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【11】誘拐事件と忘却の嘘

   ***


 まず初めにお詫び申し上げます。『転校生攻防戦』のターゲットについてを知らされた際、お二人の身辺を少々調べさせていただきました。

 ただの外部入学生であるお二人が、0組の戦争に巻き込まれてしまった理由を探るために。


 黒崎浩二さんと葉月優華さん。

 自宅がお隣同士であり、ご家族の中もよろしかったお二人は、幼少期から交友のある生粋の幼馴染でした。


 黒崎さんのご両親はお仕事が忙しかったということもあり、よく葉月さんのご家族……主にお母様である葉月遊佐はづきゆささんのお世話になっていたそうで。

 そういった付き合いもあってか、お二人ともそれはそれは仲睦まじい関係を築いておりました。


 さて、そんな順風満帆な生活を送っていたわけですが、小学校に上がり、年齢を重ねるにつれ、黒崎さんを取り巻く環境は徐々に変化していきます。小学生といいますと、少しずつ異性の目や上下関係を気にし始める時期ですからね。

 美人で社交的な優華さんと、内気で閉鎖的な黒崎さん。そんなお二人が仲良くしている姿を快く思わない方々が現れるのは、必然とも言えたことでしょう。


 黒崎さんへの、以後中学校を卒業するまで継続したいじめは、この時期から始まったわけですわね。

 もっとも、当の本人である黒崎さんは、さほど気にされてなかったご様子で。そんな姑息な行為に心を痛められるほど、黒崎さんは純粋な性格をしておりませんものね。


 いえ、皮肉だなんてとんでもない、わたくしは黒崎さんが素晴らしい人格者であると存じ上げておりますから。

 いじめは何の問題でもありませんでした。しかし、黒崎さんの不幸はそれだけでは終わりません。


 小学四年生の春、黒崎さんのお母様が事故でお亡くなりに。そしてその半年後、今度はお父様が失踪。

 小学四年生の夏の終わりに、黒崎さんは十歳にして一人暮らしを余儀なくされました。


 ご両親を失った心労に、子供の身にして全てを一人でこなすことによる肉体的な疲れ。

 それでも、優華さんのご両親の協力と、そしてなにより優華さん自身の献身的な気遣いに助けられ、黒崎さんはなんとか安定した生活への回復に成功いたしました。




 ――――そしてその年の冬、お二人は誘拐事件に巻き込まれましたのでしたね。




 真相は闇の中とされていますが、おそらくは生前――そして、失踪以前の黒崎さんのご両親がそれなりに名の知れた研究者であったことから、身代金目的の犯行だったのではないかと、警察の方々はそう推察されておりました。


 これに関しては、存じ上げておりませんでしたか?

 まあ、理由など些末なことですものね。大事なのは理由でも過程でもなく、どうしようもない結果ですから。


 誘拐事件が発覚してから四日後、お二人は無事警察に保護されました。

 ……いえ、訂正いたしましょう。決してお二人は、無事などではございませんでした。


 誘拐されていた四日間のことは、お二人にしかわかりません。

 ですが、酷い高熱に栄養失調、意識がかなり朦朧としていたことから、その環境がどれだけ悲惨なものであったかは容易に想像することが出来ます。


 そしてもう一つ、状況の凄惨さを象徴していたのが、お二人の証言と事実の食い違いでした。


 誘拐事件の被害者は、黒崎さんと優華さんのお二人。ですが、お二人は証言にて、誘拐されたのは黒崎さんだけであったと主張しました。

 黒崎さんはここには自分しかいなかったと証言をし、優華さんはそもそも誘拐されたという事実そのものを忘れておりました。


 過度のストレスから逃げるための防衛本能。それは全てを忘却し、なかったことにせざるを得なかったほどに、追い込まれていたということの証明。

 わたくしはお二人の状態を、そう推測いたしました。


 さて、ここからが本題です。

 わたくしはそう推測し、そして同時に疑問にも思いました。


 ――――ねえ、黒崎さん。貴方はちゃんと、覚えていたのでしょう?


 誘拐事件の被害者は、二人いたのだということを。




   ***




「貴方は忘れてなどいなかった。優華さんが思い出さないように、口裏を合わせていただけで」


「…………」


 何も言えなかった。

 その沈黙こそが、なによりの答えだった。


 そうだ。俺は一度だって、あの日のことを忘れたりはしなかった。

 ただ、優華が忘れていたから、俺も忘れたふりをしただけ。


 取り返しのつかない世界が、なかったことになったから。

 最低最悪の地獄の中で生まれた、たった一つの偽りの希望に、縋りついてしまったというだけの話だった。


 もっとも、そんな欺瞞に満ちた希望だって、続きはしなかったのだけど。


「今の優華さんはもう、全てを思い出しているのですよね」


「……ああ、そうだな」


「思い出したのは、いつ頃なのですか?」


 白々しく尋ねてくる篠森に、俺はわかりやすく嫌悪を露わにして吐き捨てる。


「それももう、調べはついてるんだろ」


「確証はございませんが、きっかけとなる事件でしたら。中学校生活最後の夏、黒崎さんへのいじめがエスカレートした末に起こった、優華さん拉致事件。彼女が全てを思い出したのは、その時ですか?」


「……あってるよ、その通りだ」


 俺を目の敵にしていた奴らの中でも、とりわけて頭のいかれた下衆共がしでかした、胸糞悪い拉致事件。

 優華の身に傷一つ付かなかったのが不幸中の幸いではあったが、そのかわり、彼女は心に刻まれていた深い傷を思い出してしまった。


 そして懸念していた通り、その日から俺の幼馴染は変わってしまった。


 それなりに時が経っていたおかげか、優華の表情から笑顔が失われるということはなかった。けれどもその引き換えとして、優華は俺に負い目を感じるようになってしまった。

 今でこそだいぶ落ち着かせることが出来てはいたものの、一時期は自分の命さえ顧みないほどの病的な献身を俺に捧げようとしていたくらいに。


 時間が、彼女の傷を癒してくれた。

 しかして同時にその時間が、彼女に罪悪感を募らせてしまっていたのだった。


「自分だけが全てを忘れて、黒崎さんに重荷を背負わせ、何もなかったみたいに生きていたこと。心優しい優華さんにとってはそれこそが、誘拐された事実よりも――なによりも耐え難いことだったのでしょうね」


「……随分と、よく調べたんだな」


「一度疑問に思ったことは、とことん調べておきたい性分でして」


「白を切るのもいい加減にしろ」


 自分でも驚くくらいに、低く冷たい声が吐き出された。相手が女子だということも忘れ、俺は篠森の胸倉を掴み、その背をフェンスに押し付ける。


「答えろ、何のためにその話を俺にした」


 ナイフに手が伸びなかったのは、ただ右手が塞がっていたから。


 夏焼煉次の時とは訳が違う、心の奥底から湧き上がる憎悪。

 しかし篠森は、そんな本気の怒りを――殺意を前にしてもなお、決して取り乱すことはなく、冷静な表情を保ったまま回答を口にした。


「誤解しないで下さい。わたくしは黒崎さんを不快にさせようと思って、この話をしたわけではございません」


「だったら一体なんで――――!!」




わたくしは、お二人を0組に勧誘したかったのです」




 俺の怒声をかき消す力強いその一言に、二の句が継げなくなる。

 行き場を失った空気が肺の中から漏れ出し、不自然な気息となってくぐもった音を鳴らした。


 でまかせの言い訳でないことはすぐにわかった。

 先ほどまでのとぼけていた時とは、眼光の鋭さも、意思の強さも、まるで違っていた。


 だからこそ俺は困惑し、言葉を失ってしまった。

 真剣な眼差しと共に告げられた言葉の意味が、まるで理解出来なかったから。


わたくし達の中には、お二人と同じような境遇の方もいます。人と関われず、人を信じられず、人に傷つけられ、人に裏切られ、人の道を見失った方々が。0組というのは、そんな社会に不適合な異常を集めるためのクラスなのです」


 異常を集めたクラス。

 存在そのものに不自然を感じる、社会に適合出来ない人間の集合体。


「そんな社会不適合者しか所属していないが故に、身内ではそれなりに仲良くやれているのですよ。不自然な人間同士、馬が合うのでしょうかね」


「へえ……仲良くやっている、ねえ……」


「お二人もぜひ、わたくし達の仲間になりませんか? 来るものは拒まず、去る者は追わずです」


「……そんなことを言うためだけに、お前は俺達の過去を暴いたのか」


「ええ。お二人の過去を知った上で……いえ、知ったことで、わたくしはお二人を勧誘したいと、そう思ったのですから」


 どうやら篠森は、本気でその為に――俺達を0組に招き入れるためだけに、わざわざ屋上まで呼び出してきたらしい。


 人のトラウマを掘り起こしてまでやりたかったことが、仲間にならないかときたものである。

 正直なところ、このお姫様に蹴りの一発でも入れてやりたい衝動に駆られたが、それだけはなんとかすんでのところで堪えた。


「……呆れた。そんなくだらない提案に、俺が賛同するとでも思ったのか?」


 胸倉を掴む右手の力を抜き、再び会話に支障がない程度の距離まで遠ざかる。


わたくし的には、五分五分くらいに考えてはおりますが」


「却下に決まってるだろ。お前らが俺をどう見てるのかは知らんが、俺はただの一度だって、自分を異常だと思ったことはないつもりだ」


 異常だなんて、とんでもない話だった。

 俺はただの、何のとりえもない普通の人間でしかないのだから。


 卑屈で、根暗で、悲観的で、人間嫌いなだけ。

 何も出来ない、何の価値もない、平均以下の人間でしかなかったから、俺は優華を守れなかったのだ。


「それに、仮にお前が俺と同じなんだとしたら、この返答はわかりきっていたはずだろ」


 たとえ、ほんの少し折り合いがつくと思ったとしても――仲良くなれそうだと思ったとしても。

 たった一つのものしか信じられない俺達が、他の何かを信頼出来るわけがないだろうって。


 ましてや、それが仲間などという偶像ならば、なおさらである。


「残念、フラれてしまいましたか」


 そう言って彼女は、ほんの少し悲しげな表情をする。

 その寂しさは本心なのか、あるいは同情を誘うための演技なのか。

 打ち解くことを拒絶した心では、真偽を見極めることはかなわなかった。


「……黒崎さん。最後に一つ、お尋ねしてもよろしいでしょうか?」


 話に区切りがつきそうになったところで、最後にと銘打って篠森がそう問いかけてくる。


「黒崎さんはどうして、優華さんをそこまで思っておられるのですか? 優華さんとは違い、貴方には献身する明確な理由はないはずでしょう。それなのに、どうして貴方はそこまでして優華さんを守ろうとするのですか?」


 もしかしたらこの質問こそが、篠森にとっての本題だったのかもしれない。


 俺が優華を守る意味。守りたいと思う意味。

 返答は、考えるまでもなかった。


「あいつはさ、いつだって俺と一緒にいてくれたんだ。母親が亡くなった時も、父親が失踪した時も、俺がいじめを受けていた時も――――そして、あの冷たい牢獄の中でも、優華は黙って俺の傍に寄り添ってくれて、俺に優しくしてくれたんだ」


 優華がいてくれたから、俺はあの終わってしまった絶望の中でも、希望を捨てずにいられた。

 優華がいてくれたから、俺は俺のままでいられたのだ。


「辛い時に、一緒にいてくれた。守る理由なんて、それだけで十分だろ」


「そうですか……ええ、そうですわね」


 俺の答えに何か感じるものがあったのか。

 篠森は目をうっすらと細め、何かを懐かしむように明後日の方を向く。


「黒崎さんも案外、見かけによらずピュアな心をお持ちなのですね」


「そんなことを言われたのは、生まれてこの方初めてだよ」


「ふふっ……そうでしょうね。黒崎さんはとてもひねくれた方ですよ」


 そう言って篠森はにこにこと上機嫌に微笑みながら、今にもスキップとか始めそうな足取りで俺の横を追い抜いていく。


 女心と秋の空なんて言うけど、愛情に限定せず、女の感情はころころと変わるもので。

 なんだか煙に巻かれたような気分になりつつも、お姫様の心など考えるだけ無駄なことだと諦め、一人楽しそうにしている篠森の後を追って、素直に『ホーム』に戻ることに――――しようとした、その時だった。


「姫様、ご報告がありますです」


 数秒前まで誰もいなかった空間に、前触れなく少女は出現する。

 『身体転移テレポート』を使用し、姿を現した少女――一ノ瀬雫は、いつもと変わらぬ無表情を保ちつつも、心なしか額に汗をにじませていたように見えた。


「あら、雫さん。どうかなさいましたか?」


 雫は篠森の耳元に口を近づけ、こちらには聞こえないくらいの音量で主人に囁きかける。

 そうして待つこと数秒。雫からの報告を聞くうちに、篠森の表情は段々と硬く険しいものへと変化していった。


「……何かあったのか」


 不穏な空気を感じ取り、報告の内容を問いかける。


「……黒崎さん、落ち着いて聞いて下さい」


 重々しい前置きに、俺は自然と最悪の事態を想像してしまう。

 どうしてその可能性を考慮出来なかったのかと、回答を得る前から脳が後悔を始めてしまう。


 平和ボケしていたのだ。

 あれだけ警戒せねばと思っていたのに、心のどこかでは忘れてしまっていたのだ。


 今が戦争の――『転校生攻防戦』の、真っ最中であるということを。

 争いには必ず、敵が存在するということを。




「優華さんが、『フラグメンツ』にさらわれました」




 『転校生攻防戦』、もう一つのチーム『フラグメンツ』。

 四日目となった今日、戦争は大きく動きだしたのであった。


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