘が魔法少女となり、その力を恐れて捨てる親の話などは稀に聞くが、そういう話ではない。
こんな時代だ。黒奴に襲われて命を落とす人も多いが、それでもない。
6年前、火事で逃げ遅れて亡くなっただけだ。
「……今月の収入も、全部お姉ちゃんのお給料……」
そのため、結芽の生活は舞の給料で成り立っている。
黒奴一体につき幾らとか、どれくらい活躍したら幾らとか、協会の方で定めた基準もあるらしいのだが、舞はその辺りの話を結芽にしたがらない。
結芽に分かるのは、毎月生活費として十分な額が共用の口座に振り込まれており、それとは別に舞が口座を隠し持っているということだけだ。
魔法少女としての活動が忙しい舞のために家事は結芽が担当しているものの、それだけで恩返しになっているとはとても思えなかった。
というか向こうは命をかけているのに、等価となるものが存在するとは思えない。
「……バイトくらい、始めるべきなのかな」
校則は確認した。バイトは許可されている。舞のお金に全く手を付けないわけではないが、せめて最低限は自分で稼ぐべきだと結芽は思っているのだ。
毎月振り込まれる生活費の内のいくらかはお小遣いだと舞には言われており、実際そこから金を出して買ったものも家には少なくない。しかしいつまでもそれに甘えていいものかというのが結芽の中にはあるのだ。
舞は18歳。成人している。養われるべきは結芽なのかもしれない。
バイトを始めてしまうと、舞が黒奴と戦って帰って来た時にご飯を作る人間がいない場合も考えられる。
風呂場に結芽の悩む声が響く。
考えれば考えるほどに、入学式の前日に舞に言われた言葉が思い出される。
「『私の日常であればそれでいい』……暗に何もするな結芽って言われてるよね、これ」
結芽は舞のことが好きだ。嫌う理由などない。
だがそれはそれとして、何もしなくていいと言われるとキツイものだ。
確かにご飯を食べ損ねて魔法が使えませんだなんてことになれば、国を揺るがす大惨事につながりかねない。
舞の食事を用意することは、間接的にこの国や世界の平和を守ることに繋がってしまっているのだ。
また、舞の唯一と言っていい短所に掃除が致命的に下手というのがある。
中学生のころ、修学旅行で数日家を離れただけでそれはもう酷い有様だった。
舞に外食をさせてハウスキーパーの人でも雇えばそこは解決かもしれないが、それではバイトをする意味がない。
家で料理を作った方が安上がりだし、家事も結芽がすればいいことだ。
やはりどう足掻いても、バイトはしなくてもいいという結論に至ってしまう。
そもそも舞は黒奴の討伐報酬目当てで魔法少女をしているのではなく、できる範囲のことをしたら討伐報酬だけで生活が成り立つようになってしまっていただけなのだ。
「……よし、一旦考えるのはやめよう! あんまり長いことお風呂に入っててものぼせちゃうし!」
考えても答えが出ないどころか考えるほどにバイトをしない理由ばかりが見つかってしまうので、結芽は一度考えるのをやめた。
そして風呂から上がり、体を拭いたり髪を乾かしたり明日の準備をしたりしているうちに眠くなり、その日は眠ってしまったのだった。
翌日、昨日と同様に複雑な感情を抱えたまま登校する結芽。
ダイマは家から近く、十分も歩けば着ける距離だ。
ちなみにこの近隣の地価はダイマができてから急激に上昇した。
魔法少女が近くにたくさんいて安全だからという理由が大きいのだが、昨日は舞が駆け付けるまで一人しか戦っていなかった。安全性については少し疑問なのかもしれない。
「おはよう。朝早いんだね、泡沫さん」
「うわでた」
ダイマの校舎が見えてくると、不意に後ろから話しかけられた。
今日も今日とて気温は丁度いいくらいなのに首からはハンディファンをかけた変な奴、千風だ。
風が吹いているからか両手を広げて歩いてはいないが、朝からご機嫌な様子だ。
「今日は良い風が吹いているね……こんな日はサイクリングでもしたい気分だ」
「……自転車通学、認められてたと思うけど」
「ミィが……美音が一緒に登校したいってうるさくてね。まあ、放課後の楽しみにでもさせてもらうよ。一緒にどうかな?」
「遠慮しておく。というか、その京古さんはどこなの?」
いい風でご機嫌なのは分かったが、話に出て来た美音の姿は見えない。
そう思っていると、後ろから息を切らしながら走ってくる小さな影が一つ。結芽は大体察した。
「何で突然走るのよアンタはぁ!!」
「? いい風が吹いていたじゃないか」
いい風でテンションの上がった千風が美音を置いて走って来たのだろう。
そして途中で結芽を見かけて、辛うじて理性を取り戻した。そんなところか。
若干まだ呼吸の整わない美音に、結芽はふと疑問に思ったことを聞いてみる。
「そういえば、二人はどのくらいの付き合いなの?」
「え? あぁ、中学からね。その頃からずっと風が風がって言ってたわよ、コイツ」
「酷いなあ、小学校も一緒だったじゃないか。忘れたのかい?」
「その頃はほとんど話したことないでしょうに」
どうやら二人は小学生のころから顔と名前くらいは知っていたようで、中学で仲良くなった感じの距離感らしい。
高校初日からあの距離感なはずがないとは思っていたが、幼馴染かと聞かれると微妙な、そんな感じだ。幼馴染の定義にもよるが、結芽は中学からなら幼馴染とは呼ばなかった。
ちなみに結芽は別に友人が少ないわけではない。
高校には同じ中学から来ている生徒がいないうえに初日であんなことをしたのでまだこの二人としか面識がないだけで、コミュ障というわけでもない。
趣味は家にいることが多いので陰キャ寄りな部分があるが。
「出身はこの辺り?」
「あー……どうだろ。駅二つくらい離れてるけど」
「電車通学かぁ」
それでよく最寄りのシェルターの場所を確認していたものだと、結芽は感心した。
結芽の場合は舞のいる場所がどこよりも安全なので、警報が鳴ってもさほど急ごうという気になれないのだ。
家も常に結界で保護されており、外に避難する方がよほどあぶなかったりする。
また、いざという時のために舞から鳴らせば一秒以内に駆け付けるという防犯ブザーを持たされているのもある。
この時代に生きるにしては危機意識が欠けているが、全て舞が強すぎるのがいけない。
「ところで、何でったっていきなりそんな話?」
「あー……何だろ、ちょっと気になって?」
「……ふぅん?」
結芽は適当にはぐらかしたが、一応この話を振った理由というのは存在する。
通学方法を聞いた時に若干返事がわざとらしかったのも、そのせいだ。
それは今朝、舞に渡された書類が関係していた。
ダイマに通っている魔法少女についての情報をまとめたものの中に、麻布 千風の名前があったのだ。
昨日は変身する素振りも見せなかったのに。