【19】願いをかける星
***
『願いをかける星』天使の力を司る能力。
人の身に余る莫大な力を、天使という形に仕立てあげることで行使する。
それは俺が知る中で最も凛々しく――最も美しい能力であった。
「ごめんね。私のせいで、また浩二に迷惑をかけちゃったみたいで……無事でいてくれて、本当によかった」
「気にするな、優華は何も悪くねえよ。それに、謝るべきなのは俺の方だ。俺が不甲斐ないせいで、優華に戦わせちまったんだから……」
「そんな、浩二が謝ることなんて何もないよ! それに……」
優華は大きく首を横に振り、それから両手でふんわりと俺の手を包み込んでくる。
「約束、したから。私は、浩二のことを守るんだって……浩二のために、生きるんだって」
――――自分と、約束したから。
最後の方は消え入りそうなほどにか細い声でそう呟くと、優華は握っていた両手を離して肩へと移し、前のめりに倒れ込んでくる。
どうやら、限界が迫ってきているようだ。
『願いをかける星』はその莫大な力の代償として、一分が過ぎると強い睡魔に襲われ、一時間ほど深い眠りに落ちてしまう。
俺は力の抜けていく優華の体を支えながら、慎重に重心を落として床に座りこんだ。
「ねえ、浩二……もう少しだけ、こうしててもいい……かな?」
首の後ろに腕を回し、甘えるように体を預けながら、微睡んだ声で囁きかけてくる。
「……ああ、今日はよく頑張ってくれたからな。ゆっくり休むといいさ」
もたれかかる優華の頭をそっと撫でると、彼女は小さく吐息を漏らして、首に回す腕の力をぎゅっと強めた。
「んっ……えへへ、いつもありが……と……」
その言葉を最後に、背中から翼が消失し彼女は静かに眠りにつく。
脱力した優華の腕をそっと肩から下ろし、もたれかかる身体を動かして仰向けに眠らせた。
「……ほんと、最低だよな」
一点の曇りもない、安らかな表情で眠る優華。
そんな幼馴染の寝顔を見る度に、俺は己の犯した過ちを嫌でも思い出してしまう。
この笑顔を取り戻すためなら、どんなことだってしてやると。あの地獄のような暗い闇の中で、俺は心にそう誓った。
憎まれようとも、嫌われようとも――――たとえ彼女に、嘘をつくことになったとしても。
俺が『狂言回し』を自覚したのは、中学三年生の夏のことだった。
あの日、あの時、俺はこの能力の全てを知った。
嘘をつく能力のこと、使い方次第では人の記憶だって偽れてしまうこと――そして、既に一度この能力を使っているのだということを。
彼女に嘘をついていたことを――――誘拐の記憶を消したのは、他でもない俺だという事実を。
そこまでして初めて、全てを自覚したのであった。
その無垢な笑顔を守るため、俺は彼女に嘘までついた。嘘までついて、彼女を守ると誓ったはずだった。
それなのに俺はあの日も――そして今回も、優華を守ることが出来なかった。
最愛の幼馴染を――守るべき少女を、俺はまた、傷つけてしまったのだ。
「この有様で優華を守るだなんて、おこがましいにもほどがある」
足を横に向けて倒れる演台、その傍らに転がるパイプ椅子。優華の揮った力の残滓に目を向け、己に対して悪態を吐く。
身の丈に合わない、分不相応な望み。
守るとか助けるとかそれ以前の問題で、俺の存在は優華にとって、ただの足かせとしかなっていなくて。
こんな感情は、ただの独善でしかなくて――自己満足でしかないのだろう。
なんて、そんな自己嫌悪に陥りながら、呆然とステージ上を眺めていた――――その時だった。
「…………へえ」
動くものなどないはずの世界で、不格好に歩く一つの影が、視界の隅に映りこむ。
「まさか、あの一撃を受けてなお、生きている人間がいるとはな」
「……全ては、姫様のご加護のおかげでございます」
護人繰主。
初めて聞いたその男の声は、同じ人間に向けられたものとは思えないくらいに、凄然とした殺意に満ちた、低く冷たいものであった。
「姫様のご加護ね……といっても、残念ながら当の本人はもう『死亡』しちまってるみたいだけどな」
障壁を張るようなものか、あるいはダメージを軽減する類のものなのか。
何にせよ、護人のみがそのご加護を――能力による防御を授かっていたわけではないのだろう。
三人共が能力によって守られていた。
その上で護人以外の二人は、優華の一撃に沈んでいったのだ。
「しかしまあ、生き残ったことは称賛に値するが……そんだけボロボロの体で、よく立ち上がれたもんだ」
叩きつけられた衝撃で右腕は折れてしまったのか、先ほどからまるで動く様子がない。
それに、打撲か捻挫か、護人はステージを降りる前からずっと、左足を引き摺って歩いていた。
重心は歩くたび不安定に揺れ動いており、片足に傷を負ったおぼつかない足取りは自重を支えることで精一杯のようで。
おそらくは、あばらの何本かも折れていることだろう。
ざっと見ただけでもわかる、『死亡』していないことが不思議なくらいの重症。
そんな手負いの状態になってなお、この男は立ち上がり、あまつあえ俺に牙を剥いてきたのだ。
「この程度の傷、黒崎様を『死亡』させるだけでしたら、何の問題もございません」
「へえ、そうか……俺も随分となめられたもんだな」
挑発で気が立つのを誘っているのだろうか。
売り言葉に買い言葉で応じつつも、冷静に状況を分析する。
移動と戦闘の連続で多少の疲れはあるものの一切の傷を負っていない俺に対して、護人は既に満身創痍であり立っているのがやっとな状態。
普通に考えれば、こちらが有利なのは間違いないはずだ。
しかし、俺は護人の能力を知らないが、あいつは俺の能力を知っている。
もしもあいつの能力が負傷による力量差を覆せるほどの――葛籠と同等レベルで強力なものであったらと考えると、迂闊に行動を起こすことは出来なかった。
「……出来れば、お前とは戦わずにいたかったんだがな」
「戯言を、黒崎様も重々承知の上でございましたでしょう? たとえどんな経緯と辿ろうとも、我々はいずれ戦う運命にあると」
「……戦う運命、ね」
そうかもしれないし、そうでないのかもしれない。
けれども確かに、初めて会ったあの日――この男が篠森の後ろに立っているのを見たあの日から、俺は護人繰主に対して薄気味悪さのようなものを感じていた。
似ているのだ。
俺にとっての優華であるように、護人にとっての篠森であるように、盲目的なまでに誰かを慕い、誰かのためだけに動くその姿が。
それをきっと、彼も理解していたのだろう。
同族嫌悪。そこに理性的な理由などない。
似たもの同士が、勝手に憎み合っているだけ。
故に護人は俺を嫌悪し、俺もまた護人を嫌悪する。
「戦う前に一つ聞かせてくれよ。どうしてお前は、そこまで篠森のことを思っているんだ」
それは、屋上で篠森にされたものと同じような問いかけ。
「姫様の傍にいることこそが、自分の生きる全てでございますから」
優華の存在が俺にとっての生きる希望ならば、姫様の存在が護人にとっての生きる希望であって。その回答は、寸分狂わず同一なもので。
ああ、やっぱり、似ているんだと、改めてそれを認識させられる。
0組と+組。
狩る側と狩られる側。
捕食者と捕食対象。
こういう形で出会わなければ、仲良くなれたのかも知れないな。なんて、そんな感傷に浸ることはなかったけれど。
たとえもっと違う形で出会っていたとしても、やっぱり最後にはこうして戦うことになっていたのだろうから。
だから、無駄に考える必要なんて何もなかった。
先端を俺の眉間に合わせレイピアを構えると、一瞬にして彼の身に纏う空気が変質する。
軸足が一歩踏み出されると、先ほどまでの危うい状態から一転、その姿勢は瀕死の人間とは思えないほどに安定したものとなった。
そして彼は高らかに、宣戦布告を名乗り上げる。
「『ヴェノムローズ』メンバーが一人、護人繰主。『転校生討伐戦』のルールに則りまして、これより黒崎様を『死亡』させることを、ここに宣言いたします」
その言葉を皮切りに、『転校生討伐戦』最後の生存者二人による――戦いの火蓋は切って落とされたのであった。