【9】正反対の二人
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「ええ、そうです。いつも小百合さんがお世話になっております」
風上は思いの外あっさりと、付き合っている事実を認めた。
「……なんで?」
「なんで、と申されましても……好きだからとしか……」
「ああ、うん……そうだよな……」
誤解しないでもらいたいが、俺は別に白百合に彼氏がいたことに対して驚いているわけではない。
いや、その弁明は嘘だな。正直、めちゃくちゃ驚いてはいた。
そりゃあ、あの抜群の運動神経に男よりも男らしい豪快な性格が合わさった白百合であれば、男女問わず多くの人にモテることだろう。
だが、花より団子というか、色気より食い気というか、そういった色恋沙汰にはまるで興味がないものだと勝手に思っていた白百合に、彼氏が――それも-組の男の彼氏がいたともなると、驚くなという方が無理な話であった。
しかしそれは、白百合が-組の男に恋をしたことについてではなくて。むしろその逆、-組の生徒が白百合に恋をしたという事実が、にわかに信じられなくて。
だって彼女は、俺や-組の生徒とは真逆の立ち位置にいる――実直で、潔白で、曲がったことが大嫌いな、正義を語るにふさわしすぎる人間だったから。
「真逆だからこそ、私は小百合さんを好きになったのですよ」
風上は風を操って器用に体を回し、顔をこちらに向けて答える。
「黒崎浩二さんにも、そういったお相手はいらっしゃいますでしょう? 正反対の人間だからこそ、何故だか惹かれてしまうという方が」
「……まあ、いたかもしれねーな」
こんな時、必ず最初に思い浮かぶのは優華の姿だ。
けれども――最愛の幼馴染を重ねてしまうからこそ、信じられなくなっている。好きになった少女と、添い遂げたいという発想に至れる理由がわからなくて。
「自分のせいで、清純な彼女が汚れてしまうのではないかとか、そう不安になることはないのか?」
汚してしまう。穢してしまう。
正反対であるが故の悪影響。
変わってしまうことを恐れて、傍にいることを拒んだ俺としては、純粋な興味として、風上が白百合と付き合った理由を知りたいと思った。
はたして、
「発想が逆なのですよ、黒崎浩二さん。正反対であるとか、そんなことは関係ありません。だって、私程度の影響で、小百合さんは汚れたりなどしないのですから」
自分のような人間に、彼女が染められることなどありはしない。
千里が論じていた、-組の共通思考が根底にあること――影響力を否定しているが故に、気兼ねなく付き合える。そう納得することも出来ただろう。
しかし、風上の言わんとすることはそうではない。
彼は、影響力の有無など関係なしに、彼女が汚れたりなどしないと言った。
それは、彼女が彼女であり続けられることを――パートナーの強さを心の底から信頼しているからこそ、口に出せる言葉であった。
「……そう言えるのは、少し羨ましいな」
風上に聞こえないくらいの声で、ぼそりと本音が漏れ出す。
俺はどうだったのだろう。俺は優華を、心の底から信じてあげられていただろうか。
――きっと、信じていなかったのだろう。
信じ切れなかったから、こんな結末を迎えてしまったんだ。
完結し、完了してしまった夢物語を。
「黒崎浩二さん。もうすぐ雛壇学園に到着します」
風上の声かけで、俺は前方に目を向ける。
気が付けば、それが校舎であると判別出来るくらいの距離まで、目的地に近づいていた。
先週のバス移動よりも早く、しかも快適な遊覧飛行で辿り着いた雛壇学園。
まあ、あまりに快適過ぎたせいで、少し余計なことを考えてしまったが、それもここまでである。
大きく深呼吸をして、一度頭の中をまっさらな状態にする。
思考を切り変えよう。今はただ、依頼をこなすことに集中する時間だ。
やるべきことを強引に作り、それに思考を費やし、無駄なことを考えないようにする。
そんな現実逃避の繰り返しの先――時間という万能薬が、心の穴を埋めてくれることを信じて、俺は少女の誘拐に乗り出すのであった。
***
笹瀬幸。雛壇学園1年2組に所属。
成績は中の上、運動は中の下。可もなく不可もなく、ありきたりで平凡な、ごくごく普通の女子高生。
それが、今回のターゲットとなる少女であった。
「なんでまた、こんな普通の少女が狙われるのかね?」
上空から雛壇学園の外観を見降ろし、目的の少女――笹瀬幸の居場所を探る。
今回は先週のように人払い令が発せられていないため、平日ほどではないにしても、雛壇学園は部活動をする生徒達でそれなりに賑わっていた。
「彼女自身に理由がなくとも、彼女の能力には理由があるのです。私達の他にも、彼女の身柄を狙う連中はいるようですし」
「へえ、この能力がね……」
ターゲットとなる少女の情報は、事前に千里に見せられた資料に細かく記されていた。
「『幻装』能力を強化する能力。まあ、珍しい能力ではあるわな」
強化の持続時間は限られており、強化の方向性をコントロール出来るわけではないようだが、それでも能力を強化するという性質はなかなかに興味深くはあった。
まあ、だからといって、自分で試してみたいとは思わないが。
グレードアップが、必ずしも利便性の向上につながるわけではない。方向性を操れない以上、下手に強化したことで逆に使い勝手が悪くなるという可能性もあるのだ。
「彼女を狙う人間の多くは、自らの能力の強化を望んでということらしいですが、本人はそれを拒んでいるそうで。その拒絶こそが、こういった誘拐などの強硬手段に繋がってしまっているのだそうです」
「なるほどな……そうなると、別の誘拐犯とかち合って、そのまま戦闘に移行するなんて展開も考えなくちゃならねーのかね」
「それはないと思われます。どちらかといえば、今回戦いになるのは同業者ではなく、彼女の周囲にいる人間とでしょうね」
「例のお仲間共のことか」
お仲間というか、仲良しグループというか。ターゲットである笹瀬には、常に行動を共にしている四人の仲間というのがいるらしい。
男が一人に女が三人。それに笹瀬を加えた男女比一対四の五人グループで動いていることが多いのだそうだ。
なんというか、ライトノベルの主人公さながらのハーレムっぷりである。
実際、四人の女子生徒は全員揃いも揃って一人の男子生徒に恋をしているらしいし、惚れられている男の方も成績優秀スポーツ万能の人気者なんだとか。余計なことまで記載してある依頼書だ。
「ラノベの主人公ね……」
「おや、ライトノベルはお嫌いですか?」
「別に、ジャンルを嫌ってるわけじゃねーよ。ただ、主人公みたいな人間ってのが嫌いなだけだ」
底抜けに明るい奴とか、常に成功を信じている奴とか。
そういう日の当たった世界で生きてきた、失敗という言葉を知らなそうな人間は、どうしても苦手であった。
「……しかし、この中から見つけるなんて出来るのか?」
雑談を交えながらも、意識はしっかりとターゲットを探す方に向けていたのだが、どうも人の数が多すぎる。
おまけに、建物の中に入られていた場合、上空からでは死角となってしまうため発見は不可能だ。
なんらかのあたりをつけて探す必要がある。
そう思い、風上に提案しようとしたところで、俺の思考を予測していたかのようなタイミングで、「ご心配はいりません」と機先を制された。
「私達の他にもう一人――協力者が彼らの位置を特定しております。今、情報をいただいているところなので、もう少々お待ちくださいませ」
「なんだ、協力者なんてのがいたのか」
事前に聞いた話だと、今回の依頼に参加している-組の人間は風上だけだったはずだが、土壇場で一人増やすことにしたのだろうか?
「いえ、符号学園より派遣されているのは、私と黒崎浩二さんの二人だけでございます。今、連絡を取っているのは、雛壇学園の方です」
「……内通者か」
「広い意味では、そういうことになりますね」
風上が右耳に引っかけたイヤホンマイクに手を当て、ぼそぼそと何かを呟く。
そうして待つこと十数秒、内通者より情報を受け取った風上は、「こちらになります」と風を操って先導し、俺達をターゲットの近くにある建物――古ぼけた校舎の屋上に降り立った。
「この旧校舎の裏に、男子生徒の彼――藤堂和也さんと二人きりでいるようですが……」
風上はあえて続きを濁し、フェンスの向こう側を指差す。
「……こんな空気の悪い湿気たところで二人きりになる理由なんて、まあろくなもんじゃねーってことか」
示された通り、フェンス越しに下を覗き込むと、案の定そこには、傍目でもわかるほどに深刻な雰囲気を撒き散らしながら、二人の少年少女が向かい合っていた。
会話の内容までは聞き取れないが、険悪な様子であることはわかる。言葉を交わすには少し遠すぎる二人の距離感が、彼らの関係性を如実に示していた。
「……作戦は?」
二人からは目を離さず、耳だけを傾けながら風上に問いかける。
「奇襲をかけましょう。私が『落花流風』で黒崎浩二さんをターゲットの下まで落としますので、黒崎浩二さんはターゲットを『死亡』させて捕らえてください。ターゲットを確保しましたら、即座に撤退いたします」
「男の妨害はどうする?」
「妨害は全て私が押さえ込みますので、黒崎浩二さんはターゲットの誘拐のみをお願いいたします」
「りょーかい」
承諾と同時に体がふわりと浮かび上がり、フェンスを越えた所で今度は急降下が始まる。
自由落下よりは遅く、しかし奇襲には申し分のない速度で、地面に落ちていく体。
距離が近付くにつれて、女の方が――笹瀬が涙を流していることがわかる。
男の方は――藤堂は、そんな彼女に憤っているのがわかる。
何に怒っている? 目の前の少女に?
いや、違う。彼が怒っているのは、もっと別のものに対して。
彼らの間にあるのは恐怖ではない。あるのはお互いを思いやる気持ち。
愛する気持ち。それ故に女は泣いていて、それ故に男は泣いていて。
けど、今の俺にとって、そんなことはどうでもよかった。
藤堂が、俺達の存在に気が付く。
あからさまに怪しいこの恰好を見てか、それとも殺気のようなものを感じ取ってか、一瞬の判断で俺達を敵とみなした彼は、「危ない!!」と声を張って笹瀬を庇おうとする。
しかし、今更気付いたところで遅い。俺に追従して落ちてきた風上の『落花流風』により、二人の間に暴風の壁が現れる。
笹瀬に駆け寄ろうとした藤堂が見えない壁に弾き飛ばされた隙を狙い、俺は『狂言回し』で動きの自由を奪った笹瀬を抱きあげ、そして――――
「――――和也さん!!」
男の目の前でわかりやすく、胸にナイフを突き刺して彼女を『死亡』させた。
そこまでをして、ようやく気が付いた。その男――藤堂和也が、先週雛壇学園を訪れた際に鉢合わせた、男子生徒だということに。
「あんた、あの時の……!?」
向こうもまた、俺の正体に気付いたようだ。
カモフラージュ、全く役に立ってねーじゃん。
「よう、会うのは二回目だな」
「…………なんのつもりだ」
「なんのつもりって、見ての通りだよ。お前の幼馴染を、誘拐しに来たんだ」
「幸を離せ!!」
「離したら誘拐にならないだろ」
殺害行為と同じくわかりやすい挑発に、藤堂は歯噛みする。
風に阻まれ身動きが取れない状態では、憎々しげな目で俺を見ることしか出来なかった。
「幸を離しやがれ、このクソ野郎!」
その時、建物の影に隠れていたのであろう三人組が――情報にあった三人の女子が、藤堂の背後から飛び出してくる。
そのうちの一人は声を上げると同時に、硬球並の大きさをした石を顔面にめがけて投げつけてきた。
『箒星』投擲物の速度を増幅させる能力だったか。
ご丁寧に、接触の可能性がある四人の情報もしっかりと依頼書に記されていたため、投げるという行動から瞬時に能力を割り出すことが出来た。
そして、能力がわかっていれば対策もとれる。
投擲された石は、細腕の少女から放たれたとは思えない速度で迫ってくる。が、それが俺の頭に直撃することはなく、『落花流風』の壁に阻まれ勢いを失い、ポトリと地面に落ちていった。
「……ま、こんなところか」
駆け寄ってきた女子達が藤堂の隣に並ぶ。
四人が四人ともに、悔しそうな表情で俺達を睨みつける。
「なんでだよ……なんであんたらはそうやって、いつもいつも幸を不幸な目に合わせるんだよ!!」
「さあ、わからねえよ。それが理不尽な人生ってものだからとしか言えねーだろ」
人生はいつだって理不尽なものだ。
前触れなく平穏は崩れ去り、幸福は唐突に終わりを告げる。
そこに理屈などなく、そこに理由などなく。
そういう星の下に生まれた。そんな言葉一つでは片付けられない不幸であっても、運が悪かったと諦めるしかない。
それこそがこんな不条理な世界で――理不尽な人生なのだ。
体が再び浮かび上がる。風上からの、撤収の合図であった。
未だ藤堂は何かを叫んでいたが、これ以上は相手にすることなく、俺達は早急に飛び立って雛壇学園を後にする。
「……ひとまず、第一段階はこれで終了か。隠れ家になる廃倉庫ってのはどこだ?」
「ここから少し離れた西の方にあるそうです」
「そうか。……なるべく急いだ方がいいだろうな」
「かしこまりました」
そう言って俺達は、誘拐した少女の亡骸と共に、次なる目的地へと移動を始める。
抱きかかえたままの少女の寝顔は、このまま二度と目覚めることなどなく、ボロボロに綻びて手の中から零れ落ちてしまいそうなくらいに儚げなものであった。