【エピローグ】戦争の終わり
≪エピローグ≫
「あれ、黒崎くんに優華ちゃん? 今日はまた一段と早い登校ね。まだ始業まで一時間以上あるけど?」
週が明けて月曜日。まだ日が昇ってからそう経っていないくらいの時間。
重い瞼を擦りながら校門からの上り坂を歩いていたところで、俺達はよく知ったクラスメイト――綴と夢野に声をかけられた。
「栞ちゃんに時宮くん、おはよー! 二人はテニス部の朝練?」
「そうだね。浩二くんに葉月さんは……外部生関連で何かあったとか?」
「あー……そんなところかね」
「ふーん、へえー、ほー」
訝しげに視線を送ってくる夢野に、俺と優華は何も言わずにそろって目を背ける。
広義的に解釈すれば、『転校生討伐戦』だって外部生関連の話だと言えよう。
嘘は言ってないはずだった。うん、多分。
「……ま、今日のところは見逃してあげるけど、次会った時は徹底的に聞かせてもらうからね! 覚悟しておきなさい!」
朝練の開始が迫っていたからか、ひとまず追及することを諦めてくれた夢野は、そんな不吉な宣言を最後に、綴の腕を引っ張って走り去っていってしまう。
「……次って、普通に今日クラスで会うじゃねーか」
「あっはは……二人とも、今日も元気そうだったね」
今日もまた、騒がしい一日になりそうだ。主に夢野が原因で。
そんな、今からもうげっそりしてしまいそうな未来のことを考えつつ、俺達は本校舎を通り過ぎたその先――『ホーム』に向かって歩を進める。
普通の友人である彼らには言いづらいこと――『転校生討伐戦』のお話を、0組に所属する少女と交わすために。
昨晩、優華の下に届けられていた一通のメール。
差出人は篠森から。内容は、『転校生討伐戦』とその終わりについての話をしたいだとか。
五日目の騒動で有耶無耶になっていた、『転校生討伐戦』の顛末。
それについては少し気になってはところではあったため、俺達は篠森の誘いを受けることにし、こうして朝早くから『ホーム』へと赴いているのであった。
三日ぶり、六度目となる『ホーム』の訪問。
授業は一日サボったのに、こっちは皆勤賞っていうのは、なんとも皮肉な話だ。
「おはようございます、優華さんに黒崎さん。わざわざ朝早くからありがとうございます」
ドアノッカーを叩き洋風な会議室に入ると、篠森と護人の二人がいつもの定位置で迎え入れてくれる。
教材の入った学生鞄を部屋の片隅に置き、隣り合わせでソファーに座ると、おなじみの上品な香り漂う紅茶が俺達の前に並べられた。
「眠姫ちゃん、体調はもう大丈夫なの?」
「ええ、おかげさまで昔よりも快調なくらいです」
篠森が椅子から立ち上がり、向かい側のソファーに移動してくる。
しなやかな動作で腰を下ろした彼女は、護人が改めて注いだ紅茶を口に含んだ後、ふうと小さく息を吐いてこちらに目を向けた。
「それでは、簡潔に事後報告のようなものをさせていただきたいのですが、その前に……お二人共、朝食は抜いていただけましたか?」
「うん、ちゃんと食べないで来たよ! そのせいでもうお腹ぺこぺこー」
朝ご飯を食べないでおいてほしい。
そういえば、文末にそのような旨が書いてあったなと、俺は今更になって思い出す。
普通にパンを食べてきました。
なんて言える雰囲気では無かったので、優華の返答を隠れ蓑に黙秘を行使させてもらうことにした。
「ありがとうございます。まあ、黒崎さんは食べてきていただいても大丈夫だったとは思いますが……お二人に朝食を抜いていただいたのは、これをお渡ししたかったからなのです」
そう言って篠森が膝下から二つの箱を取り出し、俺と優華の前に一つずつ差し出してくる。
よくケーキとかが入ってるような小さな箱だ。
パッと見でそれくらいのことしかわからなかった俺は、朝から生クリームとはなかなかヘビーなものを食わせてきやがると思うだけであったが、
「えっ、うそっ!? これってもしかして、あの洋菓子店ヴィルヘルムのバウムクーヘン!? 一日十個限定で、開店と同時に即完売しちゃうっていうあの幻の!?」
スイーツには目がないうちの幼馴染はこの箱の価値をご存じだったらしく、目を爛々と輝かせながら、かつてないほどに甲高い声を上げて興奮を露わにしていた。
「これ、ほんとに貰っちゃっていいの!?」
「ええ、構いませんわ。その為にお父様にお願いして、特別に取り寄せてもらったのですから」
「取り寄せって……流石はお金持ちというか、なんというか……」
「大切な恩人のためなのです。財力であろうと権力であろうと、惜しげもなく投じましょう」
「ああ、そう……まあ、ありがたくいただきます」
相変わらずというか、強かな根性をしたお姫様なことだ。
篠森の図太い性格に呆れつつも、俺は箱からバウムクーヘンを取り出し、フォークで一部を切り抜いてから口に含む。
「…………超うまい」
「お口に合ったようでなによりですわ」
流石は幻の一品といったところか。
これほどまでにおいしい甘味を口にしたのは人生で初めてかもしれないなんて、そう思わされるくらいに、篠森の取り寄せたバウムクーヘンは大変美味であった。
「~~~~~~~~!!」
流石に隣で頬を緩ませながら体を左右に捻らせ、声にならない歓喜を上げる優華ほどのリアクションは出来なかったが。
浮いた足をバタバタさせて、空いた左手で俺の太ももを叩いて、全身で喜びを表現して……って痛いから、嬉しいのは十分伝わってきたから、全力で平手打ちはしないでほしかった。
「さて……それでは、簡単な事後報告だけさせていただきますね。あ、食べながら聞いていただいて結構ですわ。『転校生討伐戦』についてなのでございますが、結果的には両者敗北という形で終結いたしました」
「両者敗北……それもそうか。結局、お前らは最後まで、俺を『死亡』させられなかったわけだしな」
両チームが攻撃側であったのだから、ルール3の『阻止することで勝利』という条件は存在しなかったということになる。
どちらも条件を達成出来なかったのだから、両者敗北というのは当然の結末ではあった。
「ですが、符号学園側としては必要なデータは得られたからなのでしょうか。参加賞として特別に、0組全体で報酬が一ついただけることになりました。もっとも、参加賞故か、なんでもは叶えていただけないようですが」
「へえ、よかったじゃねーか」
なんでも一つ願いが叶う権利――いや、なんでもは叶えてくれないらしいので、ささやかな願いを一つ叶える権利とでも言った方がいいか。
こおりの能力についてなどは、ささやかの範疇外だったのだろう。
篠森の言い方から予測するに、本当にしょーもないお願いくらいしか聞いてもらえそうにないようだ。
「わかっていて心にもない事を言いますから、性格が悪いと言われてしまうのですよ?」
「ほっとけ。つーか、それだけで終わる話じゃないだろ?」
戦争は両者敗北でした。
でも頑張ったので、参加賞はもらえました。
それだけしか言うことがないんだったら、それこそ本当に、へーよかったねーで終わってしまう話である。
「ふふっ……お二人は何か、欲しいものなどございますか?」
「……ああ、そういうことか」
「ええ、そういうことでございます。0組のみなさんと話し合った結果、参加賞は是非お二人に使っていただきたいということで一致いたしました」
参加賞の譲渡。なんて、体良く後処理を任されたような感じではあったが、受け取って損になるものでもなかろう。
バウムクーヘン同様ありがたく頂戴することにし、俺はそのままの流れで優華に問いかけた。
「優華、何か欲しいものとかあるか?」
「えっ、私が貰っちゃっていいの?」
「俺はこれといって欲しいものもないしな。優華の方が、有用に使ってくれるだろ?」
「そうかなー? うーん、そうだなー……」
報酬の使い道を一任された優華は、胸の下で腕を組みながら、真剣に考え始める。
決めるのが難しそうなら、いくつか候補でも上げてみようか。
そう思い、目を瞑る彼女にそっと声をかけようとしたところで、
「よし、いいこと思いついた!」
優華がくわっ! と勢いよく目を見開き、それから篠森の方をじっと見つめて一つの提案を口にした。
「この報酬は眠姫ちゃんにあげる! 眠姫ちゃんが好きなように使っていいよ!」
「……よろしいのですか? ささやかなものではありますが、ちょっとした贅沢くらいは叶えていただけると思いますわよ?」
不思議そうに小首をかしげる篠森に、優華は力強く頷いた後、「そのかわりね……」と言葉を続ける。
「そのかわり、眠姫ちゃんには一つ、私のお願いを聞いてほしいの」
「お願い……? 何でしょうか?」
「ティーカップとソーサーを二セット、新しくここに置いてほしいの。それが私のお願いだよ」
その願いに、篠森は一瞬呆気にとられたような顔をし、それからすぐに顔を綻ばせて両手を胸の前で合わせた。
「ふふっ……かしこまりました。お二人に似合う最高のセットを用意いたしますわね」
「うん! ありがとう!」
そうして優華もまた、無邪気な笑みを浮かべてお礼を口にした。
……やっぱり、優華に任せて正解だった。
初日の夜、彼女の思い描いた終幕の形。誰もが幸せになれる優しい終幕が――叶えられた奇跡が今、俺の目の前で綺麗な花を咲かせている。
そんな幸福な光景に、俺は無意識に表情が和らいでしまう。
護人はといえば、相変わらず寡黙なままであったが、その面持ちは以前よりもずっと柔らかく、親しみやすいものであった。
まあ、こいつに関しては、喋らない方がそれらしいしな。
それに、言葉を交わす機会なんて、これから先いくらでもあることだろうから。
今はただ、感情を共有しあえていることさえわかれば、それで十分だった。
それからひとしきり雑談をしたところで、優華が日直の仕事で職員室によらなければならないため、俺達は一足先に『ホーム』を後にする。
「黒崎さん、葉月さん……お二人のおかげで、私はこうして大切なみなさんと笑い合うことが出来ています。本当にありがとうございました」
異質にして異端にして異様にして異常なクラス。
そんな0組を心から愛し、そしてまた0組に心から愛されたリーダー――――篠森眠姫。
去り際の彼女の笑顔は、この六日間見てきたどの笑顔よりも幸せに満ち溢れたものであった。
「ねえ、浩二」
日の光に照らされた殺風景な廊下を歩きながら、優華がこちらを振り向いて話しかけてくる。
「たくさん友達も出来たし、これからはもっと楽しい学園生活になりそうだと思わない?」
「……ああ、そうだな」
異常なる友人達――0組の奴らを思い出し、それから隣に並ぶ優華の透き通るような瞳を見て思う。
「あ、今度はちゃんと、私のことを見てくれたね」
「言ったろ、そのうちなんとかするって」
積み重ねたトラウマはそう簡単には克服出来ないし、嘘つきな俺にはまだ、誰かを信頼することなんて出来ないかもしれない。
けど、0組の奴らの傍に――そして、優華の傍にいる時は、ほんの少しだけ前向きに生きられそうな気がする。
なんて、その日はそんな晴れやかな気分になれるくらい、穏やかな春の陽気であった。
【≪第一章≫1年0組の異能戦争 終】