#1
オレは男だ。
有田澄という名前だってある。十六歳のごくフツーの、健康な男子だ。
身長は、一六八で小さい方だけど、サッカー部じゃ、一年生にしてレギュラーはってて、女の子にキャーキャー言われたりもする。
そんなオレが、だ。
……なんでフワフワのフレアスカートなんて穿いてんだ??
肌に触れるそのやわらかい生地の白いブラウスには、幾重にもなるレースがついている。
頭には真っ赤なカチューシャをつけて、これまた真っ赤な、丸い靴なんて履いている。極めつけは、フリフリのエプロン……。まるでメイド服のよう。
どーなってんだ? 全く思い出せないぞ……? 今、この数分前まで、自分は何をしていたのか、全然覚えていない。
も、もちろんオレに女装の趣味なんかないぞ!? ……いや、まてよ? もしかしたら、自分でも知らないところで女装グセがあって、そんで、無意識に夜中なんかに、こんな格好して街のなかを歩いてしまう、変質……いや、夢遊病者だったのかも……、ってそんなわけねーよな。第一ここは街じゃねぇし。つーかここどこだよ?
周りはうっそうと茂る森。家どころか、人っ子ひとり見あたらねぇ。青い空には、小鳥たちがこっちの気も知らず、ピチピチと気持ちよさそうに鳴いてやがる。まるでお伽の世界のよーな……。
ハッ、そうか夢だ! そうだな、うん。夢だったら全部つじつまが合うし。
んじゃ、ベタだけど、ほっぺたでもつねってみるか。……痛ってー!! くそー、痛ぇじゃねえか……。ま、夢ん中でも痛ぇときは痛ぇし。昔、歯が抜ける夢を見たけど、そんときもスゲー痛かったもんね。
そうゆうことで、ここは夢の中なんだな、うん……。
と、そのとき、前方の茂みから、ピョンッと一匹の白いウサギが現れた。
また変なことにその白ウサギ、フツーのウサギの二倍はある。二本足で歩き、タキシードのような服を着て、手には懐中時計なんか持っている。
そして何やら「急がなきゃ、急がなきゃ」とブツブツ言いながら、オレの方をチラチラと見て、同じところを行ったり来たりしている。
「…………」
オレは無視したね。どうせ夢ならじきに覚めるし、だったらわざわざあんな、「話しかけたらひともんちゃくあります」的キャラには関りたくねぇもんな。
オレは近くにあった大きな切り株に、ストンと座った。
「!」
オレが自分に興味を示していないと気づいたウサギは、慌ててオレのそばにより、今度は声を張り上げて、周りをグルグル回り始めた。
「くそー……」
でも次の瞬間ハタ、と気がついた。
この辺には人もいねぇみてーだし、だったらこの人間の言葉を喋る変なウサギに、いろいろ訊いとくのも悪くない……。
「オイ、ウサギ。ここはどこだ?」
声を掛けると、ウサギはきょとんとした赤い眼を向け、しばらく考えるような仕草のあと、クリッと首を傾げ、急に四つん這いになると、そこらに生えている草を、ムシャムシャと食べ始めた。
「オイコラ! 今さらウサギのフリしたって遅ぇんだよッ。さっきまで、メチャメチャ喋ってたくせしてっ!」
と、オレはそいつの頭をこぶしではさんでグリグリとしてやった。
「わーっ! 虐待! 動物虐待だぴょん!」
「ほうら。やっぱり喋れるじゃねーか」
「なんて乱暴なレディーなんだぴょん! こんなかわいい小動物を捕まえてグリグリするなんて、何事ぴょん!」
「誰がレディーだってぇ? いいから答えろ! ここはどこだ~?」
オレは今度、やつの頭をポンポンとボールのように叩きながら言った。
「……不思議の国だぴょん」
「なんでオレはここにいるんだ?」
「ケッ、知るかッ!」
「…………」
「わー! 暴力反対、暴力反対ぴょん!!」
オレに次は足でグリグリされたウサギは、潤ませた瞳でオレを見上げた。
「ホントに知らないぴょん。ボク、キミのこと知らないぴょん」
「じゃあなんで、さっきオレの方チラチラ見てたんだよ?」
「えへ❤ ボク、メイドのコスプレに目がないぴょん❤」
「コスプレじゃねーー!!」
――ドカッ!
オレの鉄拳をくらったあいつは、五メートル先の木に激突し、紙のようにひらりと下に落ちた。
「て、照れなくていいのに……。かわいいひとだぴょん❤」
オレは木の下に転がったウサギにズカズカと近づき、やつの耳をむんずと持ち上げた。
「全然OKだぴょん! ボク、美少年のやる女装コスって、けっこうスキなんだぴょん❤ デヘヘ」
ウサギは、耳を引っ張られているにも拘らず、ニヤニヤ笑いながら、バチッとオレにウィンクしやがった。
「この変態ウサギめ。……ん? まてよ、そういえば、この服に、そんでこんなウサギ、どこかで見たような……」
「コミケだぴょん」
変態ウサギを再び鉄拳で眠らせると、う~んと、首をひねった。そしてパッと脳裏にひらめいた!
「そうかっ、不思議の国のアリスだっ!」
そう、確かにこの格好、懐中時計を持つウサギ、このシチュエーションは、幼いころ絵本で見た、「不思議の国のアリス」、それと酷似していた。
「そういえばお前、ここは不思議の国だって言ってたよな」
「ちっ、知らねーな」
「…………」
「わー! 首絞めないでぴょ~ん! 言った、言いましたぴょん!」
「やっぱりか」
「ふ~、アリスは凶暴だぴょん」
「誰がアリスだ、誰が!」
ウサギはピッと、タキシードの襟を直しながら、恨みがましくオレを見上げた。
「オレはアリスじゃない。有田澄っていう名前が、ある」
「略して〝アリス〟だぴょん」
「勝手に略すなっての……。んで? 時計ウサギと出会ったあと、アリスはどうなるんだっけ?」
「井戸に落ちるんだぴょん」
ウサギの視線の先には、たくさんの蔓が巻きつく、古ぼけた井戸があった。
「ふーん……。よし、オレも連れてけ」
「いいけど、井戸の中は真っ暗だぴょん」
「だから?」
「ボクに襲われても知らな……、はぐぁ!」
「ウサギに犯されるほど落ちぶれちゃいねーっての。いいから行こうぜ。案内してよ」
「……ラジャ」
パンチをみぞおちにくらい、ウサギが足元で目を回しながら応えた。
どうせ夢ならとことん遊んでやるか……、とオレは、その時計ウサギに続いて、真っ暗な井戸へと、足を踏み入れたのだった。
ウサギについて飛び込んだ井戸の中は、ひんやりとしていて、周りはひたすら墨をぶちまけたような闇だった。
ちょっとビビってた落下速度は意外に緩やかで、すべり台を降りるような感覚に似ていた。
身体で感じた時間でいうと二〇秒くらいか……、急に目の前に明かりが差したかと思うと、ウォータースライダーを抜けるように、ストン、と地面に足から軟らかく落ちた。
目の前には青々と茂った芝生が広がっている。空は突き抜けるような青空だ。
その前方、少し歩いた先に、地平線の先まで続く横に長い、大きな石の塀が立ち塞がっているのが見えた。
「あれ? あいつ、どこ行った?」
そう、一緒に落ちてきたはずの、あの時計ウサギがいなかった。
「ったく、これじゃ右も左もわかんねーじゃん。ちっ、役に立たんやつめ」
とりあえず周りを見渡す。見えるのはその地平線まで続く長い塀と、芝生だけだった。
「ん?」
目を凝らして塀を見ると、何か生き物のようなものが、うごめいているのがわかる。
オレは一瞬あのウサギかもしれないと思い、それに近づいてみることにした。
「……おまえ、なんだ?」
が、しかし、いざ目の当たりにすると、それはとても奇妙で、変な生き物だった。
「なんだとはなんや。わいは見ての通り、ジェントルマンやがな」
「……タマゴ?」
「ちゃ~~うッ!! わいは人間や。ハンプティーダンプティーいうねん」
「ハンプティー……、あっ、聞いたことあるかも。でもあんまり覚えてないなァ」
オレはジロリと、塀の上にふんぞり返る一メートルもの大きさのタマゴ、じゃない、ハンプティーダンプティーを一瞥した。
「くっ……、どうせほとんどの絵本で、わいの出番はカットされてるがな……って、せつない気持ちにさすなやっ!!」
「ところでハンプティー、この先どこ行けばいいか教えてよ」
「けっ、やなこった。つーか、ひとの話全然聞いてへんやろ、アンタ」
ハンプティーは、二メートルくらいの高さのある塀をストンと身軽に降りると、そのままオレの前を素通りして行こうとした。
「ちょっ、待ってよ」
オレがやつの頭に手を置いた、そのとき。
――パリッ
「……あ」
「あっ……」
やつの眼に、大粒の涙があふれた。
「うっわー、割れた! やっぱタマゴじゃん! ……げっ、なんかドロドロしたものが出てきたッ。わっ、白身だっ!!」
ワナワナと打ち震えるやつを尻目に、オレは手についたドロリとした液体を、必死に拭った。
「ちゃ、ちゃうわっ。これはな……、そう、体液やっ!」
「そっちの方が気色悪いわッ!!」
「うう……」
さめざめと泣くやつを見て、少々良心が痛んだオレは、優しく話しかけた。
「お、おまえが悪いんだぜ? ちゃんと答えてくれねーから、さ」
「なんだよ、もぉいいよっ。あっち行けよっ! オカマのくせにッ!!」
「おい、急に標準語になってるぞ……」
「この塀を越えると一本道があるんや。それを進むと森に出るからッ。そしたらまたそこの住人に訊いてみるとええっ」
ハンプティーはそう言うと、パシっとオレの手を振り払い、たたっと小走りに行ってしまった。
「あ……」
……透明な体液をこぼしながら。
オレは持ち前の身軽さで難なく塀をクリアすると、ハンプティーの言っていた、目の前にある芝生の中の一本道を歩き出した。
まるで、誘われるようにその道を進んでいくと、言われた通り、それは森へと続いていた。
真っ暗な森。うっそうと茂る木々に、陽の光さえ遮られている。
「なんかジメジメしてるなァ」
初めにいた森とは違い、爽やかとはほど遠い、密林と言うべき森である。
「いかにもなんか出そー……」
歩きにくいフレアスカートに苦戦しつつ、どんどん前へ進む。
「…………」
「――おや、ご覧よ。かわいい子」
「あらあらホント。かわいいわ」
「またつまみ食いしちゃう?」
「…………」
……なんだ?
前後左右の茂みから、コソコソと話し合う声が聞こえる。
今度は人食い植物でもお出ましか……?
オレをどこからか監視し、生唾を飲み込む音を立てている輩に、オレは身構えた。
「おい、誰だ? 出て来てツラァ、見せやがれ!」
オレはスカートを捲り上げると、勢いよく怒鳴った!
「まあ、威勢のいい」
「でも、あの言葉遣いじゃ、かわいい顔が台無しだわン」
「あら、きれいな足だこと! イヤ~ン、あたくし、モロタイプ~❤」
「あたくしの美少年ファイルに追加即決定~!」
ん? なんだか様子が……。
オレは思わずバッと、スカートを元に戻し、しゃがんで、足を全部スカートの中にしまった。
「あらやだ。ほら、あんたが余計なこと言うから、怖がっちゃったじゃないの」
「あら、あたくしのせいですの? おたくじゃありませんこと?」
「まあ、なんてこと。フン、いいですわ。とにかく早いもの勝ちよ。そ~れ!」
その声とともに、前方の茂みから、なにか飛び出してきた!
「! うわあっ!」
オレは思わず、頭を抱えた!
―――――――――――――――――。
しばらくの沈黙があった。
「…………?」
オレは恐る恐る顔を上げた。と、そこにはなんと、ひとりの美しい女性が、心配そうにオレの顔を覗き込んでいる姿があった。
「あ、あれ??」
オレのきょとんとした表情を見て、その子がクスリと笑った。
「ごめんなさい。驚いた?」
「え、あ、うん」
「今のはバラのおばさんのいたずらよ」
「バ、バラ?」
「そう。ここには、あたしたち植物の精霊が住んでるの」
「精霊……」
ぐるりと見渡すと、バラやチューリップ、スイセン、マーガレットなど、多種多様な植物の、……そう、着ぐるみのようなものを身に付けた精霊たちが立っていた。
精霊といっても、姿形は人間と同じで、違いといえば、その不思議な衣装と、少し発光している白い肌、といったところだ。
「……にしても、精霊ってのは、オバサンばっかなわけ?」
にこにことオレを見て笑っている精霊は全て、いわゆるオバサンだった。若いなって思うのは、今このオレの前にいる、この子だけだ。
「オバサンって、ンもう、失礼ね! まだまだイケてるのにィ!」
と、例のバラの精霊がクチを尖らせて、プリプリとイジけたふうに言った。
「そうよ! もう、ナマイキねっ。ホントに食っちゃおうかしら❤」
「いいわね❤ も~、ジャ○ーズ系なんて何十年ぶりかしら❤」
彼女らオバサン集団の妄想のなかで、勝手に弄ばれたオレは、背筋に、ゾゾゾと悪寒が走るのを感じ取ったのだった……。 う、うへぇ。
「なっ、なんなんだよ、こいつらっっ」
「気をつけてね。みんな、美少年マニアだから」
こそっと、その子が耳打ちした。オレ、ちょっと涙目。
「な、なんだそりゃー! 精霊にも、そんなんあんのかよっ!」
「ええ。万物みな兄弟ですから」
と、ニッコリと彼女が微笑む。オレはその笑顔にドキッとしてしまった。
「そ、それって、そうゆう意味なのかっ?」
「うふふ……」
――か、かわいいッ!
オレは不覚にも、わけわからん精霊とやらに、恋をしてしまった。
そんなわけで、ここは先を急がず、しばらくこの森に滞在してもいいかな、なんて思えてきちゃったりして。ナハハ。ああ、オレってばなんて前向き!
……ま、このへんで夢が覚めてくれりゃ、一番いいんだけど、ね。
「ところでキミって、なんの精霊なわけ?」
「すずらんよ」
「ふーん……。そういえばそのイヤリング、すずらんの形してるね」
マニアのオバサンたちの目をかいくぐり、オレはその女の子とふたりで、森の奥にひっそりと湧いている泉に来ていた。
ふたりでそのほとりに座り、彼女は裸足を足首まで泉に浸して、とても気持ち良さそうな表情を浮かべ、オレに微笑みかけている。
「どうしてあなたは、女の子の格好をしているの?」
「え? き、気分転換かな? ははっ」
……なに言ってんだ、オレ。
それにしてもこの女性の美しさったらもう……。雪のような白い肌に、スラッと伸びた細くて長い手足。薄くパープルがかった深みのある瞳、そして、まるで絹糸のように繊細なシルバーの長い髪……。まさに、この世のものとは思えない美しさだ。
しばらくその美しさに見とれていると、彼女が「どうしたの?」と、くすくす笑った。
ああ、なんてかわいいんだっ!
有田澄十六歳、身長はないけど、女の子だけにはモテてきた。……このジャ○ーズ系の顔のおかげで。だがしかし、カノジョだけはいなかったのだ。それは多分オレが、選り好みしすぎたせいだ。
それが、まさかこんなところで運命の人と出会えるなんて! ああ、夢なのが実に惜しい。
ま、裏返せば、どうせ夢なんだから、やれることは、やっといたほうがいいよな、うん。
「あのさ、オレもずっとここにいて、いいかな?」
「いいよ」
やった~!
「オレ、キミのそばに、ずっといたいんだ……」
「……え?」
お~、動揺してるゾ。かわいいな~。……ま、メイド服で口説くのも情けねーけどな。
オレは、そっと彼女の華奢な肩に手を回そうと……、……そのとき。
「ごめんなさい」
「へ……?」
彼女の鈴のような声で発せられた、その予想外の言葉に、俺の目が点になった。しかも即答だし!
「え、え、まだ口説きの本題にもいってないんですけど……」
「そう、ごめんなさい」
言葉と裏腹に、清々しくニッコリと微笑む彼女。
「な、なぜ?」
「あたしね、年下が好きなの」
「え? 見たところ人間年齢で十八、九といったところだけど……、どっちかっていうとオレって、年下じゃないのかな~、なんて」
「うん。でも、もっと年下がいいの❤」
「と、言いますと??」
「十歳くらい❤ えへへ❤❤」
「!!」
ショタだ~~~!!
「…………」
オレはめまいがしたね。どーなってんだ、ここの精霊たちはっ? ってゆーかどーなってんだ、この世界!
確か夢って、その人の深層心理が表れるって言うよな。オレの深層心理って、どんなんだよっっ。とほー。
「そ、そうなんだ。い、いや~、残念だなァ、あははっ」
夢の中でもフラれるなんて、オレってなんてかわいそうなんだろう……、くすん。
「よ、よーし、そろそろ先へ進もうかなーっと」
傷心を隠しつつ、オレはすくっと立ち上がった。
「あ、もう行ってしまわれるの? 寂しいナ……」
「ま、またまたぁ」
「本当よ。ここにはめったに人が来ないから……」
「そ、そう。や、やっぱりさぁ、ちょっとカルチャーショック?みたいな感覚があるんじゃねーの、妖精の世界って、さ。ちょっと趣向も個性的、っていうか? ハハハ」
「……そうなのかしら。確かにあたしたち、不思議の国のなかでも、外界と接触したがらないトコロはあるのカモ……」
―― ヒキコモリかよ……
唇の端を少々引きつらせつつ、コホン、と一回咳払いをすると、オレはニカっと笑って、悩みうつむく彼女の顔を覗き込んだ。
「ところで、さ。オレ、白い時計ウサギを捜してるんだけど。知らない?」
「時計ウサギ? 知らないわ」
彼女は大きな瞳を空へ向けると、細くて華奢な首をかしげた。
「そっか。じゃ、この森を抜けると、何があるの?」
「この森を抜けると、大きな木が立っているの。そこに、道案内がいるから、訊いてみるといいわ」
彼女が、白樺のような細くて美しい指を、うっそうと茂る森のはるか遠くに差した。
「わかった。サンっキュ」
そうしてオレは、オバサン精霊たちにスカートの裾を引っ張られ惜しまれつつ、森の出口まで彼女に送ってもらった。そしていろんな意味で心に傷を抱えつつ、またまた細長い一本道を歩き始めたのだった。
続きます。
またお会いできたら嬉しいです(*´ω`*)
お読み頂きありがとうございました。