【0】晦冥の記憶
それは、幼い頃の記憶。
俺がまだ、自分の能力すら知らなかった頃の記憶。
真っ暗な部屋。
淀んでいて、埃っぽくて、窓の一つもない暗い部屋で、俺達はずっと、助けが来るのを待っていた。
三度目の食事を最後に、この冷たい牢獄に食べ物が放り込まれることはなくなった。
ここに来てから、どれくらいの時間が経ったのだろう。
この光の当たらない暗室では、昼夜の区別さえつけられない。腕時計も携帯電話も取り上げられた今、俺達の世界からは時間という概念が喪失していた。
体が熱い。視界がぼやけるのがわかる。
さっきまでの暗闇に慣れた目でなら、むき出しのコンクリート壁のつなぎ目まで見ることが出来た。
けれども、体中が疲弊した今の状態では焦点を合わせることすらままならず、薄汚れたレンズ越しの霞んだ景色が俺の世界の全てとなっている。
狭苦しくて、息苦しい世界だった。
けれども、この小さな世界こそが、今の俺にとっての全てであった。
肩に寄りかかる、温もりを持った重み。
肉体的にも、精神的にも、疲れた体を癒すため、死んだように眠る幼き少女。
俺にとっての、たった一人の大切な人。最愛の幼馴染。
申し訳ばかりに備えられたトイレと、辛うじて水の出る蛇口と、それから俺と彼女。この世界はその四つで、全てが完結していた。
俺一人なら、まだよかったんだ。
この世界が三つだけだったなら、諦めることも出来た。
だけど、そうはならなかった。
彼女もまた俺と同じように、この黒い牢獄に閉じ込められてしまった。
暗くて、寒くて、辛くて、苦しくて。それだけしかない部屋に、幽閉される。
大好きな彼女から笑顔が失われてしまうのは、時間の問題だった。
明るかった彼女はもういない。きっとここから助かっても、彼女は元には戻れない。
俺は、彼女の笑顔を守ることが出来なかった。俺達がここに来たその時点で、もう全てが終わってしまっていたのだ。
終わってしまった世界、完結してしまった地獄。
ただ死を待つことしか出来ない、希望の潰えた部屋の中、それでも俺は諦めるわけにはいかなかった。
そうやって自分を追い込むことでしか、自我を保てなかったから。
諦めることは許されなかったのだ。守るべき彼女は――救うべき少女は、もう二度と笑えないというのに。
それは、俺がまだ幼かった頃の記憶。
冷たい牢獄の中で、真っ暗な絶望の淵で、生きる希望を見出した時の記憶。
この小さな世界には、もしもなんて奇跡は存在しない。失われたものは、二度と取り戻せはしない。
けど、もしも願いをかなえてくれるなら――大切な彼女の笑顔を取り戻せるのなら、どんなことだってやってやると。
憎まれようとも、嫌われようとも――――《《嘘をつくことになったとしても》》。
彼女の笑顔を守り続けると、幼い頃の俺はそう強く誓ったのであった。