【2】フット・イン・ザ・ドア
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完敗だった。
完膚なきまでに蹂躙され、圧倒的な大敗を喫していた。
「お前……最初に戦った時、手加減してやがったな……」
「あの時の黒崎さんはお客様だったでしょう? お客様をもてなすのも、貴族のたしなみの一つですわ」
「くそっ、腹黒姫が……!」
「負け犬の遠吠えなんて、みっともないですわよ」
ここぞとばかりに煽ってくる篠森だったが、敗北者には口答えをする権利などない。
能ある鷹は爪を隠す。言い訳の余地もない圧倒的な実力差を前にしては、彼女の言う通り、どんな抗弁だって負け犬の遠吠えでしかなかった。
策士として、彼女の方が一枚上手だった。
俺はこのお姫様に、まんまとしてやられたわけだ。
「はあ……お前が俺にチェスを仕掛けてきた時点で、結果は決まっていたってわけか」
「恨まないで下さいませ、これも勝負の世界ですので。それでは、私が勝ちましたことですし、教えていただいてもよろしいでしょうか?」
「ここを訪れた本当の理由ね……別に、隠す程の事でもねーよ。ただ、0組が普段どんな生活をしているのか、それを知りたかったんだ」
俺がよく知っている0組の姿は、転校生討伐戦の時――すなわち、非常時の姿である。
それ以外の時――平常時の彼らがどんな生活を送っているのかを、俺は知らない。
休日に偶然街中で出会ったりしたことで、彼ら彼女らの人となりを断片的に知る機会はあったものの、ちゃんとした形で日常――異常なる日常を見る機会はなかった。
それ故に、知りたいと思ったのだ。
彼らが普段何を考え、どんな風に生きているのかを。
「それは、黒崎さんが0組に入る可能性も考慮して……ということであっていますか?」
「お察しの通り、そういうことだよ」
俺は鞄の中から一通の手紙を取り出し、封を開けて篠森に手渡す。
「これは……0組への編入状といったところでしょうか」
「正確には、編入を勧める手紙ってとこだ」
符号学園より送られてきた、0組への編入状。
昨夜届けられた一通の手紙に書き記されていたのは、0組への編入を勧める内容と、この奨励は『超常特区』より提案された事項であるという脅しに近い文言であった。
おそらくは先日の転校生討伐戦の結果を受け、俺は0組に相応しい人間であると判定されたらしい。
異常に適性があるという評価はほとんど烙印を押されたようなものであり、素直に喜べない部分もありはしたが――たとえそれが烙印だとしても、判を押された以上は選ばなくてはならない。
+3組に残るか、0組に移るか。
半ば強制に近い令状ではあったが、それでも最終的な選択権は俺にあるわけで。
たった一週間の――それも、戦禍に巻き込まれただけの仲である0組。
それなのに、正直なことを言えば、俺はこの話を受けるかどうかを迷うくらいには、この場所に居心地のよさを感じていた。
だからこそ、知っておきたかったのだ。
0組がどんな生活を送っていて――――俺のことを、どんな風に思っているのかを。
「単刀直入に言えば、お前達の意見を聞いてみたかったんだ」
迷っているから意見を仰ぎ、決断出来ずにいるから助力を求める。
「正直に答えてほしい。篠森は俺をどう思う? 俺は、お前達の0組に入れるほどの人間だと思うか?」
一度は俺を0組に勧誘してくれた篠森。けれど、それはあくまでも、『篠森眠姫』という少女の穴埋めとしての役割を期待されていただけ。
それがなくなった今、はたして俺に居場所があるのだろうか。
来るものは拒まず、去るものは追わず。
屋上に呼び出されたあの日、篠森はそんなことを言ってはいたけれど、その実体は全く異なるもので。
排他的で、それ故に固い結束に結ばれた彼らは、第三者たる俺を迎え入れてくれるのか。
なにぶん、人間関係の形成なんてものとは縁遠い人生を歩んできたが故に、必要以上に怯えてしまっている節はあるのだろう。
けど、わかっていても、慎重にならざるを得ない。
この選択は、俺の――そしてまた、優華の未来を左右する、重大な転換点なのだから。
「時々、貴方という人がわからなくなりますわね。大胆不敵な方のようでいて、小心翼々な方でもあって」
「自分でもうんざりするくらい、脆く繊細なただの人間だよ」
「自己評価が低いのですわね。謙虚であることは美徳ではありますが、必要以上に自分を貶めるその癖は、直すべき点だと思いますわよ」
篠森は編入状を俺に返し、それから屋上で俺を勧誘したあの時と同じ真剣な眼差しで――しかして表情はあの時よりも柔らかいもので、言葉を続ける。
「少なくとも私は、黒崎さんを否定したりなどいたしませんわ。私の思いはあの時と同じです。だって黒崎さんは、私の命の恩人なのですから」
「……そりゃあなんとも、至極光栄な限りだ」
器の広さがまるで違った。
その器量の良さやカリスマ性もさることながら、すべてを受け入れる度量の広さこそが、きっと彼女を0組のリーダーたらしめているのだろう。
偽りのない本心と共に優しく微笑む彼女に、俺はこの女には一生勝てないのだろうなと、心の底から思うのであった。
「しかし、0組への編入ですか……過去に事例があったのかは定かではございませんが、珍しいことではあるのでしょうね」
「だろうな……なあ、篠森。0組ってのは、普段何をしているんだ?」
「別に、他の符号学園の生徒さんと変わりはありませんよ。普通に授業を受けて、普通に放課後と楽しむ。私達とて、学業を営む一人の高校生なのですから」
少人数クラスであること以外は、他の生徒達となんら変わらない一日を過ごしている。
彼らが異常と呼ばれる所以は生活にあるのではなく、そこに所属する人間にあるということか。
「まあそれでも、強いて異なる点を挙げますならば、依頼制度を請け負っていることでしょうかね」
「依頼制度? なんだそれ?」
聞き慣れない言葉だった。
依頼制度。符号学園特有の制度だろうかと思いその旨を問いかけてみたが、どうもそういうわけではなさそうで。
それは学園単位に収まらない、もっと上の――『超常特区』全体で行われている取り組みのようであった。
「『超常特区』独自の仕組みではあるのでしょうが、だからといって特別なことをしているわけではございません。簡単に言いますと、『超常特区』や学園といった大きな組織から、学生や職員といった個人単位まで、あらゆる方面から集められた多種多様な案件を、依頼という形で一緒くたにして、学生に振り分ける制度なのです」
「……例えば、どういうのがあるんだ?」
「一番わかりやすいのは、掃除や委員会活動の依頼ですわね。掃除は各クラスに担当箇所を振り分けて依頼し、各クラスは清掃担当を派遣して掃除を行う。委員会活動は文字通り、放送委員に集会の放送器具の扱いを依頼するなどといった、各々の委員に専門的なことを要請する際に使われるものでして――要するには、一般的な学校がやっていることとなんら変わりませんのですわ」
「外の世界での仕事だったり作業だったりを、依頼という一つの形式に統一したのが依頼制度というわけか」
「そういうことですわね」
依頼制度は各学園の生徒会が取り仕切っており、この制度の運営が生徒会業務の大部分を占めているらしい。
一度依頼が生徒会に集約され、委員会などの適切な執行団体に振り分けられる。基本的にはそういった仕組みになっているのだそうだ。
しかし、何事にも例外はあるもので、中には普通ではない――特別な依頼が入ってくることもある。
「委員会などの普通の学生には振り分けられない――0組や-組に振り分けられる、特別な依頼というのも存在するのです。そういった例外的な依頼もこなしているという点に関しましては、普通のクラスとは異なりますわね」
話を聞けば、つい数週間前の戦争――転校生討伐戦も、『超常特区』からの依頼という形式で行われていたらしい。
そういった0組を指名する依頼がくることもあるそうで、それは他のクラスにはほとんどない、0組特有の制度なのだそうだ。
「異常な問いには異常な解答を……ってとこか」
「そんなところでしょうかね。私達だからこそ解決できると、そう判断された依頼が振り分けられることもあるのですわ」
外の世界では勿論のこと、『超常特区』内でも極めて珍しい、符号学園のクラス分け制度。
もちろん、依頼制度だけが理由の全てではないのだろうが、0組などという例外的な枠組みにもちゃんとした意味があったのだなと、なんとなく腑に落ちた気がした。
「ところで黒崎さん、今週末の土曜日は暇ですわね?」
「待て、俺が暇だとなぜ決めつける」
「何か用事がございまして?」
「……いや、ねーけど」
見栄を張ったところで恥を上塗りするだけなので、素直に予定などないことを伝える。
そんな俺の回答を受けた篠森は「でしたら、一つ相談があるのですが」と言って、執務机の引き出しから一枚の書類を引っ張り出し、俺の前に置いてきた。
「……雛壇学園への遠征依頼?」
雛壇学園という名前自体は、聞いたことだけはあった。
たしか、この学園からそこまで遠くない場所にある別の高校だったか。
「遠征には二人で向かう必要があるのですが、皆さん今の時期は忙しいため、0組以外で私に同行してくださる心優しい殿方を探しておりまして……いかがでしょう? 0組の研修みたいなものも兼ねまして、私と共に雛壇学園への遠征をいたしませんか?」
「……ちなみに、断るという選択肢は?」
「まさか質問に一つ答える程度で、私の『なんでも一つ言うことを聞く』という賭け札につりあうなどとお考えでしたら、断っていただいても構いませんが」
どうりでリスクが低すぎると思った。わざわざ賭けなんて回りくどい事をした真の理由は、こっちにあったのか。
自分の身を担保にするようなズルい言い方をされれば、どんな願いだって断れるわけがない。
フット・イン・ザ・ドア。小さな頼みを受けてもらい、大きな頼みも受けさせる。
見事にひっかけられたものだと、俺は心の中で舌を巻いた。
「……ふふっ、決まりですわね」
俺の渋い表情を肯定と受け取った篠森が、今日一番の楽しそうな笑顔を見せる。
やはり、この食えない女には一生勝てないのだろうなと。
そんな、いっそ清々しくなるくらいの諦めの感情を抱きながら、俺の週末の予定が一つ埋められたのであった。