【16】初めましてをもう一度
「……白百合、俺を一発殴れ」
「これだけ痛めつけられておいてまだ殴られ足りないだなんて、どんだけマゾなんだてめえは」
「案外、そうなのかもしれねえな」
自分の傷を自分で抉って、それでなにかをしたつもりになって、悦に浸っていたわけだから。
「歯、食いしばりな!」
痛烈な一撃が頬に叩きこまれ、俺の体は大きく吹き飛ばされた。
ごろごろと、土煙を上げて無様に転がる体。しかし、そんな情けさなすらも、今の俺には心地よくて。
「……目、覚めたか? てめえの夢は思い出せたか?」
「ああ、ばっちりだよ」
白百合の宣言通り、見事なまでに誤ちを正されてしまった。
負けた。ああ、惨敗だ。ここまで文句の言い様のない完全な大敗を喫したのは、久しぶりのことだった。
……だけど、
「だからといって、ここで素直に殺されるわけには、いかねーんだよなあ」
勝負には負けても、試合にまで負けるわけにはいかない。そんな軟弱な有様じゃ、優華に顔向け出来ねーからな。
「ああ? なんだ、まだやれるつもりか?」
「当然。今までのはハンデをあげてやっただけだ。ここからが本番だせ?」
「はっ、言うじゃねえか! そういう強がりは嫌いじゃねえぜ」
口角を大きく上げ、瞳をぎらぎらと輝かせる白百合。
戦闘部などという物騒な部活動に所属しているだけあってか、本気で戦えることに興奮を抑えきれないといった様子の彼女に、俺はちょっとの恐怖を覚え、思わず冷や汗をかいてしまう。
けれども、ここで引くわけにはいかなかった。
見栄とか名誉とかそういう男のプライドのために、なんとしてでもこの女に一発お見舞いしてやるのだ。
唯一生きている右腕でズボンに仕込んだナイフを取り出し、突き立てやすいように握りしめる。
「へえ、いいもん持ってんじゃねーか。けど、そんなちんけな刃物一本で、あたしを殺せるとでも思ってんのか?」
「安心しな、この程度で殺せるとは思ってねーよ。こいつも含めて、俺の持てる全てをお前にぶつけてやるからよ」
『偽装』を使用。己に一つの能力を付与し、そして――――
「――――これが俺の全力だ! 殺せるもんなら、俺を殺してみろ!」
枯れんばかりの大声で雄叫びを上げると同時に、『先陣切り』の加速度で身体を飛び上がらせた。
歩けないのであれば、空を飛べばいい。
折れた右足の代わりとして『先陣切り』を機動力とする戦法は、土壇場で藤堂和也が見せたものと同じであった。
しかし、それだけでは白百合は倒せない。
だからあと一つ、俺にしか出来ない奇策を絡める。
浮かび上がった身体を前に飛ばし、白百合に突進する。彼女もまた、口元に笑みを浮かべたまま拳を堅く握りしめて前に走り出す。
二人分の速度が合わさり、俺達の距離は瞬く間に詰められる。そして、ここまではすべてが俺の予想通りであった。
この作戦、『偽装』の持続時間が切れるまで逃げられたり、あるいは俺の突進を避けられたりしていれば、それだけで失敗していた。
俺ならばきっと、確実な勝利を狙って逃げに徹していたことだろう。
けれども、俺とは間逆の――白百合の真っ直ぐな性格ならば、必ず向かってくると信じていた。
だから、それを利用することにしたのだ。
加速度を落としてタイミングを調整する。
すさまじい勢いで迫り来る白百合の挙動を見逃さぬよう、全神経を集中させて目を見開く。
彼女の拳が後ろに引かれる。
腕の力だけではない、腰の回転を利用し、全身の力を乗せた一撃が、容赦なく振り抜かれる。
迫り来る拳、狙いは胸のど真ん中か。
先ほどまでの死なないギリギリに手加減されていたものとは違う、食らったら間違いなく即死する威力の一撃。しかし、俺はあえてその拳に当たりにいく。
コンマ数秒の戦い。ぎりぎりまで拳を引き寄せ、殴られる寸前のタイミングを見計らい、俺は――――
――――自分の心臓に、ナイフを突き立てた。
「なっ…………!?」
予想外過ぎるタイミング――いや、そもそも考慮にすら入れてなかったのであろう自殺という選択に、大きく動揺する白百合。
しかし、振り抜いた拳を今更止めることなど出来ず、全身全霊の一撃は見事に俺の胸部と捉え――――そして、俺の肉体に傷一つつけられぬまま、勢いをそのままはじき返された彼女の腕は、人体の駆動域を越えた方向にへし曲がっていた。
『死後防衛』。『デッドシステム』を構成する機構の一つ。
『死亡』した人間に対する一切の攻撃を遮断する『システム』。それを、あえて自分を殺して『死亡』状態にすることで『死後防衛』を発動させ、俺は白百合の初撃を無効化することに成功したのであった。
そして同時に、『死亡』したことで『デッドシステム』の治癒機構が働き、俺の体は傷つく前の元の状態に修復される。
傷の癒された万全の肉体、そして完全に不意を突いたカウンターアタック。
正攻法も奇策も思いつく限りを総動員し、最初で最後の絶好の機会を作り上げ――――俺は再び目を覚ます。
『狂言回し』――『デッドシステム』による睡眠の強制解除。
これだけはまだ、0組の連中に知られていない、最大にして最後の奥の手であった。
その秘中の秘を使用し、強制的な睡眠から目覚めた俺は、右手に力を込め、ナイフがまだ手の中に握られているのを確認し、そして今度こそ彼女の隙だらけの胸部を目掛け、ナイフを振りかざす。
彼女がどれだけの身体能力を備えていようと、どれだけ『狂言回し』の相性が悪かろうとも関係ない。
人は心臓を刺されれば死ぬ。それは決して誤ちではなく、正しい事なのだから。
後の先。武器と能力だけじゃなく、『デッドシステム』までも利用した俺の一撃が、白百合の心臓を貫いた。
「……どうだ、これが俺の全力だよ」
「くっはは……いいねえ、やっぱてめえは最高にイカレてやがるぜ……」
持ってけ、今回はてめえの勝ちだ。
そう言って最後の力を振り絞り、ポケットから一枚の紙切れを俺に押し付ける。
そしてそのまま白百合は膝から崩れ落ち、最後まで正しく、人間らしく『死亡』したのであった。
「……何を言うかと思えば。誰がどう見たってお前の勝ちだよ」
俺はただ、最終イニングのスコアのみ勝って、ちっぽけなプライドを守っただけのくだらねー男だ。
総合的なスコアでは、圧倒的大差をつけられての敗北である。
けれども、その最後の頑張りを認められた結果、俺は切符を手にすることが出来た。
優華と会うための切符を――一枚のメッセージカードを。
折り畳まれたカードを開く。
はがきサイズの用紙に書かれていたのは、たった一行の言葉であった。
『私も、浩二の傍にいたい』
「っはは……あっははははははははははは!!」
乾いた笑いと共に、大粒の涙がこみあげてきた。本当に俺は、なんて愚かな人間だったのだろう。
優華に会いたい。その気持ちが心の奥底からあふれんばかりに湧き上がってくる。
会いたい。会って話がしたい。
今日の喧嘩のことを、昨日の悪役ごっこのことを、この一週間の0組との生活を――――この十五年間の楽しかった日々を。
「…………行かなきゃ」
心を埋め尽くす感情に急き立てられ、足がひとりでに動き出した。
『デッドシステム』による睡眠を強制解除した影響か、全身が鉛のように重い。
一歩踏み出す度に視界がぐらぐらと揺れ、頭蓋の内側から直接殴られたかのような鈍痛が響く。
『死亡』した時の怪我の状態に応じて負荷が増える仕組みになっているのか、今の体調はかつてないほどに最悪であった。
しかし、そんなインフルエンザとノロウイルスを同時に患った程度の衰弱では、俺の歩みは止まらない。止めるわけにはいかない。
途中、段差に躓いて何度か転倒し、頭を強く打ち付ける。
それでもすぐに立ち上がり、再び足を進める。
どこかのタイミングで、あまり痛みを感じなくなった。全身が余すところなく苦痛を訴えているで、痛覚が麻痺してしまったのだろうか。
四度目の転倒。痛みは相変わらず茫洋として曖昧なものだが、意識が少しだけ途切れそうになる。
体を起こす。足を動かす。
それと同時に、少しだけ昔のことを思い出す。
最初に浮かんだのは家族のこと。
父親の顔。母親の顔。解かれた知恵の輪。積み重ねられた本。それらをかき分けて手を伸ばす、幼馴染の無垢な笑顔。
幼少期の記憶。いじめ。母親の死。父親の失踪。誘拐。殺人。
過激化と鎮静化。中学時代の記憶。存在しない日々。悪魔のような後輩。
二度目の誘拐。最悪の結末。そして、今に至る物語。
それは、走馬灯としてすら成り立たない、単語のような記憶の羅列。
恥の多い生涯を送ってきました。失敗に失敗を重ねて、最悪を最悪で塗り固めた、後悔ばかりの人生でした。
けれども、俺はもう振り返らない。過去の不幸がなかったことに出来ないのなら、未来を幸福なものにする努力をしよう。
それこそがきっと、本当にやりたかったことなのだから。
気が付けば、目の前に見慣れた廃墟が建っていた。
ほとんど意識はなく、無意識のうちに辿り着いた場所――――1年0組拠点『ホーム』。
きっと直感が理解していたのだろう。帰るべき場所を――すべてを始めるにふさわしい場所を。
「……優華ちゃんなら、入ったすぐのところで君を待っているよ」
いつからそこにいたのだろう。
塀の影に隠れていた導夜が、壁に背をつけたまま独り言のように呟く。
「余計な干渉はしないんじゃなかったのか?」
「あっはは……本当は、そのつもりだったんだけどね。どうやら僕は、聞き役に徹することは出来ない人間のようだ」
そう言って塀から背を離し、導夜は『ホーム』とは逆方向に歩きだす。
「いってきな、浩二くん。君にはあの子を、幸せにする権利がある」
「……ああ、ありがとう」
仲間の声援を受け、俺は扉に手をかけて最後の一歩を踏み出す。開かれた扉の先――ひらけた空間の中心で、彼女は俺を待っていた。
「…………浩二」
澄みきった声が、俺の名前を呼ぶ。
その言葉を聞いた瞬間、話したかった言葉の全てが吹き飛んでしまった。
ああ、なんて滑稽なのだろう。
一週間ぶりの再会で、こんなにも無様な姿を曝す羽目になるだなんて。
やり直せるだろうか。終わってしまった物語を、もう一度始められるだろうか。
不安はあった。心配しかなかった。
だけど、だとしても、俺は彼女の傍にいると決めたから。
彼女を幸せにすると決めたから。
だからこうして、俺はここにいる。不格好にも、生きているんだ。
黒崎浩二は告げる。今度は嘘じゃなくて、本心からの言葉を――初めましての挨拶を。
勝手なことを言ってもいいかな? 俺はお前のことを――――
「――――心の底から愛してる」