【3】割とそこら辺にいた0組
***
蛍がおすすめするだけのことはあり、特製サンドイッチはなかなかの美味であった。
その後、食後のデザートまで平らげ、双子の働くカフェでの食事を存分に楽しんだ俺達は、次の目的地へ向かうためカフェを後にする。
「浩二はこれ、知ってた?」
「いや、知らなかったな」
優華の右手に握られているのは、去り際に蛍より渡された二枚の福引券。
なんでも今、『パルクール』全体で福引きキャンペーンを行っているのだそうだ。
「春だからかな? 帰りに引いていこっか」
そう言って優華は一枚を俺に手渡し、一枚を自分の財布の中にしまう。
個人的には、こういった運任せには滅法弱い質なので、二枚とも優華に引いてもらいたいところなんだけど。
かわいい幼馴染の「一緒に引こ?」という言葉には勝てなかったので、素直に受け取っておくことにした。
まあ、駄目で元々だ。
こういうのは雰囲気が大事なんだろうしな。
「さて、次はどこに向かうんだ?」
お腹も満たし、バス移動で消費された体力も回復したところで、本日の目的のもう一つについてを尋ねてみる。
「スポーツショップ! テニスラケットのガットを張り替えてもらってたんだ」
「テニス部に入る準備か」
「そういうこと!」
入学してから二週間。
大勢の友人より様々な部活動の勧誘を受けていた優華だったが、最終的には当初の予定通り、中学時代から継続しているテニス部に入部することに決めたようだ。
「スポーツショップはこことは違うエリアにあるから、ちょっと歩くことになっちゃうけど……平気?」
「心配無用。この程度の移動でへばる俺じゃねーよ」
「よかった! よし、じゃあ行こっか!」
そんな優華の掛け声とともに、俺達は群衆の中へ飛び込んでいく。
『パルクール』は施設そのものが広大なため、エリアを移動するだけでも結構な時間がかかってしまう。
そして、それだけの時間を人混みに揉まれるのは、正直言ってかなり気力を擦り減らされる状況ではあったが、優華と一緒であればそれも何とか耐えられた。
それに、辛いことばかりかと言われれば、そういうわけでもない。
ちょっと興味を持ったお店に寄って、ウィンドウショッピングを楽しんだり、試着した洋服で俺の前に立って評価を求める優華に、似合ってると思うぞとあんまり参考にならないイエスマンな回答を返したり。
そんな優華と過ごす平穏な時間は、とても心地の良いものであった。
と、なんだかんだと寄り道を重ねつつ、混み合う人だかりを抜けて、ようやく俺達はスポーツショップに到着する。
店舗の中に入ると、そこはテニス用具のほかにも、サッカーや野球などの球技用の道具や、陸上競技用のシューズなど、多種多様なスポーツ用品が取り揃えられていた。
「総合的なスポーツ用品店なのか」
「うん、そんな感じみたい。ここは小百合ちゃんに紹介してもらったお店なんだー」
「へえ……白百合にか」
スポーツ少女の白百合小百合なら、こういったお店に詳しいのもわかるが……はたして、石製の椅子を蹴り砕ける女の力に耐えきれる用品なんてあるのか?
「お、噂をすれば。あそこにいるの、小百合ちゃんじゃないかな?」
そう言って優華が、店の奥の方へ首を伸ばす。
俺もその視線の先を目で追うと、そこには彼女の言った通り白百合の姿と、それからもう一人、この場にそぐわない恰好をした男の姿が確認出来た。
「隣にいるのは……護人か」
護人繰主。
篠森の執事である彼が、白百合と一緒に商品棚を眺めていた――普段と変わらぬ燕尾服で。
あのお姫様にしてこの執事あり。
主従揃ってTPOという言葉を知らないのだろうか。
あるいは、顔が良ければどんな服装でも許されると思っているのか。
だとすればそれは、目の前のイケメンの存在を以て証明されてしまう事実だったので、何も反論できなくなってしまうのだけど。
「小百合ちゃんに護人くん!」
優華の声に反応し、二人が棚から目を外してこちらを向く。
「おう、優華に黒崎じゃねえの。今日は何をしに来たんだ?」
「ガットの交換をここで頼んでたんだー」
「そういや、優華はテニスをするんだったな」
「いろんな部活のお誘いを受けたんだけど、やっぱり中学から続けてるテニスがいいかなって」
「テニスはいいよなー、あたしもこの前久々にやったんだが……」
と、ここからスポーツを嗜む女子同士の会話が数分ほど続いて、その間、俺と護人はただぼーっと二人の会話を眺めているだけであった。
話に入らなかったのではなく、話に入る隙がなかったというか。
なんとなく、転校生攻防戦の三日目を――男はひたすら気配を殺して静かにしていたあの時間を思い出した。
それから一度会話が途切れた所で、優華が預けていたラケットを取りに行き、俺は二人の前に取り残される。
護人はいつも通り無口だし、何だか俺から話を振るべきな気がしたので、「今日はいい天気ですね」くらいのニュアンスで、当たり障りのない事を聞いてみることにする。
「お前らは今日、何しにここに来たんだ?」
「あたしは、ランニング用の新しいシューズを買いに来たんだ」
「先日、白百合様が面白半分に全力で壁上りをしたところ、シューズを壊してしまいまして。自分はその付き添いとして同行した次第でございます」
「ちょっと待て、壁上りってなんだおい」
「ん? 壁上りは壁上りだろ? こう、コンクリの壁をガガガガガーって駆け上がるあれだよ」
無難な話題を振ったはずが、とんでもない奇抜な答えが返ってきた。相変わらず化け物かこいつは。
「そういや優華から聞いたんだが、黒崎もランニングとかするんだってな」
「ああ……まあ、少しは体を鍛えておこうかと」
時間帯はまちまちだが、小学生の頃から可能な限り毎日続けている日課の一つである。
「いいねえ、体を鍛えるのはいいことだ! どうよ、今度あたしらと一緒にフルマラソンでもしないか?」
「……いや、遠慮しておくわ」
「そうか……残念だな……」
しゅんと眉をハの字にして落ち込む白百合だったが、次の瞬間には表情に活気を取り戻し、「もし一緒に走ってくれる気になったら、遠慮なく声をかけてくれよな!」なんて、めげることなく誘いの声をかけてくれていた。
が、残念ながら、彼女の誘いに応じることはないだろう。
前提がフルマラソンであることは百歩譲るとしても、当たり前のように壁上りとか言ってるこの超人コンビには、とてもじゃないがついていける気がしなかった。
***
ガットの張り替えられたラケットも受け取り、本日の目的は全て遂行した。
やることもなくなったので、そろそろ帰ることにしようかと。
そう考えていたところで、優華が「そういえば……」と福引券の存在を思い出す。
せっかくだから引いて帰ろう!
という優華の一声を受け、超人二人と別れた俺達はその足で福引き会場を訪れていた。
春のキャンペーンだか何かはわからないが、『パルクール』全体で行われている企画なだけあり、福引き会場には相当な数の人間が集まっている。
当然のことながら、これだけの数の人がいるわけだから、順番待ちの列もそれ相応に伸びていた。
「……何分待ちだろう、これ?」
「福引器を回すだけだから、客の回転率自体は悪くないだろうが……二十分くらいか?」
「ならいける! 並べる!」
何を判断基準としたのかはわからないが、優華的に並べるらしいので並ぶことにする。
待ち時間を潰すこと自体には苦労はしない。
そこは曲がりなりにも幼馴染、会話のネタを尽きさせないことに関してはピカイチな関係だった。
取り留めのない話を続けること十数分。
スタッフの手際が良いのか、福引きの順番は思った以上に早く回ってきた。
「い、いらっしゃいませ。福引券の提示をお願いします……って、優ちゃん?」
「ん? 見知った顔だなと思ったら、浩二もいるじゃねーか!」
福引器の先で、葛籠界斗と霜月こおりの二人が待っていた。
……なんだこれ? 今日は本当に、0組によく会う日だ。
「こおりちゃんに葛籠くんだ! こんなところで何してるの?」
「何って、見てわかる通り福引きのバイトだよ」
「キャンペーン期間限定の……短期バイトをしてるんだ……」
確かに、首にかけられたスタッフ証を見るまでもなく、お祭り感の漂う法被を羽織っているのを見れば、福引きの仕事をしているのは一目瞭然であった。
「一ノ瀬姉妹もそうだが、0組のお前らもバイトとかするんだな」
「そりゃあ俺達だって学生だからよ、金が必要ならバイトして稼ぐさ」
至極真っ当な回答である。
しかし、葛籠と霜月の二人にしろ、一ノ瀬姉妹にしろ、高校生になると同時にバイトを始めるとは、なんと勤労意欲が高い連中なのだろう。
生活のためにお金を稼ぐ必要があるのか、それとも単純に遊ぶ金が欲しいだけなのか。
なんにせよ、こうして普通に社会生活に馴染んでいる0組を見ると、符号学園最大の禁忌とはなんだったのかと、少しばかり毒気を抜かれる気分であった。
「福引きの回数は、お互いに一回ずつだな」
葛籠が俺達から福引券を受け取り、それぞれが回せる回数を示す。
「一等から六等まであるから……いい景品が出るように、私、祈ってるね……!」
「うん、頑張る!」
なんて、霜月からの声援を受けて、俺達はそれぞれ福引器を回す。
ガラガラと大量の玉が転がる音を聞きながら、不意に頭をよぎったのは翡翠の一言。
『僕らも猫さえ被ってれば、どこにでもいる普通の高校生だからね。アクセルを際限なく踏み込める危うさはあるけど、決してブレーキがぶっ壊れているわけじゃないのさ』
あるいは、そんな日常と非日常を――普通と異常を当たり前のように共存させてしまう狂逸こそ、彼らを0組たらしめる要素なのかもしれなかった。
ちなみに福引きの結果は、俺が予想通りに六等のポケットティッシュを排出し、優華は三等の商品券三千円分を引き当てていた。
……まあ、わかりやすく運が出たなって思いましたとさ。
***
荷物を片手に二人で歩く、少し上り坂な帰り道。
『パルクール』を出発し最寄りのバス停に到着する頃には、日はすっかりと傾き、空は鮮やかな夕焼けの赤で染まりきっていた。
「それにしても、今日は0組の人達とたくさん会った日だったねー」
「たくさんというか、全員だな」
「コンプリートだね!」
第三区画の住民が一堂に会する場所だとはわかっていたが、まさか1年0組のメンバー総勢8人――その全員と遭遇するとは思ってもいなかった。
休日にまで知り合いに会ってしまうと、それだけ一日に話をする人数が増えるわけで。
根本的に会話が苦手な性格のせいで、今日の外出はいつも以上に疲れがたまるものがあった。
しかし、異常とか禁忌とか、色々と不穏な噂の立つ連中ではあるが――
「――なんつーか、0組って割とそこらへんにいるものなんだな」
「そんな動物みたいな……けど確かに、思っていたよりも普通に生活してるんだね」
公私を問わずにドレスや燕尾服で過ごす二人や、日常的に壁を上って靴を壊す行為が普通であるかはさておき、今日という一日に限っては、彼らは全員普通の生活を送っていた。
彼らが異常なる0組であり、符号学園最大の禁忌であることは事実であろう。
けれども、たとえ根幹が常軌を逸していようとも、少なくともあいつらは俺達と変わらない人間なんだなと、そんな当たり前の事を再認識した休日であった。