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黒崎浩二は嘘をつく -幼馴染を守るため、異常なる0組で異能力バトルな世界を生きる-  作者: 望月朔
≪第二章≫黒崎浩二の過去と未来(決別編)
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【17】天使が地に落ちた日

   ***


 さめざめと降りしきる雨の音に混じり、ベッドの上で眠る優華の寝息が耳に届く。

 閉ざされたカーテンの隙間から見える窓の外には暗雲が立ち込めていて、部屋に落ちる暗がりは先行きの見えない未来を――壊れてしまった俺達の行く末を暗示しているように思えてしまう。


 あれから、どれだけの時間が経ったのだろう。

 空を覆い尽くす雨雲のせいで太陽は時を刻む指標とならず、壁にかけられた短針に目を向ける気力すら失せていた俺には時間を計る余裕すら残されていなかった。


 どんな道程を経てここに辿り着いたのか――あるいは、どんな失敗を重ねてここまで行きついてしまったのか。

 無我夢中に、感情の赴くままに動いていた、曖昧模糊な記憶の海。それでも、かすかに覚えていることはある。


 どしゃ降りの豪雨に身を打たれながら、優華を背負って辿った帰路。

 遊佐さんに眠った彼女を預けて、俺もまた着替えてきなさいと促されるまま一度家に戻されて。

 そして今――寝返り一つ打たないまま眠り続ける彼女の横顔を、何も言えずに、部屋の明かりも灯せぬまま、椅子に座ってただ呆然と眺めている。


 無力感――いや、実際に俺は無力なのだ。


 どうしてこうなってしまったのか。そんなことは、自問する必要もない。

 結論は、既に幾重もの自傷で出尽くしていただろう。全部、黒崎浩二という負債のせいなのだって。


 俺が優華と仲良くなることを望んだからで。俺が優華の傍にいることを願ったからで。

 ずっと一緒にいられたらだなんて――ありもしない泡沫の幻想に、依存してしまったから。


 俺が幼馴染でなければ、こんなことになんてならなかったのにと。

 そんな自責の念だけが、心の中で渦巻いている。


 幾度となく己を傷つけたくなる衝動に駆られ、既の所で激情を抑え込む。

 そんな自分でも理解しがたい不毛な葛藤に苛まれながら、何度目になるかわからない自傷未遂にいよいよ精神が壊れてしまいそうになったその時――――


「ん……ここ、は……?」


 ――――優華が、静かに目を覚ました。


「……優華!」


 掛け布団をめくって上体を起こし、半分だけ開かれた虚ろな目で彼女は周囲を見回している。

 廃工場の片隅から、自室のベッドの上に。急な光景の変化に戸惑いを見せる優華に、俺は可能な限り優しい声色を心がけながら、控えめに声をかける。


「あれ、浩二……?」


「……優華、安心しろ。今のお前は、自分の部屋にいる」


「部屋……? なんで私、寝ちゃって、て……あ、ああ、あああああ――――!!」


 起き抜けの思考が俺の声に反応し、首を横に動かしてこちらの姿を視認して――そして、寝ぼけ眼が大きく見開かれたと思った次の瞬間、優華は不明瞭な言葉を喚き散らして大きく動転し始めてしまった。


「私、私……あの、暗い、部屋で……私達は、私のせいで、浩二は……!!」


「落ち着け、優華! 大丈夫だ、それはもう何年も前の話で、ここはもうあの地獄の中じゃ――!!」


 優華は身を(うずくま)らせながら、小刻みに震える肩を抱いて吐き棄てるように嗚咽を漏らす。

 錯乱する彼女を落ち着かせようと、慌てて椅子から立ち上がり肩に手を伸ばそうとして――その指先が肌に触れるよりも前に、俺の右手は強く打ち払われていた。


「あっ……ごめんなさい、違うの! そ、そうじゃなくて……私が、悪くて……!」


 パチンと、反射的に示された拒絶の意が破裂音として鳴り響き――俺の腕を痛く振り払った直後、優華の顔色が瞬く間に青ざめていき、雑然としていた呻きの全てが謝罪の言葉へと変わっていく。

 ごめんなさい、ごめんなさいと――心身が擦り切れてしまいそうなほどに切実な声で何度も謝りながら、彼女はベッドから身を投げ出し、立ち尽くしていた俺を下敷きに四つん這いとなって覆い被さる。


 押し倒されたことで、初めて視線がぶつかり合う。

 正常さを――清純な輝きを失った彼女の瞳は、あの最悪な世界で見た失意とそっくりの色をしていた。


「私、全部忘れてたんだ……! 誘拐されてたことも、暗い部屋の中で何があったのかも……あそこから逃げ出すために、浩二が何をしたのかも……全部、全部、全部……!!」


 ――ああ、やはり思い出してしまったのだ。


 廃工場で彼女を救い出したあの時から、心のどこかで気付いてはいた。

 忘れていたはずの汚点を――俺がこの手で捨てさせた地獄の全てを、優華はもう思い出してしまったのだって。


 気付いていて――それでも、嘘であってほしいと願っていたことも。


「ごめんなさい……浩二はずっと覚えてたのに、私だけ全部忘れて……何もなかったみたいに今日まで生きていた。私だけずっと守られていて……それどころか浩二は、どんなに汚名をかぶっても、酷いことを言われても、何も言い返さないで……私が思い出さないように、一人で全部抱え込んで……」


 違うんだって――そうじゃないんだって否定したかった。

 尊い自己犠牲の精神など欠片も持ち合わせていなくて、ただ君の隣にいたいという許されざる欲のために吐いた最低な嘘の末路なだけで。


 優華は悪くない。悪いのは全部俺なんだって。

 そう一言告げればいいだけのはずなのに――どうしてか、肺から吐き出される空気が喉を上手く抜けてはくれず、戯言に(まみ)れた言葉を発する満足な声量も確保出来ない。


 大粒の涙を流しながら、優華は懺悔の言葉を続ける。

 その姿は普段の幼馴染とは程遠いもので、俺が一番恐れていた局面に――笑顔を失ったあの時に逆戻りしてしまったようであった。


「全部、浩二に背負わせてた……私だけが何も背負わないで、浩二に全部背負わせて……ごめんなさい、ごめんなさい……なんで、なんで私は、こんな大事なことを忘れられるの!?」


「違う、そんなことはなくて……優華は何も、悪くなんか……」


 被虐の全てを取り戻してしまった彼女も――そして俺もまた、およそ正気とは呼べない状態にあった。


 優華の懺悔は段々と自分を責めるものに変化していき、こちらの声がまるで届かなくなってしまう。

 今更になって動き始めた舌が慰めの言葉を吐き出すが、彼女の自傷は収まるどころかより苛烈さを増していく。


「よくもこんなぬけぬけと生きていられたわね! 浩二はこんなに苦しんでるのに、私だけへらへらと笑って、人の気持ちも知らないで、私だけ……私ばっかり……!!」


 焦点の定まらない瞳孔の奥に、地獄の残骸を垣間見る。

 その表情に、いつもの無垢な彼女の面影はどこにもなくて。


「やめろ、優華……もうやめてくれ……」


 かき乱される思考に冷たい血が上ってきて、視界がくらくらと揺らいでくる。

 全身が尋常じゃないほどの熱にうだり、口内は乾ききって生唾の一つも産出されなくなる。


 今、目の前にあるのは、俺が守りたかった少女の光ではなく――守れなかった少女の闇そのもので。

 最愛の幼馴染が狂気に堕ちていく様に、言い表せない焦燥感を覚える。


 ――いいや、違う。

 そんな嘘つきの言葉では、もう言い逃れることは出来ない。


 焦りや、苛立ちなどではない。

 それらの譫妄(せんもう)を上回る感情が、俺の心を駆り立てている。


 狂乱が理性を凌駕するこの失敗した世界で、一瞬、ほんの一瞬だけ、俺は優華のことを、大好きな女の子のことを――――怖いと、思ってしまったんだ。




 ――――そしてその恐怖は、今の俺達にとってはあまりに致命的であった。




「――――やめろ!!」


 気が付いた時には、俺は割れるような怒鳴り声と共に、優華の肩を突き飛ばしていた。


 過剰なまでに息を吸い込み、えずくように空気を吐き出し、音を立てて乱れる呼吸を数回ほど行って、そこでようやく事の重大さに思考が行き当たる。

 脳天から体内が一気に冷却されていく。およそ自分がしたとは思えない所業に――優華に手を上げてしまったという事実に、動揺を隠せない。


 最悪だった。

 最低で最悪な選択だった。


 体を起こし、おそるおそる優華の様子を窺う。

 突き飛ばされた彼女は唖然とした表情で言葉を失っていたが、俺と目が合うと身をびくりと震わせ、それから怯えた眼差しでこちらを覗き見ている。


 初めは、俺が優華を突き飛ばしてしまったからだと――大声で手を上げたことに対する怯えだと思った。

 けれども、すぐにそうではないと気付く。長年の経験が、最悪の形で発揮される。


 違ったんだ。彼女が怯えているのは、もっと別の――根本的な部分で。

 そしてその答えは――彼女の口から紡がれる告解が、畏怖の全てを物語った。


「い、いや……ごめんなさい……! もうしないから、もう浩二を怒らせることなんて、絶対にしないから……!」


 涙で目を赤く腫らしながら、怯えと憂いに頬を歪ませながら、震える手足を不器用に操って、彼女は再び俺の下へと這い寄ってくる。


「なんでも言うこと聞くから……浩二のしたいこと、全部していいから……。だから、私を一人にしないで……私を見捨てないで……」


 悲痛に満ちた嘆声を漏らし、優華は体裁を取り繕うことも忘れて、もたれかかるように俺の肩へと手を伸ばす。


 光沢を失ってなお淡く幽玄に揺れる可憐な瞳が、陰鬱に薄汚れた俺の目をじっと見つめている。

 吸い込まれそうなほどの美しさが、今は怖くて仕方がなかった。


 そして彼女は、俺という人間の全てを台無しにする決壊の一言を告げる。

 神に祈るように、許しを請うように――――優華は、耳元でそう囁いた。






「――――私のことを、嫌いにならないで」






 その瞬間、心の奥底で何かがへし折れる音が聞こえた。


 違う――こんなのは、優華じゃない。

 彼女が、俺みたいな地の底で生きる劣等に、嫌いにならないでなんて言うはずがないんだ。


 俺にとっての優華は、守りたい人であって、大切な幼馴染であって――そしてそれ以上に大前提として、彼女は俺なんかじゃ手の届かないほどに高い場所にいる存在であり、文字通り住んでいる世界が違う少女だった。

 幼馴染という奇跡がなければ、関わりを持つことなんて絶対にありえなかった。


 天堂と崖下。雲の上と奈落の底。それほどまでに遠い存在であったはずの少女が、どうしてか今は目の前で涙を流している。

 俺と同じ目線で、俺と同じ世界で、俺という人間を求めている。


 俺ごときに許しを請うているのだ。


 天使は地に堕ちた。

 いや、そうじゃない――元々、天使なんていなかったのだ。


 俺も優華も、同じ世界に住んでいる同じ人間だった。

 たった、それだけの話で。


 そして今、その美しい人間が――堕ちてきた天使が、俺を必要としている。

 ただの人間に、最低最悪な劣等種に、支えを求めている。


 黒崎浩二は、葉月優華に必要とされている。

 その事実は、五年間積み上げてきた――包み隠してきた心を折るには、十分すぎる劇薬であった。


『もういいじゃないですか。先輩はもう、十分頑張りましたでしょう?』


 砕けた心の隙間から、最低の思考が零れ出てきた。

 誘引は悪魔のような後輩の姿を模して具現化し、破綻した精神に甘く囁きかけてくる。


『長い間、己の身を削ってまで優華先輩を守ってきたのです。もう全てを諦めて、受け入れてしまってもいいじゃないですか』


「……やめろ、こんな見返りを求めていたわけじゃない。俺が願っていたのは優華の幸せであって、決してこんな結末なんかじゃ……!」


『本当に? 本当に優華先輩の幸せだけを願っていたのですか? でしたら、どうして先輩はいつまでも、優華先輩から離れようとしなかったのですか?』


 まるでこれが見返りであるかのように――押し殺した情動への褒美であるかのように、少女は言葉を並べていく。


『結局は全部、自分のためだったのですよ。先輩は優華先輩に褒めて欲しくて、認めて欲しくて――好きになって欲しかった。全部全部思い出して、健気に献身を捧げた自分を愛してほしかった。どうしようもないほどの損得勘定、救いようもないほどの恋愛脳。ただ、それだけだったのですよ』


「違う! 俺にそんな権利はない……俺には、優華に愛される権利なんて……!」


『私は人を殺しました。過去を捨て去ったはずでした。だから愛されない、愛される権利なんてない――――だけど、そんな権利はなくても、それでも愛してほしかった。血にまみれた手に余る、大きすぎる愛を欲した。そういうことなのでしょう?』


「そうじゃない……そうじゃない、はずなんだ……」


 いつもの戯言がまるで働いてくれない。

 欺瞞と誤ちで塗り潰した反論の言葉が、今はうまく喉を抜けてくれない。


 積み重ねてきた行為が己の首を絞め、呼吸すらままならなくなる。


『いいじゃないですか、そんなことは当たり前なのです。誰だって、己を捨てた献身など出来るわけがないのですから。自己犠牲なんて所詮は夢物語――それは優華先輩だって同じだったでしょう?』


 ―――嫌いにならないでほしい。そのためなら、どんなことだってするから。


『優華先輩だって見返りを求めていたのですから、いい加減先輩も素直になりましょうよ。だって、先輩はもう十分に頑張ったのですから。ほら、その手を取って差し上げましょう? 優華先輩の手を取って、お前を嫌いになったりはしないって、そう言ってあげるだけで――――全部、終わるのですから』


「全部……終わる…………」


 妖美なる幻影が背に回り、視界は再び実体を取り戻す。

 押し潰されそうな不安でぐちゃぐちゃに壊れた優華の姿が――愛おしいまでに荒んだ表情が目に映る。


 ここで俺が首を縦に振ってしまえば、それだけできっと優華は一生添い遂げてくれることだろう。

 罪悪感に心を壊しながら――それでも一生、俺の傍で華やいでくれる。


 俺は永遠に、彼女の隣にいられるのだ。


『――――さあ、先輩。私と一緒に、異常に身を落としましょう』


 そんな蠱惑的な誘いの声に手を引かれた俺は、じっと優華の瞳を見つめ返し、右手を華奢な腰に回して力を込める。

 そしてそのまま抱きしめるように、受け入れるように、異常に身を落とし、異常に身を堕とし――――


 そして、そして、そして――――――――


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