【7】キャットファイト
≪5≫
「――――ってなわけで、お姫様には今からあたしと戦ってもらうぜ」
そう言ってビキニな彼女――穂麻谷あられは、野性的な笑みを浮かべて見せた。
「……なるほど、ゲームですか」
穂麻谷さんの話をまとめるに、どうやら私達は厄介な状況に引き入れられてしまったようだ。
符号学園1年0組と、雛壇学園生徒会との能力バトル。
厳密な話をすれば、黒崎さんは0組の生徒ではない――普通の生徒なのだけれど、そこを言及したところでこの戦いを打ち切ってくれたりはしないだろう。
彼は何も知らずに巻き込まれた一般人ではなく、0組のお仕事だと知っていて同行した訪問者なのだ。
ならば、この学園の敷地に足を踏み入れた時点で、無関係などという道理は通らない。
ちょっとした研修感覚で付き添わせてしまった手前、心構えもなく戦場へと連れ込んでしまったことに罪悪感を抱いてはいるものの、今の私には、罠にかけられ下の階に落とされた彼の身を案じるほどの余裕はなかった。
彼が下で待つ誰かに試されているように――私もまた、目の前の少女に試されている。
「私達を分断させたのは、一対一の方が落ち着いて話を聞いてもらえると判断したからでしょうか」
「まあ、それも理由の一つではあるが、本質はそこじゃねえ。わざわざ途にお願いして分断作戦を立ててもらったのは、あたしがお姫様とサシでやり合いたかったからだよ」
「情熱的なラブコールですわね。これで目的がお菓子を囲ってのお茶会でしたら、喜んで受けましたのに」
「悪いが、あたしはスイートな茶菓子よりもエキサイトな戦いの方がお好みなんでね」
各個撃破は戦術の基本ではあるが、わざわざ二対三の数的有利を捨ててでも正面戦闘を望むとは、よほどの戦闘狂なのか――あるいは、自身の戦闘能力に対しての絶対的な自信ゆえか。
好戦的なその性格に、小百合さんの姿が重なって見える。
一台だけの机を挟んで対角に立つ穂麻谷さんは、三度の飯より運動が大好きな彼女と非常によく似ている。
無駄に露出度の高いビキニ姿で堂々としているからこそわかる、彼女の健康的な肉体美。
女性らしさを失わない程度に――しかして、一般的な女子高生の平均をはるかに上回る筋肉質な肌が、その身体能力の高さを裏付けていた。
「なんでい、人の身体をじろじろと見て。あんたのような女の理想を体現したかの如き造形美に見定められちゃ、さしものあたしも恥ずかしくなっちまうぜ」
「でしたら、何度も言っていますように、場に相応の厚着をして出直してきてはいかがでしょうか」
「悪いが、何度だって言い返すぜ。あたしの正装は、このビキニ一筋だってな」
変態的な強情さというべきか、私一人ならともかく男性である黒崎さんを前にしてもその恰好を継続したあたり、本気でビキニを好んでいるのだろう。
時と場合を考えなさいとか、もう少し恥じらいを持ちなさいとか、責め立てたいのは山々だが、残念ながら現状において私に彼女を批判する権利はない。
なぜなら今の私は、彼女以上に変態的な恰好で教室の端に立たされているのだから。
彼女はまだ水着であり、ギリギリではあるが公序良俗は守られている。
一方の私は、どうみてもビキニには見間違えられない真っ白な下着姿。この場において公序良俗に反しているのは、明らかにこちらの方であった。
もちろんながら、私は正面の痴女さんとは異なり、趣味でこんな恥を晒しているわけではない。
ドレスにソックスに上履き――床に散乱する下着以外の衣服に目を落としながら、少し前の出来事を思い返す。
下着以外の衣服が全て、まるで身体をすり抜けるようにして脱ぎ去られたこと。
そして同時に、自身の持つ能力の全てが封じられてしまったことを。
「……一つ、確認してもよろしいでしょうか?」
「どうぞ。ルール説明に不備でもあったか?」
「いえ、能力バトルのルールとやらは理解いたしました。貴方達のリーダーさんには、後でたっぷりと文句を言わせていただくとして……今、私がお尋ねしたいのは貴女についてですわ」
独りでに服が脱げ落ちる。
そんな現象が起こる要因など、この都市においては一つしかない。
能力――この『超常特区』の生徒なら誰もが持つ、人智を超えた異能の力。
――貴女の能力は、相手の服を脱がせる能力ですか?
なんて、さっぱりと遠慮のない彼女の性格からするに、おそらくは正面からそう問いかければあっさりと首を縦に振ってくれることだろう。
しかし、ただ服を脱がす程度の能力では、私の能力が封じられていることに理由がつかない。
先日の騒動にて『永眠童話』の呪いが消失した私は、それに伴い、主に茨を生やす能力に関連していた能力の全てを喪失していた。
故に、今の私はおよそ半数近くの能力を失っていたわけだが――それでもまだ、残り半分の能力は現存している。
たとえば、言葉を信じ込ませる能力。
自他問わず言動を無根拠に信じ込ませる能力を穂麻谷さんに使用し、それとなく話の方向性を誘導出来ないかと企んだのだが――結果的に、それは失敗に終わっていた。
通用するしない以前に前提の問題として、私は残り半分の能力さえ使えなくなっていたのだから。
脳裏に浮かぶのは、同行者である彼の能力――嘘をついて能力を封じる『狂言回し』。
しかし、彼の能力には女性の服を脱がせるような変態的な副産物は付与されていない。
服を脱がせて、ついでに能力も封印する。
一見するとなんの関連性もない二つの事象。しかしそれも、能力を発動したと思われる少女――穂麻谷さんの倒錯性が加味されれば、ある一つの仮説を導くことが出来た。
「雛壇学園生徒会総務、1年生の穂麻谷あられさん。どこかで耳にしたことのあるお名前だと思ったのですが……確か、『自分と相手の状態を同一にする』能力者さんでしたっけ?」
「なんだ……とぼけたふりしながら、きちんとあたしの能力の調べはついてやがったのか。それとも、かの有名な1年0組の学級委員長さんに覚えてもらえるほど、あたしの名前も有名になったと喜べばいいのかね?」
「ビジネスパートナーの素性を調べるくらい、学級委員長として当然の事ですわ」
もちろんのこと、私は彼女の能力など存じ上げているはずもなく、雛壇学園生徒会の内情など噂程度の知識しか持ち合わせていない。
そもそものこと、入学してまだひと月も経たぬ一年生が生徒会役員をしているという事実だって、たった今知ったところである。
つまるところ、素性を調べたなどというのは完全なるブラフで――転校生討伐戦にて黒崎さんが葛籠さんに仕掛けたものと全く同じ、あたかも憶測を真実であるかのように振る舞って情報を引き出す誘導の手口であった。
自分と相手の状態を同一にする――それが彼女の能力なのだとすれば、この奇怪な状況にも一通りの説明が付けられる。
彼女の外見がビキニであるから、私の外見もそれに似た下着姿に同一化された。
そして、彼女が同一化の能力以外に能力を持たないから、私も能力を使えない状態に同一化された。
すなわち、自身と相手の状態が同じになるまで引き算をする。
足りないものを補うのではなく、増しているものを削ぎ落とす――それがこの現象の正体であるといえた。
「『場内決闘』。この能力の前では、どんな超人――超能力者であろうと、真っ向からの戦いを余儀なくされる。そしてそれは、あんたが0組のお姫様であろうと例外じゃない」
「大した自信ですわね。よほど素手での戦いに自信があるのでしょうか」
「へっ……そいつは、試してみればわかるさ」
真っ白な尖った犬歯を覗かせて、穂麻谷さんは口元に獰猛な笑みが浮かべる。
天秤の役割を担っているからなのか、『場内決闘』そのものが同一化の対象外となっているのは多少の贔屓を感じなくもないが、人の理解を超えた事象に公平性など求めても仕方がない。
変わらない現実を嘆いている暇がない。
今は、すでに敵の術中に嵌ったことを把握した上で、この場を切り抜ける手段を考えるのが先決であった。
「しかし、思ったよりも恥ずかしがらないんだな。普通、こんな公共の場で下着姿なんてことになったら、顔を真っ赤にしてパニックになってくれるもんなんだが……もしかして、あたしと同じ露出趣味があったりするのか?」
「残念ながら、私はそのような高尚な趣味を持ち合わせてはおりませんもので。それに、ここに到着するまでの間、一人も他の生徒さんを見かけられなかった事実を踏まえれば、人払いが済まされていることくらいはわかりますわ」
裏を返せば、第三者の乱入によって場が流れることもないというわけだが、もとより敵地で増援に未来を託すほど無謀な期待はしていない。
唯一頼みの綱があるとすれば、黒崎さんが早い段階で刺客を撃退して加勢に来てくれることくらいだが――
「――客人に頼るようでは、0組代表の名が廃りますわよね」
わざわざ異能奇術が跋扈するこの都市で肉弾戦を選択するという事実が、それだけ彼女が格闘技を得意としていることを裏付けている。
一応、私もまた篠森家による稽古の下で一通りの護身術を学んではいたが、その道の専門家を相手に太刀打ち出来るほどの実力がない。
私の執事――繰主の戦いぶりを隣で見ていれば、それくらいのことは試さずとも理解出来た。
けれど――勝ち筋が、見えないわけではない。
「いいですわ。この私を相手に真っ向勝負がお望みとあらば――1年0組学級委員長として、正々堂々正面から奇策をぶつけてあげましょう」
「どうやら、準備は出来たようだな。安心しな、なるべく痛くないように『死亡』させてやるからよ」
そう言って彼女は重心を落とし、かかとを浮かせた前傾姿勢の構えをとる。
教室の対面――十歩もあれば駆け抜けられる距離。
たった一台とはいえ、障害物になりえる学習机を挟んだ点対称の位置を保ってはいたので、一直線に踏破してくることはないだろうけど――――
はたして、私もまた同じように膝を曲げて構えを取ると、穂麻谷さんは再度不敵に口角を吊り上がらせ、ぎらついた眼差しで私の目を正視した。
「……戦いの合図は、そちらからどうぞ」
「へっ、それじゃあ遠慮なく……楽しもうぜ、0組!!」
猛々しい宣誓と同時に、彼女は地面を強く蹴り出す。
素足とは思えない勢いで飛び出した彼女の身体は、瞬く間に机の前へと到達し――――そして、初動の加速を一切殺すことなく、机上に手と足をかけて前方に跳躍した。
「…………っつ!」
所詮は机一台程度のバリケードなどまるで意味をなさず、妨げであるはずの机を踏み台にして駆けた彼女の両腕が私の胴を目掛けて迫る。
最速で最短距離を踏破する、思考の余地を与えない真正面からの奇襲攻撃。
彼女の卓越した身体能力が可能としたその堂々たる不意打ちは、通常ならば返し手を挟む間もなく一撃で決着をつけられるのだろう。
しかし、今回に限ってはそううまくは事を運ばせない。
机を障害物に見立てれば、彼女は絶対にそれを飛び越えてくる。
穂麻谷さんの人となりから小百合さんを仮想敵とし、彼女の性格ならば必ず誘いに乗ってくると判断した私は、想定通り机を足場にし、身を宙へと投げ出した一瞬の隙を狙って――――床に落ちていたドレスを、足でふわりと巻き上げた。