【6】手荒い歓迎
≪4≫
「怪しい動きはしないこと。一歩でも足を動かそうものなら、次は奈落の底まで落としてあげるわ」
「……やはり、天井に大穴を開いたのはお前の能力か」
親指と人差し指でピストルの形を作り、春雨途は先端をこちらに向けて牽制してくる。
その動作が能力の発動と関与しているというよりは、引き金一つですぐにでも落とし穴を仕掛けられることを示唆しているのだろう。
指先に命を握られた俺は素直に手を上げて無抵抗を示しつつ、眼球を横方向に動かし室内を観察する。
本館二階の教室――第二会議室のちょうど真下に位置するこの部屋もまた、上階と同様にあらゆる物品が引き払われていた。
数分前にあの会議室を見た時も思ったことだが、部屋の広さ自体は符号学園と大差ないはずなのに、こうして教室という概念を構成する品々を一つ残らず追いやると、体感的にかなり開けた印象を受ける。
しかし、解放的に見えるのはあくまでも広さに限った話だけで、周囲を見渡せばここがどれだけ閉鎖的な空間であるかが一目で理解出来た。
なぜならこの部屋には、外界へと繋がる道が一つもなかったから。
窓はおろか扉の一つすらありはしない、文字通りの密室。退室どころか入室すら不可能な空間を部屋と呼称していいものかはともかく、こうして人を閉じ込めておくには最適すぎる場所であった。
「どう、なかなかにおもしろいでしょ? 第三者の出入りを拒絶する不可侵の教室。男の子としては回転扉の一つでも探したくなるのかもしれないけど、残念ながらここは忍者屋敷じゃなくて健全な学びの園――種も仕掛けもからくりも、このお部屋には施されていないわ」
「健全な学びの園には、不可侵の教室なんて作られねえよ」
0だのマイナスだのを飼い慣らしているうちの学校にも、流石に扉のない教室なんてものは存在しないはずだ。
こんな、壁に穴でも開けない限り通れないような無意味な部屋は。
「……まさか、この部屋はお前のための特注品だったりするのか?」
「それこそ、まさかまさかよ! このお部屋は私が来る前からここにあったし、なんならこれくらいの変なお部屋、雛壇学園にはたくさんあるわよ」
こんな奇怪な教室が他にも存在するだなんて、いよいよもって校舎が忍者屋敷じみてきたのはともかく、どこまでが真実でどこからが嘘かもわからない冗句を話半分に聞きながら、俺は頭の片隅で別の疑問についてを考える。
この部屋に隠し扉があるのか、脱出の手段は存在するのか。それらの問題については、一度棚に上げておく。
目の前で指先を回す少女が本当に生徒会役員なのだとすれば、今この場で最も優先すべき事項は――解決すべき疑問は他にあった。
「春雨、だったか。お前が雛壇学園生徒会の書記だってのは真実だな」
「ええ、もちろん。そこで嘘をつく理由もないでしょ?」
「だったら、ここではっきりさせておこう。お前達生徒会が0組を呼び出した本当の理由はなんだ」
暗号もどきの紙を渡す攪乱行為に、客人の分断を狙った不意打ちの攻撃。
ここまで散々な目に遭わされれば、いくら0組研修生で『超常特区』初心者たる俺でも、これが0組にとっても平常運転ではないことくらい察しが付く。
交流会など嘘っぱちで、真の目的は別にある。
「わざわざ机やら椅子やらの障害物を片付けて、のこのこと要望通り二人組でやってきた俺と篠森を分断して……ただお話しするために呼んだってわけじゃねえんだろ?」
「状況への理解が早いのね、流石はかの有名な0組さんだ」
「残念ながら、俺はまだ0組の生徒じゃねえよ」
「あれ、そうだったの? なるほど、どうりで見たことのない顔だと思ったわ」
流石に0組でない生徒を連れてくることは想定外だったのか、春雨はわずかに目を見開いてみせたが、この程度の誤差ならば許容範囲内だと判断したのか、すぐに表情を元に戻して質問への回答を始める。
「確か、名目上は符号学園1年0組と雛壇学園生徒会の顔合わせだったわよね。こんな密室空間に閉じ込められた後じゃ説得力に欠けるかもしれないけど、一応初めのうちはちゃんと交流会をしようって話になってたのよ? けど、うちの会長さんが『ただ会ってよろしくおねがいしますって挨拶するだけじゃ面白くねえよな』って言いだして、折角だからゲーム形式でやろう! ってことになったわけなの」
「ゲーム形式……?」
「そ! 名付けて『0組VS生徒会、ガチンコ能力バトル』!」
「……それはまた、安直な発想を閃いたもんだな」
思い付きで取った行動にしてはわざわざ人払いまで済ませている辺り、行動力がありすぎると褒めるべきなのか、権力の無駄遣いだと呆れるべきなのか。
つい数週間ほど前の一件で能力バトルはお腹いっぱいだというのに、消化も終わらぬうちからまた戦火に見舞われる羽目になるとは。
もしかして、0組として生きるということは、こういった理不尽なイベントに遭遇し続けるということなのかもしれない。
「つーことは、校門前で渡されたこのわけわかんねえ暗号も、お前達の提案したゲームの一環ってやつなのか?」
ポケットに仕舞っておいた封筒を取り出して例の数列を見せてみると、春雨は「そうねー」と肯定の意を示す。
「その紙はゲームで言うところの『だいじなもの』。そこに記された謎を解くことこそが、あなた達0組の勝利条件になっているわ」
「へえ、こいつがね……」
謎を解読することが勝利条件とは、まさに遊ぶために作られたゲームという感じだ。
暗号の用紙から連想して、会議室の机に置かれていたもう一つの紙についてを思い出す。
――一つ。雛壇学園生徒会は、生徒会長、副会長、書記、会計、総務の五つの役職からなる、だったっけ。
「そっちから吹っかけておいて人数差が倍以上とは、いくらなんでもやることが小さいんじゃねえか?」
兼任者の存在を考慮しないならば、単純に考えて役職の数だけ役員は存在する。
ならば0組側が俺と篠森の二人に対し、生徒会側は少なくとも五人は戦える人間がいるというのは、いささか不公平が過ぎるのではないだろうか。
「そこのところはご安心を。今回あなた達のお相手を務めさせていただくのは、私達三人官女――会長さんと副会長さんを除いた一年生の三人だけよ」
「役職持ちが三人官女なら、会長職はさしずめ内裏雛ってか」
「おみごと、大正解! ご褒美に何かプレゼントでも送ろっか?」
「褒美を貰えるなら、今すぐここから出してもらいたいんだが」
「うーん、それはちょっと難しいかな。かわりにほら、おっぱい触りたいってくらいなら受けてあげてもいいわよ」
「お前らの生徒会には変態しかいねえのか?」
なんでだろうか、ほんの一瞬だがあのお調子者の代表たる蛍の姿が脳裏をよぎる。
ギャグとシリアスの区別が付けづらい、捉えどころのなさが重なって見えたのかもしれなかった。
しかし――彼女の文言を信じるならば、俺達の相手にあてがわれたのは目の前の書記と上の階にいるビキニの総務、それから未だ姿を見せていない会計の三人ということになる。
倍以上の戦力差は避けられたとはいえ、それでも二対三の数的不利を強いられているあたり、それだけ0組の強さを買われているという事なのか――あるいは、この程度の逆境で折れるほど軟な連中じゃない事を、証明させたいという意図なのか。
「……一応聞いておくが、俺達がこの挑戦を受けずに逃げだしたなら、お前らはどうするつもりなんだ?」
「ふふっ、わかってて聞いてる癖に。あなた達に逃げるなんて選択肢があるわけないでしょ? だって、1年0組は私達と顔合わせに来たのだから」
――一緒に仕事をする相手の、顔を見ておきたいと。
営業の挨拶回りとは違っても、ビジネス的な側面があるのは否定出来ないと、篠森はそんなことを口にしていた。
ならば、この訪問が個人的なものではなく――1年0組の看板を背負っての顔合わせである以上、売られた喧嘩を買わずに逃げるわけにはいかない。
研修にしては随分と荷が重い仕事を回されたものだが、自分の意思でついてきた以上は文句も言っていられない。
五人囃子に三人官女――そして最上列に並ぶのは、お内裏様とお雛様。
彼女達の上に立つ連中とやらは、どうやらなかなかに血気盛んな人間性をしているようだ。
「私達の勝利条件は、あなた達二人を同時に『死亡』させること。そしてあなた達の勝利条件は、私達を打ち倒してその暗号を解読すること。つい数週間前に同じようなことをしていたあなた達なら、ルールも飲み込みやすいでしょう?」
「あの討伐戦のことを知ってるのか」
「もちろん、戦う相手の情報を調べるのは基本だもの。ま、だからこそ、あなたのような新入りさんが来た時には、ちょっと驚いちゃったけどね」
転校生討伐戦のことは知っていても、戦争のターゲットとされていた俺の存在までは知らない。
あるいは、名前だけは知っているのかもしれないが、まさか目の前の男がその張本人であるとは思ってもいないのか。
いずれにせよ、篠森の情報は割れていても俺の情報は割れていないという点は、今後の戦況においても有利に働くことだろう。
少なくとも――――この場においては、絶大な優位性を発揮する。
「……あら、まだ動くことを許可した覚えはないのだけど?」
気を緩めているようでいても必要な警戒は怠っておらず、俺の僅かな足踏みに反応して春雨は指先を再び足元に向ける。
「あんまり変な気を起こさないでちょうだい。せっかく男の子と二人きりな状況ですもの、私としてはもう少しくらいゆっくりとお話ししていたいわ」
「こんな鬱屈した嘘つき野郎が相手でもか」
「私、擦れた人間は好きよ。特にあなたのように、死んだ魚みたいな目をした男の子は」
「はっ、それが真実なら光栄だが、褒め言葉を正直に受け取れないのが天邪鬼の性でね。お前は別に、俺と話がしたかったわけじゃなく、俺と話をしなくちゃならなかっただけだろ」
「……捻くれ者同士、腹の探り合いがお得意なのね」
単に話がしたかっただけなら、先の不意打ちで俺を『死亡』させた後に、縛り上げでもしてゆっくりと語らえばいい。
落とし穴を作る能力――それにどんな制約があるのかはわからないが、上の階にいる人間を狙って落とせるだけの精度があるのなら、最初の一撃で片をつけることも出来ただろう。
それを行わず、能力で俺を脅しながらではあるものの、自由を与えた状態のまま会話を始めたのにはきっと、そうしなくてはならない理由があったからで。
「おおかた、ちゃんとルールを説明してから戦うようにとか、そんなことを命じられてたんだろ?」
「……あはっ。そこまで勘が鋭すぎるのは、流石にちょっと困りものかしら」
そう言うと彼女はわざとらしく作った笑顔を浮かべながら、本当に拳銃を撃つ際の動きを真似るように、右手の指鉄砲に左手を添えた。
「こうやって正面切っての戦闘は上のあられに任せて、私はあなたとお話しするだけに徹したかったのだけど……そこまで気が付かれちゃったなら、戦わないわけにはいかないわよね」
「なんだ、これでルールは全てか?」
「ううん。まだあといくつか残ってはいるけど、そこまで厳密には伝えなくていいことになってるし……それに、もうすぐ『死亡』するあなたには、関係のない話よ」
「――――待っ」
「だーめ、もう待てない」
砂糖のように甘い妖艶な声音と共に、吊り上がる唇の隙間から嗜虐的に舌を覗かせ、彼女は不可視のトリガーを引き放つ。
「『陥穽の法則』!」
刹那、春雨が示した指の先に大穴が開き、その場に立ちつくしていた俺は再び為す術もなく下界に引き摺り落とされる――――そんな未来が、彼女の目には映っていたのだろうか。
しかして――残念ながら、彼女が攻撃を決断するまでには、あまりにも時間が経ちすぎていたのであった。
俺のようなひねくれ者に、嘘をつかせてしまうだけの時間が。
「悪いが、ここで負け越すのはお前の方だよ」
「えっ、うそ――――!?」
声を聞いて振り返った時にはもう遅い。
『狂言回し』嘘をつく能力――黒崎浩二という人間を知らない相手にこそ、この能力は抜群に突き刺さる。
位置を誤認させ、知覚する暇も与えることなく肩を軽く押してやる。
不意打ちには不意打ちを――なんて、同じ手を返してやるつもりはなかったのだが、結果として俺の攻撃は穴に落としたと錯覚する春雨の虚を完全に衝き、彼女が現実を認識した時にはもう、その身体は壁にもたれかかるようにして崩れ落ち、能力は一切の効力を封じられていた。
「……いつの間に、仕掛けられていたのね」
「先手を取ったつもりのまま悠長に話が出来るほど、0組は甘くねえんだよ」
「女の子とのお話を片手間にするだなんて、あなたって酷い男の子ね」
口ぶりだけは戦う前と変わらぬ余裕を保っていたが、瞳の奥は想定外の事態に狼狽し揺らいでいるのが見てとれる。
まあ、無理もない話だろう。先と今とでは、状況がまるで変わってしまったのだから。
戦わないことと戦えないこととでは、その意味は大きく異なる。
「身体の自由が利かないってのはどんな気分だ?」
「そうね……ちょっと興奮するかも」
「やっぱり、お前らの生徒会には変態しかいねえのか?」
こんな物狂いに仕切られている雛壇学園の生徒達に、他校の人間ながらわずかながらの同情を抱いてしまった。
「……それで、哀れな私は見事に生殺与奪の権を奪われてしまったわけだけど、あなたはこれからどうするつもりかしら? 言っておくけど、この部屋は本当に種も仕掛けも隠し扉もない、正真正銘の密室よ」
「なんだ、そいつは交渉のつもりか? その穴をあける能力で出口を作るから、かわりに能力を使えるようにしろと?」
「単なる命乞いよ。この部屋を脱出する手段を持っているのは私だけ、だからあなたは私を『死亡』させることは出来ないと踏んでいたのだけど……まさか、こんな封印術を持っているとはね」
「封印術とは少し違うな。どちらかといえば、こいつは催眠術みたいなもんだよ」
「催眠……もしかしてあなた、私にえっちな催眠をかけてあんなことやこんなことをさせようと……!!」
「単語と連想の切り出し方が最低すぎるだろ」
頭の痛くなるやり取りに、思わずため息が零れる。
ここまで過剰なまでにリップサービスをされてしまえば、動揺よりも呆れの方が勝ってくる。
それに、戦う手段を失ってなお、こうもわかりやすく時間稼ぎをされてしまえば、状況は優勢といえ次の一手を打たないわけにはいかなかった。
壁に半身を預けて倒れる彼女の前にしゃがみ込み、動きを封じられた無抵抗の肩に手を伸ばすと、さしもの彼女も反射的に首をすくめる。
「あ、えっと、その……ほんとに、えっちなことする?」
「んなわけねえだろうが! ただ、いつまでもあのお姫様を待たせるわけにはいかないんでな。とっとと話すこと話してここを出るために、ちょいとばかり協力してもらうだけだよ」
この隠された密室は防音設備も整っているのか、上階からは僅かな物音さえ届いてはこない。
篠森も俺と同じようにルール説明を受けている最中なのか、それとも既に戦いは始まっているのだろうか。
舌先八寸の論戦ならともかく武力による争いになってしまえば、今の彼女は――能力を失った篠森では、対処することも厳しいであろう。
「……まあ、篠森のことだし簡単にやられちゃいないだろうが」
加勢に向かったら既に『死亡』していましたなんて手遅れになってないことを祈りつつ、俺は俺でやるべきことをなすため、少女の肩にそっと触れた。