【2】働く0組、休む0組
「いらっしゃいませー! 少々お待ちください!」
「……ん? なんか、どこかで聞いたことある声がしなかったか?」
ドアベルの音に反応して、お店の奥から声が飛んでくる。
なんとなく、その声に聞き覚えがある気がしたので尋ねてみると、なぜか優華は何も言ってくれず、代わりに「あ、気づいちゃった?」とでもいいたげなご機嫌顔で、俺のことを見返してくるだけであった。
それから数秒ほどして、カウンターの裏から銀のトレイを抱えた一人の少女が現れ、そこで俺は幼馴染の表情の理由を察した。
「お待たせしましたーって、ゆうちんにくろっきーじゃない! え、もしかして私に会いに来てくれたの!?」
「うん! 折角教えてもらったし、来てみようと思って!」
「きゃー、うれしー! 蛍ちゃんうれしすぎて、思わずゆうちんに抱きついちゃう!」
そう言って少女――一ノ瀬蛍は、仕事中にも関わらず、なんの遠慮もなく客に抱きついて頬ずりを始める。
頬ずりをされている優華の反応からして、たぶん知らなかったのは俺だけなんだろう。というか、俺を驚かせるために、わざとはぐらかしてたんだろうな。
優華にこの店を紹介した友達ってのが、つまるところこのお調子者な双子の姉だったということか。
「……どうする? くろっきーも抱きつかれとく?」
たっぷり十秒ほど抱きついて満足した蛍は、一度優華を手放し、その腕を開いたままの状態で俺ににじり寄ってくる。
「やめろ、寄るな、全力で拒否させてもらうぞ。つーか、そのあだ名はなんとかならないのか?」
「黒崎だからくろっきー、いいあだ名だと思うよ?」
「直してくれる気はないんだな……ってだから、俺に触れようとするな」
伸ばされた腕を払い、肩を押して距離を取らせる。
「やはりゆうちん以外には身持ちが堅いのですなー」
と、軽口を叩きながら、蛍は素直に身を引いてトレイを持ち直す。
それから、ようやく本来の仕事をする気になってくれたようで、「こちらへどうぞー」と手のひらで通路を示し、俺たちを席まで案内してくれた。
席に座ると同時に、蛍は慣れた手つきでコップに水を注いで机の上に並べる。
「お二人様はこちらの席にどうぞ! ま、私はこんなふざけた感じだけど、料理はどれも絶品だから! 安心してゆっくりしていってね!」
そうして別れ際は店員らしくお店の宣伝をして、新たにドアベルを鳴らしたお客さんのもとへと去っていく蛍。
優秀な店員……とはいえなかったけど、普通に接客業に励んでいる0組の姿は、ちょっとばかり新鮮なものであった。
「……つーか優華、わざと俺に隠してただろ」
「さ、さーて、何のことでしょうか? あ、ほら浩二、メニューがここにあるよ!」
嘘をつくのは下手なのだから、正直に頷いてしまえばいいのに。
優華のことだから、知り合いがいる店に行くなんて言ったら、俺が逃げ出すとでも思ったのかね?
だとしたら、正解だ。蛍がいることを知ってたら、間違いなくここには来なかった。
まあけど、そんな人見知りな俺への気遣いに免じて、バレバレの誤魔化しへの追求はやめておいてやるとしよう。
「浩二は何を食べる?」
「んー……おすすめとかあるか?」
サンドイッチとかパンケーキとか、そういうのが定番なのだろうか?
こういったカフェで昼食をする機会はほとんどなかったので、慣れていそうな優華に意見を仰いでみる。
「前に蛍ちゃんに聞いたときは、シェフの特製サンドイッチがおすすめだって言ってたかな」
「じゃあ、それにしようかね」
「私も同じのしよ!」
頼むものも決まったので、机上に備えられたボタンを押して店員を呼ぶ。
ファミレスのようにピンポーンという音は鳴らなかったが、厨房の方にはちゃんと通知が届いていたようで、ほどなくしてハンディターミナルを手にした店員が注文を取りに来た。
「いらっしゃいませです。ご注文をどうぞです」
「って、お前も働いてたのか……」
やってきたのは、一ノ瀬姉妹のテンションが低い方――妹の一ノ瀬雫であった。
「久しぶりー、雫ちゃん!」
「お久しぶりです、優華さん」
「姉妹揃って同じ店で働いてたとは……その喋り方で、ちゃんと接客出来てるのか?」
「少なくとも、黒崎さんよりはちゃんと話せてますです」
「ああ、そうかい。それはなによりだ」
相変わらずの毒舌っぷりだったが、蛍と違い公私はきっちりと分けられているようで、俺達の注文を滞りなく取り終えると、ぺこりと頭を下げて足早に裏手に戻っていった。
「ちなみに、あいつの存在も知ってたのか?」
「うん、蛍ちゃんが姉妹で一緒に働いてるって――あっ」
途中で失言に気付いたらしく、優華がハッとした表情をしながら、慌てて両手で口を隠す。
「優華……お前はやっぱり嘘をつくのに向いてねえよ」
「あっはは……慣れないことはするものじゃないね」
優華の鎌をかけられることへの耐性の低さは、将来が心配になるレベルだった。
まあ、素直なことは美徳だと思うから、いいんだけどさ。
「すまん、ちょっと席を離れるわ」
「ん、おっけー」
注文を終えてひと段落ついたところで、食事の前にトイレを済ませておこうと思い、断りを入れて席を立つ。
普段なら普通にトイレって言うんだが、なんとなく食事をする場ではその単語を控えなきゃいけない気がするんだよな。
女子の場合はお花を摘みに行くという全国共通の隠喩が存在するが、男にはそういった意味合いを持つ言葉はない。
いや、俺が知らないだけで、なにかしらの言葉はあるんだっけ?
なんて、どうでもいいことを考えながら、店内を見回してトイレの場所を探す。
看板とかわかりやすくぶら下がってないかなと、視線を右に左に動かしていると、目的のトイレとはまた別に、珍しいものが目に留まった。
珍しいものというか、珍しい人というか。
転校生討伐戦にてそれぞれのチームのリーダーを勤めていた二人――篠森眠姫と翡翠導夜が、端の席で向かい合って座っていることに気が付いた。
「あら、奇遇ですわね。お一人ですか?」
近くを通りかかった俺に気付いた篠森が、会話を中断して声をかけてくる。
「いや、優華と一緒にだ。つーか、お前らもこういう店に来るんだな」
「蛍ちゃんと雫ちゃんが働いてる店だから、贔屓にしてるんだよね。それに、ここは程よく音で満ちてるから、話をするのにうってつけの場所でもあるんだ」
「へえー……なんというか、こうしてみると普通に馴染んで見えるものだな」
「あっはは! 浩二くん、それ本気で言ってる?」
「……いや、うん、あんまり馴染んでなかったな」
メロンソーダを片手にラフな格好で座る翡翠はともかく、普段と変わらぬ白を基調とした豪奢なドレスで着飾った篠森の方は、どうにも取り繕えないくらいに浮いていた。
なまじ彼女がそのドレスに負けないくらいに整った顔立ちをしているばかりに、周りの景色と比べてより一層異質さが際立っている。
そもそも、なんでこいつは休日までドレスを着ているんだ。
しかし、そんな若干一名が奇抜な形で目立ってはいたものの、それでも今のこいつら――0組の中でもトップクラスで異常な二人からは、俺が出会った時に感じたような、存在そのものに対する理不尽な違和感は覚えられなかった。
「まあ、言わんとしていることはわかるよ? 浩二くんが不思議に思うのもわかるけど、僕らも猫さえ被ってれば、どこにでもいる普通の高校生だからね。アクセルを際限なく踏み込める危うさはあるけど、決してブレーキがぶっ壊れているわけじゃないのさ」
「普通の高校生はドレスなんて着ねえと思うぞ」
「眠姫ちゃんは普通の高校生じゃないから」
「あらあら、その言い様は聞き捨てならないですわね」
「いや、そこはきちんと自覚しておけよ」
ただ面白半分に口を挟んだだけなのか、あるいは本当に自分を普通の高校生だなんて思っているのか。
……流石に、前者であることを信じたい。
なんて、軽い冗談も交わしたところで話のキリがよくなったので、最後に別れの挨拶をして、二人の下を離れることにする。
「ねえ、浩二くん」
「なんだ?」
「今日は眠姫ちゃんとお話ししてるけどさ、今度は浩二くんともお話ししたいなって思ってるんだよね」
「……まあ、時間がある時にでも行ってやるよ」
「それはそれは、楽しみにしているよ」
去り際に取り結んだ、翡翠からのアポイントメント。それから数日後、約束通り話をすることになるのだが、それはまた別のお話で。
今はただ、話をするくらいならいいかと、特に考えることもなく適当に返事をするだけであった。