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黒崎浩二は嘘をつく -幼馴染を守るため、異常なる0組で異能力バトルな世界を生きる-  作者: 望月朔
≪第二章≫黒崎浩二の過去と未来(決別編)
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【12】血に塗れた手のひら

≪8≫


 どれだけの時日を経ようとも、色褪せることのない傷痕がある。

 あの日、記憶の奥深くにまで染み込み、脳裏にこびりついた血と肉の感触は、今もなお俺の魂を蝕み続けている。


 暗闇に覆われた部屋。床一面に広がる赤い泥。

 温もりを失った人間の抜け殻。こぼれ落ちる鈍色の凶刃。


 密閉された空間に、死が充満している。眼前に広がるのは、欲に溺れた醜悪の末路。

 金に溺れた誘拐犯。そして――愛に溺れた黒という外道。


 人間を殺した。この手で、二人もの人間を。

 その感覚を――命を奪う感触を、一時だって忘れられた日はなかった。


 顔も知らない男の亡霊が――無我の内に殺した人間の憎悪が、虚ろな人形(ヒトガタ)となって夢枕に立つ。


 ――人でなしだ。人殺しだ。

 ――許すことなどありはしないと。お前なんか死んでしまえと。


 死霊の怨嗟が、脳髄で反響している。

 決して消えることのない怨念が、没義道(もぎどう)に堕ちた俺の心を地獄の淵に縛りつける。


 生気のない眼がじっとこちらを見つめていた。土色の唇から呪詛をまき散らしながら、心臓に穴の開いた死骸が這い寄ってくる。

 そして、赤黒く染まった両腕が、ゆっくりと首元に伸ばされ、そして、そして、そして、そして――――








「――――やめろおおおおお!!」


 反射的に振り払った手の甲が、柔らかな何かにぶつかって鋭い音を立てた。

 肺の空気と一緒に吐き出される渇いた叫び声が、意識を悪夢から現実へと一気に引き戻す。


 壁際にもたれ倒れていた身体は、滝のように冷や汗をかいていた。

 俯いていた顔を見上げさせると、右腕を掲げながら俺の前に屈みこみ、唖然とした表情で固まる篠森の姿がそこにあった。


 白魚のような彼女の右手が、ほんの少し赤みを帯びている。

 困惑を示す彼女の様子から、俺は自分が何をしてしまったのかを察した。


「……すまん。手、叩いちまったんだな」


「いいえ、大丈夫ですわ。特に、痛みもありませんから」


 篠森はスカートの裾を払って立ち上がると、叩かれた右腕を再度差し出してくれる。

 彼女の手を借りて立ち上がった俺は、礼を告げながら室内をぐるりと見渡した。


「……いつの間に、眠っちまったんだな」


(わたくし)が目を覚ましてから、二時間程度でしょうか。度重なる戦闘で、疲れが溜まっていたのでしょうね」


 そう言うと、篠森は待ち合いスペースに備えられていたソファーへと腰を下ろし、机の上に置いてあったビニール袋を手に取って俺を隣に招く。


「コンビニのおにぎり……寝てる間に、わざわざ買いに行ってくれたのか?」


「いえ、(わたくし)が買いに行ったものではありません。これは、黒崎さんの容態を案じた途さんよりいただいたものですわ」


「あの書記が……」


 疲労困憊の体を悟られていたのはわかっていたが、まさか食い物の面倒まで見てくれるとは思いがけない親切心だ。


 俺が隣に座ると、篠森は袋から品を取り出して机上に並べる。

 しゃけ、たらこ、おかか、昆布と、定番の具材が四種類。いくら敵方からの贈り物とはいえど、既製品にまで疑いの目を向けるのは流石に善意を無下にし過ぎているだろう。


 あるいは、会長の思い付きで争いごとに巻き込んでしまったことに対する、せめてもの贖罪なのかもしれない。

 なんにせよ、惰眠を貪ってしまったせいで昼飯を食い損ねてしまっていた俺としては、この差し入れは渡りに船。ありがたく食させてもらうことにしよう。


「篠森はどれにする?」


(わたくし)はどれでも構いませんよ、黒崎さんのお好きなものをどうぞ」


「そうか、なら先に貰うぞ」


 とはいえ、俺もたいしたこだわりはなかったので、適当に近くのおかかと昆布を手に取る。


「……ちなみになんだが、篠森はコンビニのおにぎりって食べたことあるのか?」


(わたくし)、もしかして馬鹿にされています?」


「いや、他意はないんだ。コンビニ飯って庶民の食べ物ってイメージがあったから、つい聞いてみたくて」


「貴方はお嬢様をなんだと思っているのですか……」


 (わたくし)だって、道すがらのお店で食事を済ませることもありますわ――と、篠森は不服そうに唇を尖らせながら、慣れた手つきでフィルムを剥いて中身を小さな口に含める。

 俺も同じようにフィルムを剥いて、大口で米を腹に入れる。


 それから数分――貰ったおにぎりを平らげるまでの間、俺達は一言も会話を交えはしなかった。


 なんとなく、彼女が頃合いを見計らっていたのは勘付いていたので、こちらも切り出されるまでは待ちの姿勢を維持しておく。

 食事も終わり、袋にゴミをまとめたところで、篠森は目線を前に向けたまま沈黙を破った。


「……黒崎さん。無用な詮索と思いましたら、首を振っていただいて構いません。ただ、先ほどの黒崎さんの様子は、悪夢を見ていたという程度では言い表せないほどに……酷く、苦しんでいたように見えましたので」


 目覚めの瞬間、篠森が俺の前にしゃがんでいたのは、尋常じゃなくうなされていた俺を心配しての行為だったのだろう。


 心配する必要はないと、口先だけで強がるのは簡単だ。

 けれど、彼女の手を叩いてしまったほどの動揺を晒した後では、事情を隠しきることも出来そうになかった。


「……小四の冬、俺と優華が誘拐されたのは知っているだろ?」


「はい。不躾ながら、転校生討伐戦の際に調べさせていただきましたので」


「あれ以来、俺は人前で寝ることが出来なくなったんだ。優華以外の人間が近くにいると、あの最悪の夢を思い出しちまってな」


 六年前の後遺症。

 あるいはもっと単純に、PTSD――心的外傷後ストレス障害とでもいうべきか。


 あの日、誘拐犯に反応するために浅い眠りを繰り返した結果、俺は優華以外の人間が近くにいるだけで、眠ることが出来ない身体になってしまった。

 他人の目がなくとも、物音一つ立つだけで目を覚ましてしまう――それくらいに、俺の心は神経質になっていた。


 だから俺は、第三者が傍にいる状況では絶対に眠らないよう気を付けていた。

 まあそもそも、どれだけ疲労が溜まっていようとも、自室以外の環境で眠れることなんてほとんどなかったけど。


 それでも、今日のように抗えない睡魔に襲われると、決まって俺はあの日の夢を――人を殺した感触を思い出してしまって、狂乱を叫ぶように目を覚ましてしまう。

 物音に、人間の視線に――刻まれた血の記憶を、鮮明に呼び覚まされてしまうのであった。


「……悪かったな、余計な心配をさせちまって」


「とんでもございません! むしろ、(わたくし)が黒崎さんに無理をさせてしまったせいで、嫌なことを思い出させてしまったわけで……」


 憂わしげに瞳を揺らしながら、か細い声で「申し訳ございません」と告げて頭を下げる。

 慌てて謝罪をやめさせて、誰に責任があるわけでもないと釈明はしたものの、一度流れてしまった重苦しい空気までは晴れてくれなかった。


 ああ、これはよくない。

 こうして気を使われるのが嫌だったから、なるべく知られないようしていたというのに。


 今なら、ひと月前に抱いていた篠森の気持ちが――己に科された死の呪いをひた隠しにしていた気持ちがわかるような気がした。

 仲間だと思っている相手に同情されるというのは、こんなにも心が痛くなるものなんだな。


「……いつか、(わたくし)にも教えていただけますでしょうか。黒崎さんの過去に、一体何があったのかを」


「ああ、話そう。俺がお前達を――0組を知ろうとしているのと同じように、お前達にもまた、俺のことを知っておいてほしいからな」


 自分のことを知って欲しい。

 先日、翡翠に俺の過去を話したのも、そんな思いがあったからなのかもしれない。


 黒崎浩二という人間の愚かさを――醜さを知って、それでも俺のことを受け入れて欲しい。

 0組という異常な少年少女達なら、こんな俺でも受け入れてくれるかもしれない。


 なんて、理解を求める願望などエゴの押し付けでしかないのだろうけど、それでも繰り返してしまうのが俺という人間なのだ。


 一匹狼を自称しても、結局は誰かに受け入れられたくて。

 そんな身勝手な自分の弱さに、嫌気が差す気分であった。


「……ところで、篠森の方は大丈夫なのか?」


「ええ、今はもう万全ですわ。黒崎さんが彼女にお願いして(わたくし)を運んで下さったおかげで、ぐっすりと眠れましたから」


「そうか、ならよかった」


「お手数おかけいたしました」


 どうやらおにぎりを持ってきた事のついでに、保健室に辿り着いた経緯も説明してくれたようだ。

 これなら、俺が裸の彼女を運んだという誤解も受けずに話を進められそうである。


 いつまでも暗い気持ちを引きずっていても仕方がない。

 俺の過去についてはまた別の機会にでも話せばいいとして、今は他に優先すべきことがあった。


 雛壇学園生徒会との能力バトル――書記、会計、総務の三人官女を退けたのはいいものの、肝心のゲームは終わりを見せていなかった。

 首謀者は、未だ姿を現していない。


「遅めの昼食も済ませましたし……ひとまず、ここまでに知りえた情報を共有することにしましょうか」


 学園の門を潜ってから、眠っていた時間も合わせて優に三時間は経過している。

 春雨の能力で分断されてから休む暇も与えられなかった俺達は、ここにきてようやく互いの状況を確認し合うことが出来た。


 三人官女の能力に、彼女達より説明された戦いのルール。

 俺は下階で春雨から、篠森は上階で穂麻谷から伝えられたルールについては予め台本が用意されていたのか、個々人の語った内容に大きな差異は見受けられなかった。 

 しかし一つだけ、保健室での別れ際に教えられたルールだけは、篠森も知らされてはいなかったらしい。


「敗北した役員が、再度戦闘に参加することは許されない――仮にそのルールが真実なのだとすれば、もう(わたくし)達が襲われることはないと考えていいのでしょうか」


「ぐっすり眠りこけている俺達が無事に目を覚ませたんだ。ひとまずだが、戦いは収まったと捉えていいだろう」


 わざわざ敵に塩を送っておいて、再び襲撃をかけてくるということもあるまい。


「……ですが、まだゲームは終わっていない。降りかかる火の子は払いましたが、元を断つには至れていませんものね」


 火の元を断つ。この場合は、面白半分でゲームを立案した首謀者であるお内裏様――生徒会長を叩くこと。

 符号学園生徒会の長と対面することで、初めてこのゲームを終えたと言えるのであった。


「そしてやはり、初めに受け取りましたあの暗号文が解決への鍵を握っていると……たしか途さんも、その紙は勝利条件となる『たいせつなもの』であるとおっしゃっていたのですよね?」


「ああ、それについてなんだが……」


 そういえば、情報共有の中で伝え損ねていたことが一つあった。

 このまま素直に教えてもいいのだが、ここにきて天邪鬼な本能が彼女にしてやられた謀略の数々を思い出し、折角だからもったいぶってもいいのではと悪戯心が働きだす。


「……なにやら、よからぬことを閃いたようですわね」


「相変わらず勘のいい女だ」


 長い睫毛の下から注がれる粘りつくような視線を一身に受けながら、俺は預かっていた封筒の中身と、それからドレスと一緒に回収しておいた二枚目の紙を机の上に広げる。


「さっき、うっかり話すのを忘れてたんだが――この暗号文、実はもう答えはわかってるんだ」


「…………え?」


 俺が言い淀んだところで大体の察しはついていたのだろうが、それでも驚きを隠せなかったのか、篠森にしては珍しい呆気に取られた声が漏れ出していた。


「いつの間に解いていたのですか……?」


「春雨から説明を受けた時点で、仮説自体は浮かんでてな。後はまあ、それからの展開とか篠森からの話を聞いて、確信を得たって感じかね」


「なるほど、そうでしたか。うっかり伝えることを忘れていたというのは頂けませんが、それなら話は早い――――とは、いかないようですわね」


 そんなに得意満面の笑みがわかりやすく浮かんでいたのか、俺が口にするよりも早く意図を察した篠森が、今度はわざとらしく大げさにため息を吐いてみせる。


「答えが知りたければ(わたくし)に自力で解いてみせろと、そう言いたいのですわね?」


「……もう少し察しが悪くても、かわいげがあっていいと思うぞ」


「あいにく、(わたくし)はかわいさとは無縁に生きてきたものでして」


 顔をそっぽに向かせて、小さな憤慨をぶつけてくる。

 ここまで勘が良すぎると優位性の主張もしがいがないというものだが――まあ、あの才色兼備なお姫様から呆れを引き出せたのだから、目論見は達成したと考えよう。


 一矢報いたとまでは言わずとも、評価を改めさせることくらいは出来ただろうし。


「背丈が大きい割には、器の小さな男ですわね。(わたくし)の繰主とは大違いですわ」


「そう拗ねるなって……単純に俺がこいつを持ってたから解けたってだけで、考える時間さえあれば篠森もすぐに解けるだろうよ」


「当然ですわ。貴方に解けて、(わたくし)に解けないことなどありません」


 そう言って彼女は机上の用紙をひったくるように掴み取ると、目線は文面に集中させながら空いた右手で保健室の扉を指差す。

 予想していたよりもずっと意地っ張りな反応を見せられ、案外かわいいところもあるんだなとこちらも評価を改めさせられた。


「扉、開けてください。頭の中で組み立てるよりは、手を動かしながらの方が性に合っていますので」


「はいよ、かしこまりました。ヒントくらいは出してやるから、とっとと解読しちまってくれよな」


 昼食のゴミを回収しつつ、お姫様の命令に従って扉に『陥穽の法則(ホールインワン)』の穴を開く。


 不意に思い起こされたのは、小学生の頃――今よりも更に好奇心旺盛だった優華との記憶。

 知らないことを、一緒に学んだ頃の思い出。


 思えば、優華以外の誰かにものを教えるだなんて、本当に久しぶりのことであった。


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