【8】華麗なるお姫様の誤算
「なっ――――!?」
交錯していた視線が、純白のドレスによって遮られる。
思いがけない妨害に彼女は驚愕の声を上げるが、十分に加速のついた状態では避けることも出来ず、眼前を覆うドレスに視界を奪われ、掴みかかろうとした腕は標的を見失って空を切る。
目隠しによる物理的な隙に、想定外の不意打ちに驚いてしまった彼女の精神的な隙――双方の側面から生じた二重の隙を突き、私は前進する穂麻谷さんの脇をすり抜け後ろに回り込む。
そして、刹那の間に生じた死角から腕と肩を抑え込む形で背中へとのしかかり、うつ伏せになるよう押さえ込むことで彼女の動きを封じることに成功した。
「……なんとか、うまくいきましたわね。これで刃物の一つでも所持していれば、決着をつけられたのですが」
「残念ながら、この戦いに武器の使用はご法度なんでな……まあ、そんなこと言ったら、そもそも床に落ちてるドレスを目隠しに使うこと自体、本来は出来ないはずなんだけどよ。なあ、お姫様……あんた、どうやって私の『場内決闘』から逃れやがった?」
「逃れてなどおりませんわ。今だって私は、貴女の『場内決闘』によって武器も能力も封じられておりますもの」
「だったら、どうしてそのドレスを武器に使えた?」
「あら、ドレスは武器ではなくお洋服ですわよ? そして――それが衣服であるのならば、下着ではなくドレスを身に付けたところで、なんら問題はないはずでしょう?」
状態の同一化。
武器や恰好、能力といった見かけの要素を同一にする穂麻谷さんの力は、しかして完全に同一なものへ揃えているかといえば、そこまで厳格に判定されているわけではない。
彼女がビキニ姿であったから、私は下着姿にされた。
それは、たまたま見かけ上の状態が近かったから下着になっただけで――本当に厳密な判定をするならば、ビキニと下着とでは用途がまるで異なるため、同一であるとはいえないはずなのだ。
ビキニと下着を同一とみなせた。
ならば、状態さえ近ければ、下着以外にも代替可能なのではないか。
例えば――同じ衣服であるドレスを、下着の代わりに身に付けるとか。
そう考えた私は、とっさの判断でドレスを足で掴み上げることを選択した。
勿論のこと、下着とドレスとでは布面積がまるで異なるし、そもそもこんな頓知をきかせた奇策が超常現象相手に通用するのもわからない、一か八かの賭けではあったが――結果的に、私は下着の代替にドレスを掴み上げることに成功し、彼女を一方的に組み伏せる状況を作り出したのであった。
「……なるほどな。あたしの能力にそんな弱点があったとは知らなかったよ」
「あるいは、穂麻谷さんがビキニすら身に付けていなければ、私は負けていたでしょうね」
「てやんでえ、それじゃあたしはただの痴女じゃないか」
「水辺以外でビキニを着用するのは痴女じゃないとでも?」
もし本気で自分が痴女ではないと考えているならば、出会って間もない相手であるものの、穂麻谷さんの健やかな将来像に――そして、そんな羞恥心に欠けた変態さんを総務として迎え入れてしまう雛壇学園生徒会長の鑑識眼に、一抹の不安を抱かずにはいられなかった。
「しかし、あんだけの大見得を切っておいて先手を切り返されるとは……あたしもまだまだ修行が足りないねえ」
「おとなしく、降参してくれる気になりましたか?」
「まさか! 確かに初動はあたしの負けだ。けど、今の状態じゃ、あんたはあたしを殺せない。なんだったら、この体勢からあたしの首でも絞め殺してみるか?」
「……いいえ。残念ながら私には、あなたを絞め殺せるような力もなければ、あなたのように頸動脈を裂けるような鋭い爪も持ち合わせておりませんので」
「なんだ、こっちの武器もばれてたのか」
仕込み刃。
付け爪の要領で、指先に仕込まれた切り出し刀。
格闘技による武術戦も可能ではあるのだろうが、おそらく彼女の主武装はその刃物を仕込んだ爪の方であろう。
サシでの戦いが好きと宣言しておきながら、しっかりと確実に『死亡』させられる武器を備えている辺り、愚直な性格でも仕事には手を抜かないしたたかさが窺える。
まあ、その付け爪の異質さが目立ったおかげで、能力の粗を見出すヒントを得ることが出来たのだが――そのせいで私の両手は彼女の腕を押さえることに割かねばならなくて。
押え込む力を緩めれば、力で劣っている私では簡単に振り払われてしまう。
なので、結果としてマウントポジションを取れてはいるものの、盤面は互いに決定打のない硬直状態となってしまっていた。
「硬直状態……はたして、この状況がいつまで続くことかね? お姫様ならわかってるだろうが、あたしはサシで戦うことは好きな人間だが、サシで戦うことにこだわるほど意地っ張りな人間でもないぜ」
「……ええ、そうでしょうね」
私はここで穂麻谷さんの相手をし、黒崎さんは下の階で別の生徒会役員の相手をしている。
一見すれば、個人戦が二カ所で行われているだけの状況だが――私達とは違い、彼女達にはまだ三人目がいる。
今はまだ鳴りを潜めてはいるが、片方の状況が硬直していると、知ればすぐにでも助太刀に参戦することだろう。
分断作戦――各個撃破の状況を作り出した最大の利点は、二対三ではなく一対二を二回繰り返せること。
これほどまでに数的優位を有効に利用されては、元より戦う術の少ない私一人の力ではひっくり返すことも難しい。
だから、少しだけ癪なところもあるけれど――結局、最後には彼の力を頼ることになるのだ。
「穂麻谷さん。一つ、私とゲームをしませんか?」
「ゲーム? なんだそりゃあ?」
「貴女達も私達にゲームを強いたのですから、私からも一つくらいゲームを提案してもよろしいでしょう? それとも、自分達の考えたルールでしか遊べないような、ぬるま湯につかった戯れだけがお好きですか?」
「下らねえ挑発だ。いいね、のってやるよ」
出来るだけ露骨に煽った方が反応してくれるとは思ったが、まさかここまでわかりやすく乗ってくれるとは。
このような場の例えに出しては失礼にあたるのだろうが、ブラフの件といい、なんとなく葛籠さんと扱い方が似ているような気がした。
私や黒崎さんのような嘘つきには、その純粋さは相性がいい。
「ルールは簡単。これより先に、身体の一部でも床についてしまった方の負け……たったそれだけです」
「床? 何言ってんだ? それならもう、あたしらは二人とも接するどころか地面にへばり付いてる有様じゃねーか」
「確かに、三階の床ならばそうでしょうね。ですが、二階の床ならばどうでしょう?」
「そりゃあ、あたしらは三階にいるわけだから、二階の床には指一本触れちゃいないが……あんた、何が言いたい?」
「ゲームをしましょう。私と貴女、どちらが先に二階の床へと落ちるかの――落下死するかの生存競争を」
「……まさか、うちの書記があたしらの下に穴を開けるのを待ってるのか?」
落下という言葉で考えに気付いた彼女は、そんなことが起こりえるものかと私の戯言を一笑に付す。
「あいつが誤射であたしらを落とすなんざ、万に一つもありはしねえよ。それに、途が下の男を倒してここに戻ってくるのを待つほど、あたしはのんびり構えてるつもりもないぜ」
「ええ、存じておりますわ。それに、これは私が提案したゲームなのです。貴女の相棒さんにスターターピストルを握らせる真似などいたしませんわ」
「……あ? だったら、一体どこのどいつが穴を開けるって言うんだ?」
「それは勿論――私の相棒さんですわ」
「……おい、まさか!?」
私の時間稼ぎに耳を貸し、悠長に寝そべっていた穂麻谷さんは、ここにきてようやく焦りを感じ始めたのか、振り払おうとする腕に込められる力が一気に強まる。
おそらくは、黒崎さんが落とし穴を開ける能力か――それに近しい能力の持ち主だと推測したのだろう。
残念ながら、その推理は少し的外れである。
彼の能力――『狂言回し』は、嘘で物事を偽ることに特化した力。
それ単体では壁を壊すどころか、ガラスの一枚だって割れはしない。
しかし、その嘘を自分にかけることにより、彼の能力は限定的に異なるものへと偽装される。
『偽装』――貴方ならきっと、私の意図に気がつくはずだ。
結局、最後の最後で縋ったのは、他力本願な策であったけれど。
彼女が己の趣向に固執しない仕事人であるように、私もまた、勝てる道筋がそこにあるのならば、0組代表としてのプライドを二の次にするくらいの柔軟性は持ち合わせているつもりだった。
そして――――全ては想定した通り、私達の足元に大穴が広がって、地を失った二人の身体は物理法則に従って二階の床へと抜け落ちていく。
黒崎さんのみを的確に狙い落とせたのだ。
おそらくはなんらかの方法で、目の届かない場所の状況をある程度掴むことが出来るのだろう。
そして、私が彼女を組み伏せている状態を見れば、きっと意図を理解してくれると――足元に穴をあけてくれると信じていたから。
「……ふふっ。やっぱりあなたは、0組に向いていますわ」
大穴が開く瞬間を見逃さず、私は素早く身体を伸ばし、彼女の無防備な背中を蹴り落とす。
脚力を加えられた自由落下に身を引かれた彼女はあっという間に床へと叩きつけられ、衝撃を逃がす余裕すらないままに身体を強く打ち『死亡』していった。
そして、穂麻谷さんを踏み台とすることでわずかながらの滞空時間を得た私は、蹴り出す方向を調節することで加えた横方向の慣性に従い、彼女とは異なる位置――黒崎さんの立つ位置に着地点を定めていた。
私の意図を読んで落としてくれたのだ。ならば、私を受け止める準備だって当然済ませてくれているに違いない。
眠っている優華さんを抱えられるくらいの力があるのなら、一つ上の階から落ちてくる女の子をキャッチするくらいは出来るだろうと、そんな憶測の下で黒崎さんの胸に飛び込んで――そして私は見事、彼を下敷きにした着地に成功したのであった。
「……はて、もう少しスマートな絵面を描いていたのですが」
予定では、私の身を華麗に受け止める黒崎さんの図が出来上がるはずだったのだが、現実は少女の身体を受け止めきれず仰向けに倒れ、私はその彼の上に馬乗りでのしかかってしまっている。
……いや、私の体重は男性の筋力で支えられないほど重くはないはずだ。
繰主と同じことを要求するのは、少しハードルが高かっただろうか。
「下敷きにしてしまって申し訳ございません。ですが黒崎さんほどの力があれば、私の一人や二人くらいは持ち上げられると思ったのですが……」
ともあれ、彼をクッション扱いしてしまったのは私が悪い。
適切な謝罪の意味を込めて――それから、なにかしらの釈明が語られることを期待して、私は丁重に頭を下げる。
しかし、黒崎さんからそのような抗弁が返ってくることはなく、かわりに口から零れたのは、消え入りそうなほどにか細い声での呟きであった。
「…………いや、無理だろ」
黒崎さんは耳まで真っ赤にしながら、こちらに目を合わせるどころか、右腕で視界を覆い隠しながら明後日の方向に首を回している。
……もしや、同級生の下着姿を見て動揺し受け止め損ねてしまったとか?
だとすれば、気難しそうな彼にも存外可愛らしい部分もあったものだと、わずかな驚きと共に目線を下に向けて――――そして、私は全てを悟った。
先ほどの一戦で、私は下着の代わりにドレスを掴み上げることで穂麻谷さんの不意を突いた。
――――そう、下着の代わりに。
下着とドレスをトレードした。
それはつまり、下着を脱ぎ捨てたということ。
ならば、これは必然の結果であり――完全に失念していた私の不覚であって。
私は今、何も身に付けていない――生まれたままの姿で、黒崎さんの上に座っていたのであった。
「あっ……これは、その……!!」
自覚した途端、壮絶なまでの恥ずかしさが全身からこみ上げてくる。
反射で胸に腕を当てるが、見られてしまったことに変わりはない。
そもそも、わざわざ見ないように配慮してくれているのだから、今更隠した所で何の意味もありはしない。
人の変態性など心配している暇ではなかった。
この場において一番痴女なのは、どう見ても私ではないか!
頭のてっぺんが急激に熱くなり、思考を塗りつぶす羞恥に動悸が激しさを増し、視界がくらくらと揺らぎ始める。
男性に裸を見られた。
その事実を意識すればするほどに私の心は冷静さを失っていき、そして、耐えきれない恥辱は理不尽な怒りとなって理性の殻を突き破る。
黒崎さんは何一つ悪くない。それはわかっていた。
しかし、正論を受け入れられる平静さは数刻前に砕け散っている。
理不尽な怒りはやりどころのない感情となって、わなわなと全身を震わせる。
そんな私の心中を察してくれたのか、黒崎さんは瞼を閉じたまま腕をだらりと下げると、何も言わずにそっと右の頬を突き出してくれた。
「……どうぞ、存分に殴って下さい」
「……ごめんなさい」
パチン、という派手な平手打ちの音が、閉ざされた教室に響き渡った。




