PV6000記念閑話 斎藤さんだぞ
「イッチ!」「セイ!」
「ニイィ!」「セイ!」
…。
正拳突きの拳から汗が飛び散る。
「ラスト百本!いくぞっ」
「押ー忍!」
「イッ!ニィ!サン!……」
◆
「んじゃ斎藤、俺ら先帰るぞ〜」
「押忍!」
「お〜、自主練乙〜」
部活終了後はそのまま帰る生徒が多かった。
でも、学校の修練場を使える間は最後まで残って空手の練習をして行くのが斎藤の日課だった。
ただ単に誰もいない家へ帰るのが嫌なだけだったのかもしれない。
両親共に健在ではあるが斎藤が生まれた頃に購入した一軒家のローン支払いの為に複数の仕事をこなし殆ど家には帰ってこなかった。
何の為の家なんだろうな。
あまり裕福とは言えない家庭ではあったけれど食べるには不自由しなかったし空手の道場にも通わせて貰えた。
本当は幼い頃に見た剣道モノのアニメに影響されて剣道をやりたかったけど、防具や消耗品に結構お金が掛かると言われ、道着を一式揃えてしまえば後はそんなに費用がかからない空手を選んだ。
とにかく戦う方法、武道を身に付けると言う事に憧れていたしワクワクした。
小学校3年生の頃から通い始めた道場では上手い方でも無かったけれど練習熱心だと褒められた。
特に空手の型、分解が面白かった。
空手の型はただ突いたり蹴ったりしている訳では無く。一連の動作の中にいくつもの技の攻防が折り込まれている。
斎藤は型を行うとき四方に敵の姿を思い浮かべる。
まず、正面の敵が前蹴りを放って来るモノを下段払い、懐に飛び込んで中段突きから変化して顎下から突上げる。これで一人倒したので一区切り。
次に右から正拳突きで来る相手に向かう為真横へ旋回し上段に受ける、受けた手で突きを絡め取り逃げられない様にして水月へ前蹴りを叩き込む。
次に後ろから肩を掴みに来た敵の腕を真後ろに旋回しながら払い…。
こういった攻防を十回近く行う、その攻防の集合体が型であり、一つ一つの攻防を型の分解と呼ぶ。
分解を理解し意味を反芻しながら型を演武するのが面白かったし好きだった。
型が終わった後分解の数だけ幻視の敵が倒れて居た。一度に複数人と相対する技もあるので更に幻視の敵は増える事もあった。
一方、組手はそんなに好きでは無かった。大体運動神経や体格にめぐまれている者が勝つのが常だったからだ。
同じ道場に通う門下生たちには型は踊り、空手の真髄は組手と言う者も居た。
実際、そういった面は否めないだろうとも思う、実戦では相手は型通りに攻めて来るとは限らない、理屈はその通りなのだけれど、それは型を中途半端に齧った人間の台詞なのだとも思う。
型は一つだけでなくいくつも存在している。
斎藤はまだ八つ程の型しか習っていないが、それを分解して数えれば被りを除いて57もの攻防が含まれている。
徒手空拳で人が出来る事は限られている。
基本、突きがいきなり腕の倍も伸びたり、足首が外れて飛んできたりはしないものだ。
斎藤はこの57種類の攻防で殆どの空手の攻撃は対処出来ると考えている。
実際、組手で普通に使われる技で斎藤の知っている57種類の攻防の中に入っていないものは見たことが無い、精々複数の攻防を組合せアレンジした程度のものだ。
むしろ技としては型の方がエグい。
組手では禁止されている、投げ技や関節壊し、顔面(攻撃)、肘打ち、金的迄含まれている。
破壊力も相手に負わせる傷害の度合いも段違いだ。
型にこそ空手の真髄がある。斎藤はそう感じている。
3年間空手に明け暮れながら中学校に入学した。
斎藤の学区の中学校には空手の部活動が無かった。
武道と言える部活動は剣道と柔道だけだった。
ここで斎藤は念願の剣道に触れる事が叶った。
防具は学校の備品…部活で剣道を始め一式揃えたけれど卒業後不要になり部へ寄付として置いていった先輩の防具、竹刀が借りられたからだ。
流石に道着と袴、練習用の樹脂性の竹刀位は買ってもらえた。
一部が、壊れた竹刀を貰って複数の部品を組み合わせて完品のモノをでっち上げるような事もした。
面白い事に剣道にも型があった。
上段から切りかかってくる相手の剣閃を受け、流し、斬る。
真っ向勝負の先の先も派手で良いけれど、受けて断つ、後の先もテクニカルで面白かった。
また、剣道も型には試合では禁止の突き技があったり、投げて組み打つ技があった。
ここでも真髄は型だと斎藤は思いほくそ笑んだ。
一方で試合になるとやはり勝てなかった。上背があり腕力脚力に優れた者が勝つ。空手の組手と何ら変わらない構図。つまらない、体格に劣った者が技や工夫で勝つのが面白いンじゃないか。
とも思うけれど所詮負け犬の遠吠えと言うヤツにしかならない。
昼は部活で剣道。夜は道場で空手。そんな日々が中学3年間続いた。
高校は近場の普通校へ通った。
勉強はそんなに好きじゃなかったけれど、授業を受ければその内容は普通に理解できたので成績は悪くなかった。塾や有料VR空間で学んでいる連中が成績上位を占めていたけれど。
教科書と授業、分からないところは図書館で調べるか無料のVR空間で聞くだけで理解出来、彼等のすぐ後ろ位の成績は修められていた。
特に将来なりたい職種もなかったし、強いて言えば両親の様に家庭も顧みずに働きづめなければならない仕事は嫌だなぁ位にしか思わなかった。
高校には剣道部は無く空手部があったので普通に空手部へ入った、同じ空手の道場へ通っている知り合いはテニス部とバスケ部バレーボール部へ入った。
斎藤より体格に恵まれ組手ではほとんど勝てなかった連中だ。曰く「空手じゃ女のコにモテナイ」というのがその理由だった。
(ボクは硬派に生きるから空手でいいんだ)
と斎藤はうそぶいた。
高校の部活は中学のそれとは一線を画していた。
なるほど、高校の部活で成績を残しプロを目指す連中が混ざり始めていたからだ。
意外な事に斎藤の入った空手部は地域では強豪校と言われる存在だった。
1年の時に十数人いた新入部員は2年になる頃には斎藤を含め5人しか残っていなかった。
その中では一番斎藤が組手が弱かったし、斎藤の道場とは別流派の教員が指導していたので型の評価も低かった。
流派性の違い、と言うのだろうか?
同じ型でも道場では“受け”として習熟したものが部活では“払い”として扱われたり“投げ”でなく“落とし”だったりもした。
いわゆる(流派開祖の)解釈違いというやつだ。
面白い事にどちらの流派の技にもそう解釈するだけの理があった。これはこれで面白いと斎藤は感じていたのだが。他流派を知らない指導員には変なクセが付いていると感じ取れたのだろう、斎藤は散々に駄目出しを食らったが斎藤の中ではこれが正しかった。
この型の意味を斎藤流に分析消化し、斎藤の体格と筋力に合わせて最適化しているのだからお仕着せの型と若干の相違があるのが当たり前だと思った。
但し、団体戦の型の場合、複数人の動きが一致することも採点基準ではあるのでその場合には合わせる為の型も演武は出来る様にはなった。
周りと動きを合わせるだけなので一人になると我流の動きになってしまうのは致し方なかった。
体育の選択授業で受けた柔道がそれに拍車をかけた。
落としや、投げに対応する受け身は空手も型の受け側として学ぶが、それをきちんと体系付けて受け技として昇華している事に感動した。
立ち技と寝技の変幻自在な攻防も打撃系から見れば超接近戦での闘いである。打撃戦の次に来るモノがそこにあった。
自分の重心を守り相手の重心を崩す。
柔よく剛を制すとはよく言ったものだと思った。
バランスを崩してやればデカいやつでも転がすことができる。
実際の試合では研鑽を積んだ者同士では究極的には剛よく柔を断つになって行くのが残念ではあるが、体格に劣った者が勝敗をひっくり返す可能性を示唆するものであったのは斎藤にとって僥倖であった。
柔道の重心操作を自分の動きに組み込んだ、意外な事に空手技との親和性は高かった。
特に相手の攻めを受け、流す際の円の動きの中心を自分の重心に設定したときの技のキレは段違いだった。
小学生の時、道場に現れた流派開祖直弟子の指導の相手役として駆り出されたときに体感した、自分の突きを吸い込み引っ張られる程の手刀受けの力はこの技術の延長線上にあった事を確信した。
自分では一段も二段も昇った感覚ではあったけれど組手は相変わらず巧者の力押しに対応は出来ても優勢負けしてしまう。
斎藤から見ても隙だらけ、顔面金的無防備のルールの鎧に守られた猪競技者であっても手数と乱戦の流れによって勢いのある方が優勢になることもしばしばあった。
現実には急所は外していたとしても審判が入ったと思えば負けなのだ。
ここでもガタイがでかい方には贔屓目がかかる。
審判眼の無い審判に当たるのは犬に咬まれたようなものだと思うしかない。
そんな高校空手時代に斎藤の空手人生を変えるある出来事が起こった。
あー…
閑話書いてる時間あるなら本編を進めろと…。




