【25】見出した希望の光
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この五日間、毎日のように通い詰めていた『ホーム』だったが、これだけの人間が集まっているのを見たのは、この時が初めてであった。
九人。俺と優華を加え、篠森を除いた0組の全員がこの場に集結していた。
「やあ、二人とも待っていたよ。繰主くん、言われた通りにみんなをここに集めたよ。それに、事情の説明も済ませておいた」
最後に到着した俺達を迎えた翡翠は、挨拶もそこそこにして現状を報告する。
情報を共有した――篠森の呪いを知ったからか、彼らの暗い表情も相まって、部屋の中は重苦しい空気で満たされていた。
「翡翠は……このことを知っていたのか?」
「……漠然と、だけどね。眠姫ちゃんが死の運命にあることと、それを隠しているってこと。知っていたのはそれだけさ。いばら姫の呪い、か……もう少し、時間はあるものと思ってたよ」
いばら姫。篠森は自分の能力を明かす際、この童話を例えに出していた。
あれはただ、十二の能力を説明するためだけに用いたのではなく、彼女の運命そのものを表してたということか。
「篠森は、普段から自分をいばら姫と称していたのか?」
「そうだね。彼女はそれこそ、異常なまでにいばら姫にこだわっていた節はあったよ。あっはは……考えてみれば、これほどまでに簡単なメーデーもなかったわけだ」
俺の質問に答える際も、翡翠はそうやって軽い調子を――比較的冷静さを保っているように装っていた。
しかし、この場において護人の次に気が滅入っているのは、間違いなく彼であっただろう。
翡翠は知っていたのだ。
知っていたのに、何も出来なかった。そんな残酷な事実が重石となってのしかかり、彼の心を必要以上に苦しめる。
そしてそれは、形は違えども、他の0組の生徒達にも言えることだった。
知らなかった自分を――気付くことすら出来なかった自分達を、責め立てることでしか平静を保っていられない。
どうして私達に相談してくれなかったのか。
なんでそんな大事なことを秘密にしていたのか。
自分達はそんなにも、頼れないものだったのか。
違う、そんなことはない。
彼女は決して自分達を信頼していなかったのではなく、むしろその逆で、自分達を信頼し、仲間だと思っていたからこそ、彼女は何も言わなかったのだと。
そうわかっているからこそ、そう気を使わせてしまったからこそ、彼らはやりきれない思いを抱え、無力感に苛まれながらも、ただうなだれていることしか出来ずにいる。
思い返されるのは、篠森が口にしたある一つの言葉。
「来るものは拒まず、去る者は追わず……ね」
だとしたら、この状況は一体どういうことなんだか。
みんながみんな、去る者を引き留めようとしているじゃないか。
「……ねえ、浩二」
後ろから制服の袖を引かれる。
振り返るとそこには、悲しみで零れそうになる涙を必死にこらえながら、瞳に強い決意を宿して俺を見つめる優華の姿があった。
「私も協力する。眠姫ちゃんを助けるためなら、どんなことだってする。だから……何とかして、眠姫ちゃんを助けられないかな……?」
篠森を助けてほしい。その言葉に反応し、周囲からの視線が集まる。
「助ける……か」
それを成し遂げることが、どれだけ難しいことだろうか。
優華を守る。優華を助ける。何度だってそれを誓い、その度に俺は失敗してきた。
そして優華は、そんな俺の駄目な姿を、幾度となく見てきたはずなのだ。
それでも優華は、情けない俺を頼ってくれる。いつだって俺の傍にいてくれて、俺を信じてくれる。
人の痛みを理解し、痛みを分かち合える純粋無垢な心を、俺なんかにも向けてくれる。
「……俺の力じゃ、優華の望みは叶えられないかもしれない。それにまた、優華に大きな負担をかけちまうかもしれない。それでも……そんなどうしようもなく駄目な俺でも、優華は信頼してくれるって言うのか」
「うん、信じられるよ。だって浩二は、私のことを助けてくれたから」
真っ直ぐな眼差しで、優華は迷うことなく即答した。
「いろんなところで助けてくれた浩二だから、私は信頼出来る。それに……今度は私も、浩二の助けになるから。私も浩二みたいに……誰かを助けられる人になりたいの」
誰かの助けになりたい。誰かを助けられる人になりたい。
その言葉に――その決意に、俺は今更になって気付かされた。
俺はずっと、優華のことを守ってやらなければならないと思っていた。
優華は守られるべき存在なんだって、そう勝手に決めつけていたんだ。
けど違った。
優華はもう、守られるだけの少女じゃない。
自分を責め、俺に依存していたあの頃とは違う。
誰かを守る力を――助ける力を持っている、そんな強くて心優しい少女になっていたんだって。
両手をギュッと握りしめられる。
堪えきれなくなった涙を頬に伝わせ、顔をくしゃくしゃにさせながら、それでも優華はにっこりと笑いかけてくる。
ああ、そうだ。俺はこの笑顔を守るために、生きていくのだと誓ったのだった。
そしてそれはきっと、ここにいる奴らも同じことだろう。
大切な人の――篠森の笑顔を守りたくて、彼らはここに集った。
なるほど。だとしたら確かに、俺達は似た者同士だ。
心の中で、一つの覚悟が決まった。
俺は優華の髪を軽く撫でてから手を離し、大きく深呼吸をして気持ちをリセットさせてから、護人の方に向き直った。
「護人、その篠森の呪いってのは、『デッドシステム』では回避できないのか?」
「……『デッドシステム』による死の回避は、外的要因に基づくものに限定されております。病など、内的要因に基づく死には適用されないのでございます」
やはり、そう簡単に事は済んでくれない。
抜け目のない篠森と護人のことだ、このあたりの初歩的な手段は全て、既に検証済みであろう。
そうなると、必要なのは発想の転換。
『超常特区』に馴染みがないからこそ――0組と出会って間もない新参者だからこそ、思いつくことがあるはずだ。
知恵を絞れ。頭を働かせろ。
今日までの五日間に、何かヒントとなる物はなかったか。
記憶を逆再生する。
頭の片隅に転がる些細な出来事でさえも逃すまいと、脳髄が焼き切れてしまいそうなくらいに思考を回転させる。
屋上での出会いも、チェス盤を挟んだ語らいも、薄氷に踏み込んだ勧誘劇も、裏切りの末路に交わした応酬も、一字一句を逃さぬように、思い起こして叩き出す。
――――そして、
「…………そうか」
行き詰っていた俺の脳に、一筋の光が差し込んだ。
「確認する。篠森の能力は十二個、これは間違いないんだな?」
「はい、そうでございますが……」
「その能力の詳細を、全て教えてくれ」
それに何の意味があるのかと不思議そうな顔をしながらも、護人は素直に能力を開示する。
①言葉を信じ込ませる能力。
②茨を操る能力。
③触れた人間を眠らせる能力。
④自分を自然体に見せる能力。
⑤体調を平常に保つ能力。
⑥疲れを和らげる能力。
⑦あらゆる状況下で万全に行動出来る能力。
⑧能力の効果を他者に付与する能力。
⑨痛みを和らげる能力。
⑩どこでも安眠出来る能力。
⑪衝撃を軽減する能力。
⑫薔薇の花を咲かせる能力。
「以上十二個。こちら全てをまとめまして、『永眠童話』と呼んでおりました」
「……やはり、そういうことか」
合点がいった。散り散りになった記憶の欠片が重なり合い、一つの仮説が考えつく。
そして、仮説を立てられたならば、後は答え合わせをするだけだ。
「優華、頼みがある。昨日の今日でかなりきついと思うが、『願いをかける星』を使って欲しいんだ。お願いしてもいいか?」
「もちろん! 私に出来ることなら、何でもするって言ったでしょ!」
「……ありがとう」
俺の頼みに、優華は胸を張って力強く頷いてくれた。
いつもはちょっと天然でボケボケしてるっていうのに、こういう時ばかりは本当に頼りになる幼馴染だ。
「ねえ、黒崎くん。一体何をするつもりだい?」
翡翠の疑問に、俺は頭の中で仮説を反芻させながら、端的に答える。
「優華の能力を使って、仮説の答え合わせをするんだ」
「答え合わせ……? 葉月ちゃんには、そういう能力があるってこと?」
「ああ。簡単に言えば、優華には正誤を判定する能力があるんだ」
『願いをかける星』天使の力を司る能力。
ここで定義する力とは、三大天使の力。
ミカエル、ラファエル、ガブリエルという三つの形に納められていることで、彼女は三つの天使の能力を行使することが出来た。
一つは、圧倒的な戦闘力を授ける光の剣――ミカエルの力。
一つは、直前の傷であれば万物問わず修復できる癒し――ラファエルの力。
そして最後の一つは、あらゆる問いかけに対して正誤を判定する天啓――ガブリエルの力。
四日目の騒乱時、優華が俺の居場所を発見出来たのも、この天啓の力によるものであった。
「……優華、頼んだ」
「うん、任せて!」
頼もしい返事をしてくれた後、優華はソファーに座って目を瞑り、両手を胸の前で絡ませ、祈りを捧げる構えをする。
そして――――
「『願いをかける星』」
次の瞬間、優華の背中に光の翼が備わり、頭上には天啓の力の象徴――光の輪が顕現した。
「す、すごーい……」
「これが……葉月ちゃんの能力……」
『願いをかける星』を始めてみる面々が、ぽつりぽつりと驚きの声を漏らす。
そんな彼らを尻目に、俺は床に跪いて天使化した優華に向かい直った。
「……優華、質問だ」
もしもこの仮説が間違っていたら、もうこれ以上俺の頭でどうすることも出来ないだろう。
けど、賭けるだけの価値はあるはずだ。
こんなどうしようもない俺でも、優華が信じてくれている限りは、何度だって立ち上がれる。
激しく脈打つ心臓の鼓動を感じながら、俺は精神を集中させ、第一声を口にする。
「篠森眠姫に、死の呪いなど存在しない」
「――――yes」
告げられたその答えは、彼らにとって忘れられない記憶となって、深く心に刻まれるのであった。