ピザを頼んだ時の話
投稿テスト。労働についてあれこれ。
ドミノピザで慣れないネット注文を利用した。メニュー選択の前に提供のタイミングを聞かれる。時間指定をしない場合は、「今すぐ」というボタンになっている。配達でなく持ち帰りでの注文であったので、この「今すぐ」というのには何か抵抗を感じた。客の「すぐ食いたい」に答えるという宣伝的な意識がこの文句に籠められているのだとは思うが、持ち帰りという事は取りに行かなければならない訳で、「今すぐ取りに行かないと」という意識を、まあ自分の場合にはであるが喚起させられる。それに持ち帰りは半額なのだ。考え方によっては、配達分の代金を労働する、とも見る事が出来る。客であるという特権意識に包まれているだけで、経済的観点では半額分を稼いでいる事になる。利用する際規約に同意しているので、普通は意識もしないが、契約させられていると言っていい状態な筈だ。労使の関係はどうあれ、この契約関係上で店側に対して悪質な振る舞いをすれば、法による裁きも受けるだろう。その際は、飲まされた規約が土台となってくる筈だ。客という立場は、一見強い特権の様でいて、予め規定され、与えられているに過ぎない立場だ。檻の中の虎に過ぎない。ある程度脆弱な(或いは大らかな)見地でもってしか、優越感に浸れる立場だとは言えない。
尤も、注文後に改めて手順を確認すると、この「今すぐ」がどれ位の時間での提供かという目安が、店舗選択の段階に表示されている事に気付いた。注文の最終決定段階でもう一度提示されないのは不満であるが、まあ言い掛かり的ではあるなと我ながら思う。
しかし気になるのは、この「一方的な要求の形」と、それを最終的に被る事になる、接客する労働者達だ。正規である、或いは立場を有する労務形態の者に比べて、相対的に低賃金で軋轢の犠牲にならざるを得ない。採用の段階の手順が念入りかどうかで、基本的人権にも抵触する位の待遇の差が生まれてしまっている。その二つの立場は、「本人の努力に応じて自由に選べる」という見せ掛けに一応なっている。非正規、アルバイトは、報酬及び保障が一般的に正規より薄い雇用形態なのは周知の事実である。時間的な拘束力が弱い、という様な利点が挙げられる事もあるが、この唯一の利点が労働倫理の前に押し流されてしまわない保証はどこにもない。またこの見せ掛けは少し詰め寄る事で容易に剥がれ、「自己責任」というある種の鬼の形相を顕にする。ここ日本では、21世紀に入ってからこういうアルバイト的雇用の枠が急激に増え、社会の労働を支えている。社会を支えているにも関わらず、社会には支えられない、という側面が日に日に色濃くなっていく労働形態である。「自己責任」と敢えて言われる時の意味は、「社会に支えて貰わずに、社会を支え続けろ」である。そして、アルバイトとして雇用される内の確固たる層として、学生という身分の人々もいる。就労の練習という性格も付与されて、社会的に奨励される向きがある。しかし学生というのはその名の通りまだ学んでいる段階であって、仮に雇用主から不法な労働を要求されても、法を盾に突っぱねられる見込みが最も薄い人々ではないか。弱い者がより守られなくなっていく法を推し進めた政治は、批難に値する様に思われる。