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 切り込みの入ったウインナーを口に運ぶ。あらびきタイプで、皮がぱりっと中はジューシー。ケチャップやマスタードはなし。しっかり焼いて、多めに塩コショー。さすがは母さん。今日も完璧の出来だ。窓際の席で木漏れ日を浴びながらの早弁。僕が大切にしているそのひと時を、

「おい、来たぞ! 来た来た!」

 山田が邪魔をした。窓の外に渡されたポールにまで身を乗り出し、運動場の先にある正門を食い入るように見つめる。それに呼応した他の生徒たちが一斉に押し寄せてきた。

 明るいグレーのパンツスーツを着た色白の女教師に引率された集団が、運動場を横切ってやってくる。薄いベージュにエンジのチェック柄の制服は、市内屈指のお嬢様たちが通う、聖心女子中のものだ。一、二、三……全部で五人。みんな可愛いが、その中央に、小柄ながら、ひときわ目立つ生徒がいる。

「来た来た! 聖心のアイドル、桃ノ内すももちゃん!」

 クラスメイト全員が目をハート型にして見つめる先に、彼女はいた。

 毛先に近づくに従って色合いが濃くなる桜色の長い髪を、大きな花のチャームがあしらわれたヘアバンドで留めている。少し眦が下がった、ほんわかとした印象を受けるその黒目がちの大きな眼が、いっぱいに見開かれた。

 制服の袖先からのぞく、なめらかな白磁のようなその手がゆっくりと持ち上がる。果物のようにみずみずしい薄桃色の唇に、もう一方の手がそっと添えられ、

「はじめっ!」

 大声で彼女が口にしたのは、僕の名前だった。当然、クラスメイトの視線が僕に集中する。

「なっ……」

 羨望と嫉妬が入り交じったたくさんの視線にさらされながら、僕は記憶を掘り返した。どう考えても初対面だ。現在、女の子に知り合いなんて、親戚以外いない。どこかで会ったにしても、あんな目立つ娘なら覚えているはずだ。

 手を振り返そうかと迷ってるうちに、

「はじめましてっ! 舘伝中学の皆さんっ!」

 あの娘をのぞく四人が、ぴったり声を揃えて挨拶した。アイドルばりにポーズを決め、にっこり微笑む。かなり練習してきたんだろう。最初に声を上げたあの娘も、慌ててそれに加わる。

 はじめまして。ただの挨拶。あの娘はフライングしたに過ぎなかったのか。

「見たか!? 右から二番目のあの娘、おれを見て手を振ったぞ!」

 隣ではしゃぐ山田。手を振り返さなくて良かった。もしあの時、何か反応していたら………

「一谷、おまえ、なに手え振ってんだよ」

 窓に張り付いていたクラスメイトの田中が急に振り返り、にやにやしながら僕に言う。馬鹿な。まだ手を上げてすらいないじゃないか。脳内の初期動作でさえ見逃されないというのか。言い返す間もなく、背後に現れた田村が僕の背中を突っつく。

「一谷はじめ……ましてっ!」

 両手を重ねてぶりっこ風に腰をくねらせる。正気か、こいつ。次々と浴びせられるからかいに耐えていると、

「ふざけんなよ、てめえっ!」

 真っ赤な顔をして教室に乗り込んできたのは、三年生だった。サッカー部のキャプテンで、文化祭の実行委員長でもある、田上だ。

「二年のくせに、俺ら実行委員を差し置いて、聖心女子と仲良くしようだなんて、いい度胸じゃねえか」

「ま、まあまあ。田上先輩。一谷には自分からきっちり言い聞かせておきますんで……」

 時代劇の悪徳商人よろしくすり寄っていった山田の顔面を、田上の拳がとらえた。山田は床に倒れ、鼻血を流している。

「なんで殴るんですかっ!」

 こんな理不尽、許すわけにはいかない。

「うっせえっ、この野郎っ!」

 殴り掛かってきた田上の拳を、体をひねってどうにかかわしたものの、突き上げてきた膝が僕の顔面を捉えた。山田と同じく鼻血を噴き出させながら倒れた僕を、誰一人助けてくれない。どころか、全員が白い目で僕を見ている。名前を呼ばれたと勘違いしただけで、こんな理不尽な扱いを受けなければならないなんて……………………………………世界は間違ってる!!!

「どうしたんだよ、一谷」

 心配そうに僕の顔を覗き込む山田。怖気のはしる仮定によって、妄想壁が発動していたらしい。僕の心と肉体は世界から切り離され、僕だけ時間が停止してしまっていたのだ。実際は十秒ほどだったのだろうが、僕の体感時間はその数十倍。内容が内容だけに、どっと疲れた……。

「はーじめちゃんっ!」

 廊下から、鈴の鳴るような声が、僕を呼んだ。妄想内で殴られたばかりの僕は、反射的に身構えて振り返る。ダッシュで駆け寄ってくる少女。桜色の髪が揺れ、憧れの聖心女子のスカートが軽やかに舞う。

「やっと会えたね、はじめちゃんっ」

 両手を広げ、僕に飛びついた少女の白いブラウス越しに、やわらかい二つの感触。こ、これはまさに……。

「さあ、行こうっ。世界が、はじめちゃんを待ってるよっ」

 ……なんだって? 少女に手を取られて立ち上がった僕は、駆け落ちする男女さながらに手をつなぎ、そろって教室を飛び出した。クラスメイトたちのどよめきと驚嘆を背に受けながら、廊下を一気に駆け抜ける。

「さっ、乗って乗って」

 走ってきた勢いそのままに、正門前に止まっていた黒塗りのリムジンに押し込められた。後部座席は体が沈み込むような柔らかさ。映画ではよくお目にかかる車だが、実物は乗るどころか見るのも初めてだ。横に乗り込んできた少女と、ふとももが触れ合う。……なんだ、これは? 妄想壁が発動しているのかと思い、何度か周囲の世界を全否定してみたが、どうやら現実らしい。車が滑るように発進する。


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