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【4】二重の人格

   ***

 

「二重人格。正式には解離性同一性障害っつー名前があるらしいけど、要はこの依代巫女子の中には、(みここ)と俺の二人が存在しているんだよ」


 一人の中に二つの人格。

 世の中にそういう人間が存在することは知っていたが、こうして目の当たりにするのは初めての経験であった。


 しかし、先ほどまでの清楚な佇まいを見ていたばかりに、その乱暴な言葉遣いや淑やかさの欠片も窺えない挙動には、度肝を抜かれるばかりだ。

 一応、下着を見えないようにするとか、そういう最低限の品性は保っているようだけど、足を開いて前に投げ出していたり、ゲラゲラと音を立てて笑っていたりと、女性らしさはもはや見る影もない。


 頭では理解出来ようとも、心の方がまるで追いついてこなかった。

 よもや、これほどまでに変わってしまうものなのか。一人称も私から俺になってるし。


「ほえー……私、知らなかったです。巫女子先輩が二重人格だったなんて」


「まあ、(みここ)から進んで言うようなことはねーからな。主人格は(みここ)の方だし、俺はこうして呼ばれた時にしか出てこねーからよ。たまーに、なんかの拍子で入れ替わっちまうこともあるが、それに遭遇したわけでもなきゃ、知らなくても無理はねーよ」


 主人格と裏人格。

 この男性的な人格は、あくまでも依代先輩の裏側でしかないということか。


「表の巫女子先輩は、裏の巫女子先輩のことを知ってるんですか?」


「そりゃあもちろん知ってるさ。でなきゃ、俺を呼ぶなんてこと出来ないだろ?」


「あっ、そうですよね!」


「あと、表とか裏とか呼びづれーだろ。俺のことはカゲって呼んでくれていーぜ」


 本当の名前とは別の名前を名乗り、依代先輩に呼ばれた時だけ表に出てくる。

 その関係性もまた、二つの人格の一線を――この人格が裏側であることを示しているようであった。


「わかりました。カゲ先輩ですね!」


「おうよ! それでいいぜ!」


 未だ展開に追いつききれていない俺とは正反対に、既に裏人格と愛称で呼び合うまでに親しくなっている優華。

 元々の依代先輩の人格を知っているだけに、ギャップによる衝撃は俺以上に強いだろうに。こういった場面でも発揮される順応性が、彼女の社交性の高さを裏付けているのかね。


「しかし、(みここ)もついに先輩になったのか……お前さんが(みここ)の後輩になる黒崎だよな?」


 "お前さん"なんて、依代先輩が絶対に使わなそうな二人称でいきなり話を振られる。


「ええ、そうですが……人格間で記憶は共有されているのですね」


「まあな。本当に記憶が読み取れるってだけだが、一応わかりはするんだよ」


 二重人格についてあまり詳しくは知らないが、どうやらお互いが経験した記憶などは共有出来ているようだ。

 記憶はさっき繋がった――なんて言い方をしていたあたり、多少の時差はあるみたいだけど。


「時差っつーよりは、本を読んでるような感覚が近いな。歴史書風に並べられた(みここ)の伝記を、ものすごい早さで読むみてーな? その時起こった出来事を知れるだけで、抱いた感情まではわからねーってわけ」


 記憶は共有されるが、感情までは共有されない。

 その時その時思ったことは、それぞれの人格だけのものである。


「……複雑なんですね、人格が複数あるっていうのは」


「えっと、その……だめだ、私の頭じゃ理解が追いつかないよー……」


「ただ単に、一人の中に二人いるってわけじゃねーってことだけわかっててくれればいいさ。多分だけど、(みここ)が俺を引っ張り出した理由は、それを伝えたかったからだろうし。それから――――」


 前方に投げ出していた足を後ろに折り畳み、カゲ先輩は目を鋭く細めて話を続ける。


「これは俺のわがままなんだが……こんな面倒な性質を持ってる以上、きっとこの先なんらかの形で迷惑をかけちまうとは思う。けど、だとしてもお前さん達には、(みここ)と仲良くしてやってほしい。お前さん達は、部活や委員会っつー繋がりの中で出来た、(みここ)の初めての後輩なんだ」


 初めての後輩。その言葉に俺は、少し弱いものがあった。

 明るくて優しくて人当たりのいい先輩。そんな第一印象でも――いや、そんな第一印象だからこそ、自らの異常性に苦労することも多かったのだろう。


 同じ0組だからこそわかる苦悩。そんな先輩からの頼みを、断れるわけなんてなかった。


「もちろんですよ! たとえ人格が二つであろうとも、巫女子先輩は私の大好きな巫女子先輩ですから!」


 優華がこぶしを握りしめて、力強くそう言い切る。

 俺もまた、彼女と同じ気持ちだった。というより、俺みたいな人間にも優しく接してくれたという時点で、今後とも仲良くしてくださいってこっちからお願いしたいくらいだ。


「こちらこそ、一年生で色々と迷惑をかけると思いますが、よろしくお願いします」


 そう言って頭を下げると、カゲ先輩は「ありがとな」とつぶやいてまた、歯をむき出しにした豪快な笑みを見せてくれた。



 

   ***



 

 それからまた少しの間雑談を交わし、昼休みも終わりに近づいてきた頃合い。


「そうだ! そんじゃあ親愛の証に、(みここ)の能力を見せてやるよ!」


 ふと唐突に、カゲ先輩がそんな提案を口にした。


「そういえば私、先輩の能力見たことないです」


 テニス部で一緒の優華も知らないらしい。

 というか、この都市の人間はむやみやたらと能力を使わない傾向があるし(一部例外を除いてだが)、能力を見たことがある人間の方が稀なのかもしれない。


「自分で言うのもなんだが、結構便利な能力なんだぜ」


「どういう能力なんですか?」


「そうだなー……」


 カゲ先輩は胸の前で腕を組んで、少しの間考え込む。

 炎を出したり風を操ったりといった、その場でぱっと出来る能力ではないのかなと、適当な予想をつけながら待っていると、何かいい方法を思いついたのか、先輩はにやりと子供のように無邪気な笑みを浮かべた。


「なあ、黒崎。お前さんは優華と付き合ってるんだよな?」


「ええ、そうですけど……」


「彼氏彼女の関係なんだよな?」


「まあ、はい……優華の彼氏をやらせてもらってます」


 そんな何度も確認されると、さすがに気恥ずかしくなってくる。

 隣にいる彼女さんの横顔を見ると、顔を真っ赤にしながら頬に手を当てて、てれてれという擬音が聞こえてきそうなほどわかりやすく口元を緩ませていた。


 ……相変わらず、初々しい反応を見せてくれる幼馴染である。

 恋人関係に慣れていないのは、俺以上なのかもしれないな。


「よし、それならおーけーだ。今からお前さんに(みここ)の能力を実演してやるよ!」


 カゲ先輩はそう宣言すると、右手の親指と人差し指を立てて鉄砲のような形を作り、そのうちの人差し指の先を俺の額に向ける。


「いくぞ、黒崎。俺からのサービスだ、何があっても避けるんじゃねーぞ?」


「一体、何をするつも――――」


 ――――何をするつもりなんですか。

 そう尋ねるよりも前に、眼前に生じた変化によって先の展開を否応なく理解させられ、思わず言葉を失ってしまう。


 額に向けられた指先――先輩の右手人差し指の先端には、いつのまにか銀色の弾丸が浮かび上がっていた。

 …………まじですか。


「『言弾縛り(ドミネーター)』! そこの彼女さんの胸に飛び込みな!」


 先輩の叫びに呼応して、銀色の弾丸が轟音とともに撃ち放たれる。

 弾丸は人間の動体視力では到底追いきれない速度で空間を走り抜け、避ける余裕など微塵もなく一直線に俺の眉間へと着弾した。


 ああ、死んだな。

 走馬燈を流す間もなく己の死を直感した俺だったが、しかし、予想とは異なり、脳天に風穴が開くことはなく、弾丸はまるで俺の額に吸収されてしまったかのように、着弾と同時に消滅してしまっていた。


 傷は付かなかった。五体満足、健康そのもの。

 一瞬、能力の不発を疑った俺だったが、しかして先輩の能力はちゃんと発動していたようで、変化はすぐに訪れる。


 弾丸が消滅した――あるいは、体内に吸収された直後。

 得体の知れない力に肉体の制御権を奪われた俺は、自分が何をしようとしているのかも認識出来ぬまま、勝手に動き出した手足に引っ張られる形で――――


「きゃっ……!? こ、浩二!?」


 ――――気が付けば俺は、優華の胸に顔を埋めていた。


「!!?!?!?!!?!?」


 声にならない叫びが、音を立てずに喉から抜けていく。

 双丘のど真ん中へと見事に収まった恥知らずな顔面が、両側から挟み込んでくるたわやかな感触をつぶさに伝達してくる。


 マシュマロのように溶けてしまいそうなほどの柔らかさと、埋まっている物体を押し戻そうとする瑞々しい弾力性を兼ね備えた、これ以上に触り心地のよいものなど地球上に存在しないのではと思ってしまう程の、繭に包まれたような気持ちの良さ。

 真っ暗な視界に柔軟剤の混じった甘い匂いがまともでない思考を埋め尽くし、豊満な胸の圧迫感と呼吸困難とが相まって頭がくらくらとしてくる。


 抱擁を交わしたことはある。けれども、こんな直接的なやり方でおっぱいの感触を味わったことは流石になかった。

 こんな蛮行を働いていいわけがないだろうと叫ぶ冷静な心が、慌てて胸から顔を上げさせようとする。しかし、俺の意志に反して背中に回された腕はがっちりと繋がれ、確固として優華との距離を離そうとしなかった。


「なっはははははは! 幸せそうだな、黒崎!」


「…………ぷはっ! カゲ先輩、なにしてくれてるんですか!?」


 首を左に回し、顔の右半分は胸に挟まれたままではあるが、なんとか左目の視界と気道を確保することに成功する。

 この強制ラッキースケベな現象を発生させた元凶に説明を求めると、先輩は目尻を涙で潤ませながらひとしきりゲラゲラと笑った後、未知の力から俺の体を解放し、興奮冷めやらぬままの口調で答えを口にした。


「『言弾縛り(ドミネーター)』言葉で支配する能力。この言弾に撃ち抜かれた相手は、その言葉通りに動いてしまうって能力なんだ。俺はそれでお前さんに、幸せな思いをさせてやったってわけだ」


「言葉で支配って……そんな強力な能力を、こんなくだらない遊びに使わないでくださいよ……」


 言葉で支配する能力。それも、弾丸という形で放つことで遠距離の相手にも使用可能とか、実質的に俺の『狂言回し(イミテーション)』による封印の上位互換だし。

 そんななんでもありで滅茶苦茶な能力を、後輩いじりとかいうしょうもない形で使うなんて……。


「いいじゃねーか! お前さんも彼女さんも、二人とも楽しい気持ちになれたんだしよ!」


「いや、俺はともかく、優華の方は……」


 急にセクハラ行為を働かれて気分を害していないだろうかと、おそるおそる彼女の顔色を窺ってみる。


「わ、私は別に……! 浩二なら、全然……嬉しいから……!」


 ここ十年の優華史上最も赤く顔を染めながら、消え入りそうなほど小さな声で俺の蛮行を容認してくれた。


「なっはは! な、よかっただろ?」


「…………そうですね」


 快活な笑顔で言い切られてしまい、反論する気力すら湧いてこなかった。

 どうやら、依代先輩の裏の人格――カゲ先輩は、なかなかに悪戯好きの豪快で愉快な性格の人物のようであった。


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