第十五話 堪忍袋の緒
怪しい先輩たちの名前は、リストに載っていなかった。
想定外と言えば想定外だが、よく考えてみるとこのリストには千風の名前が載っている。
注意すべき魔法少女のリストとは言うが、基準がよく分からないのだ。
「ねえお姉ちゃん。魔法って、フィクションで見るみたいに他人の精神に干渉して操作したりできるの?」
「んー? 精神干渉は汎用にはないかなー。それができれば世論も操作しやすいんだけど、魔法ってそんなに便利でもないんだよね」
ゴールデンウィーク初日の朝から徹夜でパソコンに向き合っている舞に、結芽はそんなことを聞いた。
あの先輩たちが普通の人間であったとしても、その背後に魔法少女がいないとも限らないので、何となく気になった風を装って訊ねたのだ。
汎用魔法ではないということは、仮にあの人たちを操っている黒幕がいたとしても、それは専用魔法を使っての犯行になるということ。
要は自分がやったという証拠をがっつり残してしまうことを意味するので、やはり考えにくいだろうかと結芽は色々と考えを巡らす。
「……もしかして、また魔法少女絡みで誰かの心配してるの?」
「いや、あの人は魔法少女じゃないと思うから……ただまあ、人間関係は面倒だなって感じのあれこれだけど」
「そっかぁ。危ないことには首を突っ込まないようにね?」
「分かってる分かってる。でも私、大体のことは危なくないっていつも言ってない?」
趣味はインドア寄りだがある程度はアクティブな結芽は、こう見えて骨折や捻挫はしたことがなかった。
転んで膝をすりむいたり紙で指を切ったり、慣れなかったころは料理中に小さな怪我をすることはあっても、そういった大きな怪我とは無縁だったのだ。
理由は単純に、結芽の体のスペックが高かったからに尽きる。
危ない怪我はする前に体が勝手に反応して回避できてしまうのだ。
「……」
「……そ、そんな目はやめてよ……」
「今日はお出かけなら、そういうことのないように気をつけるって約束できる?」
「そんなこと頻繁に起こるわけないよもうっ!」
結芽の言葉を聞いても、舞の疑わし気な視線はそのままだ。
以前一緒に買い物に出かけた時に面倒なナンパに絡まれ、結芽がうっかりその男の手首をへし折ってしまった時のことを舞は覚えていたのだ。
魔法で適当に誤魔化したから良かったものの、今日結芽が一緒に出掛けるのは魔法少女ではない友人。どうしても心配になってしまうものだった。
「へいお嬢ちゃんたち! 俺らと遊ばない?」
魔法少女の仕事で忙しいという千風たちではなく、鈴乃と桔梗と来ていた新都心の水族館。
そこで舞の不安は、まさに現実のものになろうとしていた。
絡んできているのは、チャラそうな見た目の大学生くらいの四人の男たち。
「さっさと失せろ、ベイビー」
「ちょっ、この状況で変に刺激するのは悪手だと思われますぞ!?」
結芽のストレスが少し溜まったが、お姉ちゃんにふさわしい妹であろうとする意思がそう簡単に暴力に訴えかけることを躊躇わせた。
それに、短絡的な手段は一時的な解決にしかならないと結芽は知っていた。大抵は後々にもっと面倒なことを運んでくるものなのだと、経験から知っていた。
だからといって、こんな連中に易々とついていくような人間でもないが。
「くへへっ、最近のJKってのはレベルたけーな!」
「ちょっと、触らないでよ!」
「で、どうする?」
「いやに冷静でございますね!? ワタクシ結構焦っておりますのであんまり意見を求めないでくださいまし!」
通報するぞと110番の11まで入力した携帯を突きつける桔梗に、男たちは馴れ馴れしく手を伸ばす。
周りの客は見ているだけで、従業員の人も男たちに睨まれるとすぐに去って行ってしまう。
どうしたものかと鈴乃に意見を求めても、どうせ殴ればぶっ飛ばせるしという思考が心の底にはある結芽とは違い、あまり余裕はなさそうだ。
体の鍛え方や動きを見る限り、男たちは大した奴らではない。普通の女子高生には少し厳しい相手かもしれなかったが、それだけだ。
「じゃあ、二番目くらいに楽な方法でいくかな……」
「……あの、何故私を米俵のごとく担ぐので? あっ、まさかとは思いますけど――」
鈴乃が状況を呑みこめないうちに、桔梗が何が何だか分かっていないうちに、結芽は二人を抱えて男たちに膝カックンを食らわせ、逃走に移る。
客の間を走り抜け、状況を見ていたくせにこちらに走るなと注意してくる従業員の声を無視して、水槽の横を走り抜ける。
入場料が勿体なかったが、仕方のないことだ。
それに出口までは既に結構近かったので、元は取れたと言えないこともないはず。
「ゆ、結芽! 私今日ミニスカなんだけど!? 後ろから見えちゃうからぁ! せめて一緒に走るから一度止まってぇ!!」
「水族館は出たし、そろそろ下ろそうかと思ってた頃合いだよ」
「結芽さんや……一般的なJKは俵担ぎに対応しておりませんぞ……」
お土産コーナーも突っ切り、逃げ切ったころには二人は満身創痍だった。
肩に担がれたことで骨にピンポイントで鳩尾を抉られた鈴乃と、今日の服装のせいで不幸にも尊厳を失った桔梗。
そして息切れすらしていない結芽。二人分の体重と荷物の重さを全て受け止めていたはずなのに。
お詫びと称して少し離れた場所の喫茶店で何か奢ることにしたが、二人の機嫌は依然として悪いままだ。
「や、その、あれが一番手っ取り早いかなって……」
「二番目って言ってたの聞こえてたよ!!」
「一番は全員殴って黙らせることだったから……」
「それと比べれば英断でしたけども、もう少し穏便にしていただきたかった……痛みでコーヒーの苦みすら分からぬ……!」
言われてみれば確かに、傷つける対象が違っただけかと気づく結芽。
あの状況で取れる選択肢を頑張って選んだつもりでいて、実際のところは短絡的な手段に出ていたのと何も変わらなかったということだ。
「……ごめんね」
「あ、い、いやそこまで本気で怒ってるわけじゃないんだよ? 結芽がいなかったらあのまま何されてたか分かんなかったし、感謝してるのはホントだって! ねえ鈴乃!」
「そ、そうですぞ! 我々こう見えて押しには弱いので、あのまま連れていかれてた可能性は高かったわけで! 感謝感激雨あられ! よっ、結芽大明神!」
暗い顔で謝ると、二人は言い過ぎてしまったかと慰めてくるが、責任は自分にあるのだと理解している結芽には逆効果でしかない。
むしろ下手に謝ってしまったがばかりに、まるで慰めさせているような気分になっている。難儀な性格だ。
その件については30分ほどかけてはぐらかし、三人はとりあえず時間もアレだったのでここで昼食をとることにした。
来る前に最近流行りの店はどこだとか、行ったことのある店の中でどこがおすすめかという話はしていたが、この時間から移動して探すとなると待ち時間が大変なことになってしまう。
これも自分のせいかと思いかけた結芽に対し、すぐさま桔梗はフォローする。
「ほら、普段はこういう雰囲気のある喫茶店でご飯とか食べる勇気ないからさ! むしろいい経験だって!」
実際、喫茶店とは思えないほどランチのメニューは充実しており、きっかけはあんなことだったとはいえ中々いい店に巡り合えたと三人は思えた。
その空気に水を差すように窓の外に先ほどの男たちがいることを、結芽はその優れた視力で見つけてしまっていたのだが。
そういうこともありえるかと思い、結芽は一応窓際の席は避けて座ったのだが、昼時にもかかわらずあまり客のいないこの店では、外から見えてしまう位置だ。
注文したオムライスを食べきってもう一度外を確認すると、既に男たちのうちの三人が集合しているようだった。
見たところ、店の前で出待ちするつもりらしい。面倒なことになった。
結芽のストレスがまた少し溜まる。
「……結芽さんや、私にもあれは見えておりますぞ」
「また結芽に頼りきりになるつもりはないよ! ここは任せてっ!」
「たかがJKと侮っている連中に、目に物見せてやりましょうや……!」
もう面倒なので電話が来たように装って外に出て、できるだけ遠くまで逃げた後に全員撒いて戻ってこようかと思い、席を立とうとした結芽を、二人が止めた。
そして二人は厨房でカップを拭いていたマスターとひそひそと何かを話し始める。
結芽にはがっつり、面倒なのが表にいるから裏口を使わせてほしいと言っているのが聞こえていたが。
それならばと結芽は二人が話している間に会計を済ませると、話を終えた二人と共に店の裏口から出て小走りに大通りを目指す。
「どうです! 完璧な作戦でしょう!」
「いい考えだったと思う。うん。私ならもっと過激な手段を取らざるをえなかったから」
「……結芽?」
しかし、走っている途中で結芽は立ち止まってしまう。
食後すぐだったので脇腹でも痛くなったかと心配する桔梗だが、それは結芽には無縁なものなので違う。
「でも、強いて言うなら立地が悪かったかな」
左右をビルに囲まれた路地裏。監視カメラなんてものはないし、人の目もない。そして、逃げ道も。
進行方向の先から現れるのは、先ほどまで店の前で待ち構えていた男の一人。
後ろからも、道を塞ぐように残りが現れる。
警察の巡回も無さそうだなと、結芽はこんな状況でもどこか他人事のように冷静に考えていた。
「ま、回り込まれてた……」
「何が目的なの? 体?」
「んだよ、分かってんじゃねーか……散々時間取らせやがってよぉ……!」
わざわざ自分たちにこだわる理由は分からない。チャラ男なりのプライドのようなものを傷つけられたとでも思っているのだろうか。
どちらにしても、今日一日楽しく三人でお出かけする予定だったのは台無しにされた。
結芽のストレスが少し溜まる。
「ああもうしつこいなぁっ……! 今度こそ警察を……ちょっと! 返してくよ私の携帯!」
「はい一人目ー!」
桔梗は携帯を奪われ、そのまま馴れ馴れしく肩に腕を回してきた男を振り払えず、捕まえられてしまう。
セクハラだなんだと言ってもどこ吹く風の男。結芽のストレスが少し溜まった。
「ちょっ、そういうの困るんですけど……」
「皆最初はそう言うけど、ちょっと遊んであげると素直になるんだよねー!」
「あ、あのっ、ちょっと!」
「はいはい二人目―」
そういえばこいつ体力テストの成績はそこまでよくなかったなと、まるで効かないパンチで抵抗する鈴乃を見ながら結芽は妙に冷静に状況を眺めていた。
突っ立っている間に、鈴乃も捕まえられる。
結芽のストレスがそろそろこぼれそうなくらい溜まる。
「へへっ、怖いかクソッタレ……当然だぜ。元ラグビー部の俺に勝てるもんかよ」
「……」
結芽は震えていた。
それは自分の無力さに打ちひしがれているわけではない。
それは恐怖からくるものでもない。
「……もういいや」
「……アギッ!?」
逆さまになってゴミ山の中に頭から突っ込む男。
結芽の手には、返り血が残っている。
「いいことを教えてあげるよ」
結芽は震えている。
その震えは――怒りからくるものだった。
「人ってそう簡単に死なないし、気絶もできないんだよ」
「で、何か申し開きは?」
「何もございません……」
騒ぎを聞きつけた喫茶店のマスターが来たころには、全て終わった後だった。
そこにはゴミ箱に犬神家する男と、口いっぱいに生ごみを詰め込まれたうえに半裸で白目をむいた男と、泡を吹きながら股間を抑えて蹲る男と、転がっていた細長いチューブに足と建物を結ばれて宙ぶらりんになった男の姿があった。
全員意識こそ失っていないものの、うめき声をあげながら助けて許してと命乞いをする他には何もできなくされていた。
目についた自転車を片手で持ち上げて追い打ちをかけようとする結芽を鈴乃たちと一緒に止めに入ってくれたマスターは、通報はせずに結芽たちを逃がしてくれた。
何でも、たまによくあることらしい。
その後は遊ぶ気にはなれず三人は流れで解散になったのだが、結芽は帰ってすぐに舞に何をしたかバレてしまった。
「……まだ結芽が何かしたか確定してないと思うんだけど」
「じゃあ結芽ちゃん、ぎゅってしていい?」
「ダ、ダメ……」
「ほら!」
「ほらって何??」
家に入ってすぐに何かを感じ取った舞が結芽を問い詰めている状況なのだが、仕事の都合で家を訪ねていた飛華里にはいまいち状況が呑みこめなかった。
本当に唐突に舞が結芽を怒りだしたのだ。
傍から見れば、何の理由もなく怒っているようにしか見えない。
何かを証明した様子の舞だが、それもさっぱり意味が分からないものだった。
「いつもの結芽ちゃんなら夏場のちょっと汗臭い時でも照れながらいいよって言ってくれるのに!!」
「気持ち悪いなこいつ」
「とにかく! こういう時は決まって結芽ちゃんが何かやらかしてきたときなの!」
話しても分からないなと理解した飛華里は、今度は結芽の方に聞いてみる。
「結芽、何したの?」
「……しつこいのに絡まれたのでぶちのめしました」
「ああ、何だいつものか。殴って手が汚れたから抱きしめたくないってこと?」
「……はい」
「はいじゃないよ!! 約束はどうしたの約束は!!」
「面倒なのって言ってたし、家出たのが朝で帰って来たのが昼過ぎなんだよ? 我慢してこの結果なんじゃないの?」
「ぐう!!」
「ぐうの音を出されてもね……」
出かけて、水族館に行って、それから色々あったことを結芽は二人に説明する。
もう二度とナンパしようとも外にでようとも思えなくなるまでぶちのめしたという結果だけ見れば、結芽が悪いようにも見える。
しかしその過程については何とも言えないものだった。
過剰防衛とも、怒って当然とも言える。
「……コソコソ動き回るタイプの黒奴に朝から付け回されて、昼過ぎにやっと殴れるチャンスが来たって感じかな」
「え、それなら結芽ちゃん何も悪くなくない?」
「お前手首ベアリングでくっつけてるの??」
黒奴が現れてから、人は進化したとも退化したとも言われている。
海外との交流が半ば途絶えたものの、新技術の登場で電気やガスについては心配なくなり、そういった面で見れば進化したと言えた。
だが、黒奴のせいで人は年中ストレスを抱えて喧嘩腰になってしまい、多少の殴り合い程度なら許容されるようになったという面で見れば退化したと言えた。
結芽は野蛮に暴れるだけなら人も獣も変わらないと中学生くらいの拗らせていた時期に思っていたので、今も比較的退化していないかのように振る舞うようにしている。
今日はこのザマだったが。
「……納得できないなら、しばらく考えてみるといいよ。これまで散々考えて来たことだとは思うけど」
「気になることがあったらいつでも言ってね? 絶対力になるから」
「舞はまだ仕事終わってないでしょ。ほら続きやるよ」
「うわーん! 大学のレポートも書かないとなのにぃ!」
いつまでも玄関で正座しているわけにもいかないので、結芽はとりあえず洗面所で手を念入りに念入りに洗った。
 




