【16】触れられない少女の悲願
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霜月こおりには、ある一つの小さな悲願があった。
友達と手を繋ぐこと。友達と温もりを分かちあうこと。
それが彼女の望む小さな願いであり、諦めかけていた夢であった。
彼女は人に触れられないから。彼女は人に触れてはならないから。
『凍結する可憐』手で触れた物体の温度を下げる能力。
奪い取るのではなく、ただ温度を下げ続ける――――触れている限り、永遠に。
そう、永遠なのだ。途切れることのない、働き続ける事象。
彼女が人に触れられない――人と触れ合うことを諦めた理由は、そこにあった。
彼女の能力は途切れない。
『凍結する可憐』には強弱の概念はあれど、オンオフの概念がない。
彼女の手は、温度を下げ続ける。
無作為に、無差別に、たとえそれが人の温もりであれど、容赦なく下げ続ける。
だから彼女は、人に触れることが出来なかった。
下手をすれば、一瞬で人を殺してしまえるこの能力を――オンオフの効かない、いつ暴走してもおかしくない能力を恐れて。
いつしか彼女は、温もりを感じることを諦めてしまったのであった。
「そんな諦めたはずの夢が、こんな思わぬ形で叶ってしまったから――」
俺が能力を封印したことで、霜月は人に触れられるようになった。
だから彼女は喜び、涙を流したということか。
「えっと……水を差すようで悪いんだが、その能力の封印は持って二十分程度しか効果がない。だから、時間が経ったらまた元に戻っちまうわけで……その……」
暗に、ぬか喜びさせてしまった可能性を示すと、霜月は赤く腫れた目をこすって涙をぬぐいながら、こちらに眼差しを向けて柔らかく表情を崩す。
「それでも構いません。ほんの少しの間でも、界ちゃんに触れることが出来た。諦めていたはずの夢を、素敵な魔法が叶えてくれた……それだけで私は、幸せですから」
ありがとうございます、黒崎さん。
そう言って深々とお辞儀をする霜月の姿を、俺は直視することが出来なかった。
慣れない感謝の言葉に、困惑したというのもある。
けれどもそれ以上に俺は、霜月こおりという少女の純粋さから、目を逸らしたくなってしまったのだ。
その面影が、その無垢な心が、無意識のうちに優華と重なってしまったから。
俺なんかよりもずっと純真で、ずっと優しくて、ずっと普通の人間で。
ほんの一時間前の記憶――屋上での篠森との会話が甦る。
同じような境遇だなんて言っていたが、全然違うじゃないか。
俺の方がよっぽど不純で、偏屈で、不適合で――嘘しかつけない最低な人間だ。
「…………ちっ」
わざとらしく舌打ちをして、強引に気持ちを切り替える。
そうだ、今は自虐的になっていられるような場面じゃない。自分で自分を傷つけることなんて、後でいくらでも出来るだろう。
思考と感情を切り離し、改めて翡翠の方に向き直る。
今、俺が考えるべきことはこの『転校生攻防戦』のことであり――そして、優華の安否についてであった。
「それで、そろそろ話を本題に戻してもらおうか」
「僕としては、こおりちゃんのことも討伐戦のことも、等しく本題のつもりなんだけど……ま、黒崎くんからしたら、圧倒的に後者の方が大事か。そうだね、それじゃあ閑話休題ってことで、話を移すとしようか。君が『転校生攻防戦』と認識している、『転校生討伐戦』についての話を」
『転校生討伐戦』。やはり、翡翠は確かに討伐戦と口にした。
攻防と討伐――その二つでは、大きく意味合いが異なってくる。
「まず前提を整えるために、一つ質問させてもらうよ。黒崎くん、君はこのゲームの名前と、それからルールをどう聞いていた?」
翡翠の質問に、俺は篠森から伝え聞かされた通りのルールを答える。
『転校生攻防戦』と、五つのルールについてを。
「なるほどね……あっはは、上手いこと偽装してきたものだ。攻撃側と防衛側なんて、それっぽい陣営を作ることで、この戦争の形を偽ったってわけか」
「偽装……このルールには嘘があるってことか?」
「そうだね。このゲームは決して攻防戦なんかじゃない。君の伝え聞いたルールに沿った言い方をするならば、この戦争に防衛側なんてものは存在しない。両チームが攻撃側――それがこの『転校生討伐戦』のルールなんだ」
両チームが攻撃側。すなわち、両チームの勝利条件は同じということ。
先に転校生二人を同時に『死亡』させた方が勝利となる。それが、俺の知るルールとの大きな差異であった。
「前提条件であるルールの時点で、既におかしなことになっていた。さて、じゃあ次は今日の経過についてを、僕の視点で振り返ってみようか。君は僕ら『フラグメンツ』が葉月ちゃんをさらったと言ってたけど、そもそも『フラグメンツ』は君達と敵対したつもりはなかったんだよ。ああ、初日は敵対してたね。じゃあ、今日は敵対したつもりはなかったに訂正しようか」
ずっと立ちっぱなしで話すことに疲れたのか、翡翠はステージ脇からパイプ椅子を持ち出し、それに腰を掛けて話を続行する。
「ごめんね、少し長くなりそうだったから座らせてもらったよ。どう? 君も座って聞いてもらっていいよ? パイプ椅子ならいっぱいあるし」
「……遠慮させてもらう。それより話を続けろ」
緊張感がないというか、敵を目の前にしてよくもまあ、足を組んで座れるもんだ。
「そうかい? じゃあ続けるよ。僕らは今日、いつものように作戦会議をしてたんだ。といっても、その内容のほとんどは世間話で雑談だったけどね。そうしたら、門番役をしていた蛍ちゃんから一通のメールが届いたんだ」
『黒崎くんと雫ちゃんが体育館に接近中。なんかうちの拠点に用があるみたいなんで、とりあえず二人とも『死亡』させて、いろんな意味で遊んであげようと思います♪』
「蛍ちゃんは今日もご機嫌だなーって、二人にもメールの文面を見せて笑ってたんだけど、その一方で僕はこうも思ったんだ。どうしてこのタイミングで、それもターゲットである黒崎くんが攻めてきたんだろうって。初日の件ならともかく、今日に関してはまるで心当たりがなかったからね」
優華をさらってなどいない。
その発言が真実ならば、彼の言う通り『フラグメンツ』は身に覚えのない攻撃を受けたということになる。
「とりあえず攻めてきたしと思って、界斗くんに体育館で迎撃するよう指示を出しながら、僕はここでずっと考えていた。どうして攻めてきたのかをと、どうやって黒崎くんを騙したのかを。前者――すなわち眠姫ちゃんの真意に関しては正直まだわかってない。けど、後者の黒崎くんをどうやって騙したのかについては、ある程度検討を付けることが出来たよ。さしずめ、葉月ちゃんが誘拐されたとか、そんな文言に誑かされたんだろうって」
「……それは、どの時点で気付いたんだ」
「君が界斗くんと話していた時かな。ポイントは、黒崎くんの発言にあったんだ」
『この体育館の中で人が二人も隠れられる場所となれば――』
「君は、僕がこおりちゃんと一緒に隠れていることを知らなかったはずだ。そもそも後の発言から、君はこおりちゃんを戦力として考慮に入れていなかったのだろう? だったら、君の断定した二人っていう人数は、誰と誰のことを指していたのか。そこに気付ければ、あとは芋づる式に状況を推理出来たよ」
確かに、あの時の俺は霜月の存在をまるで考えていなかった。
葛籠はその二人を翡翠と霜月のことだと解釈したようだが――この男は、その違和感を見逃さなかったというわけか。
「とまあ、ここまで考えておいてなんだけど、正直なことを言えば界斗くんが黒崎くんを倒してくれさえすれば、僕的にはどうだってよかったんだけどね。武力による鎮圧が可能なら、それに越したことはないだろ?」
「いや、普通に考えて、武力ってのは最終手段だろ……」
とりあえず戦ってから考える。
これまでの思慮深そうな様子からは考えられないくらいに無鉄砲なやり口だったが、初日に前情報なしでとりあえず奇襲をかけてきた辺り、この男も大概に大雑把な性格なのかもしれない。
チームメイトにあの蛍を迎え入れるくらいなのだから、相応に豪胆な性格でなければやってられないのだろう。
「けど、黒崎くんは界斗くんに勝った。あの0組最強の能力者を倒した。そうなってしまえば、作戦は変更せざるを得ない。武をもって制せないのならば、言をもって――交渉によって事をおさめなければならない。僕がやるべきことは一つだったよ。素直に降伏し、君にこの戦争の全てを伝えて、僕らが敵でないと知らせること。それが最善だと判断したから、僕はこうして放送室から降りて君の前に立つことにしたんだ」
話が終盤に入ったからか、翡翠は組んだ足を解いて再び立ち上がる。
「それに、君ももうわかっているだろう? 僕がこの状況で――0組最強の能力者と呼ばれる界斗くんが倒されてしまったこの絶体絶命の状況で、葉月ちゃんを人質にしていないことがなによりの証拠だということに。僕らはその札を切れない。人質を交渉材料に扱えない。だって僕らは――――」
そう、その通りなのだ。『フラグメンツ』は、優華を人質に出来ない。
だって、こいつらは――――
「――――葉月ちゃんを誘拐してなどいないのだから」