第一話 姉は魔法少女
少女が寝ていた。
入学式初日、周囲は自己紹介を終えたばかりのクラスメイトとそれぞれ親睦を深めている中で、机に突っ伏して安らかに寝息を立てていた。
担任がプリントを持ってくるのを忘れて取りに行っている僅かな間だというのに、少女は隣の席の生徒に趣味を聞いたり中学について尋ねたりするわけでもなく、発足したばかりのクラスIineに登録するわけでもなく、寝ていた。
ちなみに寝不足ではない。寝息を立てているといっても、深い眠りについているわけでもない。
実は、ただ机に突っ伏して時間を潰しているだけだ。
しかしまだ距離感の掴めていないクラスメイトからすると、その少女は何か大変なことがあって疲れているのかもしれないように思える。
なので、起きたらクラスIineに誘おうとは思っていても、わざわざ起こしたりはしなかった。
そんな中、少女に近づく人物が一人。
ひょっとして中学時代の知り合いかとクラスメイトは思ったが、ちょいちょいと寝ている少女をつつく姿は教師に起こせと言われたものの普段は付き合いがないからどうしたものか分からないという様子であった。
「……泡沫さん、だっけ?」
「…………いかにも」
妙な口調で返事をした寝ていた少女の名は、泡沫 結芽。
突っ伏していたせいでまだ新しい制服のブレザーに皺ができてしまっているし髪型も若干崩れてしまっているにもかかわらず、まるで気にした様子はない。
「そういう貴女は?」
「あれ、さっき割と印象に残るような自己紹介したと思うんだけどな……」
「ごめん、聞いてなかった」
結芽は教師が去った途端に寝ただけでなく、クラスメイトの自己紹介も聞き流していた。
色々理由はあるのだが、どうせ聞いても覚えられないというのが第一にあったりする。だからといって当然ながら聞かなくていいわけではないのだが。
だが話しかけてきた方の少女は気にすることなく改めて自己紹介をした。
「あ、そう。なら改めて……私は麻布 千風。空気の流れがないと嫌だから、悪いんだけど明日から気づいたら窓開けるようにしてくれない?」
「自己紹介でもそれ言ったの??」
「言ったよ。聞いてなかったみたいだけど」
しかしどうにも思っていたのと違う。
特徴的な薄い緑色の短髪に、何かスポーツでもしているのか引き締まった体つき。
そして、それで入学式に出たのかと聞きたくなるような気崩し方の制服。なぜ初日からブレザーの代わりにでかでかと「空力」と書かれたパーカーを着ているのか。
さらにはまだ涼しい時期なのに、首からハンディファンを下げていた。
ぱっと見では何となく陽のオーラを感じ取っていた結芽だったのだが、実際はただのやべー奴だった。
空気の流れがないと嫌だから窓を開けろとはどういうことか。
問い詰める前にプリントを取りに行っていた教師が戻ってきてしまい、それについて深掘りするのはまたの機会になってしまった。
「はーい。それじゃあ、今日はこれ配ったら解散ね」
クラスメイトの自己紹介は聞き流していた結芽だが、担任の名前くらいは聞いていた。
京古 紫音先生、古文の先生だ。
ちなみに名前以外の部分は聞き流している。この学校に妹が通っているとか何とかと言っていたのだが、結芽にそんな記憶は存在しない。
なぜそんなに話を聞かないのかと言えば、半ば姉のコネで入学した高校を、どんな顔で過ごせばいいのかと思っているためだ。
帰り道、クラスIineだけ入手した結芽は特にそれ以上クラスメイトと会話することなく教室を出て、誰よりも早く帰路についた……つもりだった。
しかし実際には、結芽の前を両手を広げて何かを感じながら歩く変な女がいる。
その女は、こんな時期に首からハンディファンをかけていた。
幸いなことにその隣を歩く千風の中学の知り合いか誰かがそれを注意しているが、不幸なことにそれを聞き流して両手を広げて歩いていた。
それに、注意している少女は背が低く、傍から見れば子供がじゃれているようにしか見えない。多分それ系でイジったらキレられるだろうし、初対面でそんなことは言わないが。
正直、関わりたくはなかった。友人は多い方がいいのかもしれないが、少しくらいは選ぶ権利があるはずだ。
しかし町ゆく人からは制服からして同じ学校、ニアリーイコールで同類と思われるのが嫌だった結芽は、意を決して話しかけてみることにした。
「だからそれやめなさいってば!」
「通行の邪魔にならないように気を付けてはいるよ?」
「人の目も気にしなさい!」
「何してんの……?」
話しかけると、千風は腕を広げるのをさっとやめる。
ほらねと言いたげな千風にキレたくなる少女だが、とりあえず後ろから話しかけて来た奴に詫びの一つでも入れておこうと振り返る。
だが、結芽の顔を見るなり「うわっ」とでも言いたげな顔をする。
言われなくても分かる。顔に書いてあるとはまさにこのこととばかりに表情を歪めていた。
「あー……貴女あれね、確かずっと寝てた人。泡沫とかって言ったっけ?」
「あ、うん。泡沫 結芽。そっちは?」
「アタシの自己紹介も聞いてなかったのね……まあいいわ、京古 望音。よろしく」
京古。京古と言うと、あの担任と同じ苗字だ。
結芽は一瞬そこに引っかかるが、すぐに単なる偶然だと切り捨ててしまった。
ちゃんと自己紹介を聞いていれば、姉妹だということは分かっていたことなのに。
「で、そっちのは何してたの?」
「そっちのって、さっき自己紹介したじゃないか」
「知り合いだと思われたくない行動をしてたって自覚してくれないかな」
千風がまたしても人類は十進法を採用しましたのポーズを取ろうとするので、今度は美音が先んじて手を握ることでそれを封じた。
それでも片腕は上げる辺り、何か強いこだわりがあるらしい。
それはそうと結芽もやめてもらいたかったので、無言で肩に手を置いて圧力をかけたのだが。
「風を感じてたんですって」
「……無風では?」
「だからこそ、自分から歩いて空気を感じるんじゃないか。分かっていないなあ」
「分かりたくないなあ」
腕を上げていた理由は、より全身で風を感じるためらしい。説明されてもさっぱり分からない。
どうやら何が何でも風を感じなければ気が済まないらしいが、今日は風が吹いていないのだから大人しく諦めるべきではないのか。
というかそれなら、何のためのハンディファンだと言うのか。
結芽がそんなことを考えていると、突然どこからともなくjアラート的な警報が聞こえ始めた。
しかし別に、ミサイルが飛んできたわけではない。
ミサイルよりも酷いと言えば酷いのだが。
「この音……隣町かな?」
「『隣町かな?』じゃないわよ泡沫アンタ! 警報聞いたら即避難!! 幼稚園で習わなかったのおバカ!!」
「……悪い風が吹いてきたな」
「そっちも変なこと言ってないでさっさと避難所行くわよ! 最寄りのとこくらい覚えてるでしょ!」
警報を聞いてもさほど焦った様子のない二人を引っ張り、美音は避難所に急ぐ。
突然の非日常だが、結芽たちにとってはもう長いことこれが日常となってしまったものだ。
異界からの侵略者が現実になるなんて、9年前までは考えたこともなかったというのに。
9年前、人類の半分が滅びた。
原因は核戦争でも無ければ、謎のウイルスの流行だったり宇宙人の侵略だったりもしない。
宇宙人の侵略というのは、ある意味では近いのかもしれないが。
人類の半分が滅びたその日、空が割れた。
文字通りにざっくりとひび割れ、その狭間の向こうから後に黒奴と呼ばれるようになる化け物が現れたのだ。それも世界中に、ほぼ同時に。
日本には都心の一か所にだけ裂け目が出現し、そこから現れた黒奴も一体だけだった。
しかし、黒奴は強かった。
出動した機動隊も、自衛隊も、全てねじ伏せたのだ。
そんなことが可能だったのは魔力という別世界から流れ込んだエネルギーが原因だったのだが、その当時の人々にそんなことが分かるはずもなく、世界はこのまま訳も分からずに滅ぼされる……かに思われた。
裂け目から流れ込んだ魔力というものは、発育途中の子供の体によく馴染む性質があった。
そしてその傾向は女性の方が男性よりも圧倒的に高く、魔力が馴染んだ少女たちは魔力を媒体に魔法という現象を起こせるようになっていた。
その力だけが、9年経った今でも黒奴に対抗できる唯一の手段であり、人類の希望だ。
教科書にも載っているそんな内容を、避難所で美音は結芽たちに熱く語っていた。
「だから! アンタたちがいたって魔法少女の邪魔にしかならないのよ! 戦えない奴は黙ってろって、リリィさんも言ってたでしょ!!」
魔法が使えない人間は基本的に黒奴になすすべもなく殺される。
魔力についてはまだよく分かっていない部分も多いのだが、色々な性質を持たせることができることは確かだ。
例えば、魔力を用いて攻撃を弾いたり。
自衛隊が何もできずに敗北したのはこのせいだ。魔力には魔力でしか干渉できず、魔力による防御は魔力による攻撃以外では突破できない。
それに加えて黒奴も魔力を媒体に魔術という魔法に似た現象を起こすので、一か八か爆弾を抱えて特攻しても相手は痛くもかゆくもないのだ。
黒奴に会ったら見逃してもらえることを祈れ。この9年間で、魔法が使えない人類が学んだことはそのくらいだった。
「それはそうだけど、やっぱり慣れてくるとどうにも……ね?」
「『ね?』じゃないのよおバカ! 最近は私たちくらいの歳の死者が増えてるってニュースでもやってたのよ!?」
魔法が使えなければ黒奴にどうすることもできないからと、人類が黙って魔法が使える人間だけに縋っていたかと言えば、そうではない。
先ほど美音が口にした魔法少女という言葉。
それこそが、人類が黒奴に対抗するために編み出した英知の結晶だ。
ブラックボックス的な要素の多い魔力だが、それそのものとしては基本的に無害なうえに、干渉できないとはいえ押したり引いたりは可能だった。
その性質を利用した、魔力だけを吸収して電池のように貯めて置ける装置が最初に発明された。
それがさらに発展し、魔法が使えた少女たちの協力もあり、完成したのがモチーフと呼ばれる道具だ。
モチーフはため込んだ魔力で肉体を覆うコスチュームとバリアを生成し、ただの少女を黒奴と戦える戦力に変化させる。
モチーフを用いて変身した少女。それが魔法少女なのだ。
ちなみに誰でも魔法少女になれるというわけではなく、モチーフへの適性がなければ魔法少女にはなれない。
「リリィ……『百合』の魔法少女のリリィ?」
「何よ、まさか知らないなんて言わないでしょうね」
「いや流石に知ってるよ。最強の魔法少女だなんて呼ばれてるわけだし、実際あの人がいなかったら日本の半分は海の底って言うし」
美音の言っていたリリィとは、魔法少女の一人であり最強の名をほしいままにしている、今も現役の最古参の魔法少女の一人だ。
まだ魔法少女システムが完成する以前から活躍しており、海外に出現した国を滅ぼせるレベルの黒奴を単騎で圧倒できるほどの実力者なのだ。
人類を救ったという話はもう20回は聞いたことがある。
魔法少女のランク付けでは最上位に位置し、貢献度ランキングは公式非公式を問わず一位を維持し続けている、ある意味化け物だ。化け物だなんて言えば、日本国民全員を敵に回すことになるのだが。
「……揺れ?」
「気のせいよ。こういうとこは耐震性もしっかりしてるものよ?」
そんな話をしていると、シェルターの中がぐらりと揺れた。一瞬だが、確かに揺れた。
ここは黒奴から避難するために設けられた施設なので、当然ながらその攻撃にある程度は耐えられるようにできている。並大抵の衝撃では揺れもしない。
それが並大抵の衝撃であれば、だが。
揺れたことを理解した避難者の中には、既に行動を始めている者もいた。
ここはシェルターなのだから心配することはないだろうと、たかをくくる者もいた。
結芽はどちらにも属さず、シェルターの壁が壊される音が聞こえる前に、既に携帯を取り出していた。
『ギ?』
壊れた壁から覗く真っ黒な目。
白目も黒目もなく、光の当たり具合から何となくわかる凹凸と瞬きだけが、それが目であることを示していた。
壁のヒビが広がり、バラバラと瓦礫がシェルターの中に降ってくる。
クロヌは漢字で黒い奴と書くように、全身が真っ黒な化け物だ。個体によって姿形も大きさも様々だが、真っ黒という一点だけは共通している。
壊れた壁の隙間から入って来たクラゲのような触手は、真っ黒だ。
避難者たちは、ここでようやくそこにいるものが何なのか理解する。
「ま、魔法少女は……」
黒奴の半透明な身体の中に、煌びやかな衣装を纏った誰かが浮かんでいる。魔法少女は黒奴と戦える力を持っているが、それが勝てる力とは限らない。
その少女は黒奴に負けたのだと理解すると、シェルターの中にいた人々は一斉に反対側の出口に押し寄せた。
幸いそこまで多くの人が集まっていたわけではなかった。だがそれは、増援が回されるにしてももっと人の多い場所になるだろうということも意味する。
魔法少女の殉職率は公開されていない。低いとも高いとも、どこにも記されてはいない。
「に、逃げなきゃ……」
「逃げるって、あの巨体だよ? すぐ追いつかれると思うけど」
「何でそんなに余裕なのよチカは!」
「ミィは慌て過ぎ」
慌てて結芽と千風の手を引いて周りと同じように逃げようとする美音。しかし、三人はここに来るのが少しばかり遅かったうえに、黒奴が来たのは三人の入った入口側。
つまり、人が押し寄せて出られそうにない出口からは遠いうえに、黒奴には近いのだ。
妙に余裕ぶっている千風も、よく見れば足が震えている。慌て過ぎの後には、もう無駄なんだからと続くのだろう。
シェルターの中にぬるりと入りこんだクラゲ・黒奴の頭にあるものを見てしまったのだから、当然だ。
黒奴にも強さのレベル分けの基準のようなものはある。
実際に戦って見てその個体の固有の魔法の脅威度を測るというのもあるが、もっと客観的なものがある。
全身が真っ黒な以外に、もう一つだけ存在する全黒奴に共通する特徴である、冠のような見た目の部位だ。
冠状器官と呼ばれるそれの役割はよく分かっていないが、強い黒奴と比較的弱い黒奴とで色が異なる。
弱い方から順に灰色、銅色、銀色、金色となっているのだ。
そして目の前のクラゲ・黒奴の頭には、銀色の冠が乗っかっていた。
「銀冠……一人で迎え撃つのは避けるべきってやつじゃなかったっけ」
「この期に及んで魔法少女にケチつけるのアンタ!?」
「いや違って、時間稼ぎもできなかったとなるとそういう魔術でも使ってくるのかなと」
「余裕そうで羨ましいわね!! 携帯なんて弄っちゃって!! 私も家族あての遺言は認めてあるわよ!!」
泣き喚いても、叫んでも、抵抗しても、黒奴は容赦なく人間を殺す。
理由は不明だが、分かり合えないことだけは確かだ。仮に話し合える奴が一体でも存在したとしても、話し合うには奴らは殺し過ぎた。
黒奴に会ったら祈れ、を実践して五体投地を行っている人の姿も見られる。
魔法少女の絶対数は少なく、増援が来るまでは少しばかり時間がかかる。
一人目が負けてしまった場合、二人目が来るまでに千人は死ぬなんて言われるくらいだ。
「こんなことなら、姉さんにもっと優しくするべきだったのかなあっ……!」
美音は目に涙を浮かべ、千風は握られた美音の手を強く握り――
――結芽は、携帯でデバイスを探す機能を使っていた。
「……あ、お姉ちゃん来た」
泡沫 舞は、泡沫 結芽の姉にして魔法少女だ。
モチーフは「百合」。魔法少女としての名をリリィと言う。
「こちらリリィ、現着……あと討伐完了」
現着と同時にクラゲ・黒奴は頭部を粉砕され、中にいた魔法少女も無事救出された。