【0-4】弔いの日の話
≪過去4≫
母親が亡くなった。死因は交通事故だったらしい。
だったらしい――なんて曖昧な言い方をしてしまうのは、俺がその当時のことをしっかりと覚えていなかったから。哀惜が心を埋め尽くし、外界からの情報を取得する余裕すらなかったから。
辛うじて記憶に残っているのは、母の亡骸を前にして優華の両親が静かに涙を流していたこと。
そして、そんな死を悔やむ大人達よりもひときわ大きな声を上げて、この俺が泣き腫らしていたということ。
自分でもびっくりしたんだ。
黒崎浩二という不適合は、誰かのためにこんなにも泣けるような正常さを持っていたということに――母親の死を悲しめる人間だったのだということに。
涙が枯れるほどに泣き叫び、それでも心を巣食う悲しみは欠片もぬぐえなくて、少しの時間が経って落ち着いたかと思えば、また思い出したように悲嘆が涙腺を緩ませる。
大人達は死者を弔うことで手一杯だった。それこそ、故人の死を悲しむ暇もないくらいに――部屋の片隅で嘆いている子供になんて構っていられないくらいに。
そして、悲しみで周りが見えなくなっていた俺でも、自分の涙が大人達を困らせていることくらいは察することが出来た。
だからせめて、母のために動いてくれている彼らの邪魔をしてはならないと、大人の前ではなるべく涙を我慢したし、言うこともちゃんと聞くようにした。
告別の前夜――知人が多く集まる通夜の日は、優華の家に泊めてもらうことになった。
彼女の両親も俺と同じくらい辛い気持ちを抱いていたであろうに、それでも快く俺の世話を引き受けてくれた。
だから俺もまた、葉月家に迷惑をかけないよう、なるべく感情を抑えこみ涙が零れるのを我慢して過ごした。
胸を引き裂く悲痛を押し戻して、喉の奥からこみ上げてくる嗚咽を飲み込んで――それでも、どうしても耐えきれない瞬間はあって。
そんな時――用意してくれた部屋の片隅で布団を被って、見つからないように声を殺して泣いていた俺に気が付き、何も言わずに寄り添ってくれたのが優華だった。
あの夜、悲しみに震える俺の肩をそっと抱き寄せて――そして、一緒に涙を流してくれた彼女の温もりは、哀惜に埋もれてしまった記憶の中でも鮮明に思い起こせる。
それは決して、特別な感情からくる行為などではなかったのだと思う。
人一倍優しくて、人一倍感傷的な彼女だからこそ出来る、当たり前の共感。しかしてそれは、俺の中には存在しなかった欠落であったから。
だから俺は、そこに特別な意味を見出してしまったのだろう。
誰かのために喜び、誰かのために悲しむことが出来る、なによりも無垢で美しいその心に、惚れこんでしまったのは。
たった一人の友人で、かけがえのない幼馴染であった優華への気持ちを――誰かを愛する感情を自覚したのは、その時だったのかもしれなかった。
そして――気持ちの整理をつける猶予もなく、母親の肉体は骨となり、灰となって地に還る。
父親は、一度だって泣くことはなかった。
通夜の納棺でも、葬儀の読経でも、告別式の弔辞でも、最後まで弱いところを見せず、堂々と母親を弔い終えた。
そんな父親の背中に、憤りを感じなかったといえば嘘になってしまうだろう。
一粒の涙も流さないだなんて、父さんは悲しいと思っていないのではないかと、そんな理不尽な怒りを覚えた時はあった。
けれど、葬式の全てが終わった日の夜――明かりの消えたリビングでアルバムを前に嗚咽する父親の姿を見て、自らの抱いていた悲憤がどれだけ的外れであったことかを理解する。
人間の強さと、人間の脆さ。
その両面性を知った月夜の情景を、俺は今でも忘れられなかった。
父親が姿を消したのは、その半年後――よく晴れた夏の終わりのこと。
役目を終えた蝉のごとく、あの人はこの家を去って――それからもう二度と俺の前に現れることはなかった。