【2】きっかけ
≪2≫(side 綴)
「黒崎くんの弟子になった!?」
「し、栞! 声が大きいよ……!」
一瞬、廊下を歩く生徒達の視線が一挙に集中する。
が、しかし、大声の主が栞であることがわかると、「なんだ、いつものことか」とすぐに興味を失って各々の世界に戻っていった。
「なんか私、悪目立ちが受け入れられつつない?」
「今更気付いたんだ……」
何の変哲もない平日の放課後。一日の学業を終えた生徒達が野に解き放たれる時間。
帰りのホームルームも終わり、手早く荷物をまとめて教室を後にした僕達は、男女ともにテニス部の活動日であるため、そのままラケットを片手に更衣室へと向かっていた。
「弟子って、何か武術でも習うの?」
「いや、そういうしっかりとした師弟関係じゃないよ。なんというか、説明するのが難しいんだけど……心構えというか、生き方というか、そういう包括的なことを学びたくて」
「男同士の友情ってやつなのかしらね?」
「そのくらいの認識で合ってると思うよ」
師匠と弟子。なんて、大げさな役割を求めたのは僕の方だけど、どちらかといえば栞の言うとおり、友達同士の特別な在り方くらいで考えるのがちょうどいいのだろう。
いつもみたいに遊んだりすることの延長線として。
「何かきっかけでもあったの?」
「まあ、いろいろと思うところがあってね」
「ふーん……いいじゃないの、楽しそうだし! 綴も黒崎くんを見習って、度胸とか男気とかかっこいい部分を学んできなさいよ!」
「あっはは……僕なんかにも真似出来ればいいんだけど」
真似が出来るなら――学んで身につけられるのならば、そうしたいのは山々だけど。それが出来ないからこそ――無理だってわかっているからこそ、僕は浩二くんに弟子入りしたのかもしれない。
……きっかけ、か。
たしかに、きっかけらしいきっかけはあった。
先日の一件。浩二くんと葉月さんが喧嘩をしてしまった事件。
事の顛末は、既に二人から聞いていた。
その件で浩二くんは僕に感謝してもしきれないなんて言ってくれているけれど、そのお礼は身に余る光栄というか――身に覚えのない光栄といっても差し支えないくらいに、僕にはもったいない言葉だった。
だって僕は、本当に何も出来なかったから。
『師匠になるのは構わねえけど……どうしてそんなことを?』
先日の学校帰り、寄り道したファーストフード店で、僕は浩二くんにお願いをした。
浩二くんは不思議そうな顔をしてそう問いかけてきて、僕はただ漠然と「強くなりたいんだ」とだけ答えたんだっけ。
強くなりたい。その一言で浩二くんはなんとなく納得してくれたみたいだし、たしかにその思いもまた間違っていなかったけど。
本当の理由は、もっと漠然とした――自分でもわかっていない思いに駆られたからで。
僕は、彼らのようになりたかったのだ。
浩二くんのように――異常なる0組のように。
「そういえば、もうすぐ文化祭ねー」
僕と浩二くんの話題はそこそこに、通りすがりの掲示板に貼られた『来たる、符号学園文化祭!!』のポスターを見てか、栞の興味が文化祭の方に向けられる。
基本的に栞は話の移りが早い。
「もうすぐといっても、あと二ヶ月は先だけどね」
「なに言ってるのよ! もうあと二ヶ月しかないんじゃないの! 出し物を決めたり、道具を作ったり、やることは盛りだくさんよ!」
瞳の中で熱い炎をメラメラと燃やす栞。
高校生活初めての文化祭なだけにか、お祭り好きの彼女はもう既に気合い十分といった様子であった。
それに、栞がこんなに意欲的になるのには、もう一つ別の理由もある。
「さすがは文化祭実行委員、張り切ってるね」
「あったりまえよ! 祭の華と呼ばれたこの私が張り切らないで、誰が張り切るって言うのよ!」
「いや、祭の華なんて言われたことないよね」
1年+3組の文化祭実行委員。栞はその二枠のうちの一枠――女子代表として、クラスを取り仕切る側に回っていたのであった。
テニス部に文化祭実行委員にと、普通の生徒以上に大忙しなスケジュールだ。本当に、お祭り事が好きだからこそやれるのだろう。
そういった栞のアクティブな側面を、僕は素直に尊敬していた。
まあ、たまにアクティブ過ぎて暴走しがちな所もあるんだけど。
「大変だったらいつでも言ってね。僕も出来る限り協力するから」
「ありがと! そう言ってくれたからには、ガンガンこき使わせてもらおうかしら」
「……お手柔らかにね」
そんな世間話を終えたところで、僕たちは各々の更衣室にたどり着く。
扉の前で偶然はち合わせた葉月さんに挨拶をして、僕は栞と別れて男子更衣室に入った。
「……そんな栞のために、僕は強くなりたいのかな?」
なんて、無意識にこぼれ落ちたその言葉は、性別で切り離された扉に遮られて、むさ苦しい汗とスプレーの臭いの中に溶け込んでいくのであった。