3
T字路を左折して車通りの多い大きな国道に沿って走り出した時、前方に風呂敷包みを抱えたまま、青信号の横断歩道を渡れずに困っているおばあさんを見つけた。車の運転手はそれに気づいているはずなのに、一台も止まる気配がない。ここ、左折車が連続するから、強引にいかないと、なかなか渡れなかったりする。
ペダルを強く踏み、自転車を一気に加速させる。左折前で一応減速する車を追い抜きながら、おばあさんを追い越し、横断歩道の脇にさしかかった、ところで、急ブレーキを掛けた。驚いたのだろう。急ブレーキを踏んだ車の運転手たちから盛大にクラクションを鳴らされる。
僕は素知らぬ振りで自転車を降り、車体を押して横断歩道を渡る。背後から、おばあさんがついてくる足音。信号が点滅し始めたころ、二人とも無事に渡ることができた。やれやれ。再び自転車にまたがり、こぎだそうとしたところで、
「ありがとうね」
背後から、おばあさんの声。振り向くと、にっこり微笑んでぺこりと頭を下げてくれた。僕も慌てて会釈で応える。こぎだしたペダルが軽く感じる。ヒーローじゃなくても、こうして誰かの役に立つことはできる。もちろん、たいしたことはできないけれど……。
ちょっとだけいい気分で鼻唄を歌いながら自転車を走らせていると、学校が見えてきた。
通用門で始業ベルを今か今かと待ち受ける生活指導の体育教師を華麗にかわし、自転車置き場へ向かう。なんとか始業に間に合いそうだ。自転車を停め、鍵をつけていると、
「よお、一谷」
声をかけてきたのは、クラスメイトで僕と同じく歴代のヒーローたちをこよなく愛するヒーロー同好会のメンバー、小学校からの腐れ縁の山田だった。もう二年なのに、きちんと白いヘルメットをつけている。所属しているサッカー部の鉄の掟なんだとか。
「見た? 日曜のリアライズ」
「ああ。録画で。今朝」
「のんきだなあ。テレビもネットも、この話題で持ち切りだっただろ? YAHOO!ニュースでもトップ扱いだったし」
「そうなのか? 昨日ちょっと体調悪くて。一日中寝てたから」
「風邪?」
「ああ、まあ、そんな感じ」
実際は、久しぶりに妄想壁が強く発動したせいで、著しく体力を損耗していたのだが、この能力のことはさすがに親友の山田にも言うわけにはいかない。
「おいおい。うつさないでくれよ。もうすぐ、待ちに待った文化祭なんだから」
そう。文化祭は我ら男子校生徒にとって、女子とふれあえる数少ないチャンスだ。僕だって大いに楽しみにしている。自転車置き場をあとにし、校舎へ向かう途中、話題は再びリアライズのことに戻った。
「しっかし、どうするつもりなんだろうなあ。制作の奴ら」
「制作? ああ、リアライズの制作会社ね」
「うん。あんな終わり方して、最後に話題作りをしようってのかね。リアライズは視聴率が悪すぎて、新春恒例の新旧ヒーローのクロスオーバー映画も製作されないって聞いたけど」
「映画化しないなら、今更話題作りしても意味ないよ」
「まあな。二代目リアライズ、女が主人公だってんで最初は盛り上がったけど、結局最後まで正体を明かさなかったもんな。そのせいで、変身前の主人公が出てこないからストーリーは薄くなるし、バトルシーンばっかりになるし。その頼みのアクションも能力に頼り過ぎでいまいち緊張感に欠けるし」
「主役がヒーローものってのをまったく理解してないから、仕方ないさ」
それでも、最近は幾らかマシになってきてはいた。最初の頃は名乗り以外、ほとんど無言で敵と戦っていたのだから。見せ場の武器を現実化する時も、それを使う時も。幾ら派手にBGMを流したって、盛り上がるわけがない。
「やっぱ、リアライズは初代だよな。赤道 蓮 サンシャインブレード。欲しかったなあ。中学行く前だったら買ってもらえたのになあ」
身悶えしながら言う山田に、笑いながら相づちをうつ。
今クール、万能戦士リアライズとしてヒーローデビューした赤道蓮は、圧倒的に派手なアクションで、僕らを魅了した。しかし物語中盤、暗黒皇帝ネロが送り出した昏倒獣デスカメラが繰り出した、撮影するだけで相手を昏倒させるという無茶苦茶な必殺技に敗れ、そのまましばらく放送は休止となった。全国各地でデスカメラによる犠牲者が増える中、しばらくして現れたのが、二代目リアライズだった。二代目はデスカメラの撮影の瞬間に、大きな鏡を実体化して本人に自分の姿を映させるという、ギリシア神話のメデューサ以来使い古されてきた方法で、デスカメラに勝利した。新たなヒーローの登場を世間全般は大歓迎したが、そのあまりにベタな勝ち方に、二代目リアライズはコアな番組ファンたちから辛辣に批判された。僕でさえ、皆さんご存知の例の巨大掲示板に何度か意見をカキコんだことがある。
「赤道先輩、まだ意識不明で入院中らしいぜ」
山田が言う。初代リアライズは、僕らが通う私立の男子校、舘伝中学の卒業生で、ヒーロー同好会の初代会長なのだ。ヒーロー番組の主役が赤道先輩だと分かった時、教師も生徒も保護者も、学校中が湧いたものだ。我が同好会の肩身も一気に広くなった。
「早くよくなるといいな」
僕はうなずいた。