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第一話『轟臨』 序

 (おほ)日本(やまと)()神國(かみのくに)(なり)(あまつ)(みをや)はじめて(もとゐ)をひらき、日神(ひのかみ)ながく統を(つたへ)給ふ。(わが)(くに)のみ(この)事あり。()(てう)には其たぐひなし。此故に神國(かみのくに)といふなり。


(じん)(のう)(しょう)(とう)()

 その日、世界は変わり果てた。


 西暦二〇二〇年は九月八日、何事も無く五十六年振りに自国開催されたオリンピック・パラリンピック大会の記憶も新しい。

 その日の朝も、街を行く人々にとっては何とも無い晴天だった。


 何処(どこ)までも果てしなく澄み渡った青空には、先日までの入道雲が欠片(かけら)も見当たらない。

 まさに日本晴れと呼ぶに相応(ふさわ)しい空模様であった。


 大災害の前触れを察知した動物は奇妙な行動をとることがあるという。

 ただ、(そう)(きゅう)に舞う鳥達の姿は平穏そのものだ。

 道行く彼もまた、気にも()めずに何の変哲も無い朝の街並を登校していた。


 十五歳・高校一年生の少年・(さき)(もり)(わたる)は、整った顔立ちを飾る宝石の様な()に一人の少女を映し、彼女のもとへと小走りした。

 すらりと伸びた一七七センチの長身が明るい色の髪を揺らす。


「おはよう」


 (わたる)は立ち()まり、呼吸を整える。


 視線の先、声を掛けられた美少女・(うる)()()(こと)は青々と広がる天空を仰ぎ見ていた。

 その姿勢はまるで、(はる)か上空の何かに目を凝らしているかの様だ。

 (まっ)()ぐ長く(つや)やかな黒髪と、(きれ)(なが)の目に備わった豊かな(まつ)()が朝日を浴びて(きら)めき、羽根の様な光が全身を包み込んでいる。

 (もと)より並外れた()(ぼう)が天女の(ごと)(こう)(ごう)しさすら帯びていた。


 そんな()(こと)の、どこか冷めた光を宿した眼が(わたる)の方へ向いた。

 滑らかさと柔らかさを(たた)えた、(みず)(みず)しい胡頽子(ぐみ)の実の様な唇が(わず)かに開き、朝の挨拶を返す。


「おはよう」


 快晴の空にも劣らぬ、曇りなく澄んだ、静かだが明瞭な声だった。

 (わたる)はいつも、この眼と声にやられてしまう。

 だがその僅かな躊躇(ためら)いを(わたる)は悟られたくなかった。


「空なんか見上げて、どうしたの?」

「別に、何でもないわ」


 ()(こと)の返答にはどこか()()()いものだった。

 (もっと)も、彼女が(わたる)の投げたボールを空かすような返答をするのは毎度の事だ。


(ぼく)を待っていてくれたのかな?」

「随分と()()けた事を言うのね。貴方(あなた)にとってはこの時間でもまだ早いのかしら」

「……そっちこそ朝から(きつ)い事言うじゃん」

「前々から貴方(あなた)の登校時間が気になってはいたけれど、これでは今までどおり置いて行くしかないようね」

「やっぱり待ってたんじゃん」

「だとすると、(わたし)貴方(あなた)が自分より早いと考えていなかったことになるわね」

「素直に待ってたって言ってくれても良くない?」

貴方(あなた)の最初の言い方が気に入らないのよ」


 ()(こと)はくすりと()(わく)(てき)(ほほ)()んだ。

 この会話は親しい者同士が冗談を交わし合っているだけだ。


 二人は確かに気心の知れた仲である。

 軽口を(たた)き合える程度の距離感ではある。

 だが、一定の間合いを境に微弱な反磁性を示す何かがあった。

 幼き日に出会って以来、二人の関係性は極めて近付きながらも、その反磁性が作る一線を越えられないまま曖昧に揺蕩(たゆた)っていた。




⦿⦿⦿




 (さき)(もり)(わたる)(うる)()()(こと)の出会いは、二人が小学校一年・六歳の頃まで(さかのぼ)る。

 正確な日付では六月二日木曜日、()(こと)(わたる)のクラスに編入してきた事が(きっ)(かけ)だった。


(うる)()()(こと)


 (わたる)の記憶の中で彼女は最初、自己紹介で心底煩わしそうに名前だけを(つぶや)いた。

 子供心にもその(たぐい)(まれ)なる美を理解出来る、まるで人形の様な美少女だった。


 だから(わたる)()(こと)に興味を抱き、仲良くなりたいと思ったのはそうおかしなことでもないだろう。

 同じ様に考えた(きゅう)(ゆう)(たち)は他にも大勢居たが、取り付く島も無い()(こと)の態度に一人また一人と諦めていった。

 (わたる)だけが最後までしつこく粘った。


 尤も、そんな(わたる)に対しても()(こと)の冷めきった態度は変わらなかった。

 (むし)ろ、()(まと)われて段々と(いら)()ちを募らせてすらいたかも知れない。

 また、(わたる)の方もまた()(こと)(つれ)()い態度に少し腹を立てていた。


 一日最後の時間割となる音楽の授業、教室を移動する廊下で、(わたる)の幼稚な精神に魔が差した。

 ほんの軽い気持ちで、(わたる)()(こと)の尻に手を伸ばした。

 瞬間、人形の様に()(れん)だった彼女の(かお)は悪鬼羅刹の様相を呈し、石の様な拳を(わたる)の顔面に(たた)()けたのだ。


 (わたる)の身体は四・五メートル程も(はじ)()んだ。

 床に後頭部を強打した(わたる)を追い打つように、()(こと)は飛び掛かって馬乗りになった。

 驚きと恐怖を感じた(わたる)は多少反撃を試みたが()(すべ)無く、更なる(げん)(こつ)の雨が容赦無く彼を打ち付けた。


 先頭で騒ぎを聞きつけた(いん)(そつ)の教師が止めに入った時には、既に悲惨な事態になっていた。

 (わたる)は血、涙、鼻水、(よだれ)に塗れて、見るも無残な顔で(うわ)(ごと)の様に謝罪と命乞いを繰り返し、更には失禁していた。


 (わたる)はすぐに病院へ運ばれ、()(こと)は教師や親からこっ(ぴど)く怒られたという。


⦿


 (わたる)の容態を並べると、鼻骨・(がん)()(てい)(ほお)(ぼね)(じょう)(がく)(こつ)が折れており、生え変わり前の歯も何本か飛んでいた。

 抵抗しようとした両腕を振り払われた際にこちらも骨折していたらしく、以上の()()が治るまで(わたる)は入院を余儀無くされた。

()(こと)の母親らしき女性は(わたる)に対して平謝りで、本人も初対面の頃よりどこか慎みを感じさせる表情をしていた。

 何か思うところがあったのだろう。


 色々あって、(わたる)の親はあまり見舞いに来なかったが、(いか)()なものだろうか。

 代わりにほぼ毎日、()(こと)(わたる)の病室を訪れた。

 季節柄、雨に降られる事が多く面倒だったろうに。


 顔の骨折が治りかけ、ある程度の会話が出来るようになった(わたる)は、それを()(こと)に吐露した。


「どうして毎日来てくれるの?」

(わたし)が怪我させちゃったから」

「元はと言えば(ぼく)が悪いのに……」


 自分に原因があったことを()()()()にされ、()(こと)が一方的に悪者にされているという罪悪感――後になって言語化したとすれば、この時に(わたる)が抱いていた感情はそういうことだったのだろう。


「ごめんね」


 病室は静かで、細かい雨の音さえよく聞こえた。

 湿っぽさが窓から染み込んで来るようだった。


「だったら、一つだけ教えて」


 (どう)(もく)した(わたる)の顔が残り香の様に(うず)いた。

 ()(こと)から、何かを要求してきたのは初めての事だった。

 (わたる)は一滴の果汁を舌に乗せたような、(ほの)かに甘酸っぱい(うれ)しさを覚えた。


「どうして、(わたし)に話し掛けようと思ったの? みんな諦めた後も」


 質問に、(わたる)はどう答えようか少し困った。

 穏やかな口調から、今更責めているわけではなく、本当にただ純粋な疑問として()いているだけなのは(わか)る。

 ただ、何を答えようが言い訳になってしまう申し訳無さがあった。


 (わたる)()(こと)の眼を見た。

 吸い込まれるような()(れい)な瞳が、答えを待っている。

 ならば、結果的に見苦しい自己肯定の弁明になろうが、自分の気持ちを正直に伝えるのが誠意というものだろう。

 仮令(たとえ)その言葉が()()なる不興を買おうが。


「最初は『()(わい)いな』と思って、仲良くなりたかった。多分、みんなと同じだったと思う。でも……」

「でも?」

「なんとなく『(かな)しいな』って思ったんだ。人を避けてるみたいで。それは寂しいことだなって、勝手にそう思ったんだよ」


 そう答えた時、()(こと)は初めて笑った。

 幼いながらも綺麗な顔が、その魅力を一層花咲かせたような、そんな天使の微笑(ほほえ)みだった。


「そ、なら今の(わたし)と一緒ね」


 その言葉に、(わたる)(たと)え様も無く救われた気がした。

 心が晴れた気分だった。

 彼の謝罪は()()れられ、真に和解が成立したのだ。


 その後、病室での会話を重ねる度に二人は一層打ち解けていった。

 退院後も、親しい関係は現在まで絶え間なく続いている。

 (おさな)()(じみ)でありながら、(わたる)()(こと)との出会いをはっきりと覚えているのは、そんな強い印象と淡い思い出を伴っているからだろう。




⦿⦿⦿




 高校生になった(わたる)()(こと)は再び(こじ)れることなく近しい距離感を保っている。

 だが少なくとも、(わたる)の方は()(こと)の引力を当事より大きく感じていた。


 あの時以来、()(こと)は暴力を振るうことなく、クールで大人びた印象を強くしている。

 (わたる)にとって、それが逆に彼女の魅力を増して気後れさせる。

 気心の知れた仲の(はず)なのに、それなりの会話は卒無く出来る筈なのに、それ以上へ踏み出そうとすると、首輪が掛かっていると感じてしまうのだ。


 朝日に(いろど)られて鮮やかに色付いた()(こと)は、この街道の誰よりも(うるわ)しい。

 今(わたる)にとって、彼女の全てが謎めいた光だった。

 

「おっと、そろそろ行かなきゃ遅れちゃうな」


 (わたる)はそう言って、(さり)()()()(こと)を登校に誘った。

 先の会話で少し触れた様に、普段は彼女の方が朝早く出るので、登校時に一緒になる事は(めっ)()に無い。

 (せっ)(かく)その機会が巡って来たのだし、ここで別れるという選択肢は無かった――少なくとも、(わたる)の方には。


 当然、()(こと)も同じだと思われた。

 現に、下校時はいつも一緒なのだから。


(わたし)は行かないわよ」


 だから、(わたる)()(こと)の返答に目を見開き、(つい)でに口も半開きにして驚いた。


「え? 行かないって、何?」

「今日(わたし)は学校を休む、と言ったのよ」

「ええ!?」


 思わず出た(わたる)の大声に、()(こと)()()()そうに眉を(ひそ)めた。


「健康超絶優良で皆勤常連完璧超人の(きみ)が、休む!? (やり)でも降るの? こんなに()い天気なのに!」


 ()(こと)(ため)(いき)を吐くと、(わたる)の来た道と反対方向に歩き出した。


「あの、本当どういうこと? 具合でも悪いの?」

「心配には及ばないわ。少し急用が出来ただけだから」


 すれ違う()(こと)を、(わたる)は視線で追って振り向いた。

 ()(こと)もそんな彼に振り返り、流し目を投げ掛ける。


「何か困った事があったら連絡しなさい。内容と報酬によっては聞いてあげるわ」

「あ、おい……」


 呼び止めようとする(わたる)に構わず、()(こと)は行ってしまった。


「どうしたんだ……。急用って、何だ?」


 いまいち釈然としない(わたる)だったが、もたもたしていると遅刻してしまうので、(ひと)()ず一人学校へと向かった。




  ⦿⦿⦿




 午前中、昼休みと、学校では特に普段と変わった事など起こらなかった。

 (わたる)()(こと)は隣同士の教室なので、授業中は彼女の欠席など意識の外だった。

 居るのが当たり前で、別室で席を空けているという想像が浮かばなかったのだ。


 昼休みの前、体育の時間になって初めて、彼女の不在に意識が向いた。


 今日は()(こと)が居ない。

 運動場で別々に体育の授業を受ける女子の中に、彼女は居ない。

 体操服姿の女子の中にあの悩ましい肉体美が、豊かな実りと引き締まった幹の描く隆線が、今日は無いのか。


 (わたる)は体育の授業中、時折女子の方、()(こと)へと目を()り、彼女の(なま)めかしい体付きを盗み見ていた。

 身近な少女に()かれながら踏み出す度胸が無い――そんな(わたる)は、思春期の好意をこの様に、奥手だが()()がった形で発露していた。


 だが、それが今日は出来ない。

 別にそれだけが愉しみというわけではないのだが、(わたる)はふと強い寂しさに襲われてしまった。

 それどころか、(こころ)()しか体の調子も悪くなったように感じた。


(どうしよう、マジで体育受ける気が無くなっちゃったな。……休むか)


 (わたる)は自分の落ち込み様に驚きながら、不調を伝えるべく教師に声を掛けた。


「先生、一寸(ちょっと)気分が悪いんですけど」

「何だ(さき)(もり)、サボる気か? 如何(いか)にもな授業態度だったしな」


 教師の言い草が少し頭に来た(わたる)だったが、自分でも気分による一時的な不調だと分かる負い目から、言葉には出せなかった。


「やはり染髪するような(やつ)は……っと、地毛なんだったか。また五月蠅(うるさ)い奴が聞き付けても(かな)わん。とりあえず、保健室に行け」


(またそれか、最近は言われなかったんだけどな)


 (わたる)はこの教師の頭髪(いじ)りに(へき)(えき)としていた。

 (わたる)の髪色は生来明るい色をしている。

 日本人らしい(くり)()色から逸脱した髪がこの体育教師には気に食わないらしく、何かにつけて(いや)()をぶつけられてきた。


 尤も、最近はそれも鳴りを潜めていた。

 何やら、彼をよく知る女子生徒が抗議したという(うわさ)があったりする。


 (わたる)は体育教師の気が変わらない内に保健室へ向かった。


  ⦿


 保健室のベッドで横になっていると、(わたる)の体調はあっという間に(かい)(ふく)した。

 元より何処も悪くはなく、ただ気分が落ち込んだだけなので、落ち着けば元に戻るのは当然の事だろう。


(このままサボるのも難だな……)


 (わたる)は天井を見上げながら、今からでもせめて見学しようか、などと考えていた。


「すみません、もう良くなったんで戻って良いですか?」


 カーテン開け、既に戻る気満々で養護教諭に声を掛けた。

 相手は(あき)()てたように溜息を吐く。


(きみ)ねえ……。すぐに何かあるわけじゃなさそうだけど、一応大事を取っておいた方が賢明だと思うよ」

「気分が優れなかったらその時は早退して病院に行きますよ。それで良いでしょ?」


 (わたる)は半ば強引に保健室を後にした。

 このまま横になっているのは、何か()(こと)(もの)(すご)く悪いような気がしたのだ。


「しかし、何だって突然休んだんだろうな……」


 運動場へ向かうべく廊下へ出た(わたる)は、朝の()(こと)の言動が気になり始めた。

 彼女は自分の様に体調不良を訴えたのではなく、はっきりと「急用」と言っていた。


『何か困った事があったら、いつでも連絡しなさい』


 困った事とは、何だろう――(わざ)(わざ)彼女に助けを求める様な事があるだろうか、と(わたる)(いぶか)しんだ。


 その時、運動場の方で何やら(ただ)ならぬ(けん)(そう)が起きた。

 悲鳴や怒号が混じり、人が争っている様な音が有事を告げている。

 明らかに普通ではない事態に、(わたる)は驚いて靴箱の陰に身を隠した。


(何だ、何の騒ぎだ!?)


 (わたる)の困惑を()()む様に、拡声器を使った様な声が四方八方から鳴り響く。


『この学校の教師並びに生徒諸君、突然失礼(つかまつ)る。(ただ)(いま)より(しばら)くの間、この場所と(きみ)達の身柄は我々が預からせてもらう。既に運動場の生徒達は我々の管理下に置いた。これより、各教室に我々の同志が伺うが、余計な抵抗が何を意味するのか、どうか充分に()()(かい)いただきたい』


 突然の占領宣言が先か後か、大勢の駆けるような足音が(わたる)に迫って来た。

こちらの作品は旧作をリメイクしたものになりますが、展開は大幅に変更されております。

新規の読者様は引き続き、旧作の読者様も新鮮なお気持ちで楽しんでいただけましたら幸いです。


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