【8】盤上のお姫様
≪2日目≫
入学して二日目の時間割は、午前中で全工程を終える短縮授業であった。
本格的な授業が始まるのは三日目から。
初日と同様にオリエンテーションのみで昼休み前には帰りのホームルームも終わったため、俺達は普段よりも早く自由な時間を迎えていた。
「ごめんね、浩二! 今日はその、みんなにどうしても来てほしいってお願いされちゃって……これ、お弁当渡しておくね!」
初日に単独で話しかけてきた女子が、今度は徒党を組んで交流を望んできた。
だから今日は、一緒にご飯を食べられないの!
ホームルーム後すぐに声をかけてきた優華の話は、要約すればそんな内容であった。
なんでも、昼食を兼ねた歓迎会が行われ、それから部活動見学ツアーという名の新人勧誘をされるのだとか。
「俺のことは気にするな、女子同士で楽しんでくるといいさ」
「うん、ありがと! 寮に戻るときは一緒に帰ろうね!」
なんて大声で叫ぶものだから、隣に座っていた夢野に一通りからかわれる羽目になったりもしたが、とにもかくにもこれにより、本日の放課後は優華なしで過ごすことが決定。
そして現在、俺は『ホーム』にて昨日と同じ場所に座り、一人でもそもそと優華の手作り弁当を食しているのであった。
「失礼ながら、黒崎さんにはお友達がいらっしゃらないのですか?」
「本当に失礼な質問だな、それ」
いや、正確には一人ではなかった。飯を食ってるのは俺だけだが、部屋の中には俺以外にも主である篠森とその執事である護人も存在していた。
もっとも、護人の方は相変わらず寡黙を通しているので、口を開いているのは俺と篠森の二人だけだったが。
「いないわけじゃねーよ。一緒に飯食ったりとか、そういう人付き合いが苦手なだけだ」
「あら、寂しいことで。まあ、そんな顔をしていらっしゃいますものね」
「喧嘩売ってんのか、お前は」
「とんでもない、黒崎さんとは末永く仲良くしていきたいと思っておりますわ」
よくもまあ、平然とした顔のまま心にもないことを口に出来るものだと、もはや怒りや呆れを通り越して感心すらしてしまいそうになる。
多弁で辛辣なお姫様に、寡黙で難解な執事。
一癖も二癖もある二人と同じ空間にいることで、俺は改めて0組という存在の異常さを――面倒くささを思い知らされた。
「しかし、ご飯を食べるお友達がいらっしゃらないのはわかりましたが、わざわざこんな息が詰まる場所で食べなくてもいいのですよ。明日以降はともかく、今日だけは自由にしていただいて構わないのですから」
「自由に、ね……それ、嘘だろ?」
「…………あら」
俺の指摘に、篠森の肩がぴくりと揺れる。
「嘘、ですか。どうしてそうお考えに?」
「この戦争は、俺達に戦わせることを目的としているんだろ? だとしたら、わざわざ戦闘を躊躇わせるようなルールを作る理由がない」
わざわざ名乗り上げのルールを作ってまで、闇討ちを防止しているのだ。
主催者側が正面からの戦闘を期待していることくらいは、火を見るよりも明らかであった。
「それに、仮にそんな重要なルールがあったのだとしたら、最初に配られた資料にもそう書いていたはずだ。あそこに書かれてなかったという事実が、このルールが即興で考えられたものであることを証明してるんだよ」
「……素晴らしい推理力ですわね、私の完敗ですわ」
そう言って、篠森はあっさりと嘘を認めた。
「黒崎さんのおっしゃった通り、攻撃に失敗した翌日は戦闘不可能なんてルールは存在しません。あれはただ、私があの場で考えたでっち上げのルールですわ」
「そうだろうな」
まあ、頑なに否定するほどのことでもないのだろう。
この嘘は、あくまでも体裁だけのもの。最低限、優華さえ騙せればそれでいいのだから。
「一応、感謝はしてるつもりだ。俺がここにいれば、少しは襲撃のリスクも減らせるだろ」
「……そこまで悟られていましたとは、お恥ずかしい限りですわね」
「悟るだなんて……そんな大層な推理をしてはいねえよ」
ただまあ、内緒で行った配慮が当の本人に見抜かれていたとなれば、恥ずかしさを感じるのは無理もないことであろう。
戦争期間中、ずっと俺達を自由にしておくわけにはいかない。かといって、一週間ある放課後の全てを奪うというのは、かわいそうな話である。
だから彼女は、せめて今日だけは――戦争期間中で最も放課後の長いこの日だけは、自由に過ごさせてあげようと考えた。
つまりは、交渉の妥協点――篠森なりの打診の結果こそが、嘘ルールの正体なのであった。
「ご協力ありがとうございます。正直、二人を見張り続けるのは無謀だったのではないかと、不安に思っていたところでした」
「別に、お前らのためを思ってじゃねーよ。優華を自由にさせてやるためだ」
「ふふっ……そういうことにしておきますわ」
そんな見透かしたようなことを言って上品に微笑む篠森の姿に、不覚にも俺は少しだけ感情を乱されてしまった。
わかってはいた。その笑顔はあくまでも仮の姿であり、彼女の本性がもっと別のところにあることくらいは理解していた。
俺が動揺してしまったのは、彼女にも――0組にも、赤の他人を気遣えるような側面があるのだという事実に気付いてしまったからで。
篠森にとって、俺と優華は昨日であったばかりの他人でしかない。
そんな単なる知り合い程度の人間のために、わざわざ無用なリスクを冒すその姿勢は、俺の中で築かれていた0組のイメージを塗り替えるには、十分すぎる事実であった。
異常でも、理解不能な連中ではないと。
そう思えるくらいには、俺の心にある種の変革をもたらしていた。
「それでは、貴重な放課後を私達のために費やすと決めてくださったのです。『ホーム』の主として、何らかのおもてなしをさせていただくとしましょうか」
篠森が合図を送ると、護人は少し前からポットで蒸らしていた紅茶をティーカップに注ぎ、俺の前に一つと、それから正面の誰もいないところに一つ置いていく。
そして、入れ替わるようにしてやってきた篠森はソファーに腰を下ろすと、白と黒の模様が交互に並んだ板と箱――チェス盤を机上に並べた。
「チェスは指せますか?」
「まあ、一応は……ルールくらいは理解してるつもりだ」
「適当で構いませんわ。せっかく私のお部屋にいらっしゃったのです。チェスでも指しながら、今後についてのお話でもいたしましょう。この戦争を――残り四日間を有意義に過ごすためのお話でも」
そう言って篠森は出会った時と同じように、妖艶に――楽しそうに笑うのであった。
ちなみに、チェスの結果は二勝二敗で引き分けだった。
それなりに自信はあったのだが、どうやら彼女もまた、なかなかの実力者であったようだ。